06.はしゃぐが勝ち

 小早川こばやかわ拓真たくまは、太陽の下で近所の子供たちと遊んでいた。

 遊びの内容は単純である。拓真が枝を手に取り、土の中に絵を描く。そして描かれた物を子供たちが言い当てる。亀や蛙や石や家など、名詞はすぐに満場一致するので簡単だが、動詞や形容詞ともなるとややこしくなる。絵だけでは伝えにくいというのもあるが、子供たちの意見が分かれるのも一因だ。

 が、それでも収穫は大きい。朝からずっとやっているだけあって、もう拓真は多少の言い回しを扱えるようになってきた。


「これ、なに?」


 土の中に描く絵のネタも尽きた頃、自分の身体を指差した。右手の人差し指で左手を指す。

 率先して嬉々として答えたのは、五歳くらいの女の子だった。ボリュームたっぷりの巻き毛が、耳の後ろという低い位置にて左右それぞれ二つにくくられている。逆さになった綿飴がついているみたいだ。

 他の子供たちが同意を示すように同じ単語を反芻したので、拓真も真似てみた。


「『手』?」


 聴いた言葉をできる限り再現しながら、今度は左の指で右手を指した。


「すこしちがう、『手』!」


 発音をダメ出しされて、拓真は再挑戦した。


「『手』?」

「うん、手ー」


 念の為に今度は綿飴ツインテールの少女の手を指して同じように繰り返した。子供たちは全員、首を縦に振っている。イエスかノーかでの首の振り方は自分たちの世界と同じらしいのは巫女姫との会話でわかっているので、その言葉で間違いないのだろう。


「聴こえた?」


 振り返りざまに日本語で問いかける。


「バッチリ」


 拓真の後ろで、朝霧あさぎり久也ひさやがメモを取っていた。最初こそは一緒にトリップしてきたスマートフォンを弄っていたが、しばらく経つと――


「わかってはいたけど、やっぱスマホの万能翻訳機アプリにマクンヌトゥバは無いな。まあ、そもそも充電する方法が無いんだからスマホは使えないけど。メモ帳も手書きの方がいいか」


 と呟いて諦めた。なので彼も枝を取ったのだった。

 同じ意味の言葉を左に日本語に記し、右にはマクンヌトゥバの発音をなるべくわかりやすいようにひらがなに変換して記している。子供たちは最初はそれにも興味を示したが、読めないとわかってからは興味を失くしていた。


「これは?」

「『膝』!」

「膝。これは」

「『鼻』!」

「鼻……えーと次……」


 思い付く限りの動物や植物、その場にある物、実生活に必要な物、身体の部位、を一通りやりつくしてから、拓真は一旦手を止めて考え込んだ。


(家族? 人間関係の種類とか……時間感覚? は、ちょっとやりづらいな……)


 昨日・今日・明日などの単語は知りたいが、どうやって聞き出せばいいのかわからない。きっと、そういう抽象的なのは文脈から読み取って覚える方がやりやすい。


(いっちょ、形容詞やってみるかな)


 拓真は立ち上がり、昨日から着回している安物のジーンズをはたいた。

 背後の久也を手招きする。次の言葉を彼にも実践して貰う為に自分の思い描くシナリオを話した。すぐに意図を理解して、久也は承諾した。

 二人は子供たちに少し場所を開けてもらうようにジェスチャーし、隣同士の立ち位置に並んだ。

 アイコンタクトでタイミングを合わせ、歩き出す。拓真は足早に進み、一方の久也はゆったりとした足取りで前に進む。


「これはなに?」


 知っている言い回しが限られているので質問が少し不似合いになるが、歩きながら拓真が久也を指して訊ねた。


「歩く!」


 綿飴ヘアーの子が真っ先に得意げに言った。


「うーん、ちがう」


 歩く、の単語はさっき聞き知っている。求めている単語とは違う。

 二人は一度立ち止まってから、また実践を繰り返した。


「ちがう」


 言いながら、自分と久也を交互に指す。同じように歩いているのに何かが違うのだ、そう伝えようとしている。拓真は更に大げさに早歩きをした。

 子供たちは「走る」や「動く」とどんどん単語を出したが、どれも的を射ていなかった。

 すると、八重歯の印象的な十歳未満の男の子が何かを叫んだ。


(ん? 今のかな)


 彼の前に立ち止まり、もう一度言ってもらうように促す。

 少年は二つの言葉を順に発音した。それでも拓真と久也の反応が薄いからか、彼はニコニコ笑いながら両手を挙げ、激しく振った。最初に発音した、短い言葉を繰り返した。


「『速い』!」


 次いで手を振る速さを極端にゆっくりにして、もっと音節の多い単語を口にした。


「『遅い』!」


 ピンと来るものがあった。


「それ! 遅い、速い、それだよ」


 嬉しくなった拓真は少年の両手を取って何度も握手した。


(ああもう、もどかしいなぁ)


