ep29/36「今まで、ありがとうね」
四つ腕を大弓と変えたリリウスからは、次々に閃光が迸る。
目にも留まらぬ速度で鬼を撃ち抜いていく光弾の1つ1つは、リリウスの指に他ならなかった。
全長100mは下らぬ超高速質量弾、大気圏内であったなら隕石にも等しい威力を秘めた火矢は、斥力場に導かれて鬼の首を吹き飛ばして行く。
そしてまた1機、撃破。
マジカルアローに心臓を縫い留められたハドマは稼働を止め、直後にすれ違ったリリウスによって跡形もなく粉砕される。
途端に散弾となって真空に広がって行った破片は、鞭のように振るわれる尾を見送った。
「キリがない!」
氷山が降り注いでくる、そう錯覚してしまいそうな無間地獄にアヤカは呻く。
全方位を埋め尽くさんばかりのハドマをすり抜け、リリウスは暗闇に残光を描き出す。4枚翅を広げた飛竜は、敵を屠る度に爛々と眼球を輝かせていた。
追いすがって来るハドマの群れは、それでも全く減っている気がしない。
指先が痺れ始めたアヤカの頬を、身体から絞り出されたような汗が伝う。
飛び掛けた意識は
――――一体、いつまで続くの。
限界なのは分かっていた。が、眠ることも休むことも許されない。
敵は40万機以上、たとえ毎秒ごとに敵を打ち倒そうとも丸4日は眠れない。気が狂ってしまいそうな数字から目を背け、一体これで何体目かも分からない敵を次々に残骸へと変えていく。
リリウスは地球を目指しつつ、主観時間にして丸3日もの連続戦闘を行っている最中だった。
そして翼をしまい込んだ飛竜は、四つ腕をかざす人型へと変形。その進路上に立ちふさがる数百という敵に向けて、
「そういうことなら……!」
腕の筋肉が張り詰める感覚、ハナが何をしたいのかを悟ったアヤカは、それに応えて金文字の這う操縦桿を握り締めていた。
目まぐるしく動き回る9つの眼球は、恐るべき相対速度ですれ違う目標を確実に
今ならいける、その確信に突き動かされるままアヤカは叫んでいた。
「
計13を誇るリリウスの全砲門が、一斉に火を噴いた。
9つの眼球からは山をも吹き飛ばす放射線の奔流が吐き出され、4本の腕からは実体を帯びた徹甲弾が一斉に撃ち放たれる。途端にリリウスの眼前を埋め尽くしていくのは、敵を粉砕した証たる花火の数々だった。
レーザーが永久氷晶を溶かした直後、次々にハドマへと襲い掛かって行った徹甲弾が止めを差す。
1秒と経たずに再装填された指は第二波となって襲い掛かり、それよりもなお速いレーザーに追い立てられたハドマを次々に砕き散らしていく。
「撃ち続けて!」
『分かってる!』
明滅を繰り返す閃光が、貪欲に光を求める宇宙の暗闇を照らし出す。コマ送りが進められる度に、リリウスは数百もの敵を葬り去っていた。氷片漂う炎の海をかき分け、リリウスは1秒たりとも砲撃を緩めぬままに突き進む。
発射する度に即時再生する指は、リミッターを解除した恩恵に他ならない。弾数制限から解き放たれたマジカルアローは、今や数千発をとうに超えて発射され続けている。
しかし、わずかに再生が追い付かない。
ほんのコンマ数秒にも満たないタイムラグが積み重なり、間断なく続けられる砲撃に狂いが生じ始めていた。
『6時方向から敵弾5000! 来るよ!』
「
太陽よりもなお熱く過熱する眼球から、9本のγ線レーザーが発射される。逆光に沈む中で腕を掲げるリリウスは、本来ならば直進するはずのレーザーを蛇のようにのたうち回らせていった。
半径数千kmに亘って展開された斥力場に導かれ、秒間数十サイクルで連射されたレーザーは永久氷晶弾を次々に撃ち落とす。
この3日間、こんなピンチは何度も凌いできた。
だが、この時は全ての永久氷晶を食い止めきれなかった。ごくわずかな隙間を縫って飛来した氷弾は、既に迎撃の空白地帯へと飛び込んでいる。
「だめ、止め切れない!」
『上からも来る!』
上方から降り掛かって来るのは、こちらを押し潰さんばかりの永久氷晶の吹雪だった。数万発と放たれた氷弾はまるで壁のように迫り、空がそのまま落ちて来るような錯覚さえ覚えさせる。
しかし、敵弾はそれだけではない。
先ほど迎撃し損ねた氷塊へ向け、リリウスは炎の拳を振るっていた。懐へと飛び込んで来た氷塊を一瞬にして砕き散らすと、パッと広がり出す無数の霰。そのままの速度で浴びせられた散弾に、リリウスは全身を打ち据えられていた。
