帰還編

ep14/36「だからさ、また来ようね。皆で!」

 からん、ころん、と小気味よく路面を打ち鳴らす下駄の音。

 数珠のように連なった月が照らす街に、涼やかな夏の音が響く。月光と街灯でぼんやりと浮かび上がった歩道を、2人の少女たちが歩いていた。

 弾む2人の会話には、時折、遠くで砕けた波の音が混じる。そう遠くない街はずれからは、太鼓と笛交じりの祭ばやしまでもが聞こえて来る。

 9月も末のとある夜。今日こそは、年に1度のハレの日だった。


「おーっ、もう始まってるね!」

「待ち合わせの時間には丁度いいと思うわ」


 ハナが纏っているのは、淡いピンクを基調にした浴衣。歩調を合わせるアヤカもまた、うっすらと蓮の花があしらわれた水色の浴衣に身を包んでいた。

 ハナに並んで歩くアヤカは、ふと思いついたように腕を伸ばしてみる。


「んー、でも、制服でも良かったかしら?」


 半ば冗談で呟いた言葉だったが、ハナの耳にはきっちり捉えられていた。


「アヤったら制服で行くとか言い出すんだから……あれ本気だったの?」

「学生が制服を着るのは基本よ。それに私、制服って好きなの」

「へぇぇ。なになに、アヤってば一人でニヤニヤしちゃって」

「それは……ハナが言ってくれたんじゃない」

「そうだっけ? うーん、覚えてないなー。ぜんぜんっ」


 からかうようなハナの声が、夏の空気を透かして耳を撫でていく。

 アヤカの顔を覗き込むように身をかがめているハナ。その顔に浮かんでいるのは、初めて会った頃には想像もできなかった悪戯っぽい笑顔だ。

 それでも、無邪気に向けて来る視線は何も変わっていない。

 真珠のように澄み切って、人懐っこくアヤカを映す黒い瞳。アヤカは思わず熱くなった顔を隠すように、見るだけで吸い込まれそうな瞳から視線を逸らしていた。


「内緒よ、内緒。どこかの誰かさんが忘れっぽいせいなんだから」

「んー、なんだか遠回しに責められているような?」

「……なんだか私、ハナと会ってからどんどん駄目になっている気がするわ」


 ハナには聞こえないように、アヤカは頬を緩ませながらぽつりと零していた。半分は冗談、でも半分は本気。3年間も一緒にいるのに、未だ胸に燻る想いを伝えられていないのは否定しようがなかった。

 闇の向こうに広がる海からは、潮の香りが夜風に乗って運ばれて来る。それは自然と舌にしょっぱさが広がるような、人知れずこらえた涙の味にも似て。


「……ほんと、ダメダメになっちゃったわ」

「あっ、なんかヒドいこと言ったでしょ!」

「そんなことより行きましょっ、ヒカリも待っているわ!」

「ち、ちょっと、これじゃ走れないってーっ!」


 アヤカはハナの手をとると、ちょこちょこと走り始めていた。急くように響く下駄の音、他愛ない会話が弾む息に交じり出す。浴衣のせいで動き辛くても構わない、祭りを前に浮き立つ心が2人の身体を軽くさせていた。

 夜道を小走りで駆ける2人は、5分もすれば鳥居のもとに辿り着いていた。ずらりと立ち並ぶ出店を背に佇む少女を見付け、アヤカとハナは声を張り上げる。


「ごめん、ヒカリ! お待たせーっ!」

「待たせてしまったかしら」


 温かく、安っぽい電光を背に、紺の浴衣を着込んだヒカリの姿が浮かび上がる。早速、買い込んでいたらしいたこ焼きを口にしながら、ヒカリは千切れんばかりに手を振り始めていた。


ほふたひはんおふたりさんほっひほっひこっちこっち!」

「もう、ちゃんと食べてから喋ってよ。遅れてごめんなさいね」


 軽く息を切らせているアヤカは、少し前に屈み気味にヒカリを見上げる。短いツインテールは相変わらずたが、落ち着いた浴衣が小柄なヒカリを大人っぽくみせていた。少なくとも、15才という年相応に見えるくらいには。

