ep26/36「唄う者、リリウス・ラ・ヴォルダ」

 一向に開ける気配のない通路を、戦装束ミニドレスの炎が照らしている。

 亀裂から遺跡内部の通路に入ったは良いものの、すぐに別の場所へ出られると思ったのが間違いだったのだ。歩いても歩いても光は遠ざかるばかりで、先は見えない。

 どこか毛細血管じみた通路に足音を響かせながら、アヤカは淡紅ピンク淡青ライトブルーが交じり合った視界に目を凝らしてみる。


「……まさか同じ場所を巡っているなんてこと、無いわよね」


 薄紫の灯りが先導してくれるのは、ほんの5m先まで。

 自分が今どこにいるのか、今はそれさえも定かではなかった。

 体感的にリリウスの居る方向が分かるというだけでは、心に忍び込んで来た不安も打ち消しようがない。ハナの気配を背に感じながら、アヤカはそろそろ退き返すべきではないかと考え始めていた。


「ねぇ、ハナ、この先に進んでも何も無いんじゃないかしら」

「そう? この先から聞こえて来た・・・・・・から、そろそろだと思うけど」

「……そうなの?」


 アヤカも耳を澄ましてみるが、聞こえるのはやけに早鐘を打つ心音だけだった。やはり何も聞こえはしない。先に歩き出したハナの背を追うがまま、アヤカは自らの耳に届かない音を聞こうとするのを諦めていた。

 遺跡に足を踏み入れてからというもの、違和感は加速し続けている。

 ハナは明らかに、自分には見えない何かを見ている。そう確信できた。


 ――――ハナ、なんだか違う世界にいるみたいね。


 彼女には一体何が聞こえていて、何が見えているのかも分からない。

 しかし、それでも足を動かし続けていると、身体にのしかかっていた圧迫感は唐突に消え失せていた。いつの間にか通路は開け、2人は戦装束ミニドレスの炎では照らし切れないほど広い空間に足を踏み入れている。


「さっき聞こえて来た音っていうのは……ハナ、もしかして大部屋ここに繋がるって分かっていたの?」

「ん、そうだけど……? こっち来て」


 何かの確信に導かれるように、ハナの歩みは止まらない。

 彼女がそのまま遺跡の闇に溶けてしまうのではないかと恐ろしくなって、アヤカは歩くペースを速めていた。かつん、こつん、といやに遠くで反響している木霊を聞けば、ここが恐ろしく広い空間なのだと意識せずにはいられない。

 そしてどこからか、徐々に明るみ始めた視界には無数の柱のようなモノが見え始めていた。先の見えない暗闇を照らしているのは、今や柱と戦装束ミニドレスだけだ。


「やっぱりハナ、もう戻るべきだわ。なんだか嫌な予感がするもの」

「ちょっと待って、この柱だよ」


 ハナが近付こうとしているのは、数百年――――否、数千年を生きた古木のような表面を晒す柱だった。


「ハナ、待って。あまり不用意に近付いたら……」


 アヤカが言い終えるまでも無く、ハナの指先は柱に触れていた。

 その瞬間、柱がパッと燃え上がった。

 違う、暗闇の中で唐突に輝きだしたのでそう見えたのだ。戦装束ミニドレスを形作る炎が触れた途端、柱は引火したかのような勢いで蒼白い光を帯びる。

 アヤカは思わず身を引こうとするも、既に2人の周囲は光に取り囲まれ始めていた。


「って、ハナったら迂闊じゃない! どうして触ったのよ」


 ハナの横顔を目にすれば、アヤカの言葉は自然と尻すぼみになっていく。きっと何か見えないモノがそうさせたのだろうと思ったから、責める意志も潰えていた。

 柱が帯びる光は際限なく、どこまでも高く高く伸びて行く。

 せいぜい天井に届く程度かと思っていた柱の数々は、たった数秒と経たないうちにその全貌を現しつつあった。

 どんなに低く見積もっても100m以上。目の前にいきなり現れた超高層建築に圧倒されながらも、アヤカはそのスケールに既視感を覚えずにはいられない。


「そう……この柱はそういう事だったのね」

「これが全部、ハドマ……?」


 精一杯の体勢で柱を見上げるアヤカは、思わず竦みそうになる脚に力を込めていた。まったく、こうなるまで気付かなかったなんて。どこか馬鹿馬鹿しいと感じた心が唇を歪に歪ませるも、額には冷や汗が伝っていく。

