ep7/36「違うわ、あれはハドマなんかじゃない!」
1つの超高層ビルが、雲の上から自由落下する。
そう表現できるほどの破滅的なスケールで、蛾と化したリリウスは地上へと降下し続ける。
目指すは一点、悠々と闊歩するハドマの群れの前方だ。凍り付いた大地を踏み締める鬼たちを見据え、リリウスはその3つ眼から燐光を溢れさせていた。
人類の天敵たる古代兵器を前に、やるべき事など決まっている。
「今度は
「頼んだわ!」
アヤカの視界の端で、スッと意識を失ったハナの影がシートへと倒れ込む。ハナをカラフルに飾り立てるピンクの炎は、スッと後を曳いて、静かに闇の中へ溶け去っていた。
途端にリリウスの動きは滑らかになり、アヤカの全身には柔らかな熱が宿る。
『アヤ! どうしよっか、このまま飛んであの山を越えようか?』
「その必要はないわ。邪魔なら、吹き飛ばした方が早いもの……!」
連なる山脈へと狙いを絞ったカメラアイは、まるで3つの巨大なガラス球のよう。人間よりも大きなガラス球は一気に熱を溜め込み始め、虫の羽音にも似た音調でジジジと震え出す。
そして、透き通った奥底から蒼白い光が滲み出たかと思うと、次の瞬間には光の奔流が溢れ出していた。
「
鮮烈な発光。暴れ、噴き出すような光から、ピンと張った絹糸のような光へ。
瞬く間に絞り込まれたγ線の光跡は、吸い込まれるように山肌へと着弾。その地層深くに至るまでの岩盤を、一瞬にして赤熱するバターへと変えていた。
まるで誰も着弾に気付いていないかのような、束の間の静けさが辺りを覆う。
その間にもボコボコと真っ赤に膨れていく山肌、絶叫寸前で沸騰する大気。遅れてやって来た大爆発が、止まった時を引き裂いた。
一拍おいてから炸裂した溶岩の量たるや、山一つが丸ごと溶岩へと変わったようなもの。直径数kmに亘って吹き飛ばされた山脈には、大都市一つを飲み込んで余りあるほどのクレーターが口を開けていた。
マジカルレーザーで一瞬にして融解した山脈は抉られ、盛大な爆発を引き起こして降り注ぐのは溶岩の豪雨。赤い線を曳く雨が、2人の眼下に広がる灼熱のすり鉢へとなだれ込んでいく。
『い、いくらなんでも派手過ぎない、かな……?』
「そんな事無いわよ。最初に驚かせた方が勝ちなんだって、私はそう教わったもの」
『脅かすっていう
「そんな事よりもハナ、あの穴から向こうに飛び出すわよ!」
『わ、分かったよ、すぐにやるからぁ!』
落下する数千、数万もの火山弾が次々に大地へ突き刺さっていく中、リリウスは地上へパワーダイブを敢行していた。
急激な圧力降下で発生した雲がリリウスを包み込み、突如として現れた白い雲の只中に数百万トンクラスの質量が包み込まれる。余熱で燻る岩石の豪雨をすり抜けるように、全幅1km近い弩級の蛾は地上を目指す。
落下に次ぐ落下、徐々にペースを速める衝撃波の乱打。
数秒後、音さえも引き離して落下するリリウスは、地面に辿り着いていた。
ほとんど減速も無いままの着地に、リリウスすらも包み込むほどのキノコ雲が立ち上がる。天災が呼びこまれたに等しい光景は、もはや大規模な火山噴火のそれだ。衝撃波と熱波の嵐は遅れて大地を舐めていき、ハドマたちにリリウスの着地を知らしめていた。
茶色く濁った視界の中に、ゆらりと首をもたげたリリウスの姿が浮かび上がる。
「ふぅ……着地、成功ね。足は平気かしら?」
『ちょっとジンジンするけど、大丈夫だいじょーぶ!』
リリウスが見つめる先にそびえ立つのは、氷槍を携えた10体もの鬼。一気に警戒態勢となった敵の一群は、脚を止めてこちらをじっと観察している。
寒地獄の名を冠する鬼は、その名の通り氷の甲冑に身を包んでいた。その魔氷に触れたが最後、あらゆるものは氷に閉ざされてしまう。今この瞬間、クリスタルガラスさながらに割れていく空気でさえも、例外では無い。
「
『一気に数を減らすってことだよね。なら、あれでしょ!』
ゆらりと立ち上がる蜃気楼、それすらも突き抜けて天を衝くリリウスの偉容。パキパキリ、と灼熱の肌を落着させながら立ち上がっていくリリウスは、既にサナギの殻で眠っていた時の姿では無い。
