第一次島外決戦編
ep6/36「マジカル、リンケージ!」
「えっと、えーっと、着替えでしょ? 水でしょ? 食べ物でしょ――――」
がさごそと大きな荷物の中身を再確認していたハナは、よし!と声を上げた。それを見守るアヤカもまた、登山隊もかくやという大きさのリュックサックを背負い込んでいる。
白い月光に照らされる、真夜中の学園。2人は放射線状に伸びる影を背に、修学旅行前さながらの格好で屋上に佇んでいた。
「オッケー! 忘れ物は無いと思うよ。さっき家で作ったカレーも、ちゃんと冷蔵庫に入れて来たし!」
「冷蔵庫なら丸2日くらいは保ってくれるかしら。もう明日の学校は休むことになっているしね、私も大丈夫」
そして、2人は大き過ぎるリュックを背負いながら、揃ってサナギの方へと向き直る。
初歩行訓練から2日目の夜。今晩こそは、彼女らにとって他ならぬ初陣の日だった。
「でも、これからハドマの斥候を叩きに行くって、そんなこと私たちに出来るのかなぁ?」
「それでも、今やらなきゃならないのよ。その為の遠征だわ」
「そっか、そうだよね……リリウスに乗ろっか!」
「ええ」
――――
夜景が音もなく歪む。そして、コンマ数秒後には転移完了。
足元からリリウスの胎動を感じられるようになれば、ようやく初出撃への実感も湧いて来るというもの。早速、コックピットシートに収まった2人は、自らを鼓舞するように声を張り上げた。
「リリウス!
壁面に蠢く古代文字は、金色の輝きを帯びて独りでに組み変わっていく。壁面モニター越しに沸騰する冷却水は、徐々に水位を下げつつあった。
リリウスを収めるサナギは、ダム放水さながらの勢いで轟々と排水を行っている最中だ。排水の地鳴りと共にぱっくりと割れていく天井からは、月だけが存在を主張する夜空が現れようとしていた。
「あっ、忘れ物」
「え」
出撃準備が進められていく中で、ハナはふと声を上げていた。もう時間がない事を知るアヤカは、手元の増設コンソールパネルに指を走らせ続ける。
「えぇ……、そろそろ出撃なのよ、ハナも座っていないと」
出撃シークエンスの秒読み開始まで、あと1分と少し。しかし、そんな彼女をよそに、ハナはそそくさとシートから立ち上がっていた。
「大丈夫大丈夫。じゃあ行ってくるねー!」
「ハナ、ちょっ――――」
「ただいまー!」
「おかえり、なさい……?」
いきなり消えたかと思えば、数秒越しの再出現。ハナを止めようとした手は空中を漂い、行き場を失った言葉は無理矢理飲み込まれる。
「随分と早かったわね」
「うん、ちょっとそこら辺の自販機を探していただけだから。はい、これ甘いの!」
ハナが差し出して来た手には、缶コーヒーが握られている。MAXIMUMコーヒー、それはアヤカが知る限り最も甘いコーヒーだ。
夜通しの長距離移動を前に、ハナの心遣いこそがアヤカの心をほぐしていった。
「ありがとうね、後で頂くわ」
「いえいえ。そろそろ行こっ、アヤ!」
「ええ!」
改めて操縦桿を握り込んだ途端、2人の全身は赤と青の炎に包まれる。ハスの花びらのように身体を飾り立てる炎は、二人が同時に操縦桿を押し込んだ勢いでひらりと揺れた。
どこか冷たい月光を浴びながら、リリウスは内に湛えた超高熱で透明に揺らめく。蒼白い燐光を帯びたリリウスは、今、開き切ったサナギから足を踏み出そうとしていた。
軍艦を縦に3つも並べたような巨躯は、その不釣り合いなまでに細い脚で地を踏み締める。20歩も進んだ頃には、その遥かなる巨躯は山並みを抜けていた。
「そろそろ海に出るわ!」
『はやーい!』
たった20歩ほどで山並みを超えれば、陽炎を纏うリリウスの足先は海面へ。
