05. 姉と弟
日頃専念している家事に加え、居候が一人。
時間はあっという間に過ぎていった。
ようやく優路は自分の時間を確保する。二階にある自室を懐かしいとさえ感じていた。明かりを付けると、まず小テーブルの上にあるスマートフォンに意識が向かう。コードを繋げたまま放置されていたそれは、とうに給電が完了している。
「……そういえば、昼前から差しっぱなしだったな」
コードを引き抜いて画面を確認する。
いくつかの通知の中に見慣れたグループの名があった。アプリを開いて順繰りとスクロールしていく。
グループ名:余り者には縁がある
―― 13:40 ――
高橋 部活が急遽休みになったから明日遊びに行こうぜ!
松林 Okey
細川 構わないぞ
高橋 前々回参加できなかったカラオケと前回スコアで負けたボーリングは確定な
お前らだけにいい思いはさせん
で、他に却下以外の希望ある?
細川 根に持ち過ぎだろう
松林 ボーリングは五ゲーム以上だと腕が死ぬのでどうかご容赦を
高橋 大丈夫だよ!
冬休み中には回復するって!
松林 アア、ウン、ソウダナ
細川 午前中は厳しいので午後からなら
夕飯を食べるのかだけ決めてくれれば後は任せる
高橋 ファミレスでだべらないはずがないじゃないか!
細川 長丁場になりそうだ
―― 14:20 ――
細川 いつも通り岩崎からの返信は遅いな
高橋 しゃーないって主夫だもの
松林 一家に一台、岩崎優路
高橋 超便利そう
細川 家電のような扱いだな
高橋 それで姉までセットとか最高かよ
細川 付属ではないと思うのだが……
やり取りはそこで途切れていた。
優路はベストの返信内容を考える。西山の件も考慮しなければならない。
―― 21:30 ――
優路 みんなが言うように家電は家のことで手一杯なんだ
三人で楽しんで欲しい
高橋 なら……しょうがないな
だったら後日話を聞かせて羨ましがらせてやるぜ
松林 その分愚痴も沢山言うと思われるのでその時はよろしく
高橋 遊ぶ前から不満が生まれる前提だと!?
細川 本当に酷かったら個別トークで……な?
優路 気構えだけはしておく
高橋 極力大人しくするので陰口だけはやめてくださいマジで
松林 などと語っていたが、翌日の出来事を当人は知る由もなかった
高橋 やめろよ前振りじゃねえよ!
三人と友達になれて良かったと、優路は穏やかに思い、感慨に浸っていた。
それに水を差すように、階段の方から足音が近づいてくる。
ドアが開くのと名前を呼ぶのは同時だった。
「なあ優路」
「何? どうかした?」
怪訝な表情を余所に、勝手な姉は結論だけを述べるのである。
「今日は一緒に寝ようぜ」
「……へ?」
グループトーク上では予定を決めるためのやり取りが続いていた。
しかし、優路の意識は完璧に削がれたのだった。
大した説明を受けず。逃げられて抗議もままならず。
姉の発言からしばらく。
一番最後に風呂を浴びていた優路は、されど気楽に捉えていた。
弟をからかうための冗談。西山は姉の部屋で寝る。母は自室で。そこに姉が入り込む。昨日はそうだった。だから今日も同じである。真面目に受け応えては切りがないのだ。
風呂を出て自室に戻る。
姉はすでに優路のベッドで眠っているようだった。
立ち尽くしたまま、ゆっくりと状況を認め、考えを改める。
釈然としないものはあるが、面倒を想像して、追い出すことは諦める。次に西山を招いた夜に挙がっていた案を浮かべる。一階の和室にある布団を広げるというものである。しかしそれも面倒だと思い、却下する。
何よりも姉に振り回されることが、優路には堪え難かった。
あくまでも一緒に寝ようと申し出たのは姉の方である。ならば、優路が嫌がることはあっても、その逆はないだろうと高を括った。
予め空けられていたスペースに入り込み、毛布を奪うように引っ張って体に被せる。
二人で横になれる幅があるとはいえ、実際に二人が並んだベッドはどうしても手狭だった。
優路と姉の背中が合わさる。
最後に姉弟が揃って寝たのは姉が中学生になる前までのことだ。
「一緒に寝るんだ? 少し意外」
姉は起きていた。微睡みに任せるにしては声がはっきりとしている。
「自分から言ってきたんだろ」
「まあね」
まだ眠る気はないのか、姉は続けて口を開く。
「話したんだ、父ちゃんのこと」
「隠すことでもないし、いつかは思い当たることでしょ」
「そうだろうね」
否定はない。姉もそれは理解していた。
「みさちゃんって、変わった子だよね」
「姉さんもそう思う?」
「うん。寝巻きのついでに明日の服も一緒に選んだんだけど……その時あの子『自分を綺麗に見せたいなんて考えたこともなかった』って言ったの。歳頃の女の子としてその意識はどうなのかなって」
「…………」
西山が不安定であることは優路も知っていた。自身に対する関心が弱いということも。
「家出中なんでしょ? 大丈夫?」
「今晩ちゃんと考えて、明日事情を話してくれる、らしいよ」
「世話できてるってことでいいの? 任せて平気?」
優路は思い出す。
玄関でのやり取りを。姉の真剣な表情を。
「今のところでしかないけど、投げ出すつもりはないよ」
「そっか」
了解を得たような短い吐息。
一時の沈黙は何かに安堵していた。
「……でさ、優路はぶっちゃけどう思ってるの。みさちゃんのこと」
口調が底抜けに明るくなる。大切な話はここまでと言わんばかりだ。
同調するように優路も声色を変える。
「歳上だけど可愛らしい人、かな」
「彼女にしたいような?」
「どうなんだろう。今は世話の焼ける妹って感じだけど」
「それは分かる」
「でしょ」
「いい子だよみさちゃんは。……手、出しちゃえば?」
「そうすると大変な人が先輩の義姉になるのか。気が引けるなあ」
「どういう意味だそれは?」
「そのままの意味だよ」
「生意気に育ったもんだね」
やれやれと姉は溜め息を吐く。
逆に優路も尋ねてみることにした。
二人で落ち着いて話す機会は多くなかった。
魔が差したのだ。
「姉さんこそどうなの」
「どうって?」
「恋人を作る気はないの?」
「まさか、弟に心配される日が来るとは」
「就職してから仕事ばっかりだろ。高校生の時は馬鹿みたいな恋愛脳で、彼氏一筋だったくせに。同じ大学に行く気満々だったじゃん」
もし仮に進学を選んでいたならば、姉は今頃大学二年生として生活しているはずだった。
だが、現在の姉は社会人として働く日々を送っている。
「…………もう、とっくに過ぎた話でしょ」
「それは、そうだけど……」
会話が途切れる。
いくら続けても平行線であることを、互いに悟ったからだ。
優路は呟く。
「素直でいれば良かったのに」
当時は伝えられなかった思いを。当時は言えなかった相手に。
姉も呟いた。
「姉弟って似るんだね」
直接的な返答ではなかった。
けれど、それは優路にとって、あるいは姉にとっても、否応なく実感させられる一言だ。
後に続く言葉はなく、二人は黙したまま眠りに就いた。
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