 確かに、それらは部分的には柱でしかなかった。

 しかし、その全貌は骨格・・そのものだった。

 2人の周囲で蒼白く浮き上がっているのは、数十体と並べられている骸骨に他ならない。これら全てが巨人の残骸なのだ。縦に3つの眼球を収めるべき眼窩は、今や空っぽの視線で遥か上空から2人を見下ろしている。


 敵はこんなところにもいたのか、と身体は自然と身構えていた。

 骸骨の足先がにわかに震え出すと、今や喪われて久しい筋繊維に引き摺られて一歩を踏み出す――――見ているだけで、そう思えてならないほどだ。

 しかし、骸骨が変わらぬ沈黙を貫いているおかげで、ようやく身体の震えも収まって来る。


 ――――本当にどれも死んでいるのね。でも、何か妙ね。


 落ち着きを取り戻したアヤカは、ようやく物言わぬ骨格の中から妙なモノを見出そうとしていた。それはつまり、上半身や下半身だけの骨格だ。

 それはまさしく、バラバラ死体。

 何かに分断されたとしか思えない骨の一部が、高度数百mとも知れない宙に浮かんでいる。自分はそもそも骸骨の正体さえ見誤っていたのかもしれない、アヤカはそんな疑念に駆られるままに口を開いていた。


「もしかしてこの骸骨って、ハドマの骨格フレームとは別物なのかしら?」

「やっぱりアヤにもそう見えるの?」

「ハナもそうなの? ええ……だってハドマなら生えているツノが見当らないもの。それに眼窩も3つ揃っているし。でも、そうだとしたらこれは一体何の骨なのよ」


 改めて視線を注ぐと、眼前の骨格はやはりハドマのそれとは違うのだと分かる。

 精一杯見上げても視界に収まり切らない骸骨の正確な形状を断ずることは不可能に近かったが、それくらいは判別がつく。

 ハドマとは微妙に違う何者かの骨、まるでここは墓場のようだった。

 あるいは――――。


「解剖室、だったのかしらね」


 しかし、ここに最近何らかの変化があったとは思えなかった。

 数万年、あるいは数億年の時がここで流れて来たに違いない。自然とそう思えるくらいにこの空間は死んでいて、ハドマに侵された森と同種の冷たさだけが漂っている。

 ハドマ残党の活動が止まなかったのは、これらの骸骨が原因ではない。傍らで凍えそうになっているハナに寄り添うように、アヤカは歩調を緩めていた。


「なにか手掛かりは……そういうものがあれば良いんだけど」


 無数に立ち並ぶ骸骨の数々。巨人の解剖室を這い回るようなスケールの中で、ちっぽけな小人たる2人はしばらく歩き続けていた。

 そして、アヤカの視界に光がチラつき始めたのは、しばらく経ってからの事だった。

 骸骨たちに挟まれた道の先、真っ暗な遠方で音も無く鬼火が熾っている。水面の反射を思わせる光に、思わず彼女の視線と意識は吸い寄せられていった。


「ハナ、あれって何かしら?」

「私も分からないかな。あそこまで行くしかないよ」


 遠方で瞬いていた光に近付くにつれ、光源は揺らめきを増していく。

 その正体は炎でも無ければ、木漏れ日を弾く水面でもない。ようやく光源の前に辿り着いたアヤカの前には、大断崖としか思えない数百m四方の壁が広がっていた。学校の校庭並に広い壁面は淡く輝き、何か液体金属が波打っているようにも見える。

 しかし、それだけではない。

 壁面には無数にのたうち回る文字列がびっしりと敷き詰められていた。寸分の隙間もなく水槽に詰め込まれた芋虫、そんな具合に蠢く文字列がひたすらにひしめき合っているのだ。


