13.もちをつけ
「I don't get it. Why do I find this so entertaining?」
しばらく英語を使っていなくて恋しくなったのだろうか、小早川拓真は無意識に呟いてしまっていた。
此処は英語などという地球の言語とはおよそ無縁な、
眼下には見渡す限りの瑞々しい緑、その中にぽつぽつと浮かび上がるこじんまりとした民家。そこら辺をうろつきまわる、見たことも無いような派手な色合わせの鶏。
随分と開放的な飼い方だねと誰かに指摘したら、厳密には野生の鶏を餌付けしているだけよと言われた。程よく太らせて人に慣れさせ、時期が来たら捕まえて断頭するのだとか。卵を産ませる鶏だけはちゃんと飼っているらしい。
豚や山羊は個人や家庭によって飼われている。数多くあちこちをうろついている鶏と違って、食べられるサイズまで一頭を育て上げるのが大変だからだ。
今では生活にすっかり慣れてしまっている拓真は台地の上の我が家の前に石を積んで席を造り、午後の人間観察を嗜んでいた。今晩中には雨が降り出すであろうことは湿った空気と天上の暗雲が仄めかしている。
「真面目に何でだろうね」
何故、壮年の女性がキャッサバ(別名マニオク)の芋をこねくり回してフフ――煮汁などにつけて食べる澱粉の塊、食感はお餅に似ていなくも無い――を作る過程は、こんなにも見ていて楽しいのだろうか。
作業そのものには、餅つきと通じる物があるかもしれない。杵の形は野球のバットを長くしたような感じである。女性たちは低い椅子の上に座って、広げた足の間に臼を置いているのが多いが、立ったままでやる人もいる。
「面白そうだなー。手伝うよって言ってもやらせてくれないんだよなぁ」
女性たちは家事係という役割に誇りを抱いているようで、男にはほぼ「女の仕事」を触らせてくれない。だったら男の仕事をしようって話だが、干し肉の貯えは充分にあるし男たちの狩りは毎日する必要が無い。どの道今は、連日の朝稽古が祟って全身筋肉痛であまり動けない。
台地から見下ろせる壮年の女性は肩や腕の筋肉を駆使し、つく。時々杵の先端でこねる。つく、こねる、つく、こねる……やがて柔らかそうな塊が出来上がる――
「何見てるのよ」
声をかけられて振り返った。そこにはライチの実を一杯に集めた籠を抱えたユマロンガが居た。いつもの手ぬぐいと半袖のワンピース姿で、つぶらな黒目をぱちぱちさせている。
「フフ作ってる女の人だよ。あ、一個ちょーだい」
「一個と言わずに三個あげるわ」
彼女は籠の中に赤銅色の手を突っ込んで、皮の剥かれていないライチを一握り取り出した。
「ありがとー! ユマちゃん」
一月以上も居れば人々とは打ち解け、当初はあんなによそよそしかったユマロンガとも徐々に会話をするようになった。主に拓真が彼女の振る舞う料理を求めてしつこく会いに行ったのが原因ではあるが。
全体的に、言葉は大分通じるようになっている。勿論個人差はまだ残る。同じことを言っているはずでも、発声や発音がはっきりしている人とちょっとくぐもって聴こえる人などとパターンが存在する。未熟者にとってはその差は大きい。
たとえばサリエラートゥやユマロンガは喋り方がはきはきとしていて聴き取りやすく、話していると楽しい。ただしユマロンガの場合は節々で言葉が速すぎて「なんて?」と何度も訊き返すこともある。
「……前から思っていたのだけど、その『ユマチャン』って何? あたしはユマロンガって名前よ」
「ごめん、つい。おれの国では女の子の名前にチャンってつけるのは愛称なんだよ」
「あっ、愛称? 何であたしがアンタに愛称で呼ばれなきゃなんないの」
ライチの皮をぺりぺりと剥がしていた拓真は顔を上げた。
「え、嫌なら止めるけど」
「嫌というほど嫌でも……無い、ような……」
何故かそこで彼女は籠を抱え直して視線を逸らした。
なんだかよくわからないので拓真はライチの肉を味わうことに専念した。
(甘い~)
うっとりして一個目を食べ尽くした。中心の大きな種は近くの茂みの中へと吐き出す。いつか木になってくれないかな、などとこっそり期待しつつ。
「あら、あれってヒサヤさんじゃないの」
ふいにユマロンガが言った。
「ほんとだ! ひさやー!」
横の土手道を上ってくる人影を認めて、拓真はぶんぶんと手を振った。
朝霧久也は心ここにあらずといった様子で地面を見つめながらぶつぶつ言っていたようだが、拓真の声に応じて止まった。
「ああ、拓真」
「なんか日中に会うのって久しぶりだね」
日本語に切り替わって話しかけた。
普段は何をしていても就寝時間になれば一緒の家だから顔を合わせることになる――それが日常のはずだが、ここ最近ではたまに久也が気付かない内に洞窟で夜を明かしたりするので丸一日、または数日会わないことだってある。
「何言ってんだ、この間雨季に備えて家を補強した時に会っただろ」
「久也こそ何言ってんの、この間じゃなくてそれ三週間前のことじゃない。もうすっかり雨季だよ」
「げっ、マジか」
「洞窟に引きこもり過ぎて時間の経過が曖昧になったー?」
みたいだな、と久也は苦笑した。
