05. 偶像

 店員に従って席に着き、水とメニューを受け取る。

 西山の希望通り、訪れたのは優路がよく利用するファミリーレストランだった。学校帰りや友達と遊んだ後に、無駄話を交えながら長居することも多々ある場所だ。

「何か忘れているような気がする……」

「どれにしようかな。あ、君が頼むの一口ちょうだいね。私のもあげるから」

 楽しそうな声に押されて頭に残る気がかりを放置。二つ用意されたメニューの一つを一緒になって目で追っていく。

 西山はクリームパスタ。優路はミックスグリルにライスのセットを選んだ。

 注文を終えると二人でドリンクバーの前に立つ。

「ジュース以外に紅茶やコーヒーもあるの? 悩んじゃうなあ」

「早く決めないと他のお客さんの迷惑に――」

「は!? 優路が女と二人だと!? 馬鹿な!」

 突然の大声が店内に響く。

 優路は狼狽えた。西山も驚いているようだった。

 望ましくない予感とともに振り返る。そこには馴染みのある三人が揃っていた。

 優路はようやく思い出す。昨日の夜のことだ。明日遊ぼうというメッセージが送られてきていた。夕食のことも言及していた。ファミリーレストランで話して過ごすとも。

 普段であれば鉢合わせたところでどうと言うことはない。

 しかし、今回は状況が異なる。優路の隣には西山がいるのだ。

 それがさらに混乱の呼び水となる。

「なっ、お前、一緒にいるの西山先輩じゃねえか! どういうことだ!?」

 高橋の表情が驚愕に染まっていく。

「まさか女子に興味のなさそうだった岩崎が……。意外だ」

 細川は努めて冷静に状況を観察している。

「ほほう。これはこれは」

 松林だけは不敵な笑みを浮かべていた。

「君の友達?」

「……そうです」

 西山の疑問に答えながら、優路は事態の収め方を脳裏で模索する。

「優路さん優路さん。事情聴取の時間ですよ」

 高橋が怒りを通り越した笑顔で歩み寄ってくる。

「待て落ち着けとりあえず指を鳴らすのをやめよう、な?」

「冷静だな。勝者の余裕かそれは」

 間に合わせの言葉は火に油を注いでしまう。

「え? 何? もしかして私、悪いことしちゃった?」

 ただならぬ空気を感じ取った西山が怯えるように呟いた。

「おいおい。もうお会計なんだ。レジの店員を待たせてはいかんぞ!」

 松林の言葉にも高橋は耳を貸さない。

 見かねた細川が肩を叩いて止めに入った。どこか願うように訴える。

「今は駄目だ高橋。西山先輩に迷惑をかけてやるな」

「…………」

 高橋は西山の困惑した表情を見て、一時的に溜飲を下げた。

 怒りを宿した瞳が優路へと向けられる。

「クソ! おいこら優路! 覚えてろよ!?」

 ヒーローに敗北した悪役のようなセリフを残して、三人は店から出て行った。



 嵐のような出来事は一分にも満たなかった。

 気もそぞろに、二人はドリンクを持って席に戻る。

「すいません。面倒なことに巻き込んでしまって」

「いいよ、これくらい。気にしないで」

 西山は笑顔で続ける。

「でも、さっきのってさ、私と君が付き合ってるように見えたってことだよね?」

「まあ。二人きりじゃ、そう見えてもおかしくはないですよね」

 優路は言葉を濁した。あくまで一般の見解を述べる。

「随分と淡泊だね。……君はどう思ってるの? 彼女が欲しい、とか思わないの?」

「どう……でしょうね。今はまだ、よく分かりません」

「私は欲しいよ?」

「彼女を、ですか」

「分かってるくせに」

 仕方のない子だと言わんばかりに、西山は笑みを零す。

 当然、話の流れを理解できなかったわけではない。

 苦笑いを返すしかなかった。乾いた喉を潤すために、一度ジュースを口に含む。

 優路のポケットが振動した。まるで確認を急かすかのように、通知がスマートフォンを揺らす。タイミングからして何を知らせるものなのか、察することはできていた。

