B. Development
08.浮ついた話と手がかりと
「あの時は相当笑える顔したよな、お前」
「だってー、自分の所為で女の子が死ぬ以上に絶望的なことなんて想像できないよ」
「そりゃあそうだな」
「強いて言うなら……夜中に一人、便所の穴を囲う板に足を滑らせて、自力で登れないような深い穴に落ちることかな。朝までは助け呼ぶこともできないから、一晩中底で耐えるしかないってゆー」
「超が付くほど絶望的な状況だな。しかも昔そんな実話聞いたことあるから性質が悪い」
「大丈夫、この集落の便所って人が通れるような大きさの穴じゃないよ。あ、でも子供なら落ちるかも。やー、くっさいよねー、キモいよねー、絶対。何が棲んでるんだろ、虫? 蛇? 鼠?」
「そんな発狂しても仕方がない目に遭っても同じように明るく笑い飛ばせるといいな」
早朝、まだ太陽が地平から昇り切らない頃。河辺で住民の作業を手伝いながら、朝霧久也と小早川拓真は数日前の宴のことで軽口をたたいていた。
さて何の作業かというと、二人は蝙蝠を捕る網を張り直す手伝いをしていた。電柱のように長いポールを二本立て、その間に網を張る仕組みだ。大抵の蝙蝠は夜行性で視力が弱く、夜間飛行中にこういう薄い網に引っかかりやすいらしい。朝になれば網を外し、引っかかった個体を籠に生け捕りにしてから、また網を張り直す。
久也と拓真は元居た日本では大学生だったとしても異世界に来てからは無職の居候である。ただ飯を食べさせてもらおうと考えるような神経の持ち主ではないので、進んで労働に参加している。たとえ自分たちが決して口にしない食材を捕る為の罠だとしても、手伝うのである。
本来ならば顔にマスクを取り付けた上で軍手もはめて挑みたい作業だが、いちいち気にしていたらノイローゼになりかねないので、諦めた。暴れる蝙蝠を籠に放り込む係を手伝わされていないだけでも感謝するしかない。
(人間が環境に順応するのは、苦悩を抱えて生きるよりも、気楽に生きたいからかもしれないな)
――なんてことを久也は考え始めている。
危険を回避する為の警戒心も必要だが、それとパラノイアは別物である。あと何か月もすればすっかり原住民たちと同じ目線で物事を見れるのだろうか?
「でもさぁ。大抵の苦しみは時間が経てば笑い話になるけど、大切な人が居ない苦しみは褪せはしても消えたりしないよね」
拓真のふとした一言で、瞬きの間に
「……そうだな」
去り行く父が最後に見せた表情だ。歳を重ねるごとにその記憶は怒りとやるせなさと共に呼び起こされるようになったが、あの日は寂しさ以上に怖かった。慣れ親しんだ家庭が知らないナニカに変化していくのが不安で、どうすればいいのかわからなかった――。
今更思い出してどうなる記憶でもないので、久也は張り直し終えた網を立てる作業に集中した。一端のポールを手に持ち、網がピンと張るまで拓真から離れ、程良い距離に立ってからそれぞれポールを土に刺し込んだ。
離れた位置で同じことをしているまとめ役の男性に向けて手を振り、頼まれていた分を張り終えたことを知らせる。
「って、大切な人って、お前まさか巫女姫に惚れたのか」
ノルマを達成した二人は朝食を求めに台地へと続く道を歩み出した。朝食の後はサリエラートゥと、アで始まる名前の戦士三兄弟と沼沢林に行く予定である。
「う~ん? 惚れ? たのかはわかんないや。好きだし話してると楽しいよ。見た目はまあ、どストライクですケド」
「そーいやお前は活発系女子が好みだったな。中学の時は近所を毎日走ってたお姉さん、高校の頃は水泳やってた先輩とか同じクラスのバレー部員と付き合ったっけ」
「懐かしいねえ。そうだったねぇ」
「その割には、何故か藍谷サンとは幼馴染止まりだったな」
そう指摘してやると、拓真は「ないない」と手をひらひら振った。
「香ちゃん? ヤメテヨー。家族ぐるみの付き合いだから家族みたいなもんだし。大体、小学生の頃は取っ組み合いの喧嘩とかしまくったんだよね。活発は活発でも可愛い顔して凶暴だったなぁ、香ちゃん」
あっちは「好きな子ほど苛めたく」なってただけな気もするが、久也はそれ以上は突っ込まないでおいた。
藍谷香は百点中九十点以上の美女であると同時にやや攻撃的な性格の持ち主で、一対一では関わりたくない相手だった。それゆえ知り合った年月は長いのに社交辞令以上の言葉を交わした回数は数える程しかない。あまり知った風に語る権利は無いだろう。
「ていうか、巫女姫だって凶暴だぜ」
久也は無意識に左胸に指先を触れた。神力の威力で治りは早くても、結局傷跡が残っている。
「サリーのあの、しっかりしてて強いのに時々見せる可愛さがグッと来るんだよ」
「…………なるほど?」
拓真の言う可愛さが何なのか心当たりの無い久也は、簡単な相槌を打った。
「そういうのは惚れてるって言わないのか」
「どうだろー。言うのかなあ」
拓真はへらへら笑って先を歩き出した。
目前に迫る台地にはあちこちで人々が起き始めている気配がある。
平和な話題に呼応するように、のどかな風景を暖風が吹き抜けた。
歩を進めながら、思考が別の路線を走る。
(現地の言葉を覚える以外にこれからどうすればいいのか……。手がかりは例の男か――)
*
「遠出は範囲に気を付けろ。お前たちが滝神さまの息のかかった領域を出たら、ことによっては、私が死ぬかもしれん」
「そう言うからには根拠は何だ? 前例があるのか」
