04. 接し方の違い

 帰路は夕陽に照らされていた。

 必要なものを買い揃えて自宅に戻る。西山は家に着いてから専ら母との談笑に耽っていた。

 袋から夕食に使うものをキッチンのスペースに分ける。残った食材を配置に注意しながら冷蔵庫へ移していく。

 冷蔵庫を閉めて作業が終わり、一区切りが付いた優路は買い出し最中の光景を振り返った。

 目的地が見えるまでの間、会話らしい会話はなかった。その時間を忘れたように、店内に入ってからの西山は表情を変えた。ドラッグストアでは品数と種類の多さに驚いていた。スーパーではお菓子をまじまじと物色していた。帰り道では夕食作りを手伝いたいと志願していた。

 安定していないようで、安定していた風にも見える。自然体ではあった。けれどそれは歪なものだった。

 このままでは駄目だ。なんとかしなければならない。思いは先行する。だが優路の考えに具体性は伴わない。

「夕飯、手伝うよ」

 横を見遣ると西山が立っていた。顔色に鬱屈とした影はない。

「ああ。そうでしたね」

 気を取り直して、調理を始める。

 申し訳なくも感じているが、優路には西山よりも優先するべきことがある。やるべきことはやらなければならない。

 本日の夕食はご飯と味噌汁、焼き魚、麻婆茄子、酢の物、冷奴である。

 面倒のある焼き魚や最終的な仕上げは優路が担当する。主に簡単な作業が西山に割り振られた。野菜を切る、大根をおろす、盛りつけなどが挙がる。

 いつもの休日であれば、母が進んで家事を代わろうと申し出てくるのだが、今日に限ってその素振りはない。キッチンで動く二人の姿に関係しているようだ。時折覗かせる目線と笑顔が 理由を語っていた。