全身に突き刺さった激痛に息が詰まる。
至近距離でショットガンを撃たれたようなものだった。
「……迎撃っ、始めてええぇ!」
そして火炎流と吹雪が、真正面からぶつかり合う。
直後に始まった迎撃の嵐は、襲い掛かって来る吹雪に真っ向から立ち向かう炎の雨。リリウスたった1機から放たれている火線は、大陸1つ焦土と変えるほどのエネルギーを真空中に撒き散らしていく。
だが、とても受け止め切れる物量ではない。
リリウスは永久氷晶を跳ねのけていくものの、圧倒的な物量を前に徐々に絡め取られて行ってしまう。そうしてやはり連射のタイムラグを突いて来た氷弾の一部が、レーザーの射線を遮る。
アヤカとハナが自らの失態に気付いた頃には、既に秒速30km以上で飛び込んで来た永久氷晶が片腕を抉っていた。
「あぁ……っ!」
そうなってしまえば、あとは一瞬の出来事だった。
わずかに遅れた迎撃が敵弾を取りこぼし、さらに広がった隙間に向けて敵弾が殺到する。リリウスへと撃ち込まれた永久氷晶は、雪玉へ、彗星へ――――際限なく膨れ上がっていく質量体は、瞬く間に小惑星クラスにまで達していた。
出来上がっていくのは永久氷晶のオブジェ。
数分後、生まれたばかりの第109月は、地球を背景に無音で漂い始めていた。
――――こんなの、動けない……!
体性感覚を共有するリリウスと同じく、アヤカは声さえ出せないほどの圧に押し潰されようとしていた。リリウスは100年前と同じような月に閉じ込められ、その中心部で消えかけた炎を灯し続けている。
厚さ数千kmもの氷、その全てが四肢を縛り付ける拘束具。全身の骨が、今にもパキパキリと砕け始めてしまいそうだった。
『アヤ……』
アヤカよりも更に深くリリウスと繋がっているハナも、限界が近いようだった。このままではマズい、そんな事は分かっているのに動けない。
月中心部の圧力と温度は際限なく高まり、不気味なほどに透明な月は仄かに輝き始める。
そして、唐突にフラッシュが焚かれた。
ほんの一瞬、恒星の如き閃光を放った月。辺りは一瞬にして崩壊を始めていた。
――――え。
四肢を縛り付けていた重みが唐突に消えたかと思うと、次の瞬間にはさらに壮絶な重みがのしかかって来る。アヤカがたまらず意識を失った直後、リリウスをも巻き込んで一気に収縮した月は半径数mm程度の黒点と化していた。
109個目の月など、もはやどこにも見当たらない。
地球軌道上に現れたのは、ブラックホールへと成り果てた月の残滓だけだった。
リリウスがいたはずの場所に残っているのは、今やたった数mmのちっぽけな黒点に過ぎない。重力崩壊を引き起こした第109月は、リリウスを事象の地平面の内側へと引き摺り終えていた。
つまり、リリウスは、この宇宙空間から完全に
「何が、起こったのよ」
一体、あれから何分経ったのかも分からない。
アヤカは完全なる無音の中で、不思議と響く自分の声に驚きを隠せない。ようやく取り戻した視界に映るのは、永遠かと思えるほどの闇黒だった。
そして、もはや指1本たりとも動かせない。
ミニドレスに吸い上げられてもなお走る痛みが、細胞一つ一つの隙間で悲鳴を上げている。全身にしみ込んだ鈍痛が細胞を軋ませる度に、自分が恐るべき
別宇宙にも等しい空間には、出口はおろか光一つない。
光あれ、そう言って生み出されたはずの世界はここには存在しなかった。
まるで虚無の地獄そのものだ。
物理法則の埒外、超えてはならない領域。別宇宙にも等しい闇黒空間に果てが無いことを悟ると、アヤカはいつしかここから脱出しようという考えが潰えていくのを感じていた。
島に帰ったら、ハナともう一度話すはずだったのに。
――――もう帰れない。
今度こそ、想いを伝えるはずだったのに。
――――もう、帰れないのだ。
シュバルツシルト半径を踏み越える事の意味を、アヤカは知らない。
それでも、もうここからは出られないという静かな確信が、冷たい泥のように全身にへばりついて来る。
光さえも逃れられない絶対の檻に封じ込められた今、真なる虚空の中から浮かび上がって来るのは1つの諦め。そして、安堵だった。
「違う! 安心なんかしてない、違うのよ……」
その言葉の虚しさを、誰よりも分かっているのは自分自身だった。
本当のところ、自分が島に帰りたいのかどうかさえも分からない。否定しようのない安堵感を感じて初めて、ずっと怯えていたモノの正体に気付いてしまった。
