ep18/36「こんなことを私にやらせないでよッ!」
「まさか、本当に……できるなんて……!」
『ちょっと、きつい、けど……っ!』
異様な倦怠感。身体を鉛と化すような怠さは、以前、連続
いや、違う。
コックピットで荒い息を吐くアヤカは、たった一度の転移で指を動かすのさえ辛くなった身体を推し、なんとか顔を上げる。
「そうか、そういう事だったんだわ……多分」
彼女は既に、空間転移の負荷がこうも増大した理由を悟っていた。そしてたった今、自分たちが何をなしてしまったのかに気付き、意識するともなく身体を震わせる。
気力を振り絞って操縦桿を握るアヤカは、渇いた唇を開いていった。
「ハナっ、よく聞いてね……前に一度、
『あの時も……こんな感じになったよね』
「そう、あれは休まず飛んだからだと思っていたけど。違うのよ!」
回数の問題では無いのだとしたら、負荷を決定する
「これはきっと、転移する時の質量が問題になっているんだわ……」
2人あわせても、一度で転移する質量はせいぜい100kg程度でしかない。
全高600mを誇るリリウスの質量がその何倍にあたるかなど、もはや考えるのも馬鹿馬鹿しいくらいだった。そんな状態でこれ以上の空間転移を行えば、と進んだ思考が思わず悪寒を呼び起こす。
なにしろ島の周囲には未だ60体以上のハドマ、そしてマカハドマが残っているのだ。
「リリウスの質量を考えると、きっととつてもない負荷が掛かっているのよ。さっきのでもかなりダメージが来てる、だから――――」
『そうだったとしても、でしょ?』
「……そうね」
アヤカは、もうこれ以上の問いに意味はないのだと知った。
――――あなたが望むなら、それでいい。
空間転移を果たしたリリウスに向けて、ハドマたちはなおも縋りついて来る。まずは手近な一体を砕き散らすやいなや、リリウスは紫炎を曳きながら身体を旋回させていた。
火災旋風のごとき回し蹴り。わずか2秒のうちに振り切られた脚部は、一つの街にも匹敵する面積を薙ぎ払う。
振り上げられた氷槍と真正面からぶつかり合うも、束の間の均衡は炎によって破られていた。敢え無く槍を叩き折られたハドマは、リリウスが放った回し蹴りの餌食となる。
ハドマの撃破数など、もはや数えている余裕さえ無い。
重い身体を引きずる
「――――
降り注いだ槍は海面へと突き刺さり、およそ全高600mもの巨大物体が消え失せた後の真空を貫き通す。
凍り付いた海面に倒れ伏す鬼を背に、リリウスは3kmも離れた海上に姿を現していた。
つい先ほど引き裂いたばかりの氷片を蒸発させながら、リリウスは次なる拳を放つ。炎を纏わりつかせた拳は音速をも超える速度でハドマに着弾し、その堅牢な外殻を一瞬のうちに貫き通していた。
「――――
リリウスは辺りを見渡す事も無く、その場から消え去っていた。
次の瞬間には、炎の大太刀そのものと化した腕が、リリウスの背後につけていたはずのハドマを
直後、遅れて轟き始めた破裂音が空間転移の事実を訴え出すも、次なるハドマの首が飛ぶ方が早かった。
ばちん。
膨大な真空空間に大気が雪崩れ込む破裂音を背景にして、リリウスは凍り付いた海面を掠め飛ぶ。
海面一杯に翅を広げ、蛾となったリリウスがハドマの足元をすくっていく。超音速ですれ違った翅はガスバーナーじみた炎を伸ばし、一瞬の内に鬼の足首を抉り裂いていた。
「まだ……いけるわっ!」
上空1km。蛾は人型へと戻り、ツルハシを手にハゲタカの如く舞い降りて行った。
そう、リリウスの両手には、既に失ったはずのツルハシが握られていた。
縦横無尽の空間転移で島を自らの
もはや、敵が何歩離れていようが知った事では無い。何体いようが関係ない。
リリウスは次々に得物を使い捨てては、ハドマたちを葬り去っていく。敵全てを必中の間合いに捉えたにも等しい巨人は、絶対者にも等しい歩みを轟かせていった。