 ありがとう、と言いたいのに、そのたった一言をまだ知らない。誰もが知っていて、誰もが使いこなせるはずのありふれた言葉なのに、これもまた聞き出すのが難しい単語だ。次に巫女姫が神力を使ってくれた時に絶対に教えてもらおう。

 仕方がないのでニコニコと笑ってみせた。どうかこれで感謝の意が伝わっていますように、と願いをこめながら。伝わっているのか否か、少年も歯を見せながら笑うので、互いに数秒ほど笑い合うことになった。


「あなたたち、――――をする――!」


 頭にかごをのせた中年女性が土手道を上ってくる。色鮮やかで身体にぴったりフィットしたドレスがかっこいい。


「えー! やだー! ――――!」


 七人の子供たちが一斉に拒否を声に出す。女性は更に何かを怒鳴った。

 言っていることはほぼわからないが、何かをするように命令しているらしいのはわかった。

 ふいに女性の意識がこちらに向いた。


白人バムンデレ、あなたたちも―――おいで」

「え、なに?」

「――――――――、来なさい。――――なる」


 女性はえくぼを浮かべた人の好い笑顔を見せた。

 何だろう、と拓真は久也と顔を見合わせる。


「まあついて行けばいいんだろ」

「そうだね」


 害意を感じないので、二人は特に疑問を抱くこともなく女性と子供たちについて行った。

 昼前の空気は程よく暖かく、陽の光がぽかぽかと気持ちいい。

 拓真は思いついたままに鼻歌を口ずさみながら歩いた。

 やがて、河辺にたどり着く。

 先に来ていたらしい十人くらいの人々の群れがこちらに気付いて大きく手を振った。


「これ、――――」


 河辺で何かの作業をしていたらしい女性が足元のたらいを指し、片腕にかけたタオルっぽい布を差し出す。

 雰囲気的に「使ってね」と言っているような気がする。


「盥をどうしろと言うんだ」


 前に立つ久也が不思議そうにひとりごちた。

 拓真も不思議に思ってきょろきょろ周りを見回した。子供たちは母親と思しき大人の女性に首根っこを掴まれたり引きずられたりして、そのまま強引に衣服を脱がされている。

 ――脱がされている?


「ああああ! 行水タイムキター!」


 河に踏み込み、盥に水を溜めて戻ってくる女性たちを認めて、拓真は確信した。子供たちは盥の冷水をコップで掬い、頭から被っている。


「とことんブレねーな、このクニは!」


 声色は呆れ混じりだが、頭を振る久也の口元は笑っていた。


「よしキタ!」


 拓真は躊躇無くシャツを脱ぎ捨てる。昨日から何かと汗をかいたり砂に汚れたりで気持ち悪くなっていたのだ。お湯を沸かして欲しいなどとわがままは言わない、清潔になれれば何でもいい。


「直接河に飛び込まないのは何でだろうな」

「河の水をキレイに保ちたいからじゃない? 全員飛び込んだら汚れるっしょ」

「かな……」

「とにかく浴びようよ!」

「ああ」


 拓真と久也はコップを借りて、ひとつの盥を選び、それを囲む子供たちの仲間に混ぜてもらうことになった。





「そこで何をしている」


 滝神の巫女姫サリエラートゥは、木陰に身を隠している人物に声をかけた。人影は大きく肩を跳ね上げさせ、戦々恐々と振り返る。


「ひっ、姫さま……」


 丸顔に大きな黒目が特徴的な女性だ。髪を低い位置で団子にまとめ、頭には手ぬぐいを巻いている。木の幹に片手を当てて肩を寄せる彼女は、見られたくない場面を見られた子供のように身を竦めた。


「ユマロンガ」


 サリエラートゥは名を呼んだ。何をしていたのか知ろうとして、彼女が向いていた方向を見る。見ても、イマイチわからないが。


「……ここで何をしていたんだ、本当に?」


 少し先の河辺で、子供たちが行水をしている。子供は母親の言うことを聞かずに走り回ったり、濡れた草に足を滑らせたり、水遊びをしたりと、賑やかである。数日に一度は目にかかれる日常的な光景だ。


「いえ、私は……その、洗濯用の水を汲もうと思って……」


 ユマロンガは持ってきていた桶を無意味に揺らして答えた。

 水を汲もうと思ったのに気後れして隠れたのは何故か、と考えを変えてサリエラートゥはもう一度河辺を見た。そして場違いに肌色の明るい二人の青年の姿を見つけた。見た目は浮いているが、どうやら集団の中に既に馴染んでいるようだった。タクマなんて子供たちと一緒になって水飛沫を飛ばしてはしゃいでいる。