ハナともう一度向き合えるかどうか、不安でたまらなかった。
今度こそ心が離れてしまうのかも知れないと思うと、怖くてたまらなかった。
――――隣にいて欲しい、はずだったのにな。
もう絶対に帰れないのなら、そんな恐怖を抱える必要も無い。
ゾッとするような安心感が心に忍び込んで来たが最後、絶対に手を出してはならないと知りつつも、ある種の安堵が広がっていく。
間違えてしまった順番に苦しむ日々にも、
日ごとにハナとの距離があいていく日々にも、
きっともう、ずっと前から疲れていた。
――――そっか、もう全部終わらせても良いんだ。
何か受け入れてはならないモノを飲み込んだ途端に、身体からはすっと痛みが抜けて行った。
もはやどうしようもないくらいに、終わりが来ることにホッとしている自分が居る。抵抗を緩めた身体からは、血管を巡っていたはずの熱が徐々に零れ出していく。
「これで、良かったのかな」
良いんだよ、と応えてくれるのを待つ自分がいた。
たった一言、ハナがそう言ってさえくれるのなら、全部を終わりにしてしまっても構わなかった。
だから、ハナももう戦わなくていいの。
アヤカはそう伝えようとして、隣のコックピットシートにのぞくハナの横顔に視線を向けた。罪悪感にも似た冷たさは、虚空に熱を吸い上げられている証。凍えて千切れてしまいそうな指に力を込めると、彼女は必死にハナへ手を差し伸べていく。
しかし、身を裂く
たった1mも無い距離が、今だけは永遠に思えた。
「ごめんね、何もかも私が……私がハナを巻き込んじゃったせい」
2人だから戦える――――かつてそうやって握ったはずの手は、もう久しく触れることさえ叶わなかったのだ。
2人で共に終わるなら、それはそれで良かったのかもしれなかった。離れてしまうよりはずっと良い、そう受け容れさえすればもう苦しみにしがみ付く必要はない。アヤカは罪悪に潰されそうな心を閉ざして、眠気にも似た感覚に身を委ねる。
もう終わりで良いのだ、何もかも。
しかし、脳裏に響く声が、閉ざされ行く瞼を押し止めていた。
『2人で終わるなんて、わたしそんなの嫌だよ』
2人で終わるなんて嫌だよ、と。
ハナはもう一度だけ、自らが言い放った言葉を脳裏に刻み込む。
アヤカがどんな想いで自分へと手を伸ばして、2人で終わりを迎えることを望んでいるのか。それが痛いくらいに分かってしまうのは、きっと自分がずっとアヤカを見て来たからだと思えた。
だからこそ、そんな彼女を見ていられない。
2人で戦って来た意味を死に場所に求める、そんなことは許せなかった。
「……そんな」
アヤカの縋るような声が、絶望の色を帯びてコックピットに響く。
一方でハナは生身の身体に意識を戻すと、潰れかけている肺に空気を満たしていった。伝えるのだ、これだけは自分の口から伝えなければならないのだ。たとえ自分の言葉が、脆くなったアヤカの心を砕くのだとしても。
アヤ、聞いて。
ハナは乾いた唇を開けていった。
「わたしね、アヤの口からそんな事は聞きたくなかったな。でも、分かってる。わたしが苦しめちゃったんだよね、アヤはずっとわたしを見ててくれていたのに……なんでだろう、上手くいかなかった」
「違うの、それは私が弱いから……もう」
「ううん、わたしが知ってるアヤは、いつだって一緒に戦ってくれたよ。2人だから戦えるって言った時、アヤは手を握ってくれたよね? だからさ、わたしは最後まで諦めたくなんてない」
「でも、もう帰れないのよ……?」
「そんなこと、ないよ」
さらに言葉を重ねようとしたものの、沈黙の中で意図せず喉が震え出す。あと少し、続きを上手く言えるかどうかが心配だったから、ハナは最後に大きく息を吸っていた。
アヤカも何かを察したのか、隣席からは息を吞む気配が伝わって来る。
「まさか、ねぇってば……!」
「心配いらないからね」
それでも、伝えるべきはあとたった一言。
愛しい人に、今こそ伝えなければならなかった。
ハナは微笑みを浮かべると、傍らのアヤカに視線を向けていた。やめて、と叫ぼうとしている彼女は心底優しいのだと確信できたから、もう後悔する必要なんて無い。
そんなアヤだから会えて良かったのだと、今はただそう思えた。
「今まで、ありがとうね」
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