ep12/36「もう、退かないんだからっ!」
百鬼夜行。ハドマの一大軍勢が闊歩する大地は、今日も幾重にも重なった足音によって揺るがされていた。
一世紀に亘って巡り続けている周回ルートは、機械仕掛けの鬼たちに仕組まれた
百鬼夜行を率いるのは、一際強い冷気を纏う鬼の首領〈マカハドマ〉。
王に率いられる
終わりなき行進を続けるハドマたちの頭上で、きらりと何かが煌めいた。
上空を見上げる個体もいれば、
起爆。
長らく陽射しを忘れていた冬空に、直径100km近い
――――300Mt級戦略核弾頭。
衛星軌道上から降り注いだ遺物は、間違いなく予定通りに作動していた。大地は衝撃波面に沿って捲れ上がり、鬼の軍勢をも飲み込む閃光が景色を白く染め上げる。
いずれ地球全土を駆け巡っていくはずの衝撃波が過ぎ去ったのち、大地にはクレーターが残されていた。熱く煮えたぎるクレーターの底では、核爆発に殴り付けられたハドマたちが足を止めていた。ただ、それだけだった。
立ち上がり始めたキノコ雲は、そのスケールから考えれば極めて速い成長速度でぐんぐんと背を伸ばしていく。
ちょうどその頭に隠れるように、対流圏ギリギリの高空では赤黒い蛾が羽音を轟かせる。盛大な狼煙を打ち上げた大地を見下ろして、弩級の蛾はボゥっと紫の炎を纏い始めていた。
「起爆確認。ミッションタイム、クリアーっ!」
『さすがに数が多いわ……まずは予定通りに爆撃からね』
火の粉を振りまく偉容は、爆撃機さながらに悠々と上空を支配している。
地上を見下ろすリリウスの翅からは、ぼとりぼとりと粘着質な炎が零れ落ちていった。三つ眼から迸るレーザーが氷塊を叩き落し、ハドマたちに頭上に降り注いだ炎が大地を沸騰させる。
核爆発に炙られたばかりの大地へ向けて、一方的な焼夷爆撃が始まっていた。
「うーん、マカハドマはどこかなっと……」
リリウスの胎内では、2人の少女たちがマカハドマを求めて目を凝らす。直後、タカさながらに研ぎ澄まされた視界は、目標を苦も無く捉えていた。
「あっ! いた、マカハドマも!」
『予定通りね。それなら、周りは一気に薙ぎ払うわ!
一国を焼き払うほどの爆撃を続けても、ハドマの数はほぼ減っていないに等しい。上空から見れば米粒にもならないほどのマカハドマを目指し、リリウスは舵を切る。
意を決したハナが操縦桿を押し込むと、ぐらりと傾いだリリウスは金切り声を上げる大気を裂いて地上に落下し始めていた。
数百万tもの大質量物体の落下、加速は止まらない。翅と化した両腕に炎を纏えば、リリウスそのものが全幅1kmにも亘る
雲を抜け、火煙を抜け、蛾は一直線に曇り切った地上へ。
落着寸前、超低空で機首を起こしたリリウスは、自らをギロチンそのものとして次々にハドマを切り裂いて行った。
次々に撥ね飛ばされて行く首、四肢。一気に宙に舞いあげられた鬼の残骸は、一つ一つがビルに匹敵するスケールの霰と化して地上に突き刺さっていく。鬼たちが埋め尽くしていた地上は、一筋の炎と化したリリウスによって穿たれていた。
高熱の切断刃と化したリリウスは、地表を這うように突き進む。
欲するのは首級、ただそれのみ。
雑魚には目もくれずに突き進んでいけば、遠からず首領に出会える。蛾の姿に似合わない超音速飛行を続けるリリウスは、瞬く間に百鬼夜行の只中へと斬り込んでいた。
その直後だった。唐突に開けた視界の向こうに、鬼の王が遂に姿を現す。
――――いた!
刹那、リリウスと鬼の視線が交錯する。
片方のツノを折られた屈辱を思い出してか、リリウスを認めた途端、マカハドマは手にした刀を恐るべき速さで抜き放っていた。一方、超低空飛行で突撃するリリウスは、マカハドマの首を刎ねる為に翅を構える。
太刀と
刃渡り数百mにも達する刃が交錯した途端、両者は一太刀目を交わし終えていた。マカハドマにもリリウスにも、斬り飛ばさんとした首をもたらさないままに。
『着地するわよっ!』
「相対速度気を付けて! 転ばないでね!」
轟音と共に立ち上がる土柱を背景に、リリウスはグラインダーと化して流れていく地面に脚を触れさせる。
巨体を揺るがす衝撃、荒っぽい着地が大地に深々と溝を刻み始める。大地に突き刺した両脚が10kmにも亘って地盤を引き裂いていくと、高々と上がる土煙の中でようやくリリウスは停止していた。
未だ地鳴りが止まない大地を踏み締め、翅を折りたたんで歪な人型へと戻っていくリリウス。その三つ眼は冷気で白く霞んだ地平を見据え、地平で蠢く山のような影一つ一つがハドマなのだと正確に理解していた。
右に敵、左にも敵。それは敵陣の只中に飛び込んだということに他ならない。
群がり始めたハドマはおよそ100。滅茶苦茶に打ち鳴らされる衝撃波の全てが足音なのだと思えば、気が遠くなるほどの質量の暴力がリリウスに襲い掛かろうとしているのだった。
迫り来るハドマたちを見据え、リリウスは背負っていた鉄柱に手をかける。
計10本、一つ一つが200t近い超重量兵装は、まさしくツルハシと呼ぶべき代物。ブゥンと大気を裂き、うち2振りがリリウスの両手に握られる。
