05.旅をすれば食中毒

 二人はひとまず絶句した。

 木製ボウルの中にはクリーム色の汁に色とりどりの野菜が入っていた。それだけだったなら、今は若干空腹を感じているので美味しそうだと思わなくも無いが、それに留まらないからこそ久也と拓真は硬直している。

 獣臭い。

 そして、ボウルの中心にどかっと陣取っている浅黒い小型哺乳類の姿を嫌でも視認する。胴体や手足はスープに隠れているゆえ、目を閉じて歯を食いしばったような表情の仰向けの頭部だけが見える。


(呪いのスープにしか見えないが……そんなによそものらって嫌われてるのか……?)


 身を屈めたまま、二人は無言で呼吸だけを繰り返す。

 しばしの沈黙の後。


「おーい、調子はどうだ。進んでるか?」


 いつの間にか傍に来ていた巫女姫サリエラートゥが声をかけ、近付く。


「何を見ている? ああ、蝙蝠を煮込んだスープか」

「こ、コウモリ……!?」


 二人の青年の驚愕の声が重なる。急いで拓真が蓋を戻した。時既に遅し、ボウルの中身は一生忘れられない映像となっていた。もし元の世界に帰れたとしても、久也は二度と実験室のラットを直視できないかもしれない。


「そのスープ、どうしたのだ」

「えーとね。なんかちっちゃくて巨乳でおめめぱっちりな女の子が持ってきたみたい」

「それは、おそらくユマロンガだな。彼女が差し入れを持って来たのか。料理の腕は随一だぞ、食うか?」

「食わん!」


 久也は立ち上がって即答した。呪いのスープじゃないとわかっただけマシだが、それでもアレが喉を通るとは考えられない。

 ――蝙蝠でダシを取っただけなのか? それとも肉まで食うのか? 想像すればするほど頭が痛い。


「どういう味がするのかな」


 未だしゃがんだ体勢の拓真が独り言を漏らした。そうだった、この男はいわゆる食いしん坊で、冒険心に事欠かないのだ。きっちり言い聞かせねばなるまい。


「食うな。エボラっつーかウイルス性出血熱に罹ったらどうすんだ。猿とか出されても絶対食べるなよ」

「しょうがないなー」

「わからんな、猿をどうして食べちゃダメなんだ? 美味いのに」

「……いつか一から答えてやるから」


 自分より少し身長の低い巫女姫と目を合わせて苦笑い交じりに約束した。異世界の病気が地球と仕組みが異なる場合も考えうるが、その時はその時である。

 傍らで、もう一つはなんだろー、と呟きながら拓真が蓋を外している。サリエラートゥが一緒になって覗き込む。


「塩漬けの川魚と揚げたバナナだな」


 彼女の言った通りの物が入っていた。今度は慣れた食材な所為か、立ち上る湯気を香ばしく感じる。別々に調理して一緒に出したのだろう。魚には何かの赤いソースがかけられていた。周りにバナナの切れが転がっている。揚げバナナと言っても衣がついていない、そのまま焼かれた物だ。

 甘い匂いに食欲が刺激される。


「これなら食えそうだ。食中毒覚悟で」

「久也は大げさだなぁ」

「お前はもっと危機感を持て。新しい場所に行くってのはそーゆーことなんだよ。ほぼ漏れなく腹を壊すもんだ。下痢止め持ち歩いてるんならともかく」


 ましてやこの世界観、水道設備が皆無なのは致命的だ。食事前にどうやって泥がこびりついた手を洗うのか、もうそこから躓きそうである。食材がちゃんと清潔に保存されてきたのかもかなりあやしい。いっそ黒焦げになるまで食材を焼き切ってくれた方が気も休まる。

 ちなみに木炭を呑み込むと消化不良が治ると言われているが、真偽は判然としない。


「って待て……このクニで、塩が手に入るのか?」


 それは結構大変な事実じゃないか、と久也ははっとなった。塩があるなら、食べ物の長期保存が可能だということになる。氷の無い、暑い地域では必要不可欠だろう。そして塩が手に入るからには海が近くにあるかもしれない。