次いで彼はユマロンガと軽い会釈を交わした。その後、弟たちの世話に戻らなければならないからと、ライチをまた一握り置いていってユマロンガは去った。
残った青年たちは顔を見合わせる。
「まあ座りなよ。なんかわかったの?」
「そうだな。全部で十五枚ある粘土板の内、それぞれに付着してる感情が大体わかるようになった」
「じゃあ解読できそうってこと?」
「文章の解読はまだまだだよ。ただ、これが
拓真の隣に腰をかけて、久也はこれまでの首尾を要約して話し始めた。
集落にいる東の子孫を見つけ出し、彼らの言語でよく使われる音節などを調べたこと。よくある言い回し・フレーズをなるべく書き出し、粘土板から感じ取れる「意思」に沿った言い回しを厳選し、音数や文字数を照らし合わせたこと。
一部同じ記号が頻繁に使われているのを見て、久也はそれらを限定符だと推測したこと。限定符とは口語には使われない、似たカテゴリの言葉を分類する為の記号だ。大抵は発音されない。
「確信を持って『この記号はコレだ!』って断定しづらいのばっかりだ」
「う、う~ん。むつかしすぎておれにはさっぱり」
「でも一つだけ、気にかかったのがあるんだよな」
久也は懐に入れていたらしい粘土板を取り出した。曰く、乾いて固まっていただけの他十四枚と違って、この一枚だけは意図的に焼かれていたとか。それはつまり、作った本人或いは別の誰かがこの内容だけは粘土の再利用にまわさずに確実に留めて置きたかったということになる。
「読み取れた感情はなんていうか、知的好奇心と興奮みたいな感じだ」
「それって四代前巫女姫は何かを発見したから興奮して書き留めたってことかなぁ」
「多分……」
拓真は件の粘土板に視線を落とした。一目見て、ある記号に注意が行った。水滴に似た逆さの楔に挟まれた、小さな丸。水に挟まれた太陽だろうか。ピンと来るものがあった。
「この記号、なんか季節の移ろいみたい」
久也が興味深いことを聞いた、と言いたげに目だけ動かしてこちらを見た。
「なるほど、それは気付いてなかった。水滴で雨、丸の太陽で晴天。雨季から乾季、また雨季になることで時間を表現してるのかもな。『時間』の限定符なんて聞いたことも無いが……時間そのものの記号か?」
親友が考え込んでいるのを横から眺めていたら、誰かの呼ばわる声が響いた。
「タクマ!」
「あれー、リジャ。やっほう」
戦士三兄弟の末弟、アァリージャがにかっと笑って駆け寄る。両手に何かを抱えている。
「姉者が――」
この男は明るくて良い奴だが少し舌足らずで、しかも口早に喋る傾向にあるので、少なくとも四回は同じことを言わせないとこちらは理解できない。此度は三度目で何とか聴き取れた。
ちなみに姉者とは彼の義姉、ルチーを指す。ルチーは夫のアッカンモディと似て菩薩みたいな微笑みを常にたたえるほんわかとした女性だ。
「姉者がこいつが食べごろだからそろそろスープにするって」
アァリージャは手に持った物を掲げた。
亀である。黄土みたいな色に黄緑が混じった甲羅が印象的だ。持ち上げられた亀は甲羅の中に身を隠している。
この亀は最初から食べることを目的にずっとアッカンモディの自宅で飼われていたらしい。拓真も、時々這っている姿を見かけたりした。
「どうだ、食べないか?」
「えーと」
なんとなく隣を見た。いつもなら口うるさく心配する久也は未だ考え込んでいるのか、「お前の好きにしろ」と手を振っている。
「うん、食べる!」
「よろしい!」
アァリージャが嬉しそうに拓真の肩を叩く。
数秒後、用件が済んだはずのアァリージャは大きく笑ったままその場に硬直した。
「あれ、どうしたの」
「うむ……何か、もう一つ言わねばならないことがあったような」
「忘れちゃった?」
「ううむ。むしろこっちが本題だったような」
がはは、と彼は能天気に笑う。
仕方がないので思い出してくれるまで雑談をした。と言っても早口が聴き取れない。いちいち問い質しても悪いので拓真は適当に頷きながら相槌を打つ。
突然、アァリージャが目をかっ開いた。
「そうだ! 塩沼の方で誰かがまた北の部族と鉢合わせたらしい」
「北と?」
拓真は露骨に驚いて聞き返した。
「北の部族の長がお前たちの噂を聞いて会いたがっているとな。それ以上はわからん。じゃ、兄者たちの家で待っているぞ!」
颯爽と走り去る背中を見送ってから、拓真が口を開いた。
いつの間にやら久也は眉根をぎゅっと寄せている。
「今の聴こえた、久也?」
「北の長がどうとか」
「うん。なんかおれらに会いたがってるって」
「会ってどうすんだよ」
「どうするんだろうね」
「いきなり檻に閉じ込めて観察したいとかだったらお断りだ」
「相も変わらず発想がダークだね!」
別に連れ去るとかじゃなくてちゃんと会いたいってんなら行っても良いんじゃないかな、くらいにしか拓真は考えていなかった。そこで久也のネガティブ思考に触れて、何故かたいへんユカイな気分になったのだった。
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