ep34/36「これでやっと、あなたと向き合える!」
リリウスが空を飛べるなら、マカハドマに出来ない道理はない。
アヤカはコンソールパネルに指を走らせると、機体内部に組み込まれていた機械構造を組み替えていった。
マカハドマの脚が折り畳まれたかと思えば、胸部は胴体へと沈み始める。2本の刀は大顎じみた衝角へ、パキリと広がり始めた氷晶は触れれば割れてしまいそうな翅を形作っていった。
やがてジジジ、ジジジ、と蟲の羽音が響き出す。
そうしてマカハドマは数秒と経たない内に、全長1km近い氷細工の蜻蛉と化していた。首を刎ねられた蜻蛉の如き体躯、もはや悪夢としか思えないスケールの翅が震える度、徐々に高度は上がっていく。
恐るべき馬力で大気を打ち鳴らし、筋組織の如き結晶繊維が収縮。ぎりぎりと縮められていく四肢はやがて限界に達し、一気に解放された。
「飛んで!」
直後に海面を突き刺したのは、天へと伸びる光柱。
ほとんど垂直に飛び上がった蜻蛉は一瞬にして音速の壁を超え、超高熱に炙られながらも真っ直ぐに大気圏内を上昇していく。
情緒不安定な曇天を突き破れば、苛立ちの絶叫にも似た雷鳴が一帯に轟いた。宇宙の深淵すら見えるような、ゾッとするほどに晴れ上がった蒼穹には幾筋もの稲妻が走る。
装甲上に紫電を弾けさせながら、蜻蛉は羽ばたき続ける。
青黒い空の先に広がっているのは、数日前の死闘を物語るデブリの海だ。
地球軌道上に漂うハドマの残骸は、絶えぬ流星となって進路上の宇宙を横切っていた。無音で降り注ぐ流星の雨に逆らって、首無しの
――――これでも間に合わないっていうの!
音速の数十倍という超高速を発揮するリリウスに、蜻蛉と化したマカハドマは追いすがるしかない。
リリウスはまだ本気など出していない。
しかし、リリウスを止める為には、手加減などしていられない。
アヤカの身体を覆う
まるでこの瞬間にも、自分が氷の人形そのものへと作り替えられているかのよう、徐々に鬼へと馴染んでいく感覚に神経が侵される。
それでも、今はこの力に縋るしかないのだ。
「足だけでも、止めてみせる!」
1対の衝角を構える蜻蛉は、リリウスに向けて真っ直ぐに突撃していた。
加速。真っ赤な飛跡を残す蜻蛉は大気を切り裂き、その刀身をリリウスに向けて突き出す。しかし、隕石と隕石がぶつかろうとするにも等しい質量攻撃は、ほんの数十mの至近でかわされてしまっていた。
すぐさま蜻蛉が旋回し、飛竜もまた加速する。
迎撃のγ線レーザーがごく薄い大気を貫けば、2機が飛び回る空にはオーロラが漂い始める。そのまま遥か彼方へと伸びて行ったレーザーは、軌道上に漂うばかりの残骸を一瞬にして灼熱蒸気と変える。
天には流星。その下に揺蕩うオーロラの薄波を裂いて、蜻蛉と飛竜は互いの飛跡を絡め合っていた。
「……ぐっ!」
恐るべき戦闘機動によって押しひしがれる身体は、
かつて戦ったから分かる、鬼の力はこんなものではない。
単騎ではリリウスに及ばなかったマカハドマは一体何を武器としていたのか。それを思い出したアヤカは、モニター上に次々に浮かび上がっていく光点に視線を向ける。
「そうね、確かにそうだったわ……」
そもそも、ハドマとはマカハドマの制御端末に過ぎなかったのだ。
アヤカもまた、背に突き立てられた探査針を通じて流れ込んで来る膨大な情報に操られるがまま、複雑怪奇な制御システムに自らの操作を滑り込ませていく。
「リキッドプロセッサ起動、量子演算子トラップ構築開始、チャンバー内流体のBE凝縮を確認。量子通信再接続……
摩訶鉢特摩の体内に設けられた量子演算設備がフル稼働を始め、超低温で凝縮を始めた
鬼の眼に宿る光が一層強さを増していったその時、辺りの氷片もまたその輝きにぴくりと反応するかのように煌めく。
闇黒の宇宙へ消え去ろうとするリリウスを見据え、アヤカは叫んでいた。
「――――リリウスを、止めろ!」
地獄の王、臣下を侍らせていた鬼の首領が無音の命を下した。
真空だというのに、マカハドマの体表へと殺到し始めた氷片の数々が吹雪となって全身を覆い尽くす。
そしてパッと吹雪が晴れた途端に、既に砕かれたはずのハドマは無数の氷弾となってリリウスへと撃ち出され始めていた。
それこそが鬼の王たる摩訶鉢特摩の権能。
辺りは数千万とも知れない氷弾が吹き荒ぶ、
殺傷力を秘めた吹雪を前にすれば、リリウスとて手を打つしかない。
飛竜から阿修羅へと変形したリリウスは、マカハドマが操る吹雪に向けて即座に炎を噴き出していた。
氷と焔、地球軌道上を埋めていくのは2色のコントラスト。単機では敵わないリリウスに手を伸ばすべく、マカハドマは鬼の首領としての力を発揮していた。その手に握られているのは、永久氷晶を集めて造り出した巨砲の一門だ。
アヤカは網膜投影される
「照準固定、装填完了……
口径800mm以上、砲身長1km。
マカハドマの身体にも匹敵する巨砲が火を噴けば、3本のレールから成る開放型砲身からは超高速の氷柱が撃ち出される。
発射、発射、発射。
吹雪に追われるリリウスに向けて、容赦なく撃ち込まれ続ける氷柱の数々。それぞれが5階建てビルにも匹敵する弾体は瞬く間に真空を貫き、リリウスの四肢を撃ち抜いていく。
殺すつもりなどない、それでも――――
「……ごめんっ!」
アヤカは自らの行いに指を震わせながらも、拡大ウィンドウに映し出されたリリウスからは決して目を逸らさない。
着弾、画面内でリリウスの左足が飛ぶ。
着弾、画面内でリリウスの第二左腕が千切れる。
そして次なる氷柱を装填し終えた直後、彼女の右手はトリガーを押し込んでいた。しかし着弾を確認するよりも先に、吹き飛ばしたはずの四肢は既に揃い始めている。
――――なんて再生速度よ……!
