C. Convolution

16.不幸に連なる解答

 その行進はなんとも珍妙であった。

 時刻は夕暮れ、場所はだだっ広い沼沢林。

 近頃続く猛暑への対策として、北の長との会合がこんなにも遅い時間に決まったのである。沼沢林の近くは蛇にさえ気をつければ案外夜でも安全なもので、猛獣も出ないと言う。

 滝神の巫女姫たる少女・サリエラートゥを筆頭に、集落からは十五人ほどの人間が出席している。戦士三兄弟は当然のこと、ユマロンガなど女性も何人か混じっている。そして異界から来た二人、小早川拓真と朝霧久也は本日の主賓という位置に立たされていた。


(文字通り立たされてるんだけど)


 拓真は真っ直ぐ二列に並んだ北の部族の人間を見据えた。列を組んでいる北の部族に対し、滝神の集落の人間は適当に疎らに立っている。参加者全員が場に出揃うまで誰も座らないだけだが、未だ姿を現さない最後の一人に待たされているのだ。


(お偉いさんは最後に派手に登場するってやつかな)


 ラフィアパームの藁や枝から作られた輿こしが、四人の成人男性に担がれてやってくる。平らな正方形の席に二本の棒を取り付けただけの簡素な輿の上で、乗り手が胡坐をかいているのが見える。


 ――べんべんべん、べっべべべべべ、べんべんべん。


 御輿を挟む列の先頭の男が楽器を奏で、歌を誘導する。列の他の人間は男が歌うフレーズに呼応するように合唱し出した。耳に慣れないこの言語は幾つかある北の部族の言葉の中でも最もメジャーな、ンドワンゲレ語というらしい。もはや「マクンヌトゥバ」以上に発音しづらい。

 楽器は弓の下部にひょうたんを取り付けたような形だ。片手に持った小枝で弓の弦を叩き、もう片手に持った石を弦に押し当てて音を調整する。どこかで見覚えがある気がして、隣の久也に小声で問うた。


「あの楽器ってなんかブラジルのアレに似てない? 何だっけ、えーと……ビ……ビリ」

「ビリンバウ?」

「そうそれ」

「言われてみりゃそっくりだな、弾き方からリズムの取り方まで。なんだかんだでこの世界は俺らの世界と似てる」

「うん」


 異世界というより異次元と考えた方がしっくり来るかもしれない。太陽の数が違うとか全く未知の生物や天災が出てくるならばまだしも、少し前の発展途上国と言われても頷けるような酷似っぷりである。

 一つだけ特筆すべき相違点があるとしたら、方角の捉え方だ。この世界では太陽が昇る位置を南、沈む位置を北としている。


「お、もうちょっとで顔が見えそうだな」


 久也がそう言ったので拓真は再び行進に視線をやった。

 輿に乗った男が歯を見せて笑っている。久しぶりにお目にかかるキレイな歯並びだ。ちょうど男の背後に沈む太陽が一層赤みを増し、わざとらしい派手さに飾られたように見えた。

 その割に本人は見栄えがしない。体格は周りに比べてほっそりとしているし、多数の細かい三つ編みにされた長い黒髪が顔を呑み込んでいる。編み込まれたビーズの鮮やかさが注意を引いて、顔の特徴の印象が薄い。いや、それ以前に鼻までが髪に隠れている。


「よく来たな!」


 ようやく輿が止まったかと思えば、乗り手は両手を天に掲げた。長が輿の上から声を響かせ、通訳係の人が意を伝える。

 声から判断すると、想像していたよりも若そうだ。三十歳前後だろうか。

 他の民と同じで長は褌一丁の姿である。鼻輪はしていないが、唇や耳などに大きなピアスが施されている。右の耳輪なんて直径10センチ以上はある。


「民とは全然似てないな。移民説の線が強くなってきた」


 ぼそりと久也が呟いた。


「ホントだ」


 確かに、輿の上の男の肌色はカフェラテとは言い難い。黄色っぽい地に日焼けで色素を加えたような――そう、ちょうど自分と同じような色である。

 拓真は一歩近付いて目を凝らした。北の長の薄い唇と柔らかめの輪郭が確認できる。

 もう一歩近付いてみた。主張の弱い顎や頬骨、細い鼻。やはり似ても似つかない――横幅の広い鼻や厚い頬と唇が特徴的な北の部族とは。


「何だ、異邦人。私の外見がそんなに珍しいか?」


 長は流麗なマクンヌトゥバ語で問いかけた。相変わらず顔の上半分は隠れていて、髪の合間に見える黒い瞳がどこか不気味だった。拓真が何かを発言するより早く、巫女姫が進み出る。