 正直のところ、彼らの順応性の高さには感心している。

 あの青年たちと自分たちの生活にズレがあるのは、すぐに気が付いた。少なくとも習慣に違いがあるのは明白だ。

 たとえば彼らは昨夜、どうやって歯を磨けばいいのか、と訊いてきたので「サルバドラの枝か魚の骨を使え」と助言してやったのだが、その時の二人の驚愕の表情には可笑しいものがあった。ならば口臭はどうするのかと訊かれ、サリエラートゥは虚をつかれた。口臭など、時々思い出したようにとある木の実を噛んで改善している。普段から気にするものなのかと問うたら、やはり二人は変な顔をしたのだった。

 だがそんな差異をものともしない柔軟性のような何かが、二人にはある。人懐っこくて元気なタクマはとにかく置かれた状況を楽しむ気概があり、一方でヒサヤの方は文句を垂らしながらも的確に問題点を特定し、対処法を探す冷静さを持ち合わせている。

 同じ立場に自分が立たされていたら、きっとああもスムーズに溶け込めないだろう。

 手をもじもじと握り合わせたユマロンガが再び口を開いた。


「き、昨日、彼らの前から逃げてしまったので会うのが気まずいんです」

「考えすぎじゃないか? 普通に出て行けばいいだろう。なんなら私が紹介してやろう。そういえば、食事の礼を直接したいと言っていたぞ。済まんな、スープの方は私が食べてしまった。いつもながらに美味かったぞ、ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして。ではなくて――」


 そうだ紹介してやるべきだ、とサリエラートゥはユマロンガの腕を引いた。


「え、待ってください、心の準備が……何も今でなくても……」


 ユマロンガが何かやんわり抵抗しているようだったが気にせずに引っ張った。坂を降り、例の二人の界渡りへと真っ直ぐに進む。

 ついでに言葉が通じるように神力を体内から呼び起こした。


「つっめたーい! 心臓止まりそう!」

「気持ちいいけど寒いな。さっさと終わらせようぜ」


 二人はしゃがんだ体勢でコップからの水を浴びている。股間にかけたタオル以外は裸である。

 思わずじっくり眺め回してみた。タクマはこうして見ると意外と筋肉が引き締まっているとわかる。全身に無駄がなく、上腕二頭筋もなかなかのものだ。太ももの肉付きを見るに、俊足なのかもしれない。逆にヒサヤの方は男にしては痩せ過ぎている。パッと見では中肉中背で肩幅も十分に広いが、鎖骨の主張が強く、しかもアバラが薄っすらと見えるのが気にかかった。今度から食事を多めに出してやるように民に指示しておこう。


「ひめさまだー」


 子供たちがと次々と呼ぶのですぐにタクマとヒサヤもこちらに注目した。

 何故かサリエラートゥの背に隠れてしまったユマロンガが小刻みに震えている。


「やっほー、サリー!」先にタクマが立ち上がった。「――と、えーと……ユマちゃん?」


 覗き込むようにタクマが首を伸ばした。濡れた髪から滴が滴っている。乾いていると薄茶色で濡れるともう少し濃い茶色になるのか面白いな、などとサリエラートゥが発見していると――


「やだ! 前見えてるし! 隠しなさいよ!」


 ユマロンガはそう叫んで走り出していた。


「おーい! 水汲まなくていいのか!」


 サリエラートゥは置き去りにされた桶を拾って呼びかけたが、応答は無かった。


「なんて言ったの、彼女? おれなんかした……?」


 やたら沈んだ声に振り向いた。

 まるでしおれた花みたいだ、かわいそうに。深く考えずにサリエラートゥは手を伸ばし、タクマの濡れた頭を撫でてやった。


「すまん。私の考えが浅かったようだ。嫌われているわけではないと思うぞ」

「だといいけど、もう二度目だよーあの反応」

「彼女もお前も性根のいい子だからきっと仲良くなれるさ」

「え、ホント!? サリーおれのこといい子だと思う!?」

「勿論だ」


 知り合って一日足らずだがなんとなく自信を持ってそう答えた。タクマは心底嬉しそうに微笑んでいる。

 その背中を、ヒサヤの辛辣な突っ込みが打った。


「絶っ対、お前が考えなしに立ち上がったからだろ。ほら、周りの奥様方も『ぶら下げたモン隠そうとしないなんて、なんて非常識な白人ザマス』みたいな顔してるぞ。羽伸ばしすぎ」


 鋭い。

 いや、普通に気付くべきことなのか? タクマがどこか抜けているのだろう。

 こちらとて、男根なんて生贄を整える一環で笑えないほどの数を見てきたので、感覚が鈍くなっている。

 口を尖らせて抗議するタクマを、サリエラートゥは微笑ましい気持ちで見守っていた。

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