三つ眼が怪しく煌めいた途端に、全身から紫の炎が噴き上がる。
リリウスはもはや炭のような外見ではなく、鬼火で燃え盛る蛾と化している。そして、節くれだった指でハドマを射抜くように、異形の人型は長い腕を振り上げた。
『さて、やっちゃおうか!』
リリウスが動きを見せると同時、ハドマたちもまた力を解き放とうとしていた。
ハドマの周囲で瞬く間に冷気が強まったかと思うと、永久氷晶が周囲を侵食していく。ガラスさながらに割れていく大気を貫いて、地面からは瞬く間に巨大な氷晶が突き出していった。みるみる内に成長を始めた氷晶は、ハドマの周囲を囲むビル群となってそびえ立つ。
数秒後、余波で造り出された氷のビル街を背に、ハドマたちは一斉に走り始めていた。
数千トンにも及ぶ氷の槍を手にズン、ズン、と近寄って来る数体の鬼。先頭の一体が引き摺って来る氷槍は、大地に深々と跡を刻み、触れた傍から凍らせていく。
一方、リリウスは迎撃態勢をとって腕を構える。
燻る炎は渦を巻く火焔となって、発射の時を待っていた。そして、アヤカとハナの叫びが重なるや否や、その水爆にも匹敵する熱量は堰を切ったように炸裂した。
『
掃討開始。
次の瞬間、リリウスは強烈な逆光に飲まれかける。その腕先から噴き出し始めた炎は、見る者の視界を埋め尽くすほどの白光で大気を貫いていた。
超音速で伸びていく炎の鞭は、先頭のハドマを丸ごと飲み込むほどのスケールと化す。それはまるで、紫炎で形作られた大河のような暴流。秒速2700m以上、マッハ8近い暴風と化した炎はハドマの巨躯すら揺るがし、その理不尽な熱量で瞬く間に骸骨と変えていく。
どんな高熱でも融かされないはずの永久氷晶が、
「まだまだ、これで終わりじゃないわっ! ハナ、そのまま薙ぎ払って!」
『りょーかいっ!』
大地すら抉ってのたうち回るは、全長10kmを優に超えるガスバーナー。リリウスは片足を踏み抜かんばかりに大地へ食い込ませると、グググ、と軋む巨躯を無理矢理に捻じ曲げて行った。
左から右へ、華奢な脚で反動を支えるリリウスを起点にして炎の鞭がしなる。腕から噴き出し続ける炎の暴流は、横薙ぎに地平を横断し始めていた。
炎の鞭がしなる先に控えるのは、無論後続のハドマに他ならない。
槍を手に迫っていた二体目のハドマもまた、無慈悲な炎の鞭に絡め取られて行く。否、二体目だけではない。リリウスが全身で鞭を振るうにつれ、灼熱に炙られた骸骨は数を増していく。
「これ以上は地面が保たない……! 噴射、終了ッ!」
角度にして20度、およそ10秒間の火炎放射を終えた後には、大地は地平線に至るまで赤熱する溶岩海へと変えられていた。
ようやく掃討を終えたリリウスは数千℃もの余熱に燻り、シューシューと雄叫びのように透明な大気を焼いていく。骸骨のようなフレームを残して蒸発させられたハドマ達は、灼熱の中でほぼ同時に膝を屈していた。
目の前の一帯を煉獄と変えたリリウスは、今まさに、鬼よりも地獄の主に相応しい姿で大地に君臨している。
しかし、ハドマは未だ6体が健在。まるで怒れるように眼光を放ったハドマたちは、足元の溶岩を氷で覆いながら次々と近付いて来る。
超重量に蹂躙された大地は震え、鬼の一歩で地盤を砕かれる度に悲鳴を上げていった。滅茶苦茶なリズムで打ち鳴らされる衝撃波に晒されながら、リリウスもまた脚を踏み出していく。
「しばらくフル出力の掃射は無理そうね。ハナ、次は接近戦でいくわ!」
地面そのものを打楽器として、交互に重なり合う地鳴りのリズム。
数百万tもの質量を二足歩行に託す巨人たちは、数秒おきに振り出す足で全力疾走をしているところだった。二歩、三歩と、氷と焔の巨人が近付くにつれ衝撃波の度合いは増していく。
『ねぇ、アヤ!』
「なに!」
『これ、いちいち叫ぶ必要ってあるのかなぁ?!』
接触まで、あと1km。
拳が届く至近にまで迫った頃には、ハドマとリリウスはそれぞれに腕を振り絞っていた。ハドマが構える槍は振りかぶられる寸前でビリビリと震え、リリウスの腕もまた紫の炎を纏って轟々と唸り出す。
激突の予感が、辺り一帯の空気を沸騰させていた。
