ep4/36「初めてだし、優しく、ね……?」

 鐘時計が正午を告げようかという頃、2人は学園の屋上に佇んでいた。

 アヤカとハナ。セーラー服姿の少女たちが見据えるのは、山中にサナギがそびえ立つ方角だ。うっすらと蒼白い光を帯びるサナギは、水墨画に描かれた霊峰さながらの姿を晒している。

 朝から少し肌寒いくらいの曇り空を見上げながら、ハナはぽつりと呟いた。


「今日はちょっと冷えるねー」

「ハナ、寒がりだものね」


 すりすりと腕をさするハナを横目に、アヤカはじっとサナギを見つめる。

 あと2分、1分、30秒……刻々と近付きつつある予定時刻は、ささやかな緊張でぴりぴりと肌を焼いていく。アヤカが腕時計から目を離したその時、2人は揃って眼下に視線を向けた。


「来たわ」

「時間だね」

『島内にお住まいの皆様ぁ、ただ今よりぃ、島中央地区での試験を――――』


 島の至るところに設けられたスピーカーから、やや間延びした合成音声が流れ出す。曇り空の下に広がる町並みには、同時に鐘とサイレンの音も響き始めていた。

 アヤカとハナが見下ろす市街の住民は、誰一人として彼女らがリリウスに乗り込もうとしていることを知らない。知る由も無い。


「……で、制服で良いんだっけ? こういう時って」

「もちろんよ。私たちは学生だもの、制服が基本だわ」

「そんな自信ありげに言われちゃうとなぁ、そうなのかなぁ……」


 ハナがうーん、うーんと首を捻る度に、揺れるサイドテール。彼女は悩まし気に毛先をくるくると弄っているが、アヤカに気にするような素振りはない。彼女は冷静に瞼を閉じると、その細腕でガシっとハナの腕を掴んだ。


「ハナ、準備は良いかしら」

「初めてだし、優しく、ね……?」

「いくわよ!」

「えっ、え、ちょっと待っ――――」


 ――――MAGICAL空間転移マジカル・シフト


 リリウス固有の機能が発動した途端、アヤカとハナの身体はぐにゃりと捻じれ曲がった。途端に陽炎のように歪んだ景色は、それから1秒とかからずに元の光景を取り戻してみせる。しかし、その頃既に、芝で覆われた屋上に少女たちの姿は無い。


「いだっ」

「ふぅ」


 転移開始からコンマ数秒後、2人はリリウスのコックピット内に姿を現していた。

 派手に椅子に落下したらしいハナは、打ち付けたばかりのお尻をさすっている。一方のアヤカは、リリウスへの空間転移など手慣れたもの。ハナよりも一足早く操縦桿に手を乗せると、リラックスした体勢でコックピットシートに身を沈める。

 ハナもそれに倣って座ろうとするものの、浮かべる表情は露骨なまでに苦々しい。


「ねぇ、アヤぁ……これ気持ち悪……」


 ハナは恐る恐るといった様子で、ちょんちょんと木魚のような操縦桿をつついている。得体の知れない古代文字が蠢くそれは、まるで絶えず金色のミミズがのたうち回っているような見た目だった。


「触っても平気よ? ほら」

「だってこれ、なんか動いてるし、なんかほんのり温かいし……」

「でも、やらないと帰れないわよ?」

「もう、アヤの意地悪―! そんな事言ってると、朝手伝ってあげないんだから」


 言いつつ、ハナもしぶしぶ操縦桿に手を乗せる。そうしてコックピットシートに身を収めた2人は、海底のような光景を映し出すモニターに目を向ける。

 無意識の内に呼吸を合わせると、2人はほぼ同時に宣言していた。


「リリウス! MAGICALマジカル起動接続開始リンケージ!」


 重なり合う声はコックピットに木霊し、地鳴りじみた微振動を呼び込む。

 獣の唸り声にも似た重低音が二人を押し包み、モニターの外部では水中がみるみる内に泡立って行く。太陽表面にも匹敵する超高温。リリウスは冷却水を片っ端から蒸発させ続け、水底に沈められているというのに濡れる事すら無くなっていた。


「すごい……」


 操縦桿に手をかけるハナの口からは、思わず感嘆の声が漏れる。


 ――――MAGICALマジカルレーダー、作動アクティベート


 静かに目を瞑れば、脳裏に流れ込んで来るのは周辺数kmの透視イメージ。障害物を透かし、冷却水を突き抜けて、MAGICALレーダーはアヤカにリリウスの全体像を見せていた。


 冷却水の中から姿を現して行くリリウスは、深さ700mにも達する井戸の中に収められる格好だ。まるでナナフシのように華奢な手足が、ゲリラ豪雨の如き水飛沫を巻き散らしながらぴくりと動き出す。

 細長い腕に、華奢な胴体。そして、やはり細長い頭部を飾る3つの透明球は、リリウスにとっての眼に他ならない。徐々に暗闇から引きずり出されて行くその姿は、MAGICALレーダーを通して鮮明に見る・・ことが出来ていた。