照準補正、リリウスの背に向けて発射。しかしリリウスが差し向けたレーザーに薙ぎ払われ、氷弾は敢え無く粉砕される。
アヤカは赤く霞み始めた視界を振るい、強烈な頭痛に顔を歪ませた。
パイロットたるアヤカには莫大な情報が流れ込み続け、その激流のごとき情報が意識を砕こうとして来る。朦朧とする意識の中で彼女は次弾を放とうと構えた。
これではいつまでも経っても殺し切れない、と指が強張っていく。
「今度こそ――――」
今度こそ、何をしようというのか。
自分が口走った言葉に、ゾッとした。
「……っ!」
アヤカは考えるよりも先に、咄嗟にトリガーから指を引き剥がしていた。自分でも気づかない間に洗脳されていたという事実が、今さらに意識される。
自分はリリウスを殺す為に撃とうとしていたのか。そんな信じ難い想いが身体を走って行くと、恐れとも悔しさともつかない激情が湧いて来る。
戦う意味をすり替えられていた事にさえ、気付けなかった。
自分はリリウスを殺すために戦うのだ。
「――――違う」
リリウスを消し去るために戦うのだ。
「――――違うの!」
いつしかマカハドマの本能に呑まれていた自分を、アヤカは精一杯の力で殴り付ける。口内が切れて鉄くさい味が広がる、けれど、その味を忘れなければ自分が自分でいられる気がした。
たった1人で、彼方へと旅立とうとしているハナを止める為に。
今まで伝えられなかった想いを、この手で伝える為に。
その為にこそ、鬼に我が身を売り渡したのだ。
「私たちが何の為に出会ったのか……その答えを! 私は知りたいっ!」
誰にも邪魔はさせない、
アヤカは思い切り操縦桿を引くと、マカハドマの手に一振りの短刀を握らせていた。そして躊躇いも無しに振り下ろさせる。
マカハドマは己が刀で胸を貫き、自刃していた。
「はぁっ、はぁっ……」
耳障りな金属音だけが聴こえる静寂。鎮まり返ったコックピット内で、アヤカは前面モニターを突き破って来た鉄塊を見据えていた。
呼吸で胸を膨らませる度に、冷たい刃が肌に触れる。
賭けに使ったのは自らの命。あと数mm操縦桿を引きさえすればこの身体は両断される。何もかも本気だった、本気で自らを斬る覚悟だった。
「甘く見ないで。こんな事くらい、覚悟してる……っ!」
神経がすり切れそうな静寂の中、マカハドマはエラーを吐き出すと次々にシステムダウンを引き起こしていく。
自害する、という行為を理解出来なかったのだ。
追従機能と自己防衛機能とが互いに干渉し合い、自らの
――――もう二度と、こんな真似はさせない。
狂い行く鬼は、微かに痙攣じみた不正動作を始める。代わりに表層へと現れ始めたのは、マカハドマ本来の姿に他ならない。
骨だ。リリウスのそれを転用していた骨は超高熱で輝き出し、淡い青に透き通っていた装甲の組成を変えていく。徐々に光を取り戻し始めたコックピットの中で、アヤカは自分が命を賭した駆け引きに勝利したのだと悟りつつあった。
「上手く行った……?!」
反射スペクトルはほぼ反転し、これまで吸収していた波長をはねのけ始めた装甲は今や眩いばかりの黄金色を纏う。星無き空に燦然と輝く奇蹟、摩訶鉢特摩は己が身を蒸発させんばかりの光を放っている。
摩訶鉢特摩
鬼を脱した鬼が纏う無量光、金に象られた光背を背負った摩訶鉢特摩。
コックピットに突き刺さっていた刀を引き抜いて行けば、裂けた装甲からは宇宙空間が見通せるようになっていた。月を背景にして浮かぶリリウスに、
「これでやっと、あなたと向き合える!」
鬼に取り込まれながらも、鬼を殺した1人の乙女。アヤカは今まさに、リリウスに生身の姿をさらしていた。
マカハドマとリリウス、2機はしばし互いを睨んで向かい合う。
『……どうして、アヤがそこにいるの』
愕然とした呟きが漏れ出した直後、リリウスは遂に動きを止めていた。
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