14.目指せAllenopithecus

 雨季とは文字通り、雨ばかりが降る季節を意味する。常夏の地域には春夏秋冬の四季が無く、あるのは乾季と雨季だけだ。

 この世界での雨季はモンスーンが頻発するわけでもなく、ただひたすらに毎日雨が降るのである。止んでは降り、止んだかと思えばまた降る。そして一度降り出すと、砂だった土地が粘土のようにガッチリ固まって尚続く。

 民家が台地の上に密集している理由が、今なら納得できる。土や木の根が吸収しきれない水は当然、高い所から低い所へと流れ落ちるのだ。


(久也、洞窟の中で一人で大丈夫かな。心細かったり……するワケないか)


 己が建てた家の中で拓真は雨漏れしそうな箇所を見張っていた。雨季に入ってからはいつものことである。そしていつものことのように帰ってきていない親友を心配するのだが、杞憂に終わるのはわかっている。むしろ洞窟の中は集落の中で一番濡れずに済む場所のように思えた。


「なーんか暇ー」


 拓真は床の上でごろんと寝転がった。

 地球に居た頃は雨や嵐によって停電が起きても、よほど長い間それが続かない限りは時間を過ごす方法に困らなかった。

 その点、何日も洞窟に引き篭もれる久也はある意味ツワモノだ。自分なんて、一つの作業にそれだけ集中を持続できやしない。


「電子機器に二度と触れないのって、考えてみればすごいことだよなぁ」


 異世界にはバラエティ番組もニュースもアニメも映画もネットも無い。それどころか雑誌も新聞も無いし、


「漫画ぁあああああ」


 ――も、小説も、現代人の慣れ親しんだ娯楽が何一つ無いのである。続きが気になって来月号まで生きていけそうにないくらいはまっていたシリーズだってあったのに、「結末は妄想にお任せします」状態である。


(せめてトランプがあれば皆に広めて遊べるのに。しりとりみたいな言葉遊びとか流行らせようか)


 集落の子供たちが屋内で遊べるゲームといえばマンカラ風のボードゲームがある。それも長時間やっていると飽きる。

 屋内に篭もっていない時間はまだ良かった。三兄弟との稽古に励んだり、果実の採集について行ったり、時々狩りにもついて行ったり。ストーリーテラーの婆さんが語る童話を子供たちと一緒に聞いたり。仕立て屋の家族に落花生のつまみとパーム酒を差し入れて、仕事中の兄ちゃんと長々駄弁ってみたり。

 授業や勉強やバイトやサークル(時に合コン)に明け暮れていた日々と違ってのんびりとした過ごし方ではあるが、毎晩充実した気分で眠りにつける。

 しかしどうにも、物語の主人公に比べて暇が有り余っている気がする。自分たちは魔王を倒すやらどこぞの王女の結婚相手を探すやらドラゴンを育てるやらと言った大きな目的を果たす為に異世界に生きているのではない。目的があるとすればそれは元の世界に帰ることだけであり、突き詰めてみればその目的は自分たちの為にしかならない。この世界の為に自分たちが貢献できる「何か」にならない。


(貢献……元の世界……あ、ダメだ、頭痛くなってきたー。おれ久也みたいな合理的な考え方向いてないし、はあ)


 外の雨が五枚重ねの藁の屋根を豪快に叩いていてうるさい。擬音語に直すなら、ドダダダダドドドド、を延々繰り返した感じだ。元の世界なら雨が屋根を叩く音は眠りに誘う子守唄ララバイなのに、この世界では目を冴えさせる遁走曲フーガだ。

 寝返りを打ち続ける拓真の耳が、ふいに不協和音を拾った。


「――が落ちて――――」

「姫さま、どうすれば――」

「――――――誰か助け――」


 パニックに彩られた複数の声。拓真は瞬時に跳ね起きた。

 雨に打たれるのも気にせずに家を飛び出て、人が集まっている場所へ走った。


「どうしたの!」


 その呼びかけに最初に振り返ったのは巫女姫サリエラートゥだった。濡れた髪が卵型の美顔にところ構わずくっついている。


「タクマか! 水辺で遊んでいた子供が――」

「河に流されたの!?」


 ――子供の管理ぐらいちゃんとしようよ! と、叫びたいのを我慢した。


「いや、違う。以前からあった池が、連日の雨で膨れ上がっていたのだ。子供たちはそれを面白がっていたのだが、深さに気付かなかった」

「サリー、その池っておれもたまに猛暑日に遊んでたでっかい水溜り?」

「ああ」


 ――って、そもそもこんな豪雨の日に子供を外に出しちゃダメじゃん!

 なんて今は咎めても時間の無駄だ。


「誰か浮き輪……じゃない、何か浮くものない!?」


 拓真は集まっている人の群れをざっと見回した。


「我が家に余った薄い版が」


 男性が一人、手を挙げて提案した。


「じゃあ早く持ってきて! それと縄もね!」


 拓真は池に向かって走り出した。場所はそう遠くないので、ものの数分で着いた。

 池の中心にはバシャバシャと水しぶきを立てて暴れる八歳ぐらいの少年、そして周りには彼の友人と思しき子供たちとその他野次馬が居た。

 すぐに拓真は疑問を抱いた。


(何であれだけ大人が居て誰も助けようとしないの!?)