次に踏み締める場所を探っていた足先は、ボコボコと爆発的な水蒸気を発しながら一気に海底まで突き入れられた。一歩、二歩と、水深50m以上の浅海を貫くリリウスの脚は、海底の砂地を数百万tもの圧で踏み固めていく。
マジカルレーダーに視界を委ねたアヤカには、その潰され合う砂の一粒一粒が顕微鏡を通して見えるようだった。
しかし、はっきり見えるのは手元ばかりでは無い。背後で遠ざかっていく島の街明かりもまた、望遠鏡を覗くようにはっきり見えている。
人の身では有り得ない視界。超感覚への違和感は、アヤカの脳裏を掠めもしない。
「そろそろ、島から20kmくらいにはなったかしら」
『もうだいぶ離れたね』
脳裏で応えるハナは、既にリリウスを操る為の眠りに就いていた。
月を映す真っ暗なキャンバス、リリウスは歩く灯台のような風貌で夜海を割る。およそ10秒おきに片脚が踏み出される度、高波の砕ける音が海面を舐めていった。
「あれ……ねむ……ぃ?」
アヤカはふと、ぐらりと視界が揺らいだような気がした。意識が霞む、眠い。見えない手で抑え付けられているかのように、重い瞼を開けていられなくなる。
「おかし……あれ、勝手に交代するなんて、どうして……」
片方のパイロットが眠りに就いていれば、もう片方は起きていられる。自分の立てた予想が合っていた事を知りつつも、アヤカはそれが勝手に切り替えられてしまうことに驚いていた。
誰の意思によって? 恐らくは、
しかし、寝ぼけ眼のアヤカはもはやそれ以上考えられず、ふらふらと眠りに就いてしまう。瞼が完全に落ち切る寸前、視界にはむくりと起き上がるハナの横顔が映り込んでいた。
次に視界が開けた時には、どこか現実味の抜けた倦怠感が全身を包んでいた。直前まで何を考えていたのかも、よく思い出せない。
――――私、寝てしまったのかしら?
すっかり感覚のぼやけた身体に走る違和感が、神経をざわつかせる。どこか不穏な予感に導かれるまま、アヤカは自分の手を見下ろしていた。
驚いた拍子にぴくりと動いてしまえば、それはもう自分の指だと認めざるを得ない。
――――なによ……これ!
違う、私の身体は違う。こんなの指じゃない。
肺は嫌悪感に縮み、強烈な違和感が脳裏を埋め尽くしていく。
しかし、パニックに飲まれる寸前、彼女の全身をふっと温もりが包み込んでいた。その慣れ親しんだ熱に包まれれば、アヤカの全身も一気に解放された心地になる。
「アヤ、大丈夫だよ。落ち着いて」
まるで自分の身体の内から、染みわたるように広がっていくその声。
ようやく落ち着きを取り戻したアヤカは、今の自分が何者なのかを正しく理解する。
――――今は
アヤカは自らと区別がつかない異形の手足に、グッと力を込めていた。
そして、背中に、二の腕に、指先に、まるで温かな手が添えられているような感覚が走る。温かなハナの手に導かれる手足の強張りは、まさしくリリウスの四肢が力を溜め込んでいる証だった。
『もう大丈夫よ、2人でリリウスを動かすってこういう事なのね。やっと分かったわ』
「良かったぁ、じゃあ改めて!」
『いきましょう!』
パキリ、剥がれた体表が真っ暗な海面へと零れ落ちて行く。そして次の瞬間、ハナの手に押し出されるように、
爆発。海面は、盛大な水柱を打ち上げていた。
鼓膜を破らんばかりの爆音、豪雨のごとく降り注ぎ始める海水。リリウスの踏み出した一歩が鏡のような海面を爆発させ、数百mに亘る手足が海面を掠めては、風圧で海が断ち切られる。
10秒おきに繰り出されていた歩行サイクルは、8秒、6秒と徐々に間隔を狭めていく。数百万tもの慣性を引き連れるリリウスは、人類史上類を見ないほどの巨大な砲弾と化していた。
その光景はまさに、一つの山が自分の意志で走り出したのにも等しい。
「ねぇアヤ!
