04.組み立て式

 向かいに座る巫女姫が首を傾げ――そして何かを思い出したように立ち上がった。


「そういえばさっき気になったが――」


 彼女は久也の前まで歩み寄り、ワイシャツに両手をかけてがばっと左右に開いた。

 いいなぁおれもサリーに脱がされてみたい、などと拓真が羨んだのは今はどうでもいい。当の久也が座ったまま、すぐ後ろの壁に背中をくっつけて精一杯後退っている。美女に迫られて喜んでいる様子ではない。


「これは何の傷跡だ?」


 下腹部辺りにサリエラートゥの視線が集中している。


「何、って……手術痕だよ。俺の妹が生まれつき腎臓を患ってて、ずっと薬でなんとか凌いでたけど、数年前にとうとう腎不全になって移植を決めたんだ。家族の中では俺が一番適合してたんで、そういうことになった」

「腎ふぜん? 移植……?」


 聞き慣れない単語の羅列にサリエラートゥが当惑の色を見せた。


「要約すると、俺が腎臓片方しかないのは、もう片方を妹にやったからだ」

「そんなことがあるのか」


 彼女は信じられない物を見る目になった。


「なんかゴメン。おれ言わない方がよかった?」

「いや、気にすんな。隠す理由も無い」


 二人が小声でやり取りをする中、巫女姫は手を伸ばして傷跡にそっと指先で触れた。


「お前たちの世界では内蔵を別の人間に移す方法があるのか。想像も付かないな、神力があってもそれは無理だ」

「現代医学に則った機器と設備と専門家が居ても、うまくいかないことはあるけどな」


 久也は渋い表情でサリエラートゥの指の動きを目で追いつつ、補足する。触られてくすぐったいのを我慢している顔だ。

 一方、話題の少女を思い出して拓真は心に影が差すのを感じた。


朱音あかねちゃん元気かな……このままじゃもう会えないかな……)


 無数の針に刺されているかのように胸が痛む。久也を旅行に誘ったのは自分だ。帰る方法が見つからず今後の一生をこの世界で過ごすことになったら――。


(お兄ちゃんを奪ってしまった)


 朝霧朱音はまだ十三歳。父親の居ない母子家庭から兄まで居なくなったとなると、寂しいだけでなくこれからの生活が大変だろう。

 ふと、拓真は自身の家に想いを馳せた。一緒に暮らしている祖父母は間違いなく心配するはずだ。両親は――海外での仕事が忙しくて滅多に連絡も取れないあの二人は、或いはしばらくは異変に気付かないかもしれない。


「ところで、さっきって言ったけど、まさかアンタが手当てしてくれたのか」

「そうだ。私は滝神の巫女姫として多少は神力を使える。だから洞窟の外でも応急処置で間に合ったのだ」

「サリーって凄いんだね! 久也を助けてくれてありがとう」


 心のもやもやを強制的に追い払って、拓真が発言した。


「元はと言えば私が傷つけたのだから感謝されても困る。単に責任を感じての行動だ」


 その時、久也が微妙な表情になって顔を逸らした。


「もう一つだけ訊いていいか、姫」

「勿論だ」

「ロングピッグについてどう思う」

「何だそれは、『長い豚』?」

「カニバリズムの俗称だ」

「かにば――……?」神力が働いて語彙を脳内で変換しているのだろうか、サリエラートゥが考え込むように止まった。「ああ、食人の習慣か。そんな背徳、犯せるはずがなかろう。気色悪い」

「……そうか。それはよかった」


 その返答に、久也が胸を撫で下ろした。隣で一連の展開を見てた拓真が不思議に思って眉根を寄せる。


(何に安心してるんだろ? ていうか何を心配してたんだろ)


 目が覚めた場所がキャンプファイヤーの真上だったならまだしも、洞窟だ。原住民に捕まった=食べられる、なんて安易な方程式が聡明な久也の中で成り立ったとは考えにくい。何か別の考えがあったのだ、きっと。後で訊いてみよう。


「そろそろ傷の具合を確かめよう。この腱を解くから手伝ってくれないか、タクマ」

「いいよー。その包帯って、何かの動物の腱だったの?」

「ああ、確かこれは――」

「雑談は後で良いから、早くしてくれ。暗い場所で複数の人間に囲まれてると息が詰まる」


 顔を手で煽ぎながら久也がどこか疲れた様子で訴える。

 確かに彼は他人と必要以上に物理的な距離を詰めるのが苦手だ。満員電車や新宿駅で苦しむくらいならタクシー代を奮発した方が良い、などとよく口で言っている。最終的には迷った末に代金が勿体なくなって忍耐を強いられているけれど。

