17.ジュウリンセヨ

 ――無礼な男だ。


 いくら地位が高かろうと、名をちゃんと名乗りもしないで一人でさっさと話し始めるのは、対談相手への失礼になるはずだ。それともこの世界の文化はこれでも良いのか。巫女姫サリエラートゥの翳った表情を盗み見て、久也は「否」と悟った。


「言っている意味がわからんな」


 巫女姫の声は不穏な低さを帯びている。

 そうだった。礼節なんかに注意を割いている場合ではなかった。たった今、北の長がとんでもないことを言い出したのである。


「耳が遠いのならもう一度告げよう」


 地に広げた藁のマットの上で、北の部族の長は腕を立てて寝転がっている。その後ろで彼の民が胡坐をかいて干し肉をかじる。マットの端々には松明を取り付けた棒が差し込まれている。

 同様にサリエラートゥも似たようなマットの上に民と共に座している。それぞれの民を率いるリーダー同士の距離は一メートルと無いが、その藁の敷かれていない一メートルの草の隙間が、まるで底なしの溝だと錯覚しそうだった。それだけ深い意識の隔たりを感じる。


「お前たちの集落には人柱を提供してもらう。先に断っておくがそちらに拒否権は無い」


 長は声をやや張り上げ、堂々と言い切った。

 会話を一言たりとも聞き逃さないよう、久也と拓真は密かに神力に頼っていた。巫女姫の左右斜め後ろに座し、足首辺りに指先を触れている。


(人柱を提供、ってまともな議題じゃないな)


 親睦を深める会合になるとは思っていなかったが、せいぜい狩り場の所有権問題を論じ合うのかと想像していたのだ。それがいきなり人柱だ。意味不明にもほどがある。


「人柱とは何のことだと訊いている」

「物わかりの悪いお姫様だな。人柱は人柱だ。とある目的を果たす為に必要だとだけ言っておこう。それ以上は、貴様らに知る必要は無い」

「ふざけるなッ! そんな風に言われて易々と民を差し出せるか! 人命を薪か何かと勘違いしているのか!? 我々はただ消費するだけの燃料ではないぞ!」


 腰を浮かせてサリエラートゥが怒鳴る。

 静観する双方の民がピタリと動きを凍りつかせた。


「ほう。集落の生活を円滑に富ませる為に生贄を捌く巫女姫が、人命は燃料では無いと言い張って良いのか? Hypocriteと言う単語を……知る由も無いか、くくっ。この世界には偽善なんて概念があったかな」


 人柱以上に衝撃的なポイントを拾って、久也は目をカッと見開いた。


(今のは英語か!?)


 Hypocriteとは美徳や道徳を偽り、口先だけの信念・正義を振り回す人間のことだ。政治家への評価などによく登場する単語だが、日常生活の中でも、言っていることとやっていることが不釣合いな人に「You're a hypocrite」と普通に投げつけたりもする。


(何で、コイツが英語を知ってる)


 目の前の男は界渡りなのか、それとも界渡りである人間からその言葉を学んだのか?

 久也には「この世界に○○という概念が――」のくだりに心当たりがあった。此処に来てから、何度か似たようなことを口走っているからだ。自分の場合は、主に集落での効率という概念の不在を嘆いていた。

 そう考えるともしや長自身が――?

 この点、隣の青年はどう感じているのだろうか、と気になって一瞥してみた。そしてぎょっとした。


(どういう反応だ……?)


 戸惑いと怒りがない交ぜになったみたいな表情だ。拓真は小刻みに震え、青ざめた顔で唇を噛んでいる。グリーンヘーゼル色の瞳は射抜く勢いで北の長を睨んでいた。勿論、長の方は気付かない振りをしているが。


「――私とお前を同類みたく言うな! 我々は既に死したにえのみを頂戴している!」


 一方、サリエラートゥはとうとう立ち上がって叫んだ。腰にかけたビーズの装飾品ベルトまでもがジャララッと苛立たしげな音を立てる。

 滝クニの民もざわつき始めた。

 久也は人目につかないように、再びサリエラートゥの足首にそっと手を触れた。


「ならば異人の青年たちを囲うのは何故だ? いずれ頃合を計って内臓を抜き取る為であろう」

「……っ! 違う! そんなことにならな――」

「違わない。保護だ何だと言っても最後は利用して捨てる、そんな奴らがはびこう世の中だ。私はありのままの世界観に便乗しているのみ」


 長は全く怯まずに冷徹な声で応じる。


「自主的に人柱を提供してもらえないなら、奪うまでだ。言ったはずだ、貴様らに拒否権は無い」


 北の部族の戦闘要員は長を中心に孤を描くように並ぶ。弓矢の狙う先が一点に集中する。

 答える代わりにサリエラートゥは武器を手に取った。集落の戦士たちも巫女姫に倣って七、八人が進み出る。


「これも先に断っておくが、我々の使う矢には即死性の毒を塗りつけてある。ハッタリでは無いぞ、下手に抵抗しようものなら一瞬で終わりだ。私は平和的な取引を心がけているからな、懇切丁寧に教えてやったぞ」