「もちろんよ! 2人で動かしているんだから、言わないと分からないじゃない!」
『じゃあ……ただのぉ、パァァアアンチ!!』
何のことは無い、ただ
超音速の砲弾と化した拳が流星となり、鮮烈に燃え盛る残光を引いてハドマへと叩き付けられる。
ハドマの胸部を狙って放たれた一撃は、しかし、ハドマが振るう氷槍に弾かれてしまっていた。鼓膜を破りかねないほどの衝撃波が足元の溶岩を吹き飛ばしていったかと思うと、2体の巨人は互いに反動でよろめいていた。
ぐらり、数百万tにも達する超重量物体が揺らぎ始める。
「まずいわ、このままじゃ……ハナ!」
『大丈夫。今度はっ! 転ばないんだからぁあッ!』
なんとしても転ぶ訳にはいかない、相手に隙は見せられない。衝突の余波で跳ね上がった溶岩を浴びながらも、リリウスは両脚で踏ん張っていた。
そしてグッと握り込んだ拳には、グローブか小手のように纏わりつく超高温の紫炎。ものの3秒ほどで体勢を安定させたリリウスは、既にハドマの懐へと飛び込んでいる。氷に覆われたがら空きの腹部目掛けて、第二撃となる拳が叩き込まれた。
超音速でタンカーを叩き付けたような質量攻撃に、ハドマもたまらず仰け反る。永久氷晶で出来た装甲が瞬く間に融かされてしまえば、もはや拳の直撃を耐えられる道理など無い。
機械仕掛けの内蔵が蹂躙し尽くされた直後、ハドマの背からは炎を纏う拳が突き出していた。腹部に大穴を開けられた鬼は力尽き、その串刺しにされた身体をリリウスに預ける形となる。
「まだ周りからハドマが来るわ! まずは後ろ、気を付けて!」
『それなら丁度いいや! ……せーのっ!』
リリウスの華奢な腕が、たった今力尽きたばかりのハドマを抱え込む。数百万tに達する超重量を支える腕は不気味に軋むが、アヤカはそれにも構わず操縦桿を押し込んでいた。
ふわり。ハドマの脚が地上から離れたかと思うと、もはや動かない身体が宙を舞う。
無様に放り投げられた死骸は抵抗もせずに宙を飛び、そして背後から近付いて来た別のハドマへと向かっていた。
一閃。死骸を投げ付けられたハドマは、無感情にも氷槍を振るう。仲間であるはずの死骸を切り捨てると、その無機質な眼はリリウスへと殺意を向けていた。
しかし、時既に遅し。
異様に華奢な片腕を振りかぶるリリウスは、既にハドマの間合いへと飛び込んでいた。
「そのまま! 踏み込んでっ!」
『ただのぉ!、ラリアットォオオ!』
リリウスが真っ直ぐ伸ばした右腕には、揺らめく炎が纏わりついている。
今や拳だけでは無い、長大な刃と化した腕はそれ自体がバーナートーチのようなもの。超高熱の
一瞬の交錯。真横を踏み抜けた直後に、刎ね飛ばされたばかりの首が飛ぶ。
しかし、6体目の鬼を討ち取ってもなお、リリウスの動きは止まらない。駆け出した勢いを殺すことなく、その脚は更なる炎を帯びて唸り出す。
「ハナ!」
『分かってる! 次ぃ、ローキックゥッ!』
リリウスは真横へ向けて体勢を捻ると、タンカーを振り子としたような勢いで片脚を振り上げて行った。それだけで超音速に達した脚部は炎を纏い、やはり超高温の切断刃となって大気を裂いていく。
その切れ味鋭いリリウスの脚部が捉えたのは、すぐ横につけていたハドマの脚部だった。低い位置から刈り取るように叩き付けられた脚は、ハドマの片脚へと食い込むと、一瞬の抵抗の後にあっさりと切断し切っていた。
片脚を振り切ったリリウスの眼前には、バランスを崩し行くハドマの姿。彼方へと吹き飛んでいく片脚を背景に、支えを失った身体が目の前で自由落下を始める。
しかし、数秒もすれば地を揺るがすはずだった落着は――――起こらない。
突如として大気を砕き割るような音が轟いたかと思うと、落下していたはずのハドマは力なく押し留められていた。
『これで、何体目だっけ……!』
「7体目よ、なんとか半分は片付けたわ」
下からすくい上げるように振るわれたリリウスの拳が、ハドマの胸に突き刺さっている。その拳が紫炎を噴き上げる度、骸骨と化した残骸はドロドロと融け落ちて行く。
――――どろり。
高温に耐え切れなかったハドマの死骸は、リリウスの拳から抜けるようにこぼれ落ちていた。