「そなた、我々の言葉が話せたのか」

「総ての言語を知らねば陰口を叩かれてもわかるまい。人を束ねる者ならばこの程度は基本だよ、巫女姫」

「残念だ。では貴様らの陰口を囁けるように、次に会うまでに新しい言葉を創っておこう」

「それはいい! 楽しみにしているよ」


 はははふふふと、サリエラートゥと長が白々しい笑い声を交わす。含まれる悪意に拓真は微かに身震いした。


「立ち話も何だから、そろそろ腰を落ち着けようか」


 パチン! と長が指を鳴らせば、北の民はそそくさと動き出す。沼沢林の端に目星をつけてそれぞれの民が荷物を広げる。ユマロンガたちの手伝いに行こうと踵を返した、その時。

 輿から降ろされた長の横顔が一瞬だけ目に入った。歩く勢いで髪がさらりと流れ、これまでよりもはっきりとその面貌を捉えることが可能だった。


(……あれ?)


 見間違いかと思って拓真は目を乱暴に擦った。次に瞬いてみる。

 何度瞬きを繰り返しても、目に映った影は尚もしつこく存在を主張し続けた。


(そんなはずない。だって)


 その解答では、辻褄が合わない――――。

 落ち着きを失くした心音が頭の中に響いていてうるさい。


(ダメだ)


 確信も無い内に今ここで騒ぎ立てるわけには行かない。そう自分に何度も言い聞かせる。

 拓真は叫びたい衝動を堪えんと、舌を前歯で噛み締めて制した。



*



 遡ること半日。

 会合に向けて各位準備に取り掛かっていた頃、主賓の二人はだらけて過ごしていた。


「あーつーいーねー。頭沸きそう」

「俺はとっくに沸いてる。つーか暑いとか口に出すな、余計蒸し暑さが現実になる」

「言っても言わなくても暑いに代わりないよ。寒いって連呼したって寒くなるかなぁ」

「思い込みの力なめんな」

「うーんんん」


 小早川拓真と朝霧久也はエアコンや扇風機の無い世界で猛暑に耐えている。

 目の前には水の壁がある。滝神の最深部と言われる洞窟の入り口に座り込んで、滝から落ちる冷たい水に足を濡らしていると、耐え難い蒸し暑さもいくらか楽になる。

 とりあえず思い込みの力に頼ってみようと考えて瞼を下ろした。寒い場所を思い浮かべたり、これまでの人生で特に寒かった日を思い出そうとする。そうしていると心なしか暑さが和らいだ気がした。

 しばらくの沈黙の後、拓真が額の汗を拭きつつ言った。


「ところで久也さあ、顔むっちゃくちゃ怖いんだけど」


 考え込んでいるだけなのはわかっているし、見慣れてもいる。 しかし心配だった。


「じゃあ見るな」


 頬杖ついた久也が、生気の残数あと僅か、という具合に力なき囁きを返す。


「そうも行かないっしょ。何悩んでんの、今度は? 今日の会合のこと?」

「それはそれで気になるけどそっちじゃない」


 チッ、と彼は舌打ちして続ける。


「……帰る方法が全然見当たらない」

「あー、そうだねぇ。一杯聞き込んだけど悲しいくらい情報が無かったね。残る所は……人魚に訊くか、滝神さまに訊く?」

「どれもハードル高い相手だな!」


 頬杖から素早く起き上がって久也が怒鳴った。ここならばどんな大声も水の壁に吸い込まれて消える。

 ――ふむ、突っ込むだけの気力が残っているのは良いことだ。拓真は口の端を吊り上げた。


「まあ、それだけじゃない。俺はどうにも浦島太郎説に納得してないんだよ」

「え? でも筋は通ってたよ」


 一昨日久也が語って聞かせてくれた、「この世界の方が地球よりも時間の流れが遅い」という結論には拓真もサリエラートゥも納得していた。

 だが本人は後になって疑問を持ち始めたと言う。


「組み立てた理論に根本的な綻びがあるんだよ。そこを突けば一気に破綻しかねない」

「う、うーん」


 そうは言っても拓真にはよくわからないので苦笑しか返せない。

 なんとなく手を伸ばして滝の水に触れた。手の甲から肘を滴るまでに腕を伝う冷たい感触が、気持ちいい。手の甲が程よく濡れたら今度は裏返して掌を濡らした。


「もうここにいついちゃえばいいんじゃない? なーんにも無いけど結構楽しいし。勉強やバイトのストレスも無くて平和だし。おれたちの世界の遊びとかも広めればもっと楽しくなるかなー」