「何だろうこれ、リリウスのコックピットみたい」

「……っ! ただの文字じゃないわ、これは」


 壁面を蠢く文字列の数々に焦点を合わせると、何を書いているのかがぼんやりと脳裏に翻訳されて浮かんで来る。

 読める・・・

 否、読めないのに分かってしまう。

 意味合いへの理解が先走って、言葉は後から追い付いてくるような感覚だった。記号の奥にある意味が直接読み取れる、そういった文字だ。

 文字に釘付けになりそうになる視線を強引に引きはがしながら、アヤカは視線を壁面全体に走らせていった。


 『航天監視録』――――違う。

 『絶対時刻系接続路』――――これも違う。


 分からない情報が多過ぎる。

 この壁面モニターは何かのデータバンクに接続されているのだろうと推測できたが、それまでだ。しかし、ハナは何かに気付いたような声を上げていた。


「あっ」

「どうしたの、ハナ? 何か書いてあったの?」

「ほら、あそこに『リリウスの自律起動並びに降下記録』って」

「まさか、それって……!」


 ハナの指差す方向に目を向ければ、確かにそれらしき文字列が壁面を滑っていた。リリウスの再起動が確認された日、それはつまり100年前の起動を意味しているのだろうか。

 歴史の教科書以外では知り得なかった情報を見つけ、アヤカは意識するともなく息を吞んでいた。

 2人が視線を集中させていると、文字は徐々に下へ下へと降りて来る。呼び寄せられた魚を思わせる動きで、やがてそれは2人の眼前にやって来た。


「なんでだろ。ここに書いてあること、わたし知ってるかも……」


 壁面のとある文字列だけがボゥっと光り輝いている。ハナは食い入るように文章を見つめると、やがて仄かな光を放つそれに手を伸ばしていった。

 金文字に触れたハナは、ぶつぶつと独り言を唱え始めている。

 そんな彼女を横目に、アヤカの指もまた金文字に吸い寄せられていく。

 壁面に踊る文字列を読み上げれば、否応なしに脳裏で上映され始める映像イメージの数々。脳内で脈打つ血管が痛みを呼び込む度に、頭が割れてしまいそうになった。


「やっぱり、ただの文字なんかじゃない……っ。この文字に触れれば、本来の情報を引き出せるという訳ね」


 触れてしまえば一体どうなってしまうのか。

 額には冷たい汗が伝っていくものの、自分もそうすべきだと心の声が囁いて来るのだ。

 やはり触れてみるしかない。ある種の予感に導かれるように、焦りに耐えかねたアヤカはハナと手を重ねてみる。その指先が金文字の放つ光に触れた途端、頭蓋のどこかでカチリという音が鳴ったように感じた。

 彼女がそう錯覚した頃には、既に意識のブレーカーは落ちていた。



 闇黒。

 アヤカが再び瞼を開けようとした時、身体には早速違和感が生じていた。

 開けるべき瞼が無い。その言葉通りの意味を受け容れられるようになるまでに、しばしの時間が必要だった。それどころかアヤカの身体は全てが消え失せ、まるで透明人間か何かになったかのように宙を漂っている。

 きっとこれは、夢なのだ。

 あの金文字に触れた途端、何が起こったのかは定かではない。

 しかし、ひどく透明になってしまったアヤカは、少しでも建設的な問いを思い浮かべてみることにした。


 ――――此処は、どこかしら?


 見下ろしているのは、住宅街の一角。

 電柱に吊るされた電灯が夜道を照らし、塀に囲まれた道を時折人が過ぎ去っていく。そう言って差し支えなければ、アヤカ達が住まう島の何処かにありそうなくらいにありふれていて、しかし、決して有り得ない情報を伴う光景でもあった。

 それは何故か。

 理由は、夜空にあった。


 ――――こんな空、私知らない。これは何なのよ……!