 いくつかのメッセージが届いている。

 アプリを開くとグループ名が変更されていた。『余り者には縁がある』から『余り者に縁がある奴は極刑』に変わっている。

 目を通すのが恐ろしくて、優路は確認を保留にした。

「どうしたの?」

「いえ、嫉妬って怖いなと思っただけです」

「……?」

 それだけでは伝わらなかったようで、西山は首を傾げていた。

「あのさ、さっきの三人って君の友達なんだよね?」

「そうですけど」

「もしかして、生徒会に入ってる子、いたりする?」

 思わぬ指摘に優路は反応が遅れた。確かに細川は生徒会に属している。

「いますよ、一人」

「そっか。やっぱり」

「あいつがどうかしましたか?」

「私の担任が生徒会の顧問なの。放課後に用がある時とか、たまに生徒会室まで出向くんだけど、何度か彼を見たことがあって。それに、一度だけ話しかけられたのを思い出してね」

「何を話したんですか?」

「確か『どうしたらあなたのようにテストで高得点を維持できるんですか』って聞かれたの。私は別に特別なことはしてないんだけどね。強いて言えば、テストを受けるまでの間に何回も間違え続けてきたから、なのかな。あの時もそんなふうに答えたんだと思う」

 今朝、西山は語っていた。自分にできることができただけだと。

 何かをできるようになるまで繰り返すことは、簡単なようで難しい。勉学やスポーツの練習といったものがまさにそうだ。時間をかけて反復すれば上達する、それ自体は容易に理解することができる。けれど、実行に移せる者は決して多くない。

「……なんというか、さすがですね」

 優路は放課後に四人で話したことを振り返る。

 細川は定かではない噂話よりも、出所の確かな情報を知っていた。語る際にも言い触らさないことを条件とする配慮さえしていた。

 おそらくは、学校で一番目立つからといったミーハーな理由を持っていたのではない。先に見据える目標として、憧れとして尊敬していたのだ。

 西山の姿に影響を受けた生徒は、一人だけに留まらないのだろう。

「そんな大それた人間じゃないよ。君が一番知ってるでしょ」

 しかし、大多数の人間の目標となる人物でさえ、躓くことがある。

「そうですね。思ったより歳相応でした」

「馬鹿にしてるでしょ? もうっ」

 不満そうな言葉とは裏腹に西山は笑っていた。

 誰もがそうなのだ。それぞれがそれぞれの悩みを抱えている。

 噂に聞くような存在は、どこを見渡してもいなかった。



 取り留めのない雑談を交わし、デザートの追加注文もした。互いの品を分け合う姿は、傍から見ればカップルのようにも映っただろう。

 夕食を食べ終えた二人は会計を済ませて店を出る。

 温かい空間から、寒い外へ。

「ふう。満喫したー!」

 西山が腕を突き上げて伸びをする。

「なら良かったです」

「うん。君と一緒だったから楽しかった」

 曇りのない笑顔だった。まともに見ていられなくなって優路は目を逸らす。

 耳が赤いのは、きっと寒さのせいに違いなかった。

「……すっかり夜になっちゃったね」

 時刻はもうじき二十時を回る。

「そろそろ帰ろっか」

「ですね」

 優路と西山は帰り道を並んで歩いた。

 駅から離れ、徐々に明かりの数が減っていく。

 特に会話はない。けれどそれは余韻に浸るような自然な空気感だ。

 肩が触れるか触れないかの距離。時折二人の手の甲が当たる。

 優路はもしかしたらと構えていたが、西山が手を繋いでくることはなかった。

 周りの景色に住宅が増えていく。

 やがて、公園に差しかかる。

 優路は西山を拾った日のことを懐かしむように思い出す。

「あの、さ……」

 その声は小さかった。

 優路は横顔を見る。

「少しだけ、寄っていかない?」

 公園の方を向きながら、西山は言った。

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