「集落から歩いて半日の距離になるな。塩水を採れる場所がある」

「塩性湿地か」

「今お前が口にしたのは知らない言葉だが、場所は塩沼だ」

「同じものだな」

「塩沼も面白いが、美しい沼沢林があるぞ。新しい生活に馴染んだ後に、行ってみるといい」

「そーだね、行ってみようよ」


 拓真が楽しげに賛成する。脱ぎ捨てたシャツで汚れた手を拭き、草の上に胡坐をかいている。どうやらその姿勢で食事をするつもりらしい。


「巫女姫、食器はあるか」


 放っておくと拓真が手で食べ始めそうなので、久也は一応訊いておいた。


「無くは無いが、手で十分食べられるだろう」

「…………」

「わかったわかった、隣家に訊いてみる」


 無意識に睨んでしまったのだろうか。巫女姫は驚いたようにたじろいだ後、ころころ笑って踵を返した。長い髪をまとめたポニーテールが気持ちよさそうに揺れた。

 尻尾を振って待てをする犬……ではなく、拓真がボウルの前で大人しくしている。久也は片膝を立ててその隣に座った。間もなくして、歯が二本ついた木製のフォークを持った巫女姫が戻ってきた。拓真と久也はそれぞれフォークを取って順番に魚肉を口に運んだ。


「ところで、さっき家を組み立てろと言われた時、やけに驚いていたな。何故だ?」


 サリエラートゥが腰に手を当てて訊ねる。


「ぶっちゃけ、おれらは家を建てたことなんて無いんだよサリー」


 赤いソースを口周りにつけたまま、拓真が答える。


「何故? 見たところお前たちも成人した年齢に見えるが……家くらい建てるだろう」


 悪夢の蝙蝠スープが入った容器を取って、巫女姫は二人の向かいに正座した。膝上にボウルをのせ、蓋を開けている。久也はあまりそちらを見ないように注意した。


「現代人はふつう先に建ててあった家を買うか、人を雇うんだよ」


 拓真がバナナの切れをもしゃもしゃ咀嚼しながら言う。


「しかし、自分で住むのだから自分の手で手間暇かけて建てたいと思わんのか」

「いや……そういう充実感もあるだろうけど、自分でデザインやら間取りを決めたいとしても実際に作業をするのは専門家だぜ。腕の良い人間がやった方が効率が良いだろ? 道具も揃ってるし」

「こうりつ? 知らない言葉だ。お前たちの言語は未知の語彙が多いな」


 サリエラートゥがそう言った途端、何故か戦慄が背中を駆け抜けた。何故なのかは考えてもわからない。


 ――ガリッ!


 物思いは、歯の間を掠った硬い感触によって中断された。久也は思いっきり苦い顔をつくった。

 どったの、と拓真が目を瞬かせて問う。


「今なんか小石か砂みたいなものが……」

「砂?」

「食事に砂が混じるなどよくあることだ。乾季なだけに風が吹けばすぐ食材にかかってな」

「マジか……今後は砂の混じった食事をする運命なのか……」


 ずっと警戒しながら食べないといけないのかと思うとげんなりする。


「っていうか骨! 魚の骨すごい! 何でこんなに枝分かれしてるの?」


 拓真が感嘆の声をあげたのと同時に口の中をぶっ刺した何か、を手で取り出した。長さ三~四センチの半透明な細い骨はキレイなY字型になっている。食べかけの川魚を見下ろすと、背骨に始まり、あちこちで骨が枝分かれしまくっている。何でそんなに分かれる必要があるのか。意味がわからない。


(骨もこれからは警戒対象だな)


 気を抜くとすぐ口の中やら歯茎やらが刺されて痛い。


「どうだ、ユマロンガの作った飯は美味いだろう」

「うんうん。直接お礼言いたいな。今度ちゃんと紹介してね」

「まあ美味いと言っちゃ美味い」


 褐色肌の美女が齧っている小型哺乳類から目を逸らしつつ、久也も同意した。

 三人が食べている内に、日が暮れる。

 空はオレンジとピンク色が混ざり合い、段々と周囲が暗くなる。一日の陽の長さがどれくらいなのか、感覚が正確に掴めないが、意外と夕暮れは早いように思えた。


「さて、腕の良い人間を探せばいいんだな」


 空になった容器を回収し、彼女は席を立った。

 それからサリエラートゥは集落で一番家を建てるのが速くて巧いという男を数人連れて来てくれた。全員で協力し、なんとか二人分が寝るスペースが出来上がった。

 その頃にはすっかり夜になっていたので肝心の寝床は毛布を敷いただけになった。寝心地に関しては何とも言えない――草の感触と重ね合わせても、布団のような柔らかさにはまだ遠く及ばない。