宴の席で滝神の巫女姫サリエラートゥにそう告げられてから数十秒後、久也は質問を声に出した。
「前例は二十年前に現れた生きた界渡りだ。あの男が集落を脱走した後、当時の巫女姫が急死したと聞く」
「脱走って!? サリー、それじゃあその人まだ生きてるの!?」
驚愕に拓真が声を荒げた。近くに立つ戦士の三兄弟が吃驚して後退る。
「わからん。奴があの後どうなったのかは
「男が生きていると仮定して、居場所の見当は付かないのか」
「難しいな。前にも言った通り、この集落は孤立している。比較的距離の近い他の村とは折が悪く、唯一友好関係を築いている南の部族は一月以上もの移動時間が無ければ到達できない。たとえ奴がどこかで生きているとしても、情報を得るのは容易ではないぞ」
「そうは言っても詳しく調べる価値大有りだな」
「私も同感だ――が、今宵ばかりはもうそういう話はこのくらいにしよう」
サリエラートゥが席に深く腰をかけ、コップを手に取った。
水瓶を持った女性がいつの間にか傍に現れ、コップに乳白色の液体を注ぐ。巫女姫のコップが一杯になると次はこちらに来た。
「パームワインいかがです?」
前に食事を差し入れてくれた女性、ユマロンガが可愛らしい声で訊ねる。大きな黒目と目が合った。
「要らない」
久也は頭を振って断った。パームの樹液を発酵させて作ったこのパームワインとやら、味は甘酸っぱくて炭酸飲料みたいにちょっと泡が出るのは良いのだが、どうにも胃との相性はあまり芳しくないのである。病み上がりな消化器官に無理をさせたくない。
「飲む飲むー! 一番濃いヤツ!」
そこで拓真が自分のコップを差し出して言った。
「これは、二番目に濃いの。一番は、――――。あっちで、――――――」
ユマロンガは目を伏せて急にたどたどしい話し方になった。
逃げ出さない辺りは進歩したのだろう。それでもピンポイントによそよそしい態度に、拓真が不満そうに口を尖らせた。
「久也とは普通に話すのに何でおれとは目も合わせてくれないの?」
内緒話のように日本語で会話をする。
「お前は誰が相手でも気付かないな」
「ん? どゆこと」
「なんでもない。どこの世界に行こうと変わらないものもあるんだな」
久也は頬杖ついて、鈍感な友人を横目に一人にやっと笑った。
*
そんなエピソードもあったのだが、そのユマロンガが今また、何かの食べ物を差し入れに来ていた。
支度を終えて集落からいざ出かけようって時に駆け寄ってきたのである。
「マボケ。と、ンビカ!」
どういう心境の変化か、彼女は今度は食べ物が詰め込まれた籠を敢えて拓真の前に差し出している。普段着の半そでワンピースと手ぬぐいを身に着け、腕にはところどころ何かの粉がついている。いかにも厨房――正確にはこのクニの人間は屋外で料理をしているのが多いが――からやってきたばかり、な印象である。
「え? マボケ美味しいよね、って何コレ?」
混乱の所為か拓真の反応が日本語になっている。
マボケとは魚をバナナの葉に包んで蒸す料理で、ンビカはやはりバナナの葉に包まれた、瓜の種を砕いて肉などと調理したペースト状の食べ物である。どちらも食べる時までは包んだままにできるので携帯するには最適である。
ちなみにンビカの発音は「ム」或いは「m」を短く発音した「ン」なのだが、日本人にはそれを表記する術がない。
「くれるらしいな」
と、久也は一言答えた。傍に控えているアレバロロ、アッカンモディ、アァリージャはこちらの言葉を理解していないはずだが、空気を読んで頷いている。
「彼女なら『お弁当、外に出るって聞いたから』と言っているぞ」
巫女姫が横から助け舟を出した。
「えー!? ありがとう!」
ぱあっと顔を輝かせて拓真が籠を取って腕にかけた。そしてユマロンガの両手を取って上下に振る。
持っている語彙を総動員し、「大切に食べるよ」みたいなことを伝えようと苦戦している。
うまく伝わらないのか、ユマロンガは困ったような声色で返答をしている。あーでもないこーでもない、と二人がジェスチャーを交えた応酬を繰り出した。やはり久也には内容がほぼ聞き取れないが。
「巫女姫。それで俺らはどっちへ向かうんだ」
サリエラートゥの背中に呼びかけると、赤銅色の肩が小さく震えた。
「…………北だが」
「? どうかしたか」
振り返った美女の顔からはいつもの覇気が遠のいていたように見えた。眉毛と瞼が下がり、何かを残念がっている様子だ。
(何だ、今の一瞬で何か地雷踏んだのか)
考えうる候補の数はそう多くない。
「呼び方か?」
「――っ」
僅かに反応があったので、向こうが続きを言い出すまで大人しく待つ。
「……民は習慣で私を姫と呼ぶが、お前たちがそれに倣って呼ぶことはないから……。タクマはサリーって呼ぶのに、ヒサヤはいつまでも『巫女姫』で、寂しいというか……」
いつになく頼りない話し方である。
「つまり名前で呼んで欲しいんだな」
「まあ……そうだ」
「へえ」
よく思い返してみれば、拓真がサリーって呼ぶ度にちょっと嬉しそうな顔をしていたかもしれない。
――そういうことは遠慮なく早めに言えばいいのに。
「わかった。今後はそうするよ」
「我侭言って済まないな、ありがとう」
そう言ってサリエラートゥが少しだけはにかんだ。
(なるほど、可愛いな)
久也は再び前を向いた彼女の背中を眺めつつ納得していた。
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