凍り付いた海原を埋め尽くしていたはずのハドマは、もはや高熱に燻る残骸と化して動くものとてない。鬼の軍勢は、遂にその全てが沈黙に追いやられていた。
それは20回以上に亘る
撃破数90以上。残骸交じりの凍れる海原を、紫炎を纏う巨人だけが闊歩する。
しかし、その体表がボロボロと崩れ落ちていくにつれ、胎内に収まるアヤカたちもまた負荷に身を苛まれていった。
「……寒い」
猛烈な吐き気が内臓をひっくり返そうとするも、今は吐き出すモノとて無い。ただ空っぽの胃をざわつかせるに任せ、アヤカは悪寒の走る身体を抱いていた。ひたすらに、寒かった。
意識は朦朧として、自分がどんな体勢で座っているのかもおぼつかない。しかし、その間にもリリウスは歩みを進め、倒すべき敵の下へ少女たちを誘う。
アヤカにしてみれば、今はそれがありがたかった。
「行かなきゃ」
アヤカとハナの身体は、フリルさながらに固着した炎で煌めいている。
こうして意識を繋いでいられるのは、リリウスから与えられた炎の恩恵に他ならない。折れた四肢にあてがう添え木のごとく、今はこの
リリウスに乗り込む起動適格者が何故、ミニドレスで
「人間には、耐えられないっていうことなのかしらね……でも、今は」
『止まる訳には、いかないの……!』
残すは鬼の首領、ただ一体のみ。
配下の鬼が壊滅する様を傍観していたマカハドマは、あるいは既に壊れているのかも知れない。ふとそう感じたアヤカは、それでも構うものかと操縦桿に力を込めて行った。
激突、目にも留まらぬ速さで衝突した二機が、互いの質量を大気越しにぶつけ合う。
マカハドマの背で輝くリングに押され、リリウスはやはり前に進むことが出来ない。しかし、アヤカとハナの真意は、この場で決着をつける事には無かった。
「かかったわ!」
『逃がさないんだからっ!』
見えざる障壁に抗いながらも伸ばす腕。膨大な圧に押されて軋むリリウスの体躯からは、まるで網のような真っ赤な炎が広がり出す。島を焼き尽くさないように広げられた炎は、傍目には真っ赤な火球となって海面に現れる。
リリウスとマカハドマ、互いに全長数百mに及ぶ物体を包み込んだ炎は、真っ赤に燃え盛る繭となって辺りを照らし出していく。
2人が意図する事は一つ、それは島を吹き飛ばさぬように場所を移すことだった。
「
炎の繭が消え失せた直後、遅れてバチンという破裂音が夜闇に轟いていく。
それは紛れもなく、これから訪れるべき
* * *
夜空に連なる月が、波間を漂う数珠となって海に映り込む。
とうに凍り付いた海の黒、そして空の黒がなす微妙なコントラストだけが、その海域における唯一の地形的特徴だった。辺りに島一つ見えない景色はどこまでも単調で、そして冷たい。
しかしこの晩、そんな絶海に一世紀以来の火が熾ろうとしていた。
ちろり、と何の前触れもなく夜空に漏れ出した火の粉。
ロウソクよりも微かな光は、暗闇に押し潰されるようにして儚くも消え去る。
ほんの一瞬、紙屑一つ燃やすにも足りない熱量を凍て空に散らした火の粉は、しかし、次の瞬間には大気を沸騰させんばかりの業火を呼び込んでいた。
夜を凌辱せんと現れたのは、直径1kmにも達しようかという矮小な太陽。海原に夜明けをもたらした火球は瞬く間に弾け、内部からはそれぞれ2つの超重量物体が這い出ようとしていた。
一つは鬼、一つは蛾。
どことも知れない海上に空間転移したリリウスは、眼下で自由落下を始めたマカハドマに目標を絞る。しばらくしてふわりと海氷に着地せしめた鬼を横目に、紫の炎を纏うリリウスは分厚い氷すら何の苦も無く打ち破り、海底に脚をつけていた。
山が落下してきたにも等しい衝撃に晒された海は、今や嵐もかくやという激しさで怒り狂っている。だが、マカハドマから溢れ出す冷気に侵されるにつれ、波は砕けることさえ許されない氷の彫像と化していった。