『もちろんよ。その為に島から離れたんだもの』
リリウスは、ただ走る。
それだけで超音速に達した四肢が、地獄の鐘の音のように衝撃波を迸らせる。海面を叩き割る度に、人を飲み込まんばかりの津波を巻き起こす。
まるでスケールを間違えた飛び石のように、あるいは海面を跳ね暴れる砲弾のように、疾走するリリウスは次々に波紋を広げていった。
「でもさ、でもさ、リリウスって、本当にそんなこと出来るのぉ?!」
『記録にはそう書いてある……らしいわ!』
脚は2秒おきに振り出される、もはやその暴力的な質量はだれにも止められない。
轟音と共に闇夜を貫くのは、人魂のような残光。強烈な衝撃波を白い衣のように纏いながら、大きく前傾するリリウスはトップスピードに達しようとしていた。
その破滅的な運動エネルギーに恐怖してか、ハナは極めて常識的な悲鳴を上げる。
「やっぱり、こんなのが
『今さら止まれないわよ! ハナっ!』
「私、飛んだことなんて無いのにぃ!」
『そんなの……私だってそうに決まっているじゃない!』
「もうどうにもなっちゃええぇッ!!」
リリウスがおもむろに広げた両腕、その全幅は実に1km。爆発的に低下した圧力で発生した雲は、リリウスの両腕を羽毛のように真っ白に包み込む。
そして、その前腕がずるりと骨を飛び出させたかと思うと、大海のように揺らめく翅はゆっくりと展開されていった。
風にはためていた翅が伸び切った途端、パァンと砲声のような破裂音が轟き渡る。
冷えた海風を受け止める翅は、まさしくリリウスが飛び立つ為の翼。一度の羽ばたきで海面に暴風を巻き起こしながら、リリウスの足先は一気に海面から引き揚げられていった。
数百万tに達する超重量物が、ふわりと風を捕える。
全長800m近い蛾と化したリリウスは、今まさに、海面から飛び立っていた。
「飛んでる!? リリウスが本当に飛んじゃってるよ!」
『ふぅ……ハナがあそこまで慌てるなんて、私まで焦っちゃったじゃない。もしかして高い所は苦手?』
「ううん、ほら、内臓がふわっとするのが駄目なの。ぞわぞわーってしちゃって」
大きく羽ばたけば、火の粉を撒き散らす巨体は一気に上空へ。
雲を押し退けて浮き上がっていく巨躯は、透明な夜空をちらちらと汚していく。月光を背に受けて広げる影は、海面を数km四方にわたって黒く染め上げていた。
空を飛んでいく分には、いちいち地震を引き起こす必要も無い。地上を歩くよりかは気楽に進んで行けると分かれば、多少、気の抜けた空気が二人を包み込む。
およそ1分に1回、思い出しように羽ばたく翅は、肌寒い夜の大気を叩いていく。
「……んんっ」
「あれ? アヤ、もしかして起きてる?」
「起きて、る……?」
青みがかった金髪をかき上げながら、アヤカはうつらうつらとした様子で上半身を起こす。
声がする方を振り返ってみれば、そこには炎のミニドレスに身を包むハナの姿。おはよーと呑気に手を振っている様子が、視界に飛び込んで来る。
可愛い。否、そんな場合では無い。アヤカの全身からはサッと血の気が引いて行った。
「リリウス……リリウスは大丈夫なの!?」
「え? なにって、普通に飛んでるよ?」
「あ、本当ね。私もハナもリリウスと一体化していないのに……」
アヤカは、コックピット内をぐるりと見渡してみる。
今は金色の古代文字も輝きを潜め、夜景を映すモニターだけが光をもたらしている。ゆったりと羽ばたくリリウスの動きに合わせ、コックピット全体が穏やかに脈打っているようだった。
「もしかすると、稼働率が低い時には
