40.Spreading roots

 騒動は収まり捕虜も最終的には解放され、あっという間に月日が流れた。それもこれも、毎日がひたすらに忙しかったがゆえに早く過ぎたように感じるのである。

 朝霧久也は集落の戦士たちと草原の上でたむろしていた。ンゲレカという名の中年男が手作りの太鼓を叩きつつ、よく響く声で輪の合唱をリードしている。カフェイン成分を含んだ赤紫色のコーラの実をぼりぼりと噛み砕きながら、久也も適当に周りに合わせて鼻唄を歌う。


(あー、へいわ)


 日常らしきものを取り戻すのは、思っていたよりもずっと簡単だった。

 問題やわだかまりが残らないわけではない。悩みが全部解決しなくても、人は明るく振る舞えるという話だ。それはそれ、これはこれ、と呑気に皆は笑う。細かく気を配っている自分が馬鹿らしくなってくるものだ。そこは土地柄のようなものかと半ば諦めてはいるが――「計画性」や「効率」という概念を何時になったら浸透させられるか、人々が飢え死ぬのが先か、久也は気がかりでならない。

 マクンヌトゥバ語も割と話せるようになっているが、抽象的で難解な話をできるようになるまではまだまだ遠い。


「しゅーかーく♪ しゅーかーくっ! キノコの~、収穫に~、行こうか~♪」


 合唱に不協和音が混じった。歌うように話す、なんて表現があるが、実際にメロディを組んで発言を載せているのは小早川拓真だ。五メートル先の土手道を、小柄な女性と並んで歩いている。それぞれ両手に枝編みの籠を抱えていた。


「なんなの、その変な歌」

「今考えた! 楽しみすぎて」

「はしゃぐのはいいけど、カゴ持ってる時にすっ転んだりしないでよね」

「しないってー。おれの運動神経知ってるっしょ」

「運動神経と間抜けは別問題よ」


 軽口を叩きながらも二人は過ぎ去ってゆく。どこまでも平和だ。


(仲良いな。これはもうアレだな)


 同性と遊ぶよりも異性と遊びたい時期なのだろう。実に微笑ましいことだ、と久也はあくまで他人事として考えていた。実際には拓真は恋愛相談をしたがる方なのでいつかは関わることになりそうだが、その時になるまでは放置するのが得策だろう。

 口の中のコーラの実がなくなると、久也は今度は胡坐をかいた膝の上の小皿に手を伸ばした。目的のモノを掴めたかどうかを指先の感覚だけで判断し、一個だけを口に放り込む。


「ヒサヤ!? お前は何を食っているんだ!?」


 背後から素っ頓狂な声がかけられた。

 唇の間から小さな緑色の棒状の物を覗かせて、久也は元・滝神の巫女姫サリエラートゥを振り返る。

 彼女は滝神の声が聴ける巫女のままだが、生贄システムを無事に廃止できて以降、極端に仕事おつとめが減った。そして本人の希望により集落の最高責任者としての役割も改められ、すっかりただのそこら辺の女子と大差ない生活を送っている。それはもう毎日楽しそうに。今までは周りが食べ物をやたら貢いできた所為で縁の無かった料理も、さっき通りがかったユマロンガに懇切丁寧に教えてもらっていると聞く。

 変革を経て唯一惜しいことがあるとすれば、神力による超回復だろう。神力のもととなる生贄がもう送られて来ないのだから、いつかは巫女の内包する神力も尽きて、洞窟だって中にいるだけで怪我が治る作用がなくなる。


(まあでも、望みがないわけじゃないよな。人間の内蔵に代わる何かを捧げるとか)


 そういうことはおいおい考えていけばいい。現在の久也は、生来の性格よりもいくらか能天気さが加わった状態にある。


「シェニシェニ。見ればわかるだろ」

「わかるが、お前がそんなものを……?」

「味は可も不可もなく、焼けたタンパクって感じだな。直視できないけど」


 目を逸らしながら昆虫を食べるというのはなかなかシュールな映像だろうな、と一人で面白くなった。シェニシェニとは、緑の身体にオレンジっぽい足をした芋虫のことだ。食用の芋虫に勝手に抱いていたジューシーなイメージと異なって、しなびた食感である。

 集落民の間では何気なく食べられている代物だが、自分がそれを口にするようになったのはごく最近だ。


「そうじゃなくて、お前がそんなものを食っているのが意外過ぎてだな。虫は気持ち悪くて食べたいとは思わない、とか前に言っていた気がするぞ」

「そりゃ最初の頃は何もかも過度に危険視してたからな。そろそろ少し気を緩めても良いと思って……ああ、流石にヤマアラシとか猿は食えないな」


 ちなみにそれらの動物の名が挙がったのは、周りの野郎どもがまさしく食べている最中だからである。


「もう好き嫌いなんてしていられない。生贄システムがなくなった以上、大地の実りが急に減ってもおかしくはない。まだ大量の生贄と藍谷英から得た名残があるけど、いつかは尽きる。それが今季なのかまだまだ先のことになるのかは、誰にもわからない」