「……ハァっ、ハァっ」
超大質量物体を
しかし、全身の血管にまで入り込んだ操り糸に導かれるように、アヤカは炎の花飾りを振って視線を上げていた。
もはや周りには誰もいない。ただ撃ち放っただけで人を死に至らしめる武装の数々でさえ、もはや出し惜しみをする道理など無いのだ。
「ここからが……本番よ……っ!」
『
リリウスの三つ眼が閃光を放った直後、マカハドマの装甲には光の矢が突き刺さっていた。その余波で足元の海水は爆発的に沸騰し、人が触れようものなら熱傷死を免れないほどの過熱蒸気雲が広がり出す。
恐るべき熱量を込めた連続照射が、大気中に核融合反応すら惹起してリリウスとマカハドマを繋ぐ。数秒に亘って装甲表面を舐めて行ったγ線レーザーは、氷の甲冑に焼き印のごとき軌跡を残して消え去っていた。
「まだ……まだッ! あの障壁を突破しないと、倒せない!」
既に言葉を交わさずとも、次なる行動は筋繊維が張り詰める感触を介して伝わっていた。まるで骨の強度など無視するかのように強張っていく右腕は、血管が脈打つたびに力を湛えて震え出す。
「
海氷を突き破って走り続ける
前腕骨の弓を展開、斥力場収束。装填を済ませた指は炎を纏う矢と化し、張り詰めた大弓の中心で射出のタイミングを待ちわびている。
『だから、最速でっ!』
「9発
もはや限界を迎えているかも知れない身体を奮い立たせて、アヤカはそれでも
削られゆく命と裏腹の高揚感、理性から切り離された爬虫類的興奮が四肢を震わせる。際限なく染み出ているはずの脳内麻薬で恐怖を遠ざけた間に、アヤカとハナは叫んでいた。
「
叫んだ途端に、リリウスの姿は海原から消え失せる。
直後、夜空を切り裂く閃光の数々。傍目にはほぼ同時に現れたようにも見える3本の光源は、一瞬にしてマカハドマを取り囲んでいた。
それはもはや、人の眼では捉え切れぬ神速の魔弾。
空間転移を繰り返すリリウスによって放たれた
――――
コンマ数秒おきの連射。ストロボの如き閃光が暗闇をこじ開ける度に、まるでコマ送りのように切り取られた光景が展開される。
――――
立て続けに放つマジカルアローの連射で、確実にリリウスの指は失われて行く。元は9本もあった指は、既に人間のそれと同じ数にまで減っていた。
ちょうどその時、握り締めていたはずの操縦桿から、アヤカの右手がずるりと零れ落ちる。
「……っ! こんな時に!」
極限の緊張がもたらした失態、彼女はすぐにまた操縦桿を掴み直す。しかし、唐突に痺れてしまった小指は、金文字が躍る表面を滑るだけで力を込められない。
――――
そして次弾となる6射目、アヤカは遂に何が起こっているのかを理解した。
「
およそ常人には捉え難い連続攻撃の狭間で、確かに消え失せて行った感覚。間違いない、とアヤカは明快且つ単純な事実を認めざるを得なかった。
マジカルアローで指を射出する度に、2人の指の感覚もまた
「ハナ、これ以上はあなたが……指が!」
『それでも、撃って!!』
一射放つたびに、自分の手でハナの指に通う神経をぷちりぷちりと引き千切っていくような錯覚さえ覚える。
この髪を結わえてくれた指、優しく涙を拭ってくれた指。その全てが、他でもない自らの手中で消え去っていく。こんなにも愛しい温もりが、一射ごとに消えていく。
「こんなこと、こんなことを私にやらせないでよ……ッ!」
自らの手で奪っていかねばならない事を呪いながらも、彼女はマジカルアローの発射を止めようとはしない。
ハナが望んだことならば、たとえ自らの心が裂かれようとも。
コックピット内に涙が散る。アヤカは軋みだす心の絶叫を喉から吐き出すままに、無形の
「うぁアアアア――――!!」
