03.その分だけ体重が軽くなる

「ストップ」


 心臓が一度大きく跳ねた後、奥から頭痛がじんじんと広がるのを久也は感じた。夢に見た光景が脳裏を過ぎる。


「巫女姫、そういう爆弾発言は今はいいから、順を追って説明してくれないか」

「バクダン発言とはどういう発言だ?」


 サリエラートゥが小首を傾げる。


「……弾けるように混乱を引き起こす問題発言だ。とりあえずこっちが質問するからアンタは一つずつに答えてくれ」

「ああ、構わん。滝神さまの生贄として現れた以上、お前たちは集落の民と同等以上に扱う。何も包み隠したりしない」


 ――だからその単語を出すのは止せ! と、心の中で叫んだ。しかし、この姫が発音すると「生贄」という絶望的な単語がとてつもなく官能的に思えてくるのは何故だろう。あのふくよかな唇と赤い舌と滑らかな声音の所為か、うんきっとそうだな、詐欺だな、と久也は無理矢理に自分を納得させた。

 肩から振り向くと、拓真のキョトンとした表情が見えた。ドイツ系アメリカ人である祖父譲りの、グリーンヘーゼル色の瞳が瞬く。


「あ、待って久也。その前にこの繩解いてもらおうよ」


 拓真が期待に目を輝かせて巫女姫を見上げた。サリエラートゥは口元に右手の指を寄せる。


「そうだったな。目が覚めた時に混乱してまた逃げたり暴れたりしないように縛ったのだが、理性を通して会話ができるとわかった以上は、必要ないな」

「あはは、さっきはゴメン。おれ昔から仲間が危険な目に遭うとちょっと我を忘れるみたいでさー」

「今後の参考に覚えておこう。仲間想いなのは良いことだ」


 巫女姫は短く笑った後、左手に持っていた松明を壁の台に移した。照らされた壁から洞窟っぽさが改めて見て取れる。

 サリエラートゥは身を屈めた。拓真が黙って彼女の一挙一動を眺めている。残念ながら暗過ぎて腰布の中までは見えないだろうけれど。

 どこからか現れた骨製ナイフを用いて、巫女姫は手早く縄を切った。縄が落ちると、拓真が「やったー!」と言って飛び跳ね始めた。殴られて気絶していたとは思えない頑丈さである。


「奥の祭壇なら座って話せる場所がある」


 屈み込んで目線を合わせたまま、サリエラートゥが提案した。


「明るみに出て話すことはできないか?」


 彼女が指した真逆の、洞窟の出口と思しき方向を指差して問う。


「今はまだ駄目だ。何故かと言うと、この洞窟が大地の母神たる滝神さまと通ずる宮……いわば『子宮』のような場所だからだ。最も神力しんりきの加護が強く、此処ならば怪我の治りが非常に速い。ヒサヤ、死にたくなければお前は出るな」


 サリエラートゥはゆっくりと頭を振った。


「神力……と来たか」


 思わず呟いた。

 知らぬ間に訝しげな顔をしたらしい。サリエラートゥが意外そうに目をぱちくりさせる。


「何だ? 恩恵を受けておきながらまさか信じないのか」

「俺はオカルトは信じない方だったけど……」


 答えが濁る。確かにこれまでは神通力の類は証明できないものと断じていたが、話している間にも痛みが引きつつある胸の傷は、抗し難い反対論を示している。


「死にたくはないから、従うことにする」

「ああ。それでいい」

「そうだよ久也、神力ってやつでさっぱり治しちゃいなよ」


 巫女姫と拓真が揃ってうんうんと点頭する。

 久也は巫女姫が差し出した力強い手に引っ張られ、こめかみを片手で押さえながら、何とか自分の足で立った。

 そうして三人は闇の中を更に深く進むことになる。





 小早川拓真は、自分たちがどうやら生贄になる為にこの世界に来たらしい事実を、あまり悲観していなかった。

 多分、崖から落ちた時点で人生の終わりを一度受け入れたからだと思う。落ちた先の異世界で得られるかもしれない日々は、友達とカラオケに行った時に終了間近になってから誰かが追加料金を出すと決めた、オマケ時間みたいなモノだ。その時には一番歌いたかった歌は既にほぼ出し切っている。勿論、オマケ時間が増えれば増えるほどもっと歌いたい曲を思いついたりもするが。

