18.麻痺

 藍谷あいたにすぐるが生きていた、だと――。

 信じられない想いで久也は北の部族の長と拓真の顔を交互に見た。

 長は星の煌く空をゆっくりと仰ぐ。


「……懐かしいな。日本語も、とうに捨てたその名も」


 関東出身の人間らしい発音の現代日本語。自ら肯定したこともあり、長は間違いなく失踪した藍谷英その人だと言えよう。


「何故、知っている?」

「覚えてないかな。かおりちゃんと一緒で、おれもよく遊んでもらったよ」

「カオリ……その名も懐かしい」


 妹の名前を口にした瞬間だけ、奴を囲む雰囲気が和らいだ気がした。

 だがすぐに鋭さが戻る。長は首を動かさずに眼球のみで拓真を嘗め回した。


「香が気に入ってた茶髪の子供……ああ思い出した、近所の活発なガキだ。何て名前だったか、タクヤ?」

「タクマ。小早川拓真だよ、英兄ちゃん」

「拓真だったか。こんな侘しい所で奇遇だな」


 現状のどこを取ったって奇遇の一言で片づけれられるか! ――と久也は胸の内で突っ込んでおいた。


「香は元気にしているか?」

「元気だよ。ずっと英兄ちゃんのこと心配してるけどね」


 双方の民の間で武器の応酬が激化する横、長はそれでも悠然と佇んでいる。妹の話題も軽く流した。


「そうか。貴様ら、私と似た境遇であるなら、尚更のこと分かり合えるはずだ。共に来い」


 藍谷英は首を僅かに後ろに反らせることで、細かく三つ編みにされた黒髪を揺らす。露わになった表情は全く動揺した様子を見せていない。


(奴は新しい展開に適応して、利用するつもりだ)


 対して、社交派であるはずの拓真は珍しく敵意のみを返している。先日の表現を借りるなら、今度は拓真の方が「むっちゃくちゃ怖い顔」をしていた。だがそれも無理が無いだろう。以前はとうであれ、今の英は拓真の特に嫌いな種類の人間だ。


「できない。不必要な暴力を振り回す人間について行けないよ」

「不必要なんかじゃないさ。言葉で伝えてもわからない人間の理解を促進する為、必要な措置だ」

「何を理解していないって?」


 衝動的に久也が横合いから口を挟んだ。返事は大体予想が付くのだが、訊かずにはいられなかった。それとついでに暴走まで秒読み寸前の拓真の肩に手をのせて制する。


「己の劣勢をさ。滝の神を崇める集落は必ず我々が陥落させる」

「今度は宣戦布告? さっきから言ってるコトがエスカレートしてるよ、英兄ちゃん」

「くくっ、そう思うか――」


 俄かに女の悲鳴が夜の空気を引き裂いた。

 泣きながら巫女姫を呼ぶ、悲痛な声が繰り返される。それがユマロンガの声だと久也は遅れて気が付いた。


(異変があったみたいだ。怪我人かそれ以上か!?)


 同じく気付いた拓真が振り返りたい衝動を堪えているのがわかる。槍を構える手が微かに震えていた。


「まあ、お前たちがそちら側に付きたいのならそれでもいいさ。いずれ人柱と一緒に回収しよう」


 大袈裟に手を挙げて英が踵を返す。


「待っ――」


 引き留める声をかけて前に出た拓真に、英の左右に控える北の民が弓矢を構えた。


「今日はもう私は疲れた。お前たちも諦めろ。さもなくば犠牲が増えるぞ」


 振り返らずに英が告げる。


「そうするぜ。だからアンタも大人しく帰ってくれよ」


 相手に見えないとわかっていながら、と久也はしっしっと手を振る。

 そして拓真に小声で言った。


「深追いするな。あっちから引いてくれるなら好都合だ」

「う、ぐぐ……わかってるよ! 皆をほっとけないし!」


 名残惜しそうに唇を噛んで、拓真は数歩後退った。

 久也も一緒になって危険が去るのを確認した。


(毒……メリット……?)