発射を始めてからたったの数秒。転移する度に海面を割り続けていたリリウスは、遂に右手の指を撃ち尽くしていた。
音速の数十倍という速度で、9本もの光矢はただ一点に収束していく。避ける隙間など存在しない飽和攻撃は、全方位からマカハドマを押し包んでいった。
着弾。全高800mを誇るマカハドマをも飲み込んだ火球は、見渡す限りの海原に夜明けをもたらしていた。
質量弾は一瞬の内に恐るべき圧縮現象をもたらし、矢に引きずり込まれた大気を太陽のごとき超高熱プラズマと変える。遅れて立ち上がった1km近い津波に飲まれ、この天変地異を引き起こしたリリウス自身も灼熱の波に揉まれて行った。
しかしマカハドマは、そんな運動エネルギーの暴威も寄せ付けない。
一度、氷の結晶じみたユニットが輝き出せば、鬼の周囲には不可視の障壁が展開される。それは何度やっても同じこと。
しかし、あまりに膨大な運動エネルギーを受け止めた障壁は悲鳴を上げ、今や不安定化した界面が金切り音を響かせている。
鉄壁に思えた障壁に生じている、ほんの針ほどに僅かな隙間。レーダーの視界に目を光らせる2人は、死力を以て抉じ開けた脆弱部を見逃さない。
もはや指に力は入らなかった。
既に麻痺して動かない右手を代償として、アヤカは左の操縦桿を押し込む。
「……見えたわッ!」
『今度こそ、あそこに撃ち込むっ!』
狙うは障壁の脆弱部。これで終わりにすると言わんばかりの気迫を以て、リリウスは嵐の只中で空間転移を果たしていた。
バチンと夜空が弾ける間もなく、リリウスはマカハドマの左方へと踊り出る。しかし、突如としてぐらりと傾いた600mもの巨体は、剥き出しの海底上でバランスを崩しつつあった。
「……ッ!」
転移直後、コックピット内の2人は衝撃に襲われていた。
剥き出しになった神経をくすぐられるような不快感、吐き気のような感覚が左腕から這い上って来る。何が起こったのかなど、アヤカは眼球を動かさずとも把握できていた。
――――ついて来られなかった!?
空間転移の精度が鈍ったためか、はたまた槍に貫かれた腕がもはや耐え切れなかったためか。今やリリウスの左腕は千切れ、慣性のままに宙を滑り出している。
直後に襲い来る激痛を覚悟する間もなく、2人の左腕にはパッと炎が燃え上がっていた。本来感じるべき痛みをも吸い上げて、可憐な
「左腕も、まだ撃てる!」
疑似神経網、
指を全て撃ち尽くした右腕に、肘の先から千切れてもなお全長300m近い左腕が重ね合わされた。炎は脈打つ血管となり、神経となり、即席の回路となってリリウスの体組織を強引に繋ぎ止める。
ちょうど十字に重ね合わされた大弓は、今やリリウスの全出力を吸い上げて光をも歪め出していた。あおりを受けて海面が吹き飛ぶ、水飛沫を裂いて巨体が宙を滑る。
照準完了。狙うは一点、アヤカの脳裏には既に射線が浮かび上がっていた。
「これが全力のッ、
吹雪にも似たプラズマが吹き荒れる中、リリウスの構える十字弓は火を噴いた。
空間から粘性のタールを引き出すように、ずるり、ずるりと後をひく軌跡。局所的に相転移させた空間を破裂させながら、リリウス渾身の一撃は、人の眼にはレーザーと変わらぬ超高速質量弾と化して突き進んでいった。
研ぎ澄まされた火矢が向かう先は、マカハドマ以外には有り得ない。
着弾、マカハドマが背負うリング状ユニットに直撃した火矢は、しばし膨大な力のせめぎ合いで軋み音を上げる。
しかし、次の瞬間には、地が唸るような音は消え去っていた。
火矢に撃ち抜かれたリング状ユニットは無残な大穴を晒し、そしてひび割れる。内に秘めた膨大なエネルギーに逆らえぬまま、永久氷晶で象られた光輪は破片となって四散していった。
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