4章ー4

 千夏との青春の結末、千春と再会してからの顛末、俺の思いの後始末、それにまつわる今まで出来事などなどを語り終えた時。


「わははははは」


 選ばれたリアクションは爆笑だった。行動として腹を抱えて笑っている。こんなに楽しそうな凍矢先生の姿を見るのは生まれて初めてだが、達成感よりも、怒りの感情の方が勝っている。笑いすぎだこのやろう。


「そんなにおもしろかったんですかね?」


「おもしろいなんてもんじゃない。これは傑作だよ。どんなゲームや映画、ましてや小説やライトノベルよりもおもしろい。どんなエンターテイメントよりも、他人の人生ほどおもしろい物語はないな」


 凍矢先生は、大袈裟とも言える表現で、面白さを言葉で評した。意味がわからなくて、わけがわからないのが他人であるから、他人の人生なんて想像もつかないくらいに、もっと無茶苦茶なもんだ。それを物語と考えると、確かに面白いのかもしれない。


 というか、凍矢先生、ゲームしたりライトノベルを読むんだ。意外だ。


「意外だと言いたそうな顔をしているな。私だって、笑うことくらいあるさ」


「そうですけど、そっちじゃないです」


 確かにその事実にも、びっくりしたけれども。


「私もゲームはするし映画も見る。小説やライトノベルも読む。漫画も大好きだし、少しばかりアニメだって見たりする。なんだ意外か?」


「正直、すごく」


「フン。どう思おうが他人の勝手だから別にいいんだが、物語そのものが好きなんだろうな私は。色んな奴がいて、色んな物語が日々更新されていく新鮮さから、この仕事を選んだのかもしれないな。私も、お前も、松澤友樹も、水崎千夏も、高階良子も、後お前が仲良くしていたのは、鏡正音と神川絵衣美だったか。まあ誰であれ、そいつらが主役の物語を聞くことが、私の楽しみなのさ」


 聞けば聞くほど、凍矢先生の知らなかった一面が引き出されていた。意外だ意外だと表現してきたけれど、そんなのは他人が勝手に押し付けているだけで、本人にとっては意外でもなんでもない。あるがままのものかもしれない。


 わからないから、知らないことがあるから、認める認めない以前に、話し合ってみることはいいかもしれない。そう思った。


「そこまで爆笑されるのは心外だけど、ちょっと凍矢先生のことを知れた気がして良かったです」


「言うじゃないか。しかし、これだけ面白い話しをされてしまったら、私としても、きちんとしたものを返さねばならないという気になってしまうな。何が知りたいのか、言ってみなさい」


 俺は、今まで引っかかっていた、水崎千春に関する知りたい情報について伝えた。


 凍矢先生は、傷の目立つ古びたデスクの引き出しを開け、大量にまとめられた紙の束を、一枚一枚確かめ始めた。


「そんなことだけでいいのか? というより、それだけわかれば充分なのか?」


 俺は頷いた。


「ふむ。すまないが私はちょっと出てくるよ。なあに、保健室が煙たくなってしまっては、保健を司っている者として示しがつかないから、外で一服してくるだけだ。たまたま、整理していた資料が机の上に置いてあるが……わかっているな、勝手に見るなよ。無闇に動かしたりしない限り、お前が勝手に資料を読んだという証拠は発生しないから、証明はできないがな。いいか、重ね重ね言うが、動かして勝手に見るなよ」


 凍矢先生はそれだけを言い、白衣を翻して校庭の方へ消えていった。


 ありがとうございます、先生。


 心の中で感謝を告げ、凍矢先生の机に残された資料を眺める。学校の生徒の名前や簡単なプロフィールが載っていた。その中で、唯一見知った名前を発見した。水崎千春。


 とてつもなく下卑た行為であることはわかっている。目的のためとはいえ、罪悪感は募っていった。せめて心の中だけでも、謝罪を繰り返した。


 スリーサイズは載っていなかったが、俺の欲しかった情報が書いてあり、疑問が確信へと昇華していく感覚を感じた。謎の氷がまた少し氷解し、大きなうねりとなって流れていく。そんなイメージ。


 金属が擦れるような音が鳴り、硬質な足音が響く。入り口に目を向けると、凍矢先生が、出て行く時と変わらない涼しげな表情で歩いてきた。


「今戻ったぞ。勝手にいじったりなんかしてないだろうな?」


「ええ。資料をいじったり動かしたりは、してません」


 そうか、と言って笑う凍矢先生からは、タバコの匂いは漂ってこなかった。憎い人だ。


「そういえば、俺たちが使ってたあの部屋って、今はどうなってるんですか?」


 思い出の一部分、青春の欠片、置き忘れた夢の跡、色んな表現で表すことができるあの部屋がどうなっているのか、実のところ気になっていたのだ。


「詳しくは知らないが、少なくとも今どこかの部活動や研究会活動で使っている、という話は聞かないな」


 少しがっかりした気分になるが、同時に胸を撫で下ろした。今も尚誰かがあの部屋を使用していたら、さすがに勝手に使ってしまうことには申し訳なさを感じるからね。


「おい、まさか良からぬことを考えていないだろうな?」


「そんなことないですよ」


 声が裏返った。なんで人は、図星を突かれる時、怪しい反応が出てしまうのだろう。


 でも、仕方がない。嘘がつけないのであれば、正直に言うしかない。綺麗に飾られた嘘よりも、不器用でつまらない本当の言葉の方が、時にいい事があってもいいじゃねえか。


「実は、きちんと終わらせたいことがあって、それに相応しい場所を使わせて欲しいんです」


 凍矢先生は大きく目を見開いた。七年越しに見る初めての表情。


「驚いたな。お前がそんなことまで頼み込んでくるとは思わなかったな。妥協し諦める代わりに、悪態をついて自分を保ち、バランスを取るのが真中明大というキャラクターだと感じていたのにな。てっきり、水崎千夏のことも終わったこととして、勝手に納得してしまい込むものだと思ったのだが」


