09. 確かなもの
正午を越えて、日が暮れる。
優路は西山とキッチンに立っていた。調理の際の基本的な心得や注意点などを手解きしながら夕食を作っていた。
一通りの品数が揃った頃、母がパートを終えて帰ってくる。
その場では事実を伏せて食卓を囲む。
姉が仕事から戻ったのは、三人が腹を満たした後だった。
今朝の事情を途中まで知っている姉は、二人の仲を案じてそわそわしていた。
誤魔化しつつ、母の隣に姉を座らせる。
テーブルを挟んで対面する形で、優路と西山が並んだ。必要な人数が集まる。
婉曲な表現は用いなかった。
優路の口から、西山との関係性が変化したことを明かした。交際の報告である。
「まあ。こんないい子が優路に彼女だなんて。舞い上がっちゃうわね」
母は自分のことのように喜んでいた。
「……あー。そう来るか。そうなるよなあ」
姉は一人で何かに納得していた。
「不束者ですがよろしくお願いします」
西山が恭しく頭を下げる。畏まり方に本格的な前置きが存在しているように聞こえたが、優路は黙って見届ける。
「あたしもいつか言ってみたいねえ。そんなふうに」
「不届き者ですがご容赦くださいって?」
「彼女ができたからって調子に乗るなよ小僧」
「文句よりも前に色々と残念なところを直したら? バレンタインにチョコレートの名を借りた泥団子を作ってるようじゃ、大抵の奴は裸足で逃げ出すって」
「貴様! 思い出したくもない黒歴史をよくも!」
売り言葉に買い言葉とはまさにこのことだった。必要のないやり取りから誰も得をしない口喧嘩が始まる。
姉弟のくだらない応酬を、二人は楽しそうに眺めていた。
「本当に仲良しな姉弟ですよね」
「でしょう?」
優路は皿洗いをしている。
普段通りの作業が、今に限っては精細を欠いていた。
テーブルには向かい合って座る二人の姿がある。
母が一足先に風呂に入っている間、姉はここぞとばかりに西山から根掘り葉掘り聞き出そうとしているのだ。
「二人が付き合うことになったのは、今朝の喧嘩の後の話なんでしょ?」
「そうなりますね」
「それから夕方まで二人きりだったわけだ。……仲直りの後は激しいって言うけど、本当にそうだった?」
優路は手から食器が滑りそうになる。
「美聡、真に受けちゃ駄目だよ」
「お義姉さん。それってどういう意味ですか?」
「なっ、それを姉さんに聞いちゃ……!」
制止の言葉を発した時には遅い。西山が耳を寄せ、姉は口を動かしていた。
ほんのりと赤く染まる顔色がある。
「優路はそんな堪え性のない人じゃないですよ。節度を守れる誠実な人です。……ただまあ、それが堅苦しくて面倒くさい時もあるけど」
「今さらっと本音出なかった? ねえ?」
「そういうところあるよなあ優路は」
「そうですよ。昼間だって勉強を見て欲しいって言うから付き合ったけど、私だって二人きりだから意識してたんですよ? 折角彼氏彼女の仲になれたのに……。寂しいですお義姉さん」
「期待に応えるくらいの器量を見せろヘタレー」
「へたれー」
「この二人が息を合わせるとこんなにも鬱陶しいのか……」
関係性が変わったことで、西山は遠慮をしなくなった。
成長と捉えるか退化と捉えるか、判断を下すには時間が少ない。
ただ、以前よりは格段に良くなっていると優路は考えている。
「大切にされてる感じが嫌ってわけじゃないので、なおさら複雑なんです」
「あー、それね」
「なので、ちょっと意地悪してストレス発散してます。ボディタッチ割り増しで。照れる優路は可愛いですね」
「弟の楽しみ方を分かってるじゃないか、みさちゃん」
「……厄介なことを覚えやがる」
「優路の弱点は耳だぞ」
「心得てます」
「嘘だ! もうばれてる!?」
優路は今、西山と同じ寝床で眠りに就こうとしている。
姉は、もうベッドを貸す気はないと言う。
母も、好きにして構わないと言う。
西山に至っては、ここ以外の場所では寝ないと豪語する始末。
交際をしている以上断る理由もないのだが、それでも優路には躊躇があった。姉を例外とするにしても、これほど密接に異性と時を過ごした経験がない。要は気構えの問題である。
強い意思があればこそ抵抗もするが、当然事態を拒みはしなかった。
二人分のスペースを確保するには、やはり優路の部屋のベッドは狭い。
感触も、温度も、息遣いさえ伝わってくる。
「ドキドキしてる?」
「してるよ、そりゃあ」
「……なんだか不思議な気分。こんなふうになるなんて。夜の公園で優路に会ったのがもう懐かしい」
「確かに。そんな感じもするかな」
「色んなことがあったね」
「ありましたね」
西山が家出をしたのはすでに一週間のことだ。そして、優路が西山を家に招いてから四日が経過している。
二人にとってその時間は、長い人生において短いものなのかもしれない。けれど、この短さの中に、今後の二人の将来を左右する多くの要素が詰まっていた。
互いがすでに、欠けてはならない存在となっているのだ。
「優路は私の彼氏で、私は優路の彼女、だよね?」
「うん」
「一緒にいてくれるんだよね?」
「勿論」
優路にとっての当たり前を、西山は確認した。
だからこそ、それが後押しとなる。
「……言ってなかったけど、一応メールで連絡だけはしてたの。でも、いい加減、逃げてちゃ駄目だよね」
隣から意を決するような息遣いが聞こえた。
その横顔を覗く。
「私、決めたよ――」
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