「基本生活は良いとして、俺はサリエラートゥに『妻の一人二人娶りたいんじゃないか』って言われたぞ。最終的にそういうことになるんじゃないか」

「ま、そうなったらその時はその時だよ。若い女の子一杯居るし、可愛いし。日本人女性はうなじと脚線美が美味しいけど、ちょっと全体が細すぎるかな。こっちの子はむっちむちでやわらかそう」


 ハッ、と久也は鼻で笑った。


「若い女は確かにそうだが、奥様方を見ただろ? あの肥満っぷり、結婚後の女性がああなる運命だと思うと萎える」

「ギャー! 肥満!? 女性の禁止ワードを軽々と!」

「そこは文化の違いだ。嫁に出す前に娘を太らせる習慣があるくらいだ、『恰幅が良いんですね』って試しにコメントしたら『まあ! そう思います?』って照れ臭そうに反応されたぞ」

「ちょ、一体何しちゃってんの……久也ってたまに変なトコで冒険者だよね」

「肥満は2型糖尿病と結び付きが深い。俺はこの集落の未来を心配して言ってるんだ」


 流石は医学部、目がマジである。こっちはそんなこと考え付きもしなかったのに。


「この世界は無駄が多すぎるんだよ。毎食あんな大量に食べる必要ないだろ。限度ってもんがある。腹八分の心得を伝えてやりたい」

「あっははは、未来の心配とかしちゃってさー。住み付いちゃう気あるんじゃん。ちょくちょくアドバイスしてあげればいーよ」


 大げさなため息をついて久也は頬杖の姿勢に戻った。


「劇的に環境が変わったからって、本人までいきなり劇的に変われるとは限らない。結局どんな世界に行こうと俺らは俺らのままだ。ただの元大学生だ」

「新世界でヒーローになろうとしたって一朝一夕じゃなれないって話だね!」

「いっやあああ、それはどうだか。お前ならなれそうだけど」

「まためんどくさくなって適当なコト言ってない?」

「マジだって」


 何故か久也はニヤニヤ笑っているが、その理由までは拓真には見えない。

 頭からはてなマークを飛ばしている間に話題が変わった。


「で、北の部族の長の方は、何か収穫あったか?」

「あ。あったよそういえば」


 アレバロロに聞いた情報を思い起こして答えた。


「今の長は九~十年前に先代と入れ替わったらしいんだよ。でも向こうは滝神の巫女姫みたいな『適性』システムじゃなくて血筋で選ばれるはずだから、どうやって替わったのかまではわからないって。北の民を何人かとっ捕まえて問い詰めても毎回答えがバラバラではっきりしないんだって」

「十年前……? なんか引っかかるな」

「代替わりした後は北の周辺の部族を統一して支配下に置いた……――それから、バローは長が『異人』かもしれないって言ってたよ」

「は?」


 滝神さまの御座す郷にとっての異人とは、北・東・南周辺の部族のいずれかに所属していない、全く異種の外見をした人間を指す。ちなみに西には人間が確認されていない。ずっと進んだ先に海があると噂されているらしいが、見て帰ってきた人はいない。

 つまり、滝クニでは異人は一貫して界渡りと同義でなければならないのである。


「それは色々おかしい」


 脳内で情報整理をしているのか、久也の視線は浮遊し出した。


「うん。北の部族が住んでる地域よりもっと北から現れたとか、そういうのはありうるみたい」

「正統な血筋を押しのけて長になった異人が、周辺の部族を統一した……? 地球の歴史にもあった気がするけど、それでよく民が文句言わないな」

「恐怖政治じゃないなら、なんかメリットがあったのかな」

「こればっかりは会ってみるしかないな」


 そうだね、と拓真は相槌を打った。

 全くどうしてこの世界は、こんなにも謎だらけなのだろう。面白いような頭が痛いような、複雑な気分である。

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