「戯れ言を! 何が平和的だ!」


 槍を構えたアァリージャが長に向けて叫んだ。


「他人を蹂躙してそんなに楽しいのですか」


 次にアッカンモディが静かに問う。薄っすらと開かれた両目には敵意が渦巻いていた。


「楽しはくないさ。胸糞が悪いよ。だが私は滝の神には特別な恨みがあるから…………そうだな、貴様らだけは特別に! 蹂躙するのが! この上ない、快感! だ!」


 長は腹を抱えてげらげら笑う。とんでもなく失礼な男だ。


(それにしても特別な恨みってまさか)


 加速する険悪な雰囲気と引き換えに、足りなかったパズルのピースが集まりつつある、そんな気がしてきた。たとえ性根が腐っているとしても、お喋りはこちらにとって好都合である。


「今日は引き下がるとしよう。後日必ず、人柱を回収に行く」


 数秒笑ってから長は仰向けに止まって、突然がばっと身を起こす。


「何が回収だ。人攫いのことだろう」眉間に皺を刻んだアレバロロが拳を握った。「このまま帰したりはしない!」

「無駄だ無駄だ! あーっはっはっは!」


 長は両手を天に挙げた。直後、一斉に矢が飛ぶ。


 ――キン! キン!


 先頭の戦士たちがナイフや槍で次々と矢を弾いていた。その中に拓真の姿もあった。

 サリエラートゥは女性たちを庇って逃がしている。

 非戦闘員の自分も非難すべきだ、と久也は努めて冷静に判断した。慎重に立ち上がって、横の茂みの方へと逃げる。


 ――ぱしゃ。


 茂みの傍の水溜りに足を踏み入れたと同時に、久也は小さく息を吐き出した。


「動くな」


 死角から左手首を掴まれ、首筋に冷たい感触が触れた。

 左腕が背中へと捻られる。肩に走った痛みに反射的に呻き声が漏れる。振り返れば、すぐそこまで長が来ていた。久也を拘束する部下の代わりに奴が話している。


「――――していれば、怪我は――――」


 聞き取れなかった単語は文脈から読み取った。抗うのは愚かだとわかっているので、久也は指示通りに大人しくした。背中に冷や汗が吹き出るが、焦りはそれほどひどくなかった。別に連れ去られたって構わない、むしろもっと情報を得るチャンスとなりうると思考を逆転させればいい。


「もう一人は混血――――――、お前『East Asian』だろう? 色々と質問がある」


 したり顔の長が耳打ちする。

 一言だけ英語が混じっていたのを久也は聴き逃さなかった。

 そして今の言葉の選び方にも情報は潜んでいる。西洋人は昔は東洋人をOrientalなどとまとめて呼んでいたが、近年はアジアンをもっと細かく分類して指す人が多くなっている。「東アジア」はモンゴルを含めた中国大陸・朝鮮半島・台湾・日本列島辺りを意味する。

 そういうアンタこそ東アジアンなんじゃないか、と言ってやりたいが、残念ながら久也のマクンヌトゥバ語力では語彙不足だった。


「――ヒサヤ!」

「!」


 必死な形相で駆け寄る少女を目にした途端、冷水を浴びせられたかのような衝撃を覚えた。


(忘れてた。連れ去られるって選択肢は、存在しないんだった!)


 生贄が滝神の息のかかった範囲から離れたら巫女姫が急死するかもしれない、という可能性が脳裏を過ぎる。


「おっと、少しでも動けば、この男の腕――――ぞ」


 後ろに折り曲げられた左腕にぐっと圧力が加えられた。腕を折るとでも言ったのだろう。

 骨折くらい何でもないから俺に構わずに安全な方へ行け、と言えるような人間だったら良かったのかもしれない。だが久也はそんな言葉が気休めにもならないのはわかっていた。彼女が窮地に陥った人間を置いて逃げたがるとも思わない。


(別の打開策を探せ)


 サリエラートゥを救いたい、しかし彼女だけを逃がして自分が攫われてもアウトだ。己の所為で誰かが命を落とすくらいなら、潔く内臓を捧げた方がずっとマシだ。


「巫女姫は傷つけるなよ。生きてた方が利用価値がある。可能なら連れて行け」

「はい――」


 長の命令に、拘束係が聞き入ってた隙に。

 踵でその脛を思いっきり蹴った。腕を掴む力が緩んだ瞬間、足元に転がっている石を蹴り上げて右手で掴み、後ろ手に振り上げた。

 拘束係の額を殴れた手応えを感じた、頃には既に久也は走り出していた。


(うまく行ったのは奇跡だな)

 

 弾みで首の皮が少し切られた。とりあえず右手で首元を押さえる。

 さて状況はどうなったのか。振り返って確認すると、いつの間にやら拓真が乱入していた。槍を横手に構えて、長と他一名を牽制している。


「離れろ」


 あの普段明るい男から発せられたとは誰も考えつかなかったであろう、ドス黒い声が威嚇した。

 ここまで本気で激怒した拓真は数年振りに見る。思わず久也も背筋が凍った。


「こんな形で会いたくなかったよ」


 責め立てる声は、ねっとりと陰鬱だ。


すぐる兄ちゃん」


(!?)


 驚愕した。

 以前立てた仮定がやはり破綻したかと思えば、また一つ、ピースが手に入った。

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