本土決戦編
ep17/36「死なせない、もう誰も……!」
「
夜空を一本の火線が貫いた直後、爆発じみた音が散らされる。
サナギから羽化して早々、リリウスは島へ近寄ろうとしていたハドマに
海面に広がる幾重もの同心円。リリウスの膝下をくすぐっていく波紋は、しかし、実際には人をも飲み込む程の高波と化して堤防に打ち寄せていった。
『直撃! けど、波がッ!』
「ここじゃそうそう撃てないわね……でも、まずは一体」
意識を失ったハナの傍らで、操縦桿に手をかけたアヤカの声が上がる。コックピットに空間転移した2人の視界には、マカハドマとハドマの群れが映り込んでいた。
そして
全身を汚す煤、擦り傷の絶えない脚。その頬を伝う涙に至るまで手に取るように分かってしまったから、ここには届くはずのない叫びさえ伝わって来る。
――――ぜったいに、帰ってきて。
『ヒカリ……』
「待ってくれているなら、帰らなきゃ……! ハナッ!」
『分かってる、だから今は!』
高々と立ち上がる水飛沫を背景に、リリウスはマカハドマ目掛けて猛然と突き進み始めた。
下手に砲撃戦を繰り広げようものなら、衝撃波で人間の鼓膜など破りかねない。
加減せずにツルハシを発射してしまえば、柔らかな内臓など簡単に破裂させてしまう。
意のままに巨大な力を振るう事への恐怖が首をもたげ、アヤカの身体を震わせる。しかし、彼女は心に入り込んだ迷いを振り切るように、操縦桿に込める力をグッと強めていた。
――――死なせない、もう誰も……!
牽制射撃も制圧射撃も無しだった。愚直にも真正面からの接近を試みたリリウスは、指先から伸ばした炎の爪を振りかぶる。
白いヴェイパーコーンを纏って振り下ろされた指先は、もはや外しようのない至近距離にマカハドマを捉えている。直撃は必然、マカハドマに振り下ろされた一撃は、微動だにしない敵の前で硬質な音を打ち鳴らしていた。
「止められた……?!」
唐突に止められたリリウスの拳。予期せぬ光景を目にしたアヤカの背を、冷や汗が伝っていく。
操縦桿を介して更に出力を引き上げようとも、宙で止まった腕はそれ以上進むことを許されない。見えない障壁にでも阻まれたかのように、右腕はなにか途方も無い圧に押し返されて微動だにしないのだ。
『ダメっ、これ以上は動かせないみたい!』
「あと少しなのに、触れもしないなんて……!」
鬼の背で不気味に輝き出したリング状ユニットは、リリウスが倒すべき偉容を神々しい逆光の中に沈めている。
『それでも、まだまだ!』
脳内に響くハナの声で意を決し、アヤカは
パキ、パキリ。その身に溜め込んだ莫大な膂力に耐えかね、灼熱の皮膚が剥落していく。直後に限界まで引き絞られた腕は解放され、破滅的な質量の殴打が始まっていた。
一撃目、拳で圧した大気がふいに輝き出す。
二撃目、反動を受け止めた海が海底を露わにする。
何度も、何度も、リリウスの腕が衝撃波を轟かせる度に攻撃は阻まれる。とっくに山1つを岩屑と変えるような質量攻撃を撃ち込んでもなお、マカハドマは指一本動かす気配さえ無かった。前回戦った時のように、自ら攻撃を仕掛けて来ることも無い。
「どうしていつも、そう余裕なのよッ!」
苛立ち交じりの恐怖を吐き捨てたアヤカは、あるいはそうでは無いのかも知れないと考え直す。
リリウスを取り込んだことで顕現したリング状ユニット、実はその最適化が未だ済んでいないのだとしたら? 積極的に動けるまでには至っていないのだとしたら?