 藁の屋根を編む時間も無かったので、他所の家から余った物を貸してもらっている。

 残るは蚊対策だ。二人は巫女姫にもらった特殊な樹脂を焚いた。煙で蚊を退ける、いわば蚊取り線香の代用だろう。


(この家、頑丈さは期待できないな)


 泥を固めただけの壁は、きっと誰かが体当たりをした程度で揺らぐ。が、この際文句は言っていられない。

 確かに外は薄ら寒くなってきている。宿が無ければ過ごしにくかったであろうことは間違いない。余程の悪天候に見舞われない限り、当分はこれで我慢するしかない。

 どこからか、人の話し声や歌声が聴こえてくる。察するに、集落の民にとってはまだ寝るには早い時間だ。団欒したり、星空を眺めたり、酒を酌み交わしたり、と色々な夜の過ごし方があるのだろう。先程は「お前たちの歓迎会を開いてやる」と巫女姫が誘ってくれた。しかし流石にそんな気力は無いので、別の日にしようと言って早々に久也たちは寝床についたのだった。

 慣れない環境への不安と肉体労働をこなした後の疲労がない交ぜになっている為、疲れていながらも目がまだ冴えている。ついでに言えば蛙と虫の合唱がうるさくてなかなか寝付けない。

 これからのことに対する心配がぐるぐると思考回路を巡った。

 幸い、消化器官はまだピンピンしている。井戸から汲み上げられた水を飲んだりもしたので、明日からが問題ではあるが。回虫・線虫・条虫……と忌まわしげに唱えながら飲んでいたのは当然、久也だけだった。


「ねーねー、久也」


 蛙の鳴き声の合間に、ふと呼ばれた。

 互いに背を向け合って横になっているが、狭い家の中では、寝返りを打てば肩がぶつかりそうなほどに近い。そのため声も簡単に届く。

 延々続きそうなマイナス思考から気を紛らわせられる、そう思って僅かに安心した。


「何だ拓真」

「…………かおりちゃん、大丈夫かな。落ち込んでるよね多分」

「あー……兄貴のみならずお前まで消えたんじゃ、トラウマになるかもな」


 藍谷あいたに香の、あの最後に聴いた悲鳴を思い出す。これからは自責の念に捉われることとなろう。


「つーか相当ショックだろ。藍谷サンは、お前が好きだったんじゃないか」

「えー? 何言い出すんだよ急に。それはないよ」


 肩越しに呑気な声が届いた。

 やはりわかっていなかったか、と久也は心の中で嘆息する。


「急じゃあないけど……まあそれはいいとして。俺、いつか自分が死ぬ時は病気による肉体の衰弱か、交通事故かなと漠然と思っていたよ。異世界で生贄って、また随分と斜め上だなオイ」

「はは……やっぱりさ、最後に生きた人間が現れたのが二十年前なら、すぐる兄ちゃんは死体として流れついて来たのかな」

「そういうことになるな」

「信じられない。あの英兄ちゃんが自殺なんてするかなぁ。十年前は海外の大学に受かったばっかりで、将来有望だったんだよ」


 香と同じく、拓真は自殺の線を信じていないらしい。


「わからん。俺にはわからないことだらけだ。情報を集めるにも、謎を解くにも、当面の問題は言語の習得だな」

「そーだね。明日からがんばろ」

「だな。とりあえず余計なことは忘れて、寝るか」

「うん、お休み久也」

「お休み」


 まるで魔法の呪文だったかのように、その挨拶を交わした途端に意識が霧に包まれて遠のいた。

 なんてことのない、滝神タキガミさまの御座おわくにで過ごした、それが最初の夜だった。

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