ep24/36「これで最後に、しなきゃ」
セーラー服姿のアヤカは、閑散とした登校風景の中に身を置いていた。
授業自体は再開したものの、校門をくぐる生徒たちはまばらで挨拶も少ない。仮修復を終えた校舎に足を踏み入れる者は、せいぜい普段の2割程度でしか無かった。
「なんだか、どこか別の場所みたいね」
ぽつり、とそんな想いが零れ出る。
3度目の島外遠征でハドマの残党をも討伐し、リリウスが島へと帰還したのは2日前。地球上のどこにも倒すべき敵はいないのだから、もう戦いに備える必要も無いのだ。死闘を経てようやく彼女の手に戻って来た平穏、それこそが今日という日の意味するモノだった。
アヤカには今や、リリウスに乗り込む予定さえ伝えられていない。だから望むと望まざるとに関わらず、少女は少女としての日常に帰らざるを得なかった。
たとえ、そこにハナの姿が見当たらないとしても。
「やっと戻って来られた、はずなのにね」
気付けば、無いモノばかり探そうとしている自分がいた。
普段の景色からすっぽりと抜け落ちたモノばかりが目に付いて、視線が泳いでしまう。アヤカはそんな自分を省みると、努めて周りを見ないように歩いて行く。
誰とも挨拶を交わさぬままに校門をくぐったアヤカは、不意に声を掛けられるまで独り歩き続けていた。
「アヤっち、おはよ」
一瞬、何かを聞き間違えたのかと思ったアヤカは、はたと足を止める。
しかし、振り返った先に或る少女の姿を認めた途端、彼女は思わず脱力しそうになった。
「ヒカリ……ッ!」
もう何年も聞いていなかったと錯覚するほど、懐かしく思える親友の声、そして姿。島が炎に包まれたあの晩以来、初めて顔を会わせるヒカリがそこにいる。
既に無いモノばかり追っていた瞳には、ようやく戻って来てくれた日常の欠片が映り込んでいた。咄嗟に口元を抑えたアヤカは堪え切れない嬉しさに、そして同じくらいに膨れ上がる戦慄に身を震わせる他ない。
「それで、
「これね、ちょっと結ぶの忘れちゃって。へへ、似合う?」
少し照れたように髪を弄ぶヒカリは、トレードマークであったはずのツインテールを解いていた。
肩までかかるくらいのセミロングには、少し明るめの毛色が良く似合っている。そう、確かによく似合っているとアヤカも認めざるを得なかった。ちょうど
元々、姉妹揃ってそっくりだった風貌には、否応なくアカリの面影が重なる。
―――――嘘ね。
髪を結ぶのを忘れたなんて嘘だ、とアヤカは直感していた。
久方振りに学校へやって来たヒカリは、一体、どんな想いで姉と同じ髪型を選んだのか。鏡の前でどれだけ悩み、髪紐を外したのか。
未だに微かに腫れているヒカリの目元からも、アヤカはその葛藤の一端を想像せずにいられなかった。
「……っ!」
弱弱しく微笑むヒカリを前にして、アヤカはたまらずヒカリの胸に飛び込んでいた。身体に遅れてついて来たポニーテールが、ふわりと身体を叩いていく。
「うお……っ?! いきなりだなぁ」
驚きで強張っていた身体も、アヤカの腕の中ですぐに柔らかさを取り戻していった。そして背には、抱き着かれたヒカリの手が優しく回される。
通学途中で立ち止まった2人の間で、時間は徐々に巻き戻って行く。
島が炎で包まれ、言葉を交わす間もなく分かれたあの時、あの瞬間。伝え切れなかった想いがようやく溢れ出そうとしているのが、体感として感じられる。先に口を開いたのは、アヤカの胸に顔を埋めるヒカリの方だった。
「あたしさ、2人がリリウスに乗り込んでいったあの時、あー、何も出来ないやって思ったんだ。また帰って来て欲しいって、そう思った。だからアヤっちがこうして戻って来てくれて、あたしは嬉しいよ」
「でも、ヒカリには何も伝えていなかったわ。友達なのに」
「いいの、それでも」
ヒカリの言葉からは、アヤカが恐れていた意味合いは何も読み取れない。
