02. 終業式
ゆっくりと夜が明け、訪れた朝。
控えめな暖かさがそっと街並みを撫でる。
結局見つからなかったマフラーの在り処は、姉の捜索に一存する形となってしまった。
落ちる影を避けながら優路は学校へ向かう。期末テストが終わり、答案も全教科返却済みである。今日の終業式さえ乗り切れば、晴れて明日から冬休みが待っている。
教室に入ると生徒の大半が揃っていた。優路は自分の席に座る。
「お、優路。おはー」
声をかけてきたのは、仲の良い男子生徒の一人、高橋洋介だ。今はまだ空いている前の席に座り、体を優路の方へ向ける。
「ん。おはよう」
「昨日は俺の分までカラオケ楽しんでくれちゃったのかね?」
「まあな。……たっぷり四時間ほど」
冬休みが控えているということもあって、授業内容は期末テストまでの範囲で打ち止めになっている。昨日一昨日は答案返却をするだけだった。時間割りは通常よりも短縮され、午後一時には放課後を迎えることができた。
その時間を使って、優路は高橋を除いた二人と一緒にカラオケへ行ったのだ。テスト勉強によって溜まったストレスを大いに発散することができた。同時に必死で詰め込んだ公式や英単語もすっぱりと流れ落ちている。遠い記憶である。
「随分と満喫できたようで良かったよチクショウめ」
「部活のミーティングじゃ仕方ないって。……南無」
優路は両手を合わせて拝む。
「南無じゃねえよまったく。自分から望んでサッカー部に入ったけど、きついものはきついんだぜ? 冬休みも部活動がたんまりだよ」
大きな溜め息が不満とともに吐き出された。優路は皮肉混じりに笑って答える。
「充実したスクールライフじゃん」
「女の子と過ごせない春なんて青どころか黒一色同然だっつーの」
真顔で言い放った高橋の肩を、背後から伸びてきた手が叩いた。
「そうだそうだその通り。だからお主も諦めて楽になれよ」
くだらないやり取りの中に声が一つ加わる。カラオケを楽しんだ二人のうちの一人、松林紀明だ。優路の右隣に位置する自分の席に座る。
「うるせえ。俺はヤッシーと違って可能性は切り捨てない主義なんだよ」
「部活動だけで手一杯であることを言い訳にしてる時点で望み薄では?」
「おまっ、俺が目を背けてきた事実をすんなりと!」
「現実はかくも非情なもの。目を背けてはならぬのですぞ」
「……はあ。朝っぱらから超ブルーだ」
ここで登校時間五分前の予鈴が鳴った。気を引き締めろと呼びかけているようだ。
「冬休みなのに女の子と遊ぶ約束もなく、休みなのに部活で休めない……。現実はかくも非情だわー」
高橋は逃げるように自分の席へと戻っていく。背中には哀愁が漂っていた。
「ヤッシー、あんまり現実を突きつけてやるなよ。事実だから余計にえぐいぞ」
「夢を見て断崖絶壁からダイブするよりかマシだと思うんだがね」
一見して松林は本気でそう考えているように映る。優路はそれが彼らしいと感じた。
「松って呼んでた頃からヤッシーはそんな感じだよな」
入学してすぐの頃は単純に松林の松を愛称としていたのである。しかしクラスメイトの松下が松と呼ばれ始めたことから、混同を避けるために現在のヤッシーに落ち着いたのだ。
今の愛称が定着する前から、松林という人物は今と同じような振る舞いを見せていた。
「まあな。凡人とは潜り抜けてきた戦場の数が違うのだよ」
どこか人を小馬鹿にしたような口調だった。
「ヤッシーって中二病だったっけ?」
「いや、これはただの事実さ。修羅場の数だけ黒歴史は紡がれてきた。……聞きたいかね?」
松林は不敵に笑う。同時に目から光が消えた。
「いえ、結構です。凄まじいヤツが出てきそうなので」
「あれは俺が中学二年生の頃――」
「お構いなしかよ」
「――男子の中で『クラスの可愛い女子ランキング』を作っただとか、そういう話をたまに漫画でも見かけるんだが、実はあれって男子だけの風習じゃないんだ。女子の中にもそういうランキングがあるのだという。実際俺のクラスには当時それがあったらしいんだ」
「へえ」
「しかし、それだけならまだいい。問題は別にある。女子たちはベストランキングを作るだけでは飽き足らず、ワーストランキングまで作っていたんだ」
「はあ」
雲行きは極度に怪しくなった。
「もう、分かるよな?」
「え。……まあ、うん」
察してしまった結論が外れるように優路は祈った。もちろんそれは叶わない。
