07.血と汗と埃が似合う男
初めて異世界に落ちてから一週間経ち、生活にも多少慣れてきた頃。神への生贄でありながらも集落の客人として受け入れられた久也と拓真は、レスリングの試合を近距離から観戦していた。
レスリングと言っても見せ技やルールにこだわらない、荒っぽい取っ組み合いの相撲だ。双方ともに褌に似た腰布しか纏っていない。
リングとなっているのは立ち見をする人々の輪そのもので、最前席で主賓として久也たちは椅子を設けてもらっている。巫女姫であるサリエラートゥの椅子も隣にあった。
「ぐおおおおおおおおお!」
その時、挑戦者が王者に飛びかかった。腰周りに抱き着き、押し倒そうとしている。
「いっけえええ!」
左隣に座る拓真が拳を振り回しながら挑戦者を応援した。しかし王者の方が体格に分がある。挑戦者の肩を両腕で抱き抱え、圧迫している。
「無駄だ。六年以上も最強の座に君臨した男に適うまい」
腕と足を組んだ巫女姫が不敵に笑った。わざわざこちらに一言一句違わず通じるように
「そんなの関係ないよ! 目標がどんなに高い山でも、何度でも挑戦するのが男でしょ!」
「ふっ、違いない」
拓真の力説に巫女姫が同意する。どこか波長が似ているのか、数日でこの二人は面白いくらいに意気投合していた。
久也はそんな彼らを尻目に生姜ジュースの入ったコップから一口飲み込んだ。さっぱりとした味わいを気に入っている。
二日目あたりにお約束の食中毒――結局原因が何だったのかは特定できなかった――に遭って四日ほど食欲がなくなっていたのが、ようやく今日になって治ってきている。おかげで今夜の宴の場でも、厚意で差し出される飲食物をあまりはねのけずに済んでいる。
一方の拓真は鋼鉄の胃袋の持ち主だと判明した。同時期に腹を壊してもたったの一日半で立ち直ったのである。羨ましい限りだ。
「があああああ」
レスラーたちは数秒ほどデッドロック状態にあったが、王者は更に力を込め、挑戦者を弱らせた。挑戦者はもがき、なんとか王者の腕を逃れる。そして一旦距離を取った。
ボディビルダー並の筋肉を誇る二人の大男が、互いに相手の出方を窺うようにリングの中を旋回する。
観客がそれぞれに声援を送る。
「バロー! バロー! やっちまえ!」
王者の名前だろうか、観客の半数がそう叫んでいる。
挑戦者は「ふんっ」と豪快に己の胸を叩いた。何か罵る言葉を連ねているようだが、ヒヤリング能力があまり高くない久也には、速すぎて何を言っているのかわからない。おそらくは、油断を誘う手口だ。
王者は無言で半歩下がって構えた。その手には乗らないらしい。
雄叫びをあげながら挑戦者が掴みかかる。
対する王者は伸びてきた手をかわす。巨体に似合わず軽やかなサイドステップで、猛進する相手を避けた。そしてくるりと半回転、対戦相手の背中に飛びかかった。
ドスン、と二人は砂埃を大量に舞わせて地に倒れ伏す。
「立て! 立てえええええええ!」
観客が色めき立った。王者に押さえつけられた挑戦者が雄叫びで応じる。
「まだだ! 諦めたらそこで試合(略)だよ! 戦え! 立て直せ!」
拓真も仁王立ちになってマクンヌトゥバ語で色々叫んでいる。途中で日本語が混じっているが。
挑戦者は手足をばたつかせるも、いつの間にかその首回りに太い腕が巻き付いている。
(どうなるんだ?)
手の中のコップをぎゅっと握りしめ、久也も固唾を呑んで経緯を見守る。
「一! 二! 三! 四――」
「わあああああ」
声を上げたのは王者の方だった。前腕に歯を立てられての反応だ。
彼は即座に挑戦者の頭を空いた手で掴んだ。
相手の後頭部に、額を思いっきりぶつける。
見るからにどっちも痛そうだが、王者は顔色ひとつ変えない。
「がっ」
短い呻き声の後、挑戦者の動きが止まった。
束の間、観客の輪がしんと静まり返る。
審判が歩み寄り、レスラーたちの状態を確認した。挑戦者は完全にのびているらしい。
そして審判は勝者が再び立ち上がるのを待ち、その手を取って夜空に掲げた。噛まれた前腕には赤く細い筋が浮かんでいる。
「――――! この男、また、勝った!」
実際はニュアンスが少し違うかもしれないが、久也にはそう聴こえた。
「よっしゃああああ!」
「最強! 最強! 最強!」
「―――、よくやった!」
観客が拍手と歓声で応える。
歓声は数分ほど続いた。やがて巫女姫が優雅に席を立ちあがり、勝者の前に立つ。大男はすぐに巨体を折り曲げて跪いた。
「流石だな。お前の強さ、同胞として誇りに思うぞ」
「――――――――、ありがとうございます、姫。―――――――――」
サリエラートゥの言葉は神力でよくわかるが、男の方は少ししか聞き取れない。久也は隣の親友に耳打ちした。
「最初と最後、あいつがなんて言ったかわかったか?」
「んーと、神さまの為だとか、これからも頑張るとか、そんな感じだったと思う」
「なるほど。お前の耳があると助かるな」
褒められて、へへー、と拓真が嬉しそうに頬をかく。
「でも挑戦者が負けたのザンネンだったなー」
「肩入れしてるな」