 たこ焼きをごくんと飲み下したヒカリは、いつもの調子で軽く胸を張ってせる。


「大丈夫、アヤっちもハナっちもセーフ! 実はあたしもねーちゃんの着付けを手伝っててさぁ、さっき着いたところなの」

「それって……!」


 アヤカは不意討ちのように、出撃前から心に引っ掛かっていたトゲが氷解していくのを感じていた。その言葉の意味に気付いたハナもまた、ぱーっと表情を明るくさせる。


「じゃあアカリ先輩も?」

「そそ、ねーちゃんも後で来るってさ!」

「ほんとっ?」

「……よかった」


 心底、安心したように呟くハナの横顔を見て、アヤカはそっと胸をなでおろす。

 あれから一体、彼女がどんなことを考えていたのかは分からない。否、自分には理解出来るはずもないと信じるアヤカだったが、それでも、その意思こそが嬉しかった。決して悪いようにはならないだろう、とも思えた。

 これで本当に夏祭りを楽しむことが出来る、浮き立つ心はさらに胸の中で膨らんでいく。


「じゃあいきましょうか!」


 ヒカリも加えたいつもの3人、着慣れぬ浴衣を纏った少女たちは、心待ちにしていた祭りの只中へと繰り出す。

 アヤカは他の2人とはぐれてしまわぬように気をつけながら、歩調を緩めていた。

 人をかき分けるように進んで行けば、自然と周りの息遣いが感じられる。生命の気配なき大気を吸って来たからこそ、肌を汗ばませるほどの熱量が心地いい。


 ――――そっか。ここには、こんなにも人がいるんだわ。


 アヤカは今さらながらに、自分たちが何を背にして戦って来たのかを知る。

 それは人々が行き交う日常、溢れんばかりの生命が織り成す平穏。あの凍て付いた森のような静寂とは無縁の、止まらぬ時の中で変化し続ける世界だった。


「もうマカハドマが来ることも、無いのよね」


 統合司令個体を倒した以上、ハドマたちが活動を停止するのは時間の問題と見積もられている。帰還後にそう聞かされていたアヤカは、その意味を改めて噛み締める。

 もうこの世の果てのような世界で、戦う必要なんてない。

 戦士になれるなんて、自分に言い聞かせる必要も無い。


「おーい、アヤっちどうしたの? 先行っちゃうよ!」

「ううん、なんでもない。今行くわ」


 射的、綿あめ、水風船。軽くなる財布と引き換えに、手は重たくなっていく。

 気まぐれに出店を廻っていけば、三人の手にもいつしか祭りの産物が握られていた。ヒカリが水風船を弾ませる一方で、ハナはパリパリサクサクと大ぶりなりんご飴を頬張っている。

 アヤカは右手で髪をかき上げながら、夜気を吸って膨らんだ綿あめを口にする。

 口の中で瞬く間に溶けていったそれは、思わず頬を緩ませるような甘さだけを残して跡形もなく消え去る。


「あら、これは意外と」


 もう一口、さらにもう一口。

 溶け去る甘さを惜しむようにパクパクと綿あめを頬張るアヤカには、なにやら観察するようなハナの視線が浴びせられていた。

 じーっと張り付く視線。さすがに食べ辛い、顔を上げたアヤカは小首をかしげてみせる。


「どうしたのかしら?」

「アヤの髪、今は邪魔じゃないのかなーって」

「あぁ、これね。上げて来ても良かったのかも知れないわ」


 アヤカは金髪に触れると、普段通りに下ろして来たロングヘアーを軽くかき上げてみる。これまで髪に隠れていたうなじの辺り、少し汗ばむ肌に夜風が涼しい。これでも良かったかな、とアヤカは若干の後悔を覚え始めてしまう。