ふいに閃いた考えは一筋の光明かに思えたが、アヤカはすぐに苦い言葉を吐き出していた。
「これでもまだ、完全じゃないっていう事なのかしら……!」
しかし、それも全ては憶測に過ぎない。
「ちょっと、この数ってまさか……!」
『まだ増えてる?!』
鬼の王の代わりに遣わされた臣下、ハドマたちはそんな表現が相応しいくらいに整然と歩み寄って来る。さらに遠方数十kmでは無数の足音が重なり始め、鬼の軍勢が地平線を埋めつつあった。
敵の総数は、今や90体近い。
ハドマたちが歩くだけで海面は瞬く間に凍りつき、それが幸いにも津波を防ぐ。島の海岸線を削らんばかりに荒れ狂っていた波は、今や精緻なガラス細工と化して動きを止めつつあった。
「こんなの、どうやって……」
周囲の景色全てが、まるで時が止まったかのような静寂に浸されている。
マカハドマは彫像の如く立ちふさがり、リリウスの足元では波さえ動く素振りを見せない。アヤカの視界で動くものといえば、炎と鬼、ただその2つだけだった。
海上を歩いて来るハドマたちの轟音に揺さぶられ、島で燻る炎はまるで生物のように蠢く。直後、リリウスが足を踏み出した風圧に押され、島全体に一陣の風が吹き抜けていった。
『アヤ、いくよ』
「分かってる、今は……これしかないわね!」
近くに人がいては、
ならば、とリリウスが引き抜いていったのは、島の近海にそびえ立つ鉄柱の1本だった。右手に一振り、さらにもう片方の手に一振り。200tクラスの艦船にも匹敵する超重量のツルハシを手に、リリウスは真っ向からハドマたちへの歩みを進めていく。
目指すは左翼の一群。
そして次の瞬間、リリウスは夜気を裂く砲弾と化していた。
「まずはそこの、1体目!」
超音速で飛翔する蛾は、ハドマの眼前で激烈に減速。人型に戻ることで空力ブレーキをかけながら、水蒸気塊に包み込まれた腕を振り上げる。
――――
躊躇なく振り下ろされたツルハシは焔を纏いつつ、ハドマを袈裟懸けに砕き裂いて行った。殺到する破片を皮膚に浴びながらも、リリウスは慣性に引きずられる動きを止めようとしない。
『2体目もオォ!』
そして、再び
手近な2体を葬ったリリウスは、ブゥンと得物を構え直しながら走り始める。
もはやハドマ如きにリリウスは止められない。それを証明するかのように崩れ落ちる鬼の骸の数々が、リリウスの切り開いた空隙を埋めていく。
「11体目!」
轟音。時に槍とツルハシのぶつかる轟音が大地を揺るがしていくも、その数秒後には、鬼の骸が海氷へと倒れ伏していくのみだ。
2人ならまだ戦える、まだ負けてはいない。自らに言い聞かせるような想いが、リリウスの四肢を駆動させ続ける。
「29体目!」
周りに群がる鬼は、北海を埋め尽くす流氷さながらの光景を作り出している。その鬼たちをはねのけ、リリウスは自らを押し潰さんと迫って来る物量に抗い続けていた。
薄氷の上に成り立つ均衡は、アヤカの精神をも確実に削り続ける。だからこそ脳裏を掠めていくのは、ハナの言葉であり、島で目にした灯りの数々だった。
『アヤとなら、わたし怖くないよ』
――――私だって、諦めたくないから!
しかし、リリウスが振るうツルハシも悲鳴を上げ始めていた。
打ち付ける度に砕け、尖端が融け出しては熱鉄の滴と化していく。すっかり赤熱したツルハシの2振りは、32体目のハドマの胸に突き刺さった直後、捩じ切れた。
「これくらいが限界ね……次っ!」
『替えなら、いくらでもあるんだからッ!』
耐用限界に達したツルハシを引き千切りながら、
着弾、ハドマが展開した氷に突き立った短槍は、突撃したリリウスによって押し込まれる。途端に散華した氷の破片が、ブリザードよろしく海上に広がって行った。
しかし、リリウスの
『ただのっ、ラリアットオオォ!』
一粒一粒が乗用車ほどもあるような氷塊の嵐を突っ切り、リリウスは空いた右腕をギロチンと化して真正面からハドマに突っ込んでいった。
刎ね飛ばされた首が宙を舞い、駆け抜けていったリリウスの跡を追うように海面へと叩き付けられる。しかし、リリウスには休む間もなく腕を振り上げていた。
「次は後ろから! 1体!」
振り返らずとも見える背後。本来なら死角となるべき背後からは、ハドマの1体が槍を構えて近付きつつあった。
全長400mにも達する氷の槍が大気を凍らせ、
『やらせるもんかぁぁああっ!!』
回避するには少し遅い。そうと分かっていた