それとほぼ同時刻。蹴りで斬り飛ばしたハドマの脚は彼方の山へと落着し、刎ね飛ばした首はリリウスの足元で盛大にクレーターを抉じ開ける。
鬼の首は冷え固まろうとしていた表面を叩き割り、溶岩の中へずぶずぶと沈み込んでいった。
討伐数7。残るハドマは、もはや残り3体に過ぎない。
『アヤ。残りの敵、こっちを警戒して近付いて来ないみたい』
「そうね、私たちが仕掛けない限りは動かないつもりかしら。でも……ただ勝つだけでは足りないのよ」
退く選択肢など無いと知っていればこそ、アヤカが操縦桿に乗せる手には勝手に力がこもる。殲滅か失敗か、この作戦にそれ以外の結果は有り得ないのだから。
「本隊と合流される前に、ハドマの斥候を討伐する。それが今回のミッションよ。もしここで逃してしまえば……次はきっと、進路上の島が狙われる」
『じゃあ、やっぱり、残りも倒さなきゃいけないっていうこと?』
「そう、斥候は全部。あの3体も含めて、全て殲滅しないと意味がないわ」
2人の身体には、既に相当の負担がのしかかっていた。
本来、人の身には有り得ない感覚共有が発生し、更には
――――まるで、一睡もしないで3日くらい過ごしているみたいね。
それでも、あともうひと踏ん張り。
初陣の疲れに悲鳴を上げる身体を押して、アヤカは声を上げていた。
「だから残りも……このままならいけるわ!」
『あはは……結構きっついね。でも、それならがんばろっ!』
2人の操作に応えるリリウスは、残るハドマへ向けて足を踏み出す。
不可解な光景が展開され始めたのは、ちょうどその時だった。
ハドマたちが一気に警戒の色を薄めかと思うと、あろうことか一斉にリリウスから視線を外したのだ。まるで殺意や敵意の類を喪失したかのような鬼たちは、静かに身をかがめ始めている。
『なにあれ……ハドマが座ろうとしてる?』
「膝をついている、みたいに見えるけど。まさか戦う気が無いとでも言うの……?」
何が起こっているかは分からない。しかし、ハドマの不可解な行動を前に、アヤカは胸が不安にざわつくのを抑えられなかった。
不審に歩みを止めたリリウスは、それぞれの場所で膝をついたハドマたちを見渡す。不穏な予感を抱きながら捉える視界には、リリウス自身が巻き起こした積乱雲に覆われる空が広がっていた。時折、地鳴りのような雷鳴を轟かせる曇り空は、今にも泣き出しそうな気配だ。
『あれ、なんか雲が――――』
ハナが気付いた途端に、今度は明確な異変が起こり始めていた。
雲が、割れていく。
分厚い黒雲を貫き、煮えたぎる大地へと差し込んで来る一条の光。まるで地獄へ垂らされた蜘蛛の糸のように伸びて来たそれは、上空で渦巻き始めた下降気流を呼び込んでいた。
その光景を目にするアヤカの脳裏を、ゾッとするような確信が走り抜けていった。
「なにか、何か大きなものが
分厚い積乱雲を貫いて、まずは脚が飛び出した。次に脚先から腰、そして頭部へと、光輪を背に浮かび上がる身体は徐々に全貌を表していく。
頭からは一対のツノが屹立し、鉄仮面さながらの顔無き顔面には赤い眼光が宿る。
その大きさ、その偉容。ソレはこれまでのハドマとは、明らかに一線を画していた。
「うそ……」
二振りの刀を構える鬼は、下々の鬼に出迎えられて地上へと降臨する。
そう、それはまさしく
その偉容を目の当たりにしたアヤカは、微かに震える指先を止められない。
「……こんなところに、居るはずが無いのに」
半ば無意識の内にこぼれ出た声もまた、僅かに震えていた。その生々しい畏れに掠れる声こそが、なにより確かな恐怖となってハナの動揺を誘う。
『アヤ、このハドマは何なの?!』
「違うわ、あれはハドマなんかじゃない……」
『じゃあ、一体何なの!』
悲鳴と化す寸前で踏み止まった問いかけが、アヤカの脳裏に木霊する。
こんなこと有り得ない、その想いが現実から目を逸らさせようとする。しかし、それでも乾き切った口から絞り出す答えは、当のアヤカにとっても受け入れ難いものだった。
「あれは……統合司令個体、
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