 拓真は話を打ち切り、サリエラートゥと手を合わせて、巻かれた腱と薬草をせっせと取り払った。


「さすが祭壇の前に居ただけあって、大方塞がっているな。この分なら少しずつ動いてもいいだろう」

「そうなの? まだ見た目グロいけど」


 松明に照らされた傷口は既にくっついた(?)皮膚の繋ぎ目と、繋ぎきれていない隙間が交互に確認できる。当人は興味深々にそれを見下ろしているが、何もコメントしない。

 「大丈夫だ」と再度サリエラートゥが肯定したので、三人は席を立った。


「結局、祭壇がどういうトコなのかよく見えなかったね、暗くて」

「これからじっくり見る機会はいくらでもあろう。それより時間が惜しいから出るぞ」


 巫女姫が灯りを持ってサッサと先を歩く。二人は慌ててその後ろについて行った。


「もたもたしていると午後が夕方に差し掛かる」

「……うわっ! さっき曇ってたのに、眩しいじゃん」


 洞窟の入り口は滝の後ろにあるらしく、明るみに出たと同時に水飛沫が顔にかかった。拓真と久也は反射的に顔の前に手をかざした。

 外の空気は洞窟の中よりも暖かい。周囲には常夏の国らしく濡れた植物の匂いが漂っている。

 水を被らなくて済むよう、サリエラートゥが左の脇道を進むように指示する。さっきも洞窟に入ってきた、胸板の分厚い男性二人がそこで待っていた。二人は無言無表情で合流し、一同の最後尾に加わる。


「さて、洞窟から出ても、私が神力を使えば言葉は通じる。神力は貴重なので使いすぎるのはよくない。しかし今日は例外としよう」

「ありがとサリー。超助かる」


 拓真はサリエラートゥをじっと注視してみた。


(神力を使うと言っても身体が光るとか目の色が変わるとか髪が逆立つとか、わかりやすいサインが無いんだね)


 ハイポニーテールを揺らして振り返る巫女姫の様子は至って平然だ。これでは、話が通じない時も話してみないことにはわかりようが無いだろう。

 河を背に、歩き出した。前方の景色は緑ばかりだが、ずっとまっすぐ歩き続けた先に台地があるのが遠目に見える。台地は周りよりも少し濃い緑色で、横に潰されたみたいなパームツリーなどが生えている。


「参考までに、アンタらの言語はなんて言うんだ」

「言語の名は、マクンヌトゥバだ」

「マ…………なんだって?」


 久也が口元をひくつかせた。


「マクンヌトゥバ」

「マニトバと言ったらカナダの州のひとつだよ~、って違うか」


 拓真にはマニトバに聴こえたのに、そうではないらしい。サリエラートゥが不服そうに眉尻を吊り上げる。


「だからマクンヌトゥバだと言っている。聴こえなかったのか?」

「……言語の名前から既に聴き取れないとか前途多難すぎるぜ」

「そこは気合でどうにかしろとしか言えん」

「あははー。まあなんとかなるよきっと」


 呑気に笑っている内に、台地の前に着いた。台地の上にも麓にも民家が疎らに建っている。

 知らず拓真は目を輝かせていた。


 ――家がかわいい!


 第一印象がそれだった。煉瓦か石みたいな素材で構築された家もあれば、枝みたいなもので一部建てられているのもある。一軒一軒が個性溢れる外観をしていて、全く同じ家は二つとないように見える。

 そんな集落から、人影が見えないのに視線を感じるのは何故か。これは噂に聞く、「ムラに新入りが来たぞ」状態だろうか。誰もが好奇心一杯に窓からじっと様子を伺うのに、警戒してすぐには挨拶に出て来ないという。


「まず伝えねばならないが、現在ではこの集落にお前たちの寝泊りする宿のスペースが無い」


 まだうっとりと台地を眺め回していた拓真は、耳朶に届いたシビアな声で我に返った。


「ええええ!? 野宿しろってこと? それかハンモック?」

「まさか。今は乾季で夜が冷える。蛇も出るから野宿は勧められない」

「俺は蚊の方が心配だ」


 久也が横合いから口を挟んだ。


「蚊? 確かにかゆいけど」

「じゃなくて、異世界でもマラリアって伝染するのかって」


 例によって険しい目付きで久也が緑生い茂る台地を睨んでいる。拓真は死角から突かれた気分になった。


「さっすが医学部、着眼点が違うね!」

「笑い事じゃないから。マジで。生贄になる前に病で逝きかねない」


 久也はげっそりと青い顔をしている。拓真には蚊から伝染しうる病気群がどれほど深刻なのか、これといって実感が沸かない。そんな恐ろしいものは現代を生きる先進国の人間とは無縁だからだ。が、親友が主張するからには大問題なのだろう。