「それだけ、なの……?」
どうして責めないのか、とアヤカは半ば無意識のうちに問うていた。
「んー、アヤっちどうしたのさ。優しくして欲しいの?」
「ち、ちが……っ!」
どこか悪戯っぽい問いかけに、アヤカは慌てて身体を離そうとする。しかし彼女の頭は、ヒカリの手にぽんぽんと撫でられていた。
小柄なヒカリが背一杯伸ばした手は、余裕なんてまるで感じられない手付きで頭を撫でていく。しかし、不思議と抵抗の意志を挫く安心感に、アヤカは自然と身を任せてしまっていた。
「こんな事するのは今日だけだよ?」
「本当にそういう事じゃないの。だってあの時、私たちは間に合わなくて、私たちのせいで島もアカリ先輩も――――」
「アヤっちから甘えて来るなんて、変なの! でも……ちょっとだけ嬉しい、かな」
やや性急にアヤカの言葉を遮るまま、ヒカリの手は四葉のクローバーの髪留めに触れる。どこか懐かしむ様子で髪留めを撫でて行った指先は、何か小さな棘にでも刺されたかのように離れていった。
指先に突き刺さったのは、砕かれた思い出の欠片。もう戻れないと意識する度に、心を裂いていく鋭い破片。代わりに頭を優しく撫でていく手は、ハナのそれとは違っていて、それでも同じくらいに温かく感じられた。
「ううん、やっぱり忘れて」
「優しくしてくれるのね、ヒカリも」
「ハナっちならこうするでしょ、多分」
アカリの姿をとったヒカリは、ただただ優しかった。
あの晩リリウスを動かすのに間に合わなかった事も、リリウスのパイロットだという事実を伝えていなかったことも、そしてアカリを助けられなかったことも――――それら全てを決して責めようとはしないヒカリからの、これは罰なのだ。アヤカはそう悟る。
否、優しくされるのがこんなにも辛いのなら、せめて罰であって欲しかった。
「でも私には、そんな資格ないわ……やめてよ」
「違う、あたしがこうしていたいの」
こんな私に優しくしないで、と言うべきなのは分かっていた。
しかし、アヤカは喉まで出掛かったその言葉を、なんとか絞り出そうとする努力を止める。ヒカリの手にしてもそうだった。振り払おうと思えば振り払えたのに、それでも抵抗出来ないのを良いことに身を任せてしまう。
抵抗しようとしない自分は、つまるところずるい人間だった。
無言の内にそんな想いが伝わってしまったのか、ヒカリはそれっきり黙り込んでしまう。また以前のように言葉を交わすには、あるいは時間が経ち過ぎてしまったのかも知れなかった。
「――――ハナっちはどうしてるの?」
「ハナは、無理をしすぎちゃった……違うわね、私がさせちゃったの」
ヒカリの言葉に誘われるまま、アヤカは守秘義務であるはずの事実を口にしていた。
2日前にハドマ残党掃討作戦が行われた後、少なくとも生身のハナは一度も目を覚まそうとしなかった。自力でリリウスとの意識接続を断ち切れないのか、あるいはそれさえも出来ないほどに感覚共有が進んでいるのか、今の彼女がどんな
ハナとまともに言葉を交わしたのは、あの肌を重ねた晩が最後だった。
無期限検査入院、今はその言葉が見えざる壁となって彼女を遠ざけている。尤も検査をしたところで、誰かが治療法を知っているとも思えない。
そして、追い打ちをかけてしまったのは自分なのだ。あの晩の光景を思い出すにつれ、アヤカは徐々に強張っていく声を自覚する。
「私、ハナにひどいことしてしまったわ。きっとあなたに言ったら軽蔑されるくらいに、ひどいことよ」
「じゃあ言わなくていいよ」
ごくあっさりと、ヒカリはそう言ってのけていた。
「そんなズルいこと……」
「だって聞いたら嫌いになっちゃうんでしょ? それは嫌。今はこのままでいさせてよ」
ふいに身体の距離が縮まったかと思えば、アヤカの胸にはヒカリの顔がぽすんと埋められる。背に回されたヒカリの腕には、ギュッと力が込められていた。