 高速で去り行く敵連中の後ろ姿を凝視しながら、久也は何かを掴みかけたような気がしていた。

 が、すぐにその考えを捨てた。

 人命救助が先である。





 今の己にできることがあるとすれば、それは持つ限りの知識をひたすら漁り、知恵を絞ることなのだと朝霧久也は悟っていた。

 目の前には生死の狭間を彷徨う男が二人。どちらも戦士で、アレバロロの舎弟らしい。一人は太腿に、一人は肩に毒矢を受けていた。毒が回ったのだろう、地面に横たわって喉からしきりに苦しげな呻き声を漏らしている。両目や鼻や口から透明な体液が次々溢れ出している。

 それらを取り囲む一同には電撃よりも鋭い緊張が張っている。


「呼吸不全を起こしてる。毒の種類は何だ?」


 思考をよりスムーズに整理する為に、久也はブツブツと呟き出した。


「私の神力しんりきでは傷口を治すのが精一杯だ。呼吸が楽になれればと肺周りに当てることはできるが、原因を取り除かない限りは解決にならない。とりあえず洞窟に連れて行けば、身体が自然に毒を排するかもしれない!?」

「でも動かしていいの?」


 サリエラートゥの苦し紛れの提案に拓真が疑問を投げかける。


「ダメだ。神力の効果は未知だからとりあえずはサポートだけとして受け取っておく。何より必要なのは溶存酸素量の維持。人工呼吸だけじゃ不足かもしれないが、生憎と酸素ボンベは無い」


 久也がそう言うと、拓真が請け負った。


「わかった! バローも手伝って! おれが見本やるから」


 すぐ近くにしゃがんでいるアレバロロに声をかけ、早速拓真が毒にやられた一人に人工呼吸と心臓マッサージを施し始めた。ユマロンガと別の女性は手ぬぐいを持って犠牲者たちの口周りや汗などを拭いている。

 その間に巫女姫は神力の供給を、久也は思考を続けた。

 医学生だったとしても何もかもが足りない。知識も経験も道具も技量も。

 もどかしい。助けてやれないかもしれない、何もできないかもしれない、と次々とネガティブ思考が脳裏を過ぎる。

 しかしすぐにそれをまとめて全力で無視した。救う手立てが何処にも無くても、考えるのだけは止めてはいけない。


「サリエラートゥ。アンタの知る限りで、北の部族は元から何かの毒使いだったか?」


 話を振られた巫女姫が素早く振り向いて黒い両目を瞬かせた。


「昔から、毒を塗った矢を狩猟に使っていた。決して対人用に使ったりしなかったはずだ。それも現・長の方針か」


 暗い笑みを浮かべて彼女は答えた。


「源は?」

「さあ……数種混ぜ込んでいたと思う。植物だったかな」

「植物か……麻痺を起こす毒は多いから種類がわかっても解毒剤がな……」


 やがてアァリージャに人工呼吸を替わってもらった拓真が、狼狽を隠せない顔でこっちに近寄る。久也はすかさず訊ねた。


「――教えてくれ拓真。藍谷英の背景、特に学業的な方向性について何か知ってるか」


 問われた拓真は、何で今それを、などと余計な質問を返さずに素直に応じた。瞼を下ろし、思い出そうと眉根を寄せる。


「た、しか……英兄ちゃんの好きな学問は生物と人類学って、香ちゃんが言ってたよ。セントラル・アメリカだか南アメリカの大学に行ってEthnobotanyってのを勉強するつもりだった……かな」

「エスノ――」大変マイナーな英単語だが、運よくその意味は久也の脳内辞書にあった。「民族植物学か。なるほど、この世界に来てもアドバンテージになる」


 生態系が地球と似たり寄ったりであるからこそ、いくらでも応用が利く。まだ大学での勉強を始める前だったとしても、独学で学んでたかもしれない。


「おれあんま知らないけど、クラーレとかはどう? 南アメリカの原住民が矢に塗るメジャーな奴じゃん」

「いい線行ってる」

「食べても毒性は無いし肉の味も変わらないんでしょ」

「ああ。もしクラーレに近い毒だとすると、酸素量さえ保てれば本当に自然に助かる可能性がある」

「でも、一体いつまでやってればいいの?」


 拓真の視線が流れた先を、久也も一緒になって辿った。人工呼吸は何度も交替しながら尚も続いている。


「決まってる、回復するまでだ。その辺は神力が未知の効果を出してくれることに期待大だな」

「任せろ」


 と、巫女姫が頼もしく頷いた。

 新たな希望に安心した所で、久也も交替制に加わった。言いだしっぺの自分が高みの見物という訳には行かない。

 次に集落の民と交替した後、また物思いに耽った。

 問題は藍谷英が「後日戻る」と言い残してあっさり場を引き下がった理由だ。疲れていると言ったのが事実か、気まぐれか。向こうが明らかに優勢だったのだから、ついでに何人か人柱用に攫って行けば良かったのに。


(例の「人柱」には、今日この場に集まっている十五人ほどの人間では満たせない、別の条件があった……?)


 わからない物はわからないままに、ただとてつもなく嫌な予感がした。

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