「何を言い合っているのかわからんが、蚊対策なら後でよく効く代物を持ってきてやる。それより、宿」

「あ、うん」


 二人は巫女姫の方を向く。彼女は集落の右端に進み、土手道を上って数分後、一同は空いた土地の前に立っていた。さまざまな物が仕分けられ、山になって積まれている。


「それで――」サリエラートゥはしなやかな腕を伸ばし、指差した。「そこに磨かれた石が積み上げられているだろう」


 拓真たちはそれぞれ「うん」「そうだな」と相槌を打つ。


「隙間はそこの泥を塗り固めて繋ぐといい。屋根は、あそこのパームの藁を抜いて編み合わせ……」

「――って、つまり自分の家を自分で建てろってことか!」

「おお! なんかわかんないけど本格的!」


 話の流れ着く先を読み取った二人が大声を出した。


「ああ、頑張れ。集落の民にお前たちのことを伝えてあるから、しばらくしたら手の空いた者が手伝いに来てくれるはずだ。運が良ければ夜までにはある程度形になるだろう。とりあえずは寝泊りするだけの大きさの部屋があればいい。増やしたければまた後日建てるんだな」

「サリー、おれからしつもーん!」

「何だタクマ」

「厠はどうすればいいの? 俗に言う野糞デスカ?」

「ああ、あの向こうに共同の便所がある。自分の家の近くにも欲しかったら自由に掘っていいぞ」

「おっけー」

「便所を自力で掘るとか……サバイバル……」


 拓真が快諾する横で、久也が呟いた。

 共同の便所とやらにプライバシーを守れる屋根や戸がついているのか、後で確かめに行こうと拓真は思った。無いのなら、一応自分たち専用の便所を掘るのが得策かもしれない。

 風呂に関する質問はまだしなかった。とりあえず自分も久也もやたらキレイ好きな人種でなくてよかった、と一人頷く。



 新鮮なマンゴーで軽い腹ごしらえをした後、早速二人は台地の端にて家を組み立てる作業に取り組んだ。より腕力と体力に優れた拓真が石を積み上げ、久也が泥を塗って繋げると言った具合に。今の所、部屋は一つだけを予定している。

 石は磨かれているとはいえ形と大きさに一切の統一性が無く、選んで組み合わせるのも一苦労である。

 かれこれ一時間以上やっている気がするが、終わりがまだまだ見えない。しかも手伝いに来るはずであるボランティアたちの姿も無い。

 こうなったら何も考えるな――と久也が無心に泥で石の並びを整えていると、ふいに拓真が作業を止めてパタパタとTシャツの裾をはためかせた。ありとあらゆる汗腺から汗がダダ漏れになっている点では、久也も同じだ。


「あっつっ……ねえ久也、この世界でなら上半身裸でうろついても違和感ないよね。さっきから見下ろしてる限りじゃ男たちは半数以下しか着てないよ、上」

「バカ言え。俺らの肌色じゃ、違和感アリアリだ」

「あ! それもそうか」


 気付かなかったのか、拓真が目から鱗を落としているかのような呆けた顔をする。


「でもなー。半裸でいっか、もう。暑いんだよ~」

「あ、」


 思い切って拓真がシャツを頭から脱ぐ。

 止めようと声をかけるも、遅かった。


「え?」


 こちらが口を開けて静止したのに気付いたのだろう。拓真は久也の視線の先を追って振り返り、そこに立つ女性と目が合った。

 凹凸のはっきりとした体型を麻みたいな生地のワンピースで包んでいる。全体的に細くて華奢なのに、胸と腰周りは随分と豊満だ。

 女性は大きな黒目をぱちぱちさせた。

 かと思えば、怯えるように表情を歪ませ、速やかに走って行った。

 残された半裸の拓真が、しょんぼりとした犬みたいな顔をする。


「逃げることないじゃん」

「さあ……お前の色素が衝撃的だったんじゃないか」

「そんなに珍しいのかな~」

「珍しいだろ。アジア系がアフリカの町外れとかに行っても子供が絶え間なく『白人だー!』と踊りながら叫ぶらしいぜ」


 それに拓真の薄茶色の髪とグリーンヘーゼルの目と小麦色の肌など、黒髪黒目で褐色肌ばかりの中では一際浮く。


「自分より白かったらとにかく日焼けしてる人でも白人認識デスカ。でも今の子はなんにも叫ばなかったよ」

「お前に一目惚れしたんだなきっと」

「……久也、もはやめんどくさくなってテキトーなこと言ってない?」

「さーあ」


 図星を言い当てられて、久也は知らん振りを決め込んだ。とりあえず手作業に戻る。


「この容器、何……?」


 疑問符を垂らした拓真の声に応じて、顔を上げた。

 女性が立ち去った場所に蓋付きのボウル状容器が二つ積み重なっている。

 久也が近寄ると、ちょうど拓真が上の方の容器の蓋を開けていたところだった。

 ふわり、湯気と共に怪しげな臭いが立ち上る。

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