「だって覇者が倒れる瞬間ってなんか見たいじゃん。勝てなそうなのに挑む人がかっこいいじゃん」
「まあ、そうだな」
「っていうかさ、あの勝った方さ、某ハワイ出身の俳優さんにちょっと似てない? ほら、最近じゃあ蛮族のコナンとか演じた」
「ジェイソン・モ○ア?」
「そうそう! その人」
久也は今一度、うら若き女性の前で跪く筋肉男を眺めてみた。
すると確かに顔立ちや体格やドレッドロックスの長髪などに某俳優と通ずるものがあった。ただひとつ、肌がハワイ出身の人よりも遥かに濃い赤銅色である。
とりあえず敵に回したくない人物であるのは決定的だ。
「さあ、宴の余興はここまで! 皆の者、飲んで食べて踊るがいい!」
「はいよ、姫さまー!」
巫女姫は満面に笑顔を浮かべ、両手を広げて言った。それを合図に、民は輪を崩してそれぞれくつろげる席に戻った。間もなくして誰かの歌声が響き出した。
大男を三人引き連れて、サリエラートゥも席に戻る。宴であるだけに彼女は今日は髪飾りやアクセサリーをたっぷり身に着けてめかし込んでいる。服はパームの藁を細かく編み込んだチュニックとスカート。チュニックの腹回りは藁にさまざまな形のビーズを通した鮮やかなデザインになっており、隙間から滑らかそうな肌が垣間見えて、妙にそそる。思わず目を泳がせた。
「タクマ、ヒサヤ。お前たちに紹介しよう」
サリエラートゥが男の一人を隣に立たせた。二メートルありそうな身長の大男がこくりと頷く。先程のレスリングで勝利を収めた王者だ。
「我が集落の戦士たちを率いる、アレバロロだ。見た目はこうだが、思いやりがあって堅実な男だぞ」
「よろしくー!」
人懐っこい笑みを浮かべて、拓真が戦士に握手を求めた。腕を組んでいたアレバロロは一瞬差し出された手を見下ろし、すぐに右手で応じた。分厚い腕に合った分厚い掌だ。
「彼は三兄弟の長男に当たる。こっちが次男のアッカンモディ、三男のアァリージャ。いずれもかなり腕の立つ戦士だ」
巫女姫は手で二人目と三人目の男を指した。どこかで見覚えのある二人だ。よく思い出してみると、初めて滝神の洞窟で目を覚ました時にサリエラートゥを送り迎えしていた胸板の分厚い男たちだった。
まず次男を向く。スキンヘッドの頭に細い目をした、どことなく癒される笑顔がそこにあった。長男よりも背が低くて細身(あくまで兄と比べて細いのであって一般日本人と比べたら充分にマッチョ)である。
「アッカンモディの妻は遠い南の部族の出だ。物々交換を通して我々に綿の衣を与えてくれる部族だな」
「そうなのか」
久也はそれを聞いて納得した。自分も拓真も今は集落の民からもらった服を着ている。初見では麻の生地かと思っていたそれは、独特の綿を編んで作った物だと後に知った。綿が生えていても綿を編む技術が見当たらないのに、何故綿を使った服があるのか。その答えはどうやら、滝神さまの御座す郷と交流のある南の部族にあったらしい。
よろしく、と癒し系笑顔に向かって会釈する。
「三男は少し物覚えが良くないが、明るくて楽しい奴だぞ。タクマ、お前とは気が合うかもな」
「え、マジで? やったー」
アァリージャは久也たちと歳が近そうに見える。くるくるの黒髪を短く剃った、普通の青年と言った雰囲気だ。顔は兄たちに比べると平凡かもしれない。
かと思えば、彼が急に目をカッと見開いた。
拓真の両肩を掴み、興奮した様子で何かを訴えかけている。
「うん、いいよ」
言われたことを理解したのか、拓真がにっこり笑って同意を示した。アァリージャは早速手を伸ばす。
長い指が、薄茶色のボサボサした髪を梳いていった。時々肩から振り返りながら、三男は嬉しそうに兄たちに何かを報告している。
(触りたくなるぐらい珍しいもんなんだな……)
なんて他人事のように考えたが、数秒後に矛先は久也に向かって来た。仕方ないので彼もアァリージャに髪を触られることを同意する。
こちらは色が珍しいのではなく髪質やら手触りやらだろう。見てきた限りでは黒い色はありふれているのだが、生まれつき毛が細くて真っ直ぐな髪をした人間はどうやらこのクニには居ないようだった。
男の手によって髪がぐしゃぐしゃ乱れる感触はなんとも不思議である。
いつしか巫女姫はニヤニヤ笑いを浮かべていた。
「とまあ、外出するならこの三人を伴って行けば安全は保証できるぞ。紹介したのはその為だ」
「外出って、前に言ってた沼沢林とかのことか」
やっと解放された久也は髪の乱れをそっと直しながら訊いた。
「そうだ。ああ、そういえば一つ言い忘れていたな」
巫女姫は、ひとつ数えるように右手の人差指を伸ばし――
「遠出は範囲に気を付けろ。お前たちが滝神さまの息のかかった領域を出たら、ことによっては、私が死ぬかもしれん」
そうして久しぶりに爆弾発言を投下した。
更なる説明を聞くまではリアクションするまい、と久也はため息を吐いただけに留めたが、拓真はまるでアイスクリームを地べたに落とした子供みたいに絶望に満ちた表情をしていた。
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