「こんな時まで……そんなに難しいこと考えなくたっていいよ、アヤ。今はせっかく起きてるんだし、ね」
果てしなく続くのは、ただひたすらに黒い海と暗い空。しかし、その境目たる地平線は、うっすらと輝く弓なりの白線で区切られようとしていた。
朝を告げる光が、夜は一つでいられた海と空を強引に引き裂いて行く。
「綺麗……」
「私、日の出を見たのなんて久し振りだわ」
「アヤは朝弱いからねー。でも、島の外で見る景色ってこんなに、凄いんだ……」
リリウスが海上を飛翔するにつれ、地平線は白み始める。日の出だった。
生まれて初めて目の当たりにする朝景色を前に、しばし言葉は失われる。
そしてどちらともなく、缶コーヒーをカコンッと空ける二人。嵐の前の静けさに浸りながら、アヤカとハナは揃って甘いコーヒーをすすっていた。
真っ暗な海面が広がっていた眼下にも、ちらほらと岩礁が見えるようになる。
リリウスは既に1つの海を越え、海を挟んだ向こうの大陸に辿り着こうとしていた。遥か下に見下ろす景色は、高度を下げるにつれて徐々に鮮明さを増していく。
朝焼けに照らされてか、景色にはキラキラと輝く光点が混ざり込んでいた。
ハナは初めて見る島外の景色に、無邪気な興奮を隠せないでいる。
「見て見て! きらきらしているのって何だろう?」
「……違うわ、ハナ!」
しかし、その景色の意味に気付いた途端、アヤカは人知れず息を呑んでいた。遅れること数秒、ハナもまたハッと口元を抑える。
「これって!」
眼下に広がる景色は、その全てが透明無垢な
冷や汗が伝う2人の背中は、画面越しにさえ感じられる冷気に凍らされる。あまりにも美しい滅びの光景。疑う余地など無い。こんな真似が出来るのは、この世界でたった一つしか有り得ない。
「まさかこれ、全部、ハドマがやっていったの……?」
「これが永久氷晶……リリウス以外には融かせない
永遠の冬に閉ざされた外界の実態。眼下の景色は、どれもこれも既に永久氷晶で凍り付いている。
アヤカにとってこれまで歴史でしかなかった知識は、目の前の現実として具現化しつつあった。景色は告げている。既にこの地球は、国家体制を崩壊させてしまった終わりの星なのだと。
「ハドマが世界を凍らせたって、こういう意味だったのね……」
100年前にハドマに蹂躙された人類は、どのようにして滅んだのか。
その答えを目の当たりにしたアヤカは、無意識の内に操縦桿を握り締めていた。
「絶対に、皆の島をこんな風にはしたくない……させないわ」
「アヤ」
「分かっているわ、とうとう来たわね」
表情を引き締めたアヤカが見据えるのは、遥か前方の歪な地平線。
そびえ立つ4000m級の山々を透かして、
アヤカの脳裏には、山脈の向こうにおよそ10体もの巨人が――――否、鬼の群れが捉えられていた。
「ハナ、敵は10体よ。準備は良いかしら」
「いいよ、いつでも。アヤとなら大丈夫……!」
高鳴る心臓、縮まる肺は、偽らざる恐怖を素直に認めている。しかし、
明日、帰る場所を守る為なら、今は戦士にだってなれると信じて。
「いくわよ、ハナ!」
「いくよ、アヤ!」
2人が操縦桿を押し込んだ途端、コックピット内は金色の輝きに満たされる。そして翅を大きく羽ばたかせたリリウスは、火の粉を散らす蛾となって
古代文字を刻まれた三つ眼に光が宿った途端、その全身は怪しげな炎に包まれていた。
――――燃え盛る紫焔の蛾人、リリウス。
古代の記録に伝えられる異形の熾天使は、ようやく本来の姿を取り戻そうとしていた。
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