弾丸さながらのタックル、重心を低くとった体当たりが鬼をしたたかに打ち据える。実際に拳銃弾にも迫る速度で衝突したリリウスは、その長い両腕で相手に組み付いていた。
接触状態で組み合う2体の巨人、その光景は一見すると抱擁を交わしているようにも見える。
「このまま、焼き尽くすわっ!」
ハドマに組み付いたまま、リリウスは全身から超高熱の炎を噴き上げ始めていた。
太陽表面にも匹敵する熱量が夜気を焦がすも、あくまで
数秒後、逃れることを許さない死の抱擁が、機械仕掛けの鬼を機能停止に至らしめる。
「これで……34!」
しかし、そこに誤算があった。
骸骨と化したハドマは自らの体重を支えることなく、今や意外なほどの質量を以てリリウスに絡みつきつつあった。
咄嗟に攻撃を防ごうとしたがゆえの失態。レーダーで四方を見渡せば、氷槍を携えたハドマたちがすぐそばにまで迫っている。
『また来るよッ!』
振り下ろされた槍は、触れれば骨さえ裂かれそうな刃を煌めかせていた。
擦過、
しかし、それが悪手だということは彼女自身がよく把握している。
「こっちにも……ッ!」
思わず振り向いた先には、待ち構えるように突き出された槍が控えている。
このままではマズい。
咄嗟にリリウスの眼に宿り始めた燐光が、灯篭よろしくボゥッと闇を照らし始める。励起しつつある
だが、次の瞬間には、我に返ったアヤカによって――あるいはハナ自身によって――死の閃光の灯火が吹き消される。自らの手で発射を止めたレーザーは、もはや間に合わない。
「ダメ、避けきれない!」
『だったら、受け止めるッ!』
衝撃。反射的にかざされたリリウスの両腕に、冷たい刃が深々と突き刺さっていた。咄嗟に逸らし切れなかった刃は、無慈悲にもぶちりと筋繊維を断ち切っている。
咄嗟に肺を詰まらせた痛みに、声にもならない潰れた吐息が絞り出された。
「……
四方からは更なる槍が突き出されるも、もはやリリウスは避けらない。
粘り付く思考、今にも焼き付いてしまいそうな脳髄。スパークするニューロンは走馬灯じみた幻覚を視界の裏で上映し始め、今にも触れそうな死の予感を否応なく遠ざける。
――――きっと、まだ何か手があるはず。
溺れそうな意識が、藁にもすがるような必死さで以て脳内を駆け回る。見えざる手が記憶を辿り、過去をこじ開け、そして彼女は遂に辿り着いていた。
リリウスがそんな機能を持っていると読んだ覚えはない、本当に出来るのかどうか確かめる余裕も無い。
しかし、今はそれだけが希望。
祈るような想いで瞼を閉じたアヤカは、幾度となく繰り返して来た感覚に身を浸す。
「リリウス!
四方を囲まれたリリウスに、もはや逃げ場はない。怖気づいて固まったかのようにも見える巨人は、炎を噴き出そうともしていなかった。
ならば、もたらされるべきは串刺しの運命。
ハドマたちが突き出した槍は互いに交差し、悪趣味な処刑よろしくリリウスを串刺しとする。正確には、
ギギギと響き出すのは、錆びたレールがこすれるような不快音。
氷の刃金同士は盛大に打ち付けられ、轟音で以てもはやそこには何者もいないことを物語る。ぶわりと広がる紫炎を貫いた槍は、表面をわずかに融かされただけで何の手応えももたらしていない。
機械仕掛けの頭脳は思考する。
討伐対象は何処へ消えたのか、と。
未だ60体以上を残すハドマにも追い切れなかったリリウスは、今や並列索敵を以てしても影一つ見つけ出すことが叶わない。
機械仕掛けの頭脳は思考する。
対象の討伐は完了したのか、と。
演算、演算、演算、数ミリ秒に亘る長き熟考の末に警戒態勢を取り戻したハドマたちは、持ち得る限りのあらゆる視界に目を凝らす。
そして、コンマ数秒後。500m上空に超高熱源体を検知した事で、彼らは遂に解がもたらされたのだと知った。
対象の討伐は、未了なり。
古代遺失技術に象られた人工頭脳がそう結論した矢先、迎撃に移ろうとしていたハドマの頭上へと鉄槌が降り注ぐ。雷の如く撃ち下ろされた一撃に、ハドマは反応する間もなく頭蓋を砕き割られていた。
「――――
夜空が、抉じ開けられる。
少女の雄叫びと共に空へ現れ出たリリウスは、眼下のハドマめがけて腕を振り下ろしたところだった。数百万tもの質量に叩き潰された鬼はたまらず砕け散り、脊髄じみたフレームをのたうち回らせながら果てる。
背骨に鞭打たれた氷海は白煙に覆われ、過熱水蒸気を裂いてリリウスが首をもたげていった。
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