 一方、ハナはなにか閃いたような表情で、パンっと手を打っていた。


「あっ、そうだ! せっかくだからアヤも髪上げちゃおうよ!」

「ハナっち、それナイスアイディア!」


 ヒカリは親指をグッと突き出しながら、1秒とかからずに食いついていた。

 げに恐ろしきはその反応速度。ハナとヒカリの提案が瞬く間に盛り上がるのを見ながら、アヤカはあわあわと止めに入る。


「でも、私、髪留めなんて今は持ってないわよ?」

「じゃああそこで買っちゃえ!」

「買っちゃえー!」


 ハナとヒカリ、2人がビシッと指差す先には一軒の出店があった。

 軒先に置いてあるのは、祭り気分を盛り上げるための小物の数々。プラスチックとLEDの光に彩られたアクセサリーの玩具に混じって、簡単な髪留めの類も置いてある。

 2人に店先まで連れ出されたアヤカは、気付けばくるりと後ろを向かされていた。


「これってつまり、選ぶまでは秘密ということかしら?」

「そそ、アヤはちょっとあっち向いててね」

「とびっきりのを選ぶからねー! あ、これとかかわいい。アヤっちには絶対似合わないけど」

「いや、でも意外とアヤは……あ、でもこっちも良くないかなぁ?」

「ハナっち、さすがにこの年でキャラモノは……」


 アヤカが背を向けているのを良いことに、2人はキャッキャとはしゃぎ始めていた。

 悪ノリと祭り気分で選び出された髪飾りは、一体どんなモノになってしまうのか。時折、漏れ聞こえて来る単語を耳にすれば、アヤカはもはや不安しか感じない。

 それでも、内心ではうきうきとしながら待つこと数分。「いいよー」の声で振り向こうとしたアヤカは、しかし軽く身体を押し留められていた。


「アヤっちはまだ振り返っちゃダメ」

「アヤ、ちょっと待っててね」


 そして、真っ直ぐ下ろされていたアヤカの金髪に、誰かの手がそっと触れる。

 わざわざ振り返って確かめるまでもない。アヤカは手の感触だけで、誰が触れているのかを理解していた。毎朝、やさしく髪を梳かしてくれるのと同じ手付きに任せるまま、アヤカはそっとまぶたを閉じて終わる時を待つ。


「よしっと! アヤ、これでいいよ」

「ほれ、鏡もあるよアヤっち」

「これって……」


 ヒカリが取り出した手鏡を覗き込んで、アヤカは思わず感嘆の声を上げていた。

 ポニーテールに結わえられた金髪、その根元を束ねているのは1つの髪留めだ。四葉のクローバーがあつらえられた、控えめで可愛らしいデザイン。一体、あの出店のどこから発掘したのかと思うほど、シンプルで品の良い代物だった。

 ついでに言えば、この上なくアヤカの好みにも合っている。


「かわいい……」


 しばらくそれに見惚れていたアヤカは、なにやら粘着質な視線に気づいて我に返る。咄嗟に横を振り返ってみれば、そこにはニヤニヤと笑んでいる2人の姿があった。


「もー、そんなに見とれちゃって」

「たしかにアヤっちは可愛いけどさー」

「もうっ、そうじゃないわよ!」


 恥ずかしさと嬉しさがない交ぜになった気分で、アヤカは頬を膨らませていた。それでも微かに緩む表情は抑えきれずに、アヤカは傍から見れば分からないほど微かにニヤけていた。