「これが、リリウス……」


 自分たちが乗り込んでいるモノを見ているというのに、アヤカは思わず肌が粟立つような感覚に襲われる。ゾッとした、と言い換えても良い。

 彼女の目に映るリリウスの姿は、根元から翅をもぎ取られ、地の底から這い上がろうとする蛾のようでもあったからだ。


 起動開始から、およそ2分後。

 ぱっくりと割れたサナギの奥には、羽化寸前の蛾じみた姿がそびえ立つ。周囲に生い茂る木々などは、もはや膝にも届かないような芝生にしかなっていない。数千℃に達する体表で大気を焼くリリウスは、一面の森を手当たり次第に霧の底へと沈めていた。

 リリウスを封印していた格納棟は、既に分厚い霧の中で開き切っている。

 600m級の人型物体が歩き始める為の準備は、全て整っていた。


「リリウスより管制へ、現時刻を以て歩行実験を開始しま――――」

「あああぁっ!?」

「え、なにっ」


 アヤカが歩行実験の開始を宣言しようとした時、隣で上がったのはハナの悲鳴。思わず振り向いた彼女が目にしたのは、ハナが傍らで燃え上がっている・・・・・・・・様だった。

 ハナの身体には赤みがかった炎が纏わりつき、全身はすっかり炎光に染め上げられている。なぜ、と理由を問うまでもなく、アヤカは全身からドッと汗が噴き出すのを感じていた。


「ハナっ!? 燃えてる!」

「アヤもだよ!!」


 全身を炎に包まれているハナからは、案外と冷静な指摘が飛んで来る。

 数秒のタイムラグ。一拍おいてからようやく状況を理解したアヤカは、半ばぼんやりと自分の手に視線を向けてみる。確かに、アヤカもまた燃えていた。盛大に燃えていた。


「……本当ね」

「水、水―――!!」


 全身を青い炎に包まれたアヤカの前で、火だるまになったハナが慌てている。サイドテールまで燃えている。松明かなにかのような光源と化した2人は、揃って薄暗いコックピットを照らしていた。

 ああ、まずいわね。パニックを通り過ぎてフリーズしたアヤカの思考は、しかし、次の瞬間には大切な事実を思い出していた。


「あ、そういえば」

「え、なに!? どうしたの!」


 冷静になってみれば、微塵も熱さを感じない炎。その正体を思い出したアヤカは、目の前で慌てているハナに事実を伝える。


「ハナ、落ち着いてよく聞いてね」

「うん! うん!」

「これ、全然熱くないわよ」

「う、うん……? あれ、ほんとだ」


 ほっと安堵の表情を取り戻したハナは、ふぅと汗を拭ってコックピットシートに戻っていた。相変わらずサイドテールにまで炎が回っているが、燃えてしまうような事は有り得ない。

 冷や汗の滲む額を拭いながら、アヤカは自らの醜態にこそ呆れかえる。


「リリウスに乗る時って、代々こうなるらしいの。たしか『操縦適格者は変身する』とか、そういう風に言われていたわね。私も初めて体験したわ」

「なーんだ、それなら大丈夫だね。もうアヤったら慌てちゃって」

「って、ハナも聞いていたじゃない……事前に話は聞かされていたはずなのに、もう」


 再びコックピットシートに収まった2人は、操縦桿に手をかける。その頃には既に、彼女らの身体を覆う炎はすっかり姿を変えていた。

 白黒のシンプルなセーラー服を飾り立てるのは、まるでハスの花びらのような形状と化した炎。時に花弁のように、時にフリルのように。カラフルに固着した炎の煌めきは、2人の制服を可愛らしいミニドレスと変えていた。


「それにしても、これって」

「髪の色まで変わってる?」


 アヤカは炎色でやや青みがかった金髪を手に取り、その変化を確かめてみる。ハナの方に視線を向けてみれば、やはりその髪はやや赤みがかった髪色へと変化していた。


「水色にピンク色の髪って……これ、校則違反にならないのかしら、ううん、当然なってしまうわよね。あぁ、私のこれは地毛だったのに」

「ほら、アヤったら時々本気でこんなこと言い出す……先生たちはここまで来ないよ、絶対」


 アヤカもハナも、揃って髪飾りのような炎に飾り立てられてしまえば、その変化はまさに変身・・と呼ぶに相応しい。そんな小粋な表現が使われて来た意味をようやく悟って、自然とアヤカの頬は緩んでいた。


「でも、変身する・・・・、ってこういうことだったのね……ふふ」

「火傷しないなら安心だね。これ、けっこう可愛、い、し――――」


 ハナは唐突に言葉を途切れさせると、シートに沈み込んでしまっていた。

『変身』はともかくとして、さすがにこれはアヤカにも聞かされていない。彼女は胸のざわつきを抑え付けながら、恐る恐るハナの顔を覗き込んでみる。


「どうしたの、ハナ?」


 その瞬間、アヤカの背筋には戦慄が走って行った。

 もはや動かなくなったハナの腕、穏やかに閉じられた瞼。まさか、という思いで震える指先を首筋に当ててみれば、彼女はもう目の前の事実を受け容れざるを得なくなっていた。

 浮世から解き放たれたような穏やかな表情を浮かべるハナは、まさに――――。


「ね、寝てる……! さすがね、ハナ」

『寝てないよっ! さすがハナ、ってどういう意味なの、ねぇ!』


 その時、リリウスの三つ眼に刻まれた古代文字は、太陽にも似た輝きを迸らせる。アヤカの脳裏には、ぴくりとも動いていない・・・・・・・・・・・ハナの声が響いていた。

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