 改めて他人から評されると、なんて矮小で嫌なキャラなんだ俺は。


 それでも、そうだとしても、どうしても変わらないし変えられない。改善しようとも思わないし、そんな自分を責めたりなんかしない。生きてから死ぬまで当たり前なこと、俺は、俺だ。


 真中明大は、死ぬまで真中明大として生きる他ない。


 真中明大として最大限に生きていくためには、どんな形であれ、水崎千夏との間に決着をつけなければならない。


 俺は、俺自身を諦めないために、こんなにも必死だ。


 後悔している自分を、後悔したままにしておきたくないんだ。


 祭りが終わった後の、つまらなくも不完全燃焼なエンディング。その残りカス。今の俺は、そんな終われなかった夢の続きを生きている感覚だ。青春という名のお祭りみたいな日々をやり直すことは出来ないし、あったかもしれない可能性を考えることなど不毛でしかない。そんなことはわかっているから、過去のことを変えられないからこそ、俺は今出来ることをやりたい。


「そうかもしれないですけど、今回は諦めるわけにはいかないんです。お願いします」


 正面から頭を下げる。反応が怖くて、内心ではビクビクしている。熱気を冷やすようにフル稼動するクーラーからの冷気が、肌を突き刺すように鋭く感じた。


「ダメだな」


 無慈悲だが、教員としては当たり前の立場として、正当に却下された。わかってはいたが、反対されると少し気分は落ち込んだ。


「おっと、そう落ち込むな。可愛い元生徒のお願いだが、私の立場では許可出来ん。だからな、私は今から独り言を呟くぞ。独り言だから、誰かに聴かれているか、なんてことは考慮しない。聴こうが聴くまいが、好きにすればいい」


 凍矢先生は、僅かに逡巡した。紡ぐべき言葉を練っているように思う。俺は押し黙った。独り言とはいえ、話を聴く時にうるさくすることは、マナー違反だろう。


「次の土曜日、たまたま、本当にたまたま、夕方からはすべての部活動が休みになっている。その日は私も出勤しているから、校舎の玄関は空いているだろうし、休日のような気分でゆったりと過ごしているだろうから、誰か部外者がいたとしても、もしかしたら気がつかないかもしれないな。まあもし、何か問題が起これば、私がとっ捕まえて、警察に突き出すよりも嫌になる説教をくれてやるけどな」


 凍矢先生は、長すぎる独り言を言い放ち、すっかり冷めきったコーヒーに口をつけた。


 俺の認識に間違いがなければ、凍矢先生の考えてくれたシナリオは、充分すぎるほど伝わった。


 今は気持ちという不確かなものでしか感謝は語れないけれども、いつかきちんとした形でお返ししたい。そう思えた。


「ところで、松澤はまだ帰ってこないのか?」


 今までの空気をなかったことにするかのように、凍矢先生は唐突に話題の転換を図った。


「みたいですね」


 友樹は、トイレに行くと宣言し出て行ってから、未だに戻ってきていなかった。どれだけの気まずさが燻ぶっているのか、それとも、ものすごく太いものと格闘しているのか、判断がつかなかった。


「まあいい。松澤が戻ってくるまで、もう少し昔話でもしようか。戻ってこないあいつが悪いから、ちょっとした罰として、あいつの懐かしい話をしてやろう」


 大人になったから、今になったから言えることを教えてくれるのだと言う。


 友樹に秘密を知られていることは日常茶飯事だけど、友樹の秘密を知れる機会なんて、なかなかあるものじゃない。一体どんな秘密を教えてくれるのかと、子供染みたワクワクが体をむずむずとさせた。


「卒業式の日にな、私も生徒達と別れの言葉を交わしてたんだが、保健室に忘れ物をしてな。戻ってみたんだが、何故か扉が開いていたんだが灯りは消えていた。今日は保健室を利用していた奴はいなかったはずだし、どうしたものかと音を立てないようにして覗き込んだんだ。そしたらな」


 凍矢先生は、まるで河原に落ちているエロ本を見つけたかのような、キラキラとした少年のような瞳で、言った。


「松澤と高階が、保健室でヤッてた」


 青春。


 若い体を持て余して、情欲のままに熱を上げ、衝動と情動を粘っこくぶつけ合うこともあるでしょう。わかってる。わかってるけど。


「聴きたくなかった」


「高階は真面目な顔して、あれで結構情熱的だぞ」


「もっと聴きたくなかった」


 俺が中途半端な結末を迎えている間に。


 友樹と高階は全力で青春を謳歌していたらしかった。


 滅べ。

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