 作業は進んでいく。

「ピーラーって楽しいね」

「削り過ぎないでくださいよ」

「野菜はこれくらいの大きさでいいの?」

「うわっ包丁こっち向けんな!」

「へえ、加えて和えるだけでいいんだ」

「そういう素を選んで買ってますから」

「あの、私お酢ってそんなに得意じゃないんだけど」

「じゃあ少し控えめにしましょう」

「お豆腐がなかなか落ちない……」

「容器の持ち方が違うんです」

「男の子ならこれくらい食べるでしょ?」

「こらこら、しゃもじの扱いがなってないぞ」

 かくして。諸々四十分ほどを費やした。

 食事の時間である。

「頂きます」

 三人揃ってテーブルに座り、箸を取る。

 味噌汁に口を付けた母が具材を見て笑う。西山は極端な失敗こそしなかったが、所々に粗さが残っていた。それが目に留まったのだ。

「優路にもこんな時があったわね」

「昔の話な。昔の」

「今の腕前はどうなんですか?」

 西山が焼き魚を解しながら尋ねる。

「そうねえ。六十五点くらいかしら」

「微妙だ」

「赤点じゃないだけいいでしょう」

「まあそうだけど」

 母からは様々な面で文句や指摘を受け続けてきた。歳月を経て徐々に認めてくれていることが、優路の自信に繋がっている。

「あなたは? 家でもお料理したりするの?」

 流れは自然だった。母はただの疑問を西山に向ける。

「作ってる暇があったら勉強しなさいって、お母さんが」

「そう、なの。……色んな家庭があるわね」

 取り繕うように母は話題を逸らす。

 西山は箸の先、盛りつけられた料理に視線を落としていた。

「凄いなあ」

 誰の耳に届けるでもない独り言は、誰かと自らを照らし合わせているようでもある。

 聞き逃してはいなかったが、優路は食事に集中している体を装った。



 お盆を使い、西山は率先して食器をキッチンへと運んでいく。

 母はお茶を飲みながらテレビのクイズ番組を相手に唸っていた。

「デザートに林檎でも食べます?」

「あ、なら私が切りた――」

「すぐなので静かにお待ちください」

「……なんか、私に対する接し方がいい加減になってない?」

 抗議の声を受け流し、優路は慣れた手つきで林檎に包丁を当てる。

 玄関の方から物音がしたのはその時だった。

 慌ただしい足音に次いで、リビングに騒がしい声が増える。

「みさちゃんもいることだし、今日は早めに帰宅してみました」

「連絡くらい入れろよ」

「えー、めんど――忘れてたわ」

「ああ嫌だ嫌だ。これだからうちの姉は厄介なんだ」

「こらそこ、父ちゃんを煙たがる思春期の娘かよ」

 普段と変わらない些細な一幕。何度も繰り返してきた反射だけの展開。

 けれど西山は違った。

 一つの単語に反応して顔を背けた。今日知ったばかりの事実を思い出してしまったのだ。

 その姿に気を取られる優路。眉をひそめる姉は数秒を使って合点を得たのか、空気を吹き飛ばすように声を張り上げた。

「ともかく飯だ。飯を用意せい!」

「……そうか。そうだな。夕飯だった」

 はっとして優路は我に返る。

「先輩、姉さんの分、用意してもらえませんか?」

 皿に取り分け、ラップの掛かっている品々を指差した。

「え、うん……分かった」

 役割を与えられた西山は、切り替わったようにきびきびと動き出す。

 悪かったと姉は両手を合わせている。気にすることはないと優路は首を振った。

 茶碗の位置だけを伝えて自分の作業に戻る。ご飯をよそう姿を横目に、林檎の皮を剥いて四等分に切り分けていく。いつも余っていた一人分は、今日は残らない。

「これ、お酢の加減が弱くない? なんか物足りないんだけど」

 先に運ばれたおかずを食べ始めていた姉は、不満を表していた。

「今日は先輩に合わせたんだよ。文句があるならせん――」

「集団行動は女子を優先するべきよね。レディーファースト結構。さすがあたしが弟だ。はっはっはっは!」

「辞書に手の平返しの例題として載せてやりたい……」

 くだらないやり取りを前に、今度は西山も笑っていた。

 芯を除いて林檎が食べられる形になった頃、優路は横から手際を眺めていた存在に気づく。

 人の心配をしている暇があるなら、自分のことを考えろ――そんな文句が頭を過る。

 生まれた反感をぶつけるように、前置きなく林檎を口へ突っ込んだ。

「はむっ」

 一瞬だけ目を白黒させていたが、西山は黙って食べ進めていく。

 むしゃり。むしゃり。

「ななな、なんだ、その、すでに出来上がっている空気感は!」

 視界に入っていたらしい姉は驚愕の顔をしていた。

「あたしもみさちゃんを餌付けしたい!」

「平日に仕事してる姉さんは世話できないので駄目です」

「私、ペットじゃないんだけど……」



 優路が食器洗いに注力していると、西山が申し訳なさそうにお願いをしてきた。

「自分勝手で悪いんだけど、お風呂沸かしてもらえないかな?」

「随分早いですね。構わないですけど」

 食事を終えて間もなく、時計の針はまだ二十時を過ぎたばかりである。

「出た後に、ちゃんと考えるから」

 それは自身の内情を整理するという意味だ。

「じゃあ沸かしてきますね」

 優路は浴槽の栓を締めに向かう。

「お姉さん、今日もベッドお借りしてもいいですか?」

「んー。……あ、じゃあ今日は一緒に寝間着と明日の服選ぼうよ。そうと決まればあたしの部屋へレッツゴーだ!」

「え、でもお姉さんまだ食事が――」

「ほらほら急いだ急いだ」

 どたどたと階段を上がっていく音が家の中に響いた。

 十五分後。

 スポンジが食器の汚れを落とし、とうに風呂も沸いた頃。二人が一階に戻ってくる。

 一人は満足げな表情を浮かべ、もう一人はげんなりとした含み笑いを零す。

「ははは……。お風呂、先に頂きますねー……」

 口調も落ち込み気味だった。西山は借りた寝間着を持って脱衣所に消える。姉は姉で、椅子に座り食事を再開している。

 皿に付いた洗剤の泡を洗い流しながら、優路は注意を促した。

「先輩で遊ぶのはいいけど食べ終わってからにしてよ。片付かないんだからさ」

「みさちゃんの反応が可愛いからついね」

 間に西山がいれば言葉を返していたことだろう。

 からかうことについて、疑問を口にする二人ではなかった。

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