 夜空に浮かぶ月はたった1つ。

 それだというのに、得体の知れない光点がびっしりと天を覆い尽くしている。かつて想像したことも無かった夜空の有様に、アヤカは肉体無き意識でありながら慄いていた。

 怖い。

 身に馴染む街並みなのに、奇怪な夜空だけが無性に怖い。

 アヤカは咄嗟に身体を抱こうとするも、ひどく透明な自分では意味をなさないことに気付いていた。

 誰か、何か、知っているモノは無いか。彼女が必死に眼下の景色に目を凝らしていると、やがて道の向こうから華やかな会話が漏れ聞こえて来た。

 まさか。いや、有り得ない。

 彼女の視界に飛び込んで来たのは、見知らぬ制服ブレザーを纏うハナの姿だった。


 ――――ハナッ?!

 

 アヤカが見下ろす先で、ハナは親し気な友人たちと小道を歩いている。

 脱力したくなるほどの安堵、思わず緩んでしまった緊張感。思わず濡れるはずも無い視界が滲み始めると、アヤカは胸を衝く想いのままにその名を叫んでいた。


 ハナ。

 私はここにいるわ。


 幾度、そう叫んだか分からない、しかし景色には何の変化も起こらない。ここはどこだ、ハナはどこへ行ってしまったのだ。脳内は混乱に煮えてしまいそうだったが、心のどこかでは冷静な自分が状況を分析してもいた。

 ここは、正しく夢の世界。

 ここは、私のいない世界。

 同じ場所にいるのに、ハナは違うモノを見ているのだ。


 ハナは透明なアヤカには気付く素振りさえ見せず、そのまま眼下を歩き去っていく。知らない街、知らない友人と一緒にどこか遠くへ行ってしまう。

 そんな様子を見てしまえば、アヤカは一抹の寂しさを覚えずにはいられない。

 ハナが、誰とも知れない子に向かって微笑んでいる。

 ハナが笑っている、私ではない誰か・・・・・・・に。

 そう理解した直後、アヤカの視界は唐突にぐらりと揺らいでいった。


 ――――違う!


 ただ宙に漂っているだけの自分は、微動だにしていない。見下ろしている街の方が揺らいだのだと分かった途端、一陣の爆風が身体をすり抜けて行った。

 ハッと気付いたアヤカは、視線を街並みに向けてみる。

 すると、住宅が立ち並ぶ街並みは、既に真っ黒な影でべったりと塗りつぶされていた。巨大に過ぎる建造物が突き刺さったせいで、月光が遮られたのだ。


 夜闇を抉じ開けるように、赤い灯火が高度600m近い上空に浮かび上がっていく。一対のツノ、そして街を凍り付かせる冷気の奔流。歩く度に大地震を引き起こしながら行進し始めた人型は、たったそれだけで人々を地面に縫い留めて行った。

 もはや見間違えようもない敵の偉容が、街を次々と踏み潰している。


 ――――あれは、ハドマ……?!


 巻き上げられた粉塵に視界が霞むにつれ、アヤカの視界までもが徐々に暗くなっていく。

 あるはずのない手足に圧迫感が走ると、視界までもが徐々にブラックアウトし始める。これ以上は此処に留まれない。自分はこの世界から弾き出されようとしているのだと、アヤカはほとんど直感的に理解していた。

 ブラックアウトしつつある視界には、ハナだけが取り残される。彼女は驚愕で腰が抜けてしまったのか、その場から動けない様子だった。


 ――――そんな、早く逃げてよ!


 自分ではハナを助けることも出来ない、声も届かないのだ。

 やがてアヤカの視界は狭められ、手足も押し潰される。パチンという音を幻聴したのを最後に、彼女の意識は再びブレーカーを落とされたように断絶していた。


 ――――ハナ!