 彼女は慈しむように髪留めを撫でながら、精一杯の言葉を口にする。


「その、ハナもヒカリもありがとう。凄く嬉しいわ」

「むーっ、アヤっちはもっと嬉しそうな顔をしても良いと思います!」

「私は凄く嬉しいんだけど……今もそんなに表情固いかしら」

「うそうそ、分かってるって。アヤっちって、そういう時ほど真顔になっちゃうんだよね。ポーカーフェイスでパニくっちゃうタイプ」

「分かる分かる」


 アヤカを評するヒカリの言葉に、ハナは笑いをこらえながらも頷いていた。首肯しかねているのはアヤカ本人だけという有様で、1人だけ首をかしげている。

 初めて会った時のハナといい、ヒカリといい、どうしてこうも気付けるのか。試しに理由を聞いてみても、ヒカリは一向に取り合おうとしてくれない。


「アヤっちを見てると分かるんだなー、これが」


 そう言い切ってみせたヒカリは、なぜか得意そうな笑みを浮かべながら歩き出してしまう。つられてハナも、そしてアヤカも出店を後にする。

 連なる3人の浴衣姿が、すっかり祭囃子の馴染んだ境内を進んでいく。時刻は既に21:00を過ぎ、今年の夏まつりも佳境を迎えているはずだった。


「ね、あのさ――――」


 ヒカリが振り返った矢先、なにか口にしようとした言葉を遮って歓声が上がる。

 何事かと辺りを見渡すアヤカは、ふいに足元の影が濃くなったことに気付いていた。ヒュルルルと大気を裂く甲高い音に誘われ、彼女も他の2人も一斉に夜空へと視界を向ける。


「あ、そういえばこの時間だったっけ!」

「そうね、今年も綺麗に見えそうだわ」


 地面から伸びていく儚い光跡。それが途絶えた瞬間、夜空には大輪の花が咲いていた。夜空に花開いた光に照らされ、闇の中からはサナギのシルエットが浮かび上がる。

 遅れてやって来る炸裂音を予感しながら、しばし無音の中で花火を見上げる3人の少女。華やかな光を浴びる彼女らに、言葉は要らなかった。


 開花、そして散華。

 4つ、5つと咲き溢れる度に、刻一刻と姿を変える光の花束。一瞬にして美しさを極めた花々は、刹那の間に弾けては滅びてしまう。

 夜空一杯に描かれる形無き絵画を前に、アヤカの心はその儚さで打ち震える。束の間、閉じることも忘れていた唇からは、意識するとも無しに言葉が紡がれていた。


「ずっと、終わらなければ良いのにね」


 今が幸せだと思えるから、こうして過ごせる2人が大好きだから、今だけは過ぎ去っていく時間が無性に寂しい。

 終わりに向かいつつある祭りの喧騒も、咲いては散っていく花火の残滓も、そのまま止まってしまえばいいとさえ思える。実際にそうなってしまえば何が起こるか、それを分かっていてもなお、今という瞬間が零れ落ちていく感覚に足がすくんで仕方がない。

 でもね、と呟いたハナの横顔に、アヤカは人知れず滲んだ視界を向けていた。


「こういうのはさ、終わるから良いんだよ。アヤもそう思わない?」

「分かっているわ、分かっているけど、でも……っ」

「だからさ、また来よう・・・・・ね。皆で! 来年も、その次も!」


 その言葉を聞いた瞬間、アヤカはハッと気づかされていた。

 明日も明後日も、そして来年も、きっと当たり前にやって来る。もう命のやり取りをしなくとも、朝が来れば明日という時を迎えられる。

 ハナは言外にそう告げている気がして、アヤカは目立たぬように浴衣の裾で目元を拭っていた。


 ――――そっか、私たち、来年もまた来れるんだわ。


 アヤカは未だ張り詰めていた心を自覚すると、それを解き放つように深呼吸してみる。

 吸って、吐いて、身体の隅々にまで晩夏の温い夜気を行き渡らせる。やっと何の気兼ねも無く帰って来られた故郷。その温い空気を満たした胸は一杯になって、口にしようとした言葉は詰まった喉から出て来ようとしなかった。

 代わりに手を握り、握り返される。きっとそれだけで伝わる想いがある。

 ああ、会えて良かった。この花火の下で、この皆に。


「あたしも賛成―! って、なんだろ、あれ?」


 地上から噴き上がる噴水のような光跡に逆らうように、何かが空から尾を引いて落ちて来る。

 真っ黒に塗りつぶされた背景を彩る花火に混じって、まるで火の粉のように瞬く光点が現れては消えていく。我が目を疑う3人は、更に増えていく光点に背を凍らせていた。


「う、そ……」


 もはや10や20どころの話では無い。

 流星という言葉も知らぬ彼女たちが見上げる夜空には、一面に100を超える光点が撒き散らされていた。

 その一つ一つが家屋にも等しい氷塊であると気付いた時には、もはや逃げることも防ぐことも叶わない。島のあちらこちらで、霰と呼ぶには巨大に過ぎる氷塊が轟音を轟かせていった。


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