しかし、その瞬間、
一瞬の殺意、迫る死の気配。もはや思考する間もなく振り上げられた腕は、手にしたツルハシの一振りを超音速で投げ放っていた。
そして一拍遅れて追いついた思考が、アヤカとハナに状況を理解させる。
これでこそ、マカハドマから一瞬たりとも
氷塊と鉄塊が着弾、空中で隕石同士がぶつかったにも等しい衝撃が大地を吹き飛ばすも、高々と巻き上げられた土煙の中でリリウスは無傷だった。その巨躯には薄い紫炎が絡みつき、たった今逸らし切ったばかりの氷塊でシューシューと燻っている。
徹甲矢弾と炎の壁、リリウスはその2つで必殺の氷塊を迎撃してみせていた。
「前みたいにはいかないんだから……っ!」
『ギリギリ間に合ったわね』
衝撃が収まった頃合いに、マカハドマはひときわ重い一歩を大地へ刻み込んでいた。
一歩、二歩と、鬼の王自らがリリウスの元へと近づいて来る。もはや周囲のハドマは立ち入ることを許されない。超常の決闘の邪魔にならぬよう遠ざけられた鬼たちは、今やコロッセオに集う傍観者でしか無かった。
否、ハドマたちは今や、コロッセオを形作る壁そのものになろうとしていた。何者にも邪魔させず、何者をも逃がさず、炎と氷の巨人を閉じ込めた檻は氷壁によって閉ざされる。
閃光。周囲360度を囲う氷壁を、一筋の閃光が照らし出した。
マカハドマとリリウス。両者を1本の光が結んだかと思うと、次の瞬間には大きく穿たれた氷壁の向こうで高々とキノコ雲が上がっていた。
ぎらりと煌めくリリウスの眼、ボゥっと揺らめき立つマカハドマの眼。互いへの殺意さえ感じさせるほどの視線は、つい今しがた人の目では捉え切れないほどの攻防が交錯した証。
コンマ数秒にも満たない間に交わされた砲撃と迎撃は、10秒近くかかってようやく一歩を踏み出す巨人たちの神速の早業に他ならない。
次々に交錯する光芒は、雷の如く地上を走って行く。
2射目の迎撃――――成功。彼方の山が抉り飛ばされた。
3射目の迎撃――――辛うじて成功。リリウスの足元が吹き飛んだ。
それは突き進んで来るライフル弾を、手にした拳銃で撃ち落とすにも等しい所行。リリウスによって拡張された
しかし、心は生身と変わらぬ恐怖を叫び続ける。
アヤカは、リリウスの体表にあるはずもない汗腺から、ドッと汗が噴き出すような錯覚さえ覚えていた。辛うじて立っている今は、全身に添えられたハナの手の感触だけが支え。
次はいつ、この身体が撃ち抜かれるか分からない。
「アヤ!」
一瞬でも反応が遅れてしまえば、氷塊は防げない。
「アヤ……!」
オーバーヒートを始めた心臓は、空打ちを始めたかのように不規則な鼓動を刻み出す。
息が苦しい、視界が霞む。リリウスに意識接続してなお断ち切れない生身の身体は、シートに収まりながらも限界を訴えようとしていた。そして溺れかけていた意識が沈み込む寸前、耳に飛び込んで来る声があった。
ハナの声にさえ気づかなかったアヤカは、しかしふっと耳を撫でて行った言葉で正気に返る。
「わたしは離さないから、大丈夫だから」
その一言で。たった一言で、
『……離さないでね!』
たとえ一人では砕けそうな勇気も、二人ならば脚を駆動させるだけの確かな力になる。
だから前へ、前へ。
『もう、退かないんだからっ!』
高熱に燻る前腕から、ずるりと2本の骨が飛び出していく。指の代わりにツルハシをつがえ、炎に揺らめく大弓はマカハドマへと向けられた。
威力を抑えた一撃は、それでも大質量とリリウスの炎で以て永久氷晶を砕き散らす必殺の一撃に他ならない。光をも歪めて、莫大な斥力を束ね始めた大弓は、今や遅しとその破裂寸前の運動エネルギーに弦をわなわなと震わせている。
そして、鉄塊が炎を纏って撃ち放たれた。
「
大弓がしなり、遅れて強烈な衝撃波を引き連れながらツルハシが飛翔する。
数万℃にも達する超高温。断熱圧縮で一気に過熱された先端は、瞬く間に溶融した先端を鋭い矢じりと変えていた。空気抵抗で鉄よりも固い障壁と化した大気を押し退け、鉄塊は走る。自らを真っ赤に尖らせながら、射線に捉えたマカハドマ目掛けて一直線に突き進む。
着弾までは1秒とかからない。一瞬、爆発したかと見紛うほどの閃光を放って、隕石よりもなお速い矢じりはマカハドマの刀に直撃していた。
やはり、これでもマカハドマ本体には届かない。
膨大な運動エネルギーに弾き飛ばされた破片一つ一つが、人間を跡形もなく吹き飛ばすほどの数万の散弾と化して大地を抉る。
ただの質量弾では永久氷晶を貫くことは出来ずとも、炎を加えれば圧倒的な威力には違いない。しかし、マカハドマに逸らされた矢弾は流れ弾と化し、氷壁を大きく穿って行った。
離れていては決着がつかない。
そう悟ったように距離を詰めていく巨人たちは、猛烈な気流の乱れで荒れ始めた大気を元ともせずに歩み寄っていく。そして、遠からず訪れる激突を覚悟した途端に、炎と氷の超重量兵装は真正面からぶつかり合っていた。
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