「当時俺は『アレだけはないランキング』一位に選ばれた逸材なんだぜ? もう夢も希望もありはしないのさ」
発せられた声に不満の色は見られない。乾いた言葉だった。だからこそ重たく捉えることもできる。何度も反芻し飲み下された過去を、松林はあくまで軽い笑い話として語っていた。笑い話だと思えるほどに、気持ちの整理を済ませている。
そんな達観にも似た諦めに対して、安易な慰めは逆効果だ。個人が出した結論に曖昧な持論をぶつけられるほど、優路は思慮に欠けていない。それでも言えることがあるとすれば、指摘ではなく自身の気持ちを伝えることくらいだった。
「周りからどう思われていようと、それで友達を辞めたりはしないよ」
最後まで言い切るよりも前に、優路は視線を逸らした。面と向かって口にするには気恥ずかしいセリフだったからだ。
「そりゃどうも」
言葉に含まれた意味をどう認識したのか、松林は短く返事をした。
黒板側のドアが音を立てた。本鈴が鳴るよりも前に担任の先生が教室に入ってくる。
優路は体を正面に向け、居住まいを正す。
横から疑問を投げかけられたのはその時だった。
「高橋ほどじゃないにしても、青春がどうとかクラスの女子がこうとか、岩崎はまったく言わないよな」
本鈴にも劣らない声量で、担任が今日の日程を説明する。終業式の大まかな予定を聞き流しながら、優路は窓の外へ目を向けていた。松林の指摘を聞き逃したわけではない。担任が話し始めてしまったから私語を慎んだという理由も確かにある。
タイミングを逃した後も、優路は頭の中で言葉を探していた。けれど、返し文句を組み立てることはできなかった。
全体が静かになるまでに多少の時間がかかったものの、体育館での終業式は問題なく終わった。入り口の近くに並んでいる一年生から順に教室へと戻っていく。
緩慢な流れの中で優路は高橋と松林を見つける。合流すると、そこにはもう一人のクラスメイトの姿があった。
「よう。後はホームルームが済めば冬休みだな」
優路はその背中を挨拶代わりに軽く叩く。分別を弁えた常識人の一人、細川久司だ。
「ああ、岩崎か。昨日のカラオケは楽しかったな。また今度行こう。参加できなかった高橋も入れてさ」
「良かったな。やむを得ず一人参加できなかった余り一君」
細川のフォローを、松林が一部誇張して言い直す。
「そんなに何回も繰り返すなよ! いじめなの? 地味に効果のあるいじめなの?」
「まあまあ。部活なんだから仕方ないじゃないか」
焦る高橋を細川が宥める。それを横目に松林が呟いた。
「こんなじゃれ合いがいじめだって? ……笑止」
「おいヤッシー闇が漏れてるぞ」
「これは失敬」
良からぬものが溢れ出ていたので優路は指摘する。
「そういや終業式始まる前、いつもより騒がしかった気がしたけど、後ろで何かあった?」
出席番号で並ぶ際、優路の名字である岩崎がクラス内で一番目となる。後方からざわめきが聞こえたとしても、その内容まで耳には入らない位置だ。
「今日、西山先輩が無断欠席したんだとさ」
「無断かどうか、確定ではないけどな」
高橋が答え、細川が補正する。
「へえ、そうなの」
「反応薄いなあ。校内一の有名人だぞ?」
「そうかもしれないけど、生徒の一人が一日学校を休んだくらいで大袈裟だろ」
「ヤッシーはまだしも優路まで関心ゼロかよ。同じ学校内で起こってることだぜ? 気になんだろ普通」
「と言われましても。なあヤッシー」
「うむ。他人のことを気にしている暇があったら、二次元に思いを馳せるわい」
優路は同意を求めて視線を向けたが、松林はどこか違う場所を見ているようだった。
「逃避して希望を捨てんなよ。現実から目を逸らさずに、様々な努力をして初めてリアルは充実するのだ」
「その努力が実ったことはないけどな」
得意げに語る高橋に細川が注釈を挟む。
「余計なお世話だ久司コノヤロー」
「そうだ。無駄なお節介は良くない」
松林が主張する。
「拙者も、彼女ができないという現実とは向き合えているぞ。大丈夫だ」
「何も大丈夫じゃねえし」
「こうやって人は心を閉ざしていくのか。少子化するわけだな」
うんうん、と細川は一人で何かに納得していた。
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