「友達の前でならそれで良いじゃん。ずるいのはアヤっちだけじゃないから、ね」
「ヒカリ……」
縋るように力を込めるヒカリ。その姿になぜか既視感を覚えたアヤカは、得体の知れない感覚に戸惑っていた。
ヒカリの姿に重なるのは、ハナでも無ければアカリでもない。他ならぬ自分自身の残影を見ているような気がしたが、そう感じた理由を説明することは叶わない。
ただ、ヒカリが伝えようとしてくれている言葉や行動から、大切な何かを見落としている気がしてならなかった。
そして、ふいに1つの可能性が頭をよぎって行く。
まさかね、と切り捨てた。
――――ヒカリは、大切な友達だもの。
心中でそう結論した矢先、アヤカの耳には携帯端末の鳴動音が聞こえ始めていた。また何かが始まるという予感を胸に、抱き合っていたヒカリからそっと身体を離す。
メッセージ画面を開いてみれば、そこにはごくシンプルな命が記されていた。
「アヤっち、どうしたの?」
「私は空き教室に来るように、って書いてあるわ。行かなきゃ」
集合せよと指示されているのは、もはや懐かしくもある空き教室。つまり、2人でリリウスのパイロットを務めると知らされた時、ハナと共に集まるよう指示されていた教室だ。
ハナと肩を並べて戦い始めたのは、まさにあの時からだった。この期に及んで呼び出される以上、再び何かが始まるのだという確信は更に深まっていく。
戦いはまだ、終わってなどいない。
「2人とも、またどこかに行っちゃうの?」
「……必ず、帰って来るわ」
「また3人で会いたいね」
ヒカリの言葉には、遂に答えられなかった。先に校舎へと向かったアヤカは、ほとんど誰ともすれ違わないままに廊下を進んでいった。
15分後。
アヤカを待ち受けていたのは、よく顔も覚えていない職員達と1つの命令だった。
曰く、マカハドマを討伐してもなお活動を止めていなかったハドマ残党を掃討したものの、根本的な原因は未だ解決されていない。
曰く、ハドマが地球上のどこかで稼働を再開する恐れもある。
曰く、数珠型リング構造体〈月〉には、それぞれ数千km四方に亘る古代文字が浮かび上がり始めており、明らかな異常事態と推察される。
そんな概要説明の末に言い渡されたのは、現地調査の命令だった。
つまり、向かうべきは
島に再びハドマが襲来するリスクを鑑みて、発進から帰還までに与えられた期間は120時間。アヤカにはリリウス共々、月面古代遺構の調査命令が下っていた。
もちろん、ここにいないハナも含めての命令だ。
すっかり真夜中になった教室、ハナさえも居ないたった1人の空間で、アヤカは頬杖をついて夜空を見上げてみる。
空をぐるりと横断するのは、数珠のように連なった108コの月。今この瞬間、ハナを照らしているかも知れない月を見ても、アヤカは全く気が晴れない自分がいることに気付いた。
それも当然だった。
普段と何も変わらない真っ黒な夜空、いたって普通に見える月。未だ肉眼では観察できないものの、あの108つの月面には既に古代文字が浮かび上がっているのだという――――。
「そんなこと言われたって……いつもと何も変わらないじゃない」
見慣れた夜空に訪れつつあるのは、既に鎮まったはずの戦火を燻らせる予感だ。
ハナと共に臨む最後の任務が幕を開けようとしている、そんな予感だけが色濃く胸の中にぐるぐると渦巻いていた。
「リリウスに乗るのも、きっとこれが最後ね……これで最後に、しなきゃ」
ハナをこれ以上苦しませたくない。今はそれだけが自分に許された想いと信じて、アヤカは一人唇をかみしめる。
数日後、島より遥か遠く離れた海上から、1匹の蛾が宇宙へと羽ばたいていった。
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