07. 未経験
それは二人が外出するよりも前の話である。
岩崎姉にされるがままに、服を選んでいた時のこと。
クローゼットを漁る背中が唐突に尋ねてきた。
「みさちゃんは優路のこと、好き?」
不意打ちを受けた美聡は思い切り噎せた。
「その反応は怪しいな」
「ええと。……はい。多分、好きなんだと思います」
逃げ切れないと判断して正直な気持ちを吐露する。
「そっか」
「あの、どうしてそんなことを?」
引っ張り出したいくつかを美聡に宛てがいながら、岩崎姉は話を進めていく。
「みさちゃん。優路のこと、頼めないかな」
「どういう意味ですか?」
「あいつは自分が他人の負担になることを極端に避ける奴なんだ。働きに出てるあたしと母さんにずっと気を遣ってる」
服を選ぶ手が止まった。
「ほっとくと学校の友達と遊ぶ時間も惜しんで家事に専念するの。だから、優路には少しでも自分のために時間を使って欲しい」
言葉遣いもその表情も、愛おしそうでいて、少し寂しそうだった。
「お願いできないかな?」
真剣な眼差しが美聡を捉える。
この顔を見るのは二度目だった。初めて見たのは岩崎弟に腕を引かれた日の夜に、玄関で対面した時である。
態度は素直ではないけれど、互いに信頼を寄せていることを、美聡は感じ取っていた。
そんな姉弟の姉が、弟を思い遣っている。
「できる限りのことは、してみます」
美聡は自信を失っている状態にある。どの過去よりも今の自分が一番弱いと考えている。
それでも期待に応えたかった。
何より、そうしたいと願える気持ちと、その理由がある。
「ありがと」
短い言葉に込められたものを、美聡は大切にしたかった。
二人で歩いた行きの道を一人で辿る。
美聡に恋愛経験はなかった。
学校で男子生徒から告白されたことはあったが、すべて断ってきた。
男女交際を真面目に考えられるほどの余裕も興味も、当時の美聡にはなかった。
人を好きになる気持ちも、想いを拒絶される苦しみも、知る機会に恵まれなかった。
美聡にとって、これは、初めての恋。
それが初恋なのだと自覚するよりも前に、終わってしまった。
痛みは持続する。胸の奥に疼く熱が引かない。
「駄目だった。駄目だったよ……」
涙はもう流れていない。
けれど美聡は、消えない喪失感を拭い取れなかった。
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