 誰一人として水の中に踏み入ろうとすらしていないのは、何やら信じられない。


「あ、アレバロロを呼べ!」


 と喚いている人も居る。この状況で呑気に別の人間を呼んでる余裕なんて――


「無いんだよ!」


 拓真はサンダルを脱ぎ捨てて水に入った。飛び込むほどの深さは無いだろうと想定しての判断だ。案の定、最初の数メートルは足が底についた。

 やがて底がなくなり、拓真はクロールで中心まで進んだ。

 溺れる人間を実際に助けた経験は無かった。ライフガードの訓練といえば、大昔に水泳の授業でクラスメートを助ける練習をしたことがある程度である。


(下手すると自分も引きずられるから、今しなきゃならないことは――)


 状況の整理。それ以前に、対象を落ち着かせること。


「大丈夫! 大丈夫だから、こっち見て!」

「わああわあああああ」


 少年はパニックのあまりに聴こえない。雨の滴が乱暴に水面を叩いている。


「落ち着けって!」

「うわあああ! マミワタだ、マミワタだあああ」

「落ち着けってば! 大丈夫だよ!」


 人喰い人魚マミワタの話は拓真もストーリーテラーの婆さんに聞いたことがある。それは日本で言えば海やプールの幽霊みたいなもので、実際に姿が見えなくても足が引っ張られたと感じれば人魚の所為だ、と人々は言う。

 足に草でも絡まりついたのだろうか。


「ちょっと、黙って! 暴れるの止めなかったら殴って気絶させるよ!」


 どうやらこの言葉は聴こえたらしい。少年はむやみに手足を動かすのを止めて、一瞬だけこちらをじっと見た。


白人バムンデレ――」


 少年の開いた口に水が入った。黒い双眸にまたパニックが走る。


「ストップ! 頼むから動かないで。今おれが行くから!」

「うううう」


 沈みかける少年の細い肩をがしっと右腕で掴んだ。そして期待を込めて岸の方を向いた。

 ちょうど木の板と縄を持った男がオロオロと巫女姫と拓真たちを見比べている。

 拓真は腹に力を込めて叫んだ。


「板に縄を結びつけて! そしたらそっちが縄を持ったまま、板をこっちに投げて!」


 巫女姫が誰よりも早く、指示に応じた。

 しかも投擲の腕も良かった。流石、サリー姫さま。非常時も頼りになる。

 バシャ! と板は拓真の目と鼻の先に落下した。


「君、あれに届きそう?」


 少年に訊ねると、怯えながらも彼は首肯した。


「抱きついてみて! そんで絶対放さないで!」


 細い腕がおそるおそる伸びる。震える指先で板に触れ、引き寄せる。

 少しの間を置いてから、彼は板に思いっきり両腕でしがみついた。ちゃんと掴めているのを確認して、拓真は少年から手を放した。

 肺に息を溜め込んでから素早く潜った。少年の足に絡み付いた水草を見つけ出しては千切り、再び水面から顔を出す。


「もう引き上げていいよ、サリー!」


 彼女は周りの男の手を借りて縄を引いた。

 少年が岸に両足をつけるまでは安心できないが、とりあえずは救出劇は成功したようだ。後は自分も泳いで戻るだけ。

 家族や友人たちに囲まれた問題の少年から少し離れて、拓真は濡れたシャツを脱いだ。もはや着ている意味が全く無いからだ。それにしてもこれだけ濡れているのに大して寒くないのが不思議だ。


「すごいぞ! そなた泳げるとはすごいな!」


 誰かに背中を叩かれ、拓真はたたらを踏んだ。咄嗟に振り返った。

 何か今、聞き捨てならない台詞を聞いたような気がした。


「……はいぃ? 待って。ちょっと、マジで、待って」


 そうだ、先刻感じたあの信じられない想いの正体はそれだ。


「ちょ……河の隣に住んでるのに、っていうか滝の神様を崇めてるのに、泳げないの? 誰も!?」

「水の中には人喰い人魚が棲んでいる。入るわけにはいかんだろう。ゆえに誰も泳ぎ方など知らない」


 巫女姫が腕を組んで言った。


「いやだってサリー、最初に会った時は水浴びしてたじゃん!」

「あれは……滝神さまの近くなら人魚は出ないからだ。浅いし、そう見えたかもしれないが、私は泳いではいない」

「まさかとは思うけど、さっき誰かがバローを呼べって言ってたのは、別にあの人が泳げるからじゃなくて……?」

「違うぞ。アレバロロは最も身長が高いから、底に足がつくのではないかと思ったんだろう。大抵誰かが溺れそうになると呼ばれる」

「うっそぉおおお!」


 拓真は頭を抱えて仰け反った。理解の範疇を超えた考え方だ。

 まだだ、まだ諦めてはいけない。一呼吸してから、再び巫女姫と目を合わせた。


「だ、だってさ、いくら水の中に入らない原則だからって今日みたいな事故はありうるわけじゃん! 雨季だからあちこち氾濫したり洪水に遭うだろうし。足を滑らせる人とか、洪水で家が潰れちゃった時とか、どうすんの!?」


 んー、とサリエラートゥが顎に人差し指を当てる。


「滝神さまに祈るしかないな。まあ年に何度かあることだし、仕方ない。運が尽きたということだ」

「そうデスカー……」


 落胆し、拓真は濡れた泥っぽい地面に両手両膝をついた。

 ちょっとかっこよく言えばヴィルヘルム・レームブルック作「くずおれる男」と同じポーズだ。つまり「orz」の形である。

 水泳講座でも始めれば、自分がこの世界にできる貢献への第一歩となるかもしれない。


(でも需要なさそー)


 これが価値観の違いかぁ、と拓真は深いため息をついた。


(人魚って本当に居るのかな)


 恐るべし異世界、されど異世界。

 早く久也にこのエピソードを語らねば、と拓真はもう一度ため息をつくのだった。

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