 見直すべき点は多い。未来への展望と計画性を怠れば、いつ足元をすくわれるか知れないのだ。こういうところには能天気になれない。


「そこまで考えているのか。お前もすっかり根を張っているな。果てには嫁をもらって子供を作ったり、するのか?」

「そうだな。多分そうなる、つーか既に幾つか誘いが来てたりする」

「えええええ」


 サリエラートゥは周囲の合唱を止ませるほどの奇声をあげた。


「なんか文句あんのか」

「べ、別に文句は無いが」


 両手を振って否定する少女。


 ――この動揺っぷり、ちょっとつついてみたくなる――。


 しばらくして、戦士たちがまた歌を再開した。後ろに背を傾けながら、負けじと声を張り上げる。


「嫁か。立候補するってんなら、優先的に考えてやってもいいぜ」

「な!? 何でそんなことを言うんだ」

「何でって、立候補して欲しいからに決まってんだろ」


 答えてから「我ながらキモい発言だ」と反省し、沈黙した。


「そ、そうなのか。私は……誰かの嫁になるなど、考えたことも無かったが……」


 憎むべきはセクシーな濃い肌色、これでは彼女が顔を赤くしたとしてもなかなかわかりづらい。が、挙動不審な感じからは何かが伝わった。


(ほほーう。これは、脈アリかナシかはさておき、イイ反応だ)


 なんていうか、からかいたい衝動をそそられる。

 瞬間、相当に邪悪な笑い方をした自覚はあったが、幸いと伸ばしっぱなしの前髪が表情をほとんど隠してくれたようだ。


(元お姫さまは、色恋沙汰に関しては押しに弱い一面がおありのようで)


 真下から仰ぎ見るようにして笑う。


「なんだ。パトゥは、可愛いとこもあるな」

「んなっ――! その呼び名、誰に聞いた!?」

「さあ、誰だろうな? 幼い頃は自分の名前が言えなくて、『パトゥ』と縮めて一人称にしていたなんて話はな」

「忘れろ! 今すぐに!」

「それは本音か? 実は呼んで欲しいんじゃないのか」

「欲しく! ない!」

「うお」


 なんとそこでお姫さまは首を絞めにかかってきた。下品に笑う者、子を見守るような温かい目をする者、と周りの戦士たちは各自ユカイな表情をしてこちらの応酬に注目している。いや、応酬と言っても一方的なもので、久也は一切抗わずに首を絞められながらガクガクと揺さぶられた。


 ――己を取り巻く時間が更に緩やかに流れるようになる未来は、そう遠くないのかもしれない。


 そんな予感がしていた。





 同日、夜の帷が下りた頃。

 かつては地球のアジア大陸の日本国から世界の境界線を越えてやって来た青年たちは、自ら補強を重ねた自宅の屋根の上にシーツと枕を持参して寝転がっていた。天気が良いので屋外に居たいけど、地面に近いと蛇が通るかもしれないため、屋根である。そしてもはや当初の質素な藁の屋根は面影もなく、それは丈夫な木材をふんだんに使った、大の男二人分の体重を支えられるレベルにまで上がっていた。


「燃えてるな」

「燃えてるねー」


 ここからだと、家庭ゴミを燃やす儀式が台地のあちこちで執り行われているのがよく見下ろせる。宵闇に赤い線があちこちで伸びる光景は、なんとも奇妙であった。電灯に照らされる街並みがどんなものであったのか、思い出せなくなりそうになる。

 二人はこの世界に到着した初日でいきなり家を建てることになり、屋内で横になれたのだから、英を震え上がらせたこの妖しげな炎を目にせずに済んだのだ。今になって思えばやはり幸運だったのだろう。

 明日にでもまた墓参りに行こう――そんな気分にさせる。


「ねー、繋がりを絶つ前に手紙は送れたけど、なんで、時間の流れが違うんだろ。結局わからずじまいだったね」

「さあな。所詮異世界は異世界ってことだ。何でもかんでも解明すりゃいいってもんでもないな。理解が及ばないからこそ浪漫を感じる」


 解明されなかったことは他にもあるが、彼らは敢えて考えないようにしている。


「よりによって久也がそんなこと言うなんて、だいぶ感化されてるなぁ」

「変わって変えて互いに影響し合うのが、ふれあいだろ」

「へへ、その内みんなみたいにもっと色んなことがどうでもよくなるかもね。蚊とか」

「それはない。蚊は永久に警戒対象だ。ウェストナイルウィルスも日本脳炎も、異世界だからって似たような何かが存在しないとは限らないからな」


 当然、対策は万全に整えられていた。家の中も周りも例の蚊取り樹皮を焚いた煙を漂わせている。


「まあ、それは置いといて。屋根の上って意外と涼しいねー。今日こっちの方が眠れるかな」

「いいかもな。明日は肉の保存方法の検討に塩沼の調査、明後日は南の部族との会合がある」


 それだけではない。小児ポリオと思しき病で歩けなくなった人たちの為の腕で動かせる自転車の開発、英が自ら植物を調べ上げて登録していた検索表の解読など、およそ自分たちの知識量では手に余るような案件も数多く抱え込んでいる。どれも現地人の知恵や力を借りながら、急がずに進めている。


「やることてんこもりだ。一杯寝なきゃね」

「ああ、星とか眺めてる場合じゃないぜ」

「めっちゃキレイなのになー、お星さま。そんじゃ、お休み久也」

「お休み。また明日」


 その挨拶を交わした後、穏やかな空気がまどろみを誘った。虫と蛙の大合唱も、隣人の話し声も、今では耳に慣れた心地良いノイズだ。

 瞼が勝手に下りてくるまで、二人はしばらく無言で星の煌めきを見つめた。元々星座を網羅していたわけではないが、故郷とは星の並びが違うということだけはなんとなくわかる。


 星の輝きが増すほどに、意識が霧に包まれて遠のいた。

 なんてことのない、滝神タキガミさまの御座おわくにで過ごした、それは長い人生の内のほんの一夜の場景だった。











(了)

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