 そして、再び視界に光が戻って来る。


「今のは、夢……?」


 アヤカは思わず身震いすると、全身を濡らす汗に寒さを覚えていた。

 映像イメージ、とでも呼ぶべきなのだろうか。先ほどまで五感を占有していた映像イメージを思い返せば、あれは只の白昼夢ではないと結論する他になかった。

 恐らくはあの映像こそが、文字情報に付随する情報なのだ。受け止めきれなかった情報をゆっくりと咀嚼するように、アヤカの脳は数秒間もかけて文字情報を処理していたに違いなかった。

 それでも、たった1つ確信できたことがある。


「あれがただの夢だなんて、そんなはずない……あの街はきっと、いつかどこかに在った場所なんだわ」


 あれはまるで、誰かの記憶を盗み見ているようで。

 もはやこの世界のどこに存在しない街に、何故かハナの姿が紛れ込んでいたことだけが不可解で。

 あの街は、あれからどうなってしまったというのだろう。ハナも一体どうなってしまったのだろう、幾ら考えてみてもアヤカに分かるはずはない。


 意識を取り戻したアヤカの傍らで、ハナは相変わらず文字列に指を添えている。

 つまり、今はここにいる・・・・・。人知れず安堵したアヤカに構うこともなく、彼女はどこか機械じみた調子で文言を読み上げている最中だった。


「人型遺構の降下が確認されたのはユーラシア大陸北方ウラル山脈超大質量物体の落下に伴う衝撃波ないし二次的気候変動により原生生物の三割を消滅させた鉢特摩ハドマと呼ばれる無人機械群は」


 文字を読み上げているだけだというのに、封が解けたかのように記憶が呼び覚まされて行くかのような調子で、ハナは此処ではないどこかを見ているようだった。


「……そう、数百万の軍勢を以て赤道地帯も含む地球全土を凍結せしめた……そんな時にリリウスが月から降りて来たんだよ」


 ――――止めて、それ以上は言わないで。


「あれ、今、わたし何て言ってた?」


 そんなの、私に分かる訳ない。

 ハナが喋っている単語の意味は何一つ分からない。


「この時のこと、見た気がするんだ」

「でも、そんなこと、授業で習っていないはずよ……」


 ハナが自分の知らないことを知り、喋り、その内に何処か知らない場所へ行ってしまいそうな予感に囚われる。絶対的な認識の隔絶。ハナが喋る度に見ている世界が遠ざかっていく気がして、それがただ恐ろしかった。

 アヤカは自らも文字列に触れると、そこに記してある情報を懸命に受け止めて行った。


「『この宇宙は終わりつつあった、故に繭で自らを閉じ込めざるを得なかった』……何を言っているのかしら」


 こんなの間違っている。


「『永劫凍結宙域には地球と月以外に天体は存在しない』って、何処のことなの……太陽系ここを指しているのだとしても、太陽だってあるじゃない。やっぱりここに書いてあることは全部おかしいわ」


 やっぱりおかしいではないか。

 古代文明が遺したシステムに記してある情報など、何の意味も無いのだ。そう信じ込もうとする以外に、ハナが傍にいるのだと信じる術を知らない。

 しかし、当の彼女がとある一節を読み上げた瞬間、そんな虚しい努力は打ち砕かれていた。


「そして、降りて来たのが唄う者・・・、リリウス・ラ・ヴォルダ――――」


 発音さえ読み取れる金文字の奥に、リリウスの何たるかを示した意味合いが潜んでいるに違いない。不思議と胸がざわつく響きに、その確信は強まる。

 リリウスはどこから来たのか、何者か、何処へ行くのか。ここで思いがけず真実こたえに辿り着けそうな予感に駆られて、アヤカは必死に記憶を漁っていった。


「意味は、方舟リリウスラ・ヴォルダ……いえ、違うわね、もっと大切な誰かの為に歌う、恋人に贈る為の歌だから……こういう歌は何て言うのかしら」


 読めるはずの無い古代文字を前に、微細なニュアンスまでもが読み取れてしまう。この文字列を翻訳すればどうなるのか、まさにぴったりと当てはまる言葉を知っている気がしてならない。

 数秒後、ふっと、1つの単語が脳裏に浮かび上がっていた。


小夜曲セレナーデ?」


 リリウス・ラ・ヴォルダ。

 金文字に表された発音こそが、一世紀前に月面で目覚めた古代人型遺構の名。それを敢えて訳すのなら、リリウス・セレナーデとでも読むべきなのかも知れなかった。

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