 拓真は長方形型の石のベンチに腰をかけてからは、能天気な笑みを浮かべて隣の久也と向かいに座る巫女姫サリエラートゥの真剣な言葉の応酬に時々口を挟んだ。


「この集落に定まった名は無い。外の人間は色々な呼び方を使うようだが……我々住民は、滝神さまの御座す郷、と呼んでいる」 

「タキガミサマノオワスクニ? 長いなぁ。そんなクニあったっけ」


 膝の上で頬杖ついて拓真は記憶の中の世界地図を探ってみた。地理には、まあまあ自信がある。


「名前の雰囲気は倭の時代っぽいな。それ以前に、ここは地球なのか?」


 久也が拓真の方を向いて訊き返す。


「お前たちの故郷は、チキュウ、と言うのか」

「大っぴらに言えばそうなる。地球でアジアで日本で関東だけど、そういうのはわかりにくいだろうから省く。そんなことより訊いていいか、巫女姫?」

「何だ、ヒサヤ」

「さっき……アンタの水浴び……に、立ち会った時は言葉が通じなかったのに、何で今は通じるんだ?」

「あ! おれもそれ知りたい!」


 気が付けば拓真はベンチから立ち上がっていた。興奮して、ついサリエラートゥに詰め寄ってしまう。

 彼女は特にたじろいだりしなかった。


「それはおそらく神力のおかげだ。滝神さまの内に居る限り、思考や発言に使う言語が総て通じ合うようになる」

「ええ? じゃあこの洞窟から出たらまた通じなくなるの?」


 落胆に肩を落とし、拓真は再びベンチに腰をかけた。


「そうだな。此処で生活して行くには、なんとか我々の言葉を覚えてもらうしかない」

「まず、生活する必要があるのか? 生贄なんだろ」


 そう問い詰めた久也の声は冷ややかだった。しばしの沈黙が続く中、どこか近くで、ピチャン、ピチャン、と水が降る音が響く。


(あーあ、ダメだよ久也、そんなに女の子睨んじゃあ)


 拓真は本題と離れた路線で思考していた。

 朝霧久也という男は、顔立ちが整っている。しかも美形と精悍の中間みたいな、いいトコ取りでずるい感じにイケメンなのだ。一見クールで頭が良く、黙っていても話していても女子にはモテる。問題が一つだけ――目付きが悪いのである。

 性格とは無関係に元から目元の印象がキツかったりするのだが、シビアに話している時など、本人も気付かない内にもっとキツくなる。それで嫌われることは無いが、逆に相手が「もしかして私って嫌われてる?」と勘違いすることが多々ある。


かおりちゃんも久也のことは昔から知ってるのになんか苦手っぽかったし)


 きっとそういうことなのだろう、と拓真は勝手に想像している。

 幸いなことに、巫女姫サリーは目付きぐらいでは動じない女の子だった。


「生贄になると言っても、すぐにその身と命を丸ごと投げ出す必要は無いぞ」

「どういう意味だ? ……いや、質問を変えよう。アンタらが神に捧げる生贄には、どういう理由がある? 古代文明だと、不作や天災が続くと、人々は神が怒っていると解釈して、その怒りを鎮める為に生贄を捧げたりしたんだが」


 サリエラートゥは魅惑的な脚を組み替えてから答えた。


「我々の滝神さまは、『水』に神力を宿して集落に広めている。さすれば少ない水でも作物や果物はよく育ち、野を駆ける動物や魚たちが肥える。そうして集落も栄えることができる……が」

「神力を支えるのが生贄ってこと?」


 拓真が再び会話に参加した。


「察しが良いな。滝神さまの神力が大地を支え、集落が大地から恵みを賜る。神力が尽きない為には、新鮮な人間の生贄が必要だ。しかしそれには条件がある」


 膝上で両手を組んで、サリエラートゥが続ける。


「集落の民が生贄だと、力は還元する。神さまから得た力に育まれたのだから、それを返しても、神力は元々の量に戻らない。大地を栄えさせる段階で減っている」

「……それで、外部の人間から新しい力を調達するんだな。話が見えてきたぜ。まだ、異世界である必要性がわからないけど」

「生贄が最も強い力を与える条件は、自らそれを望むことだ。神への供物となることを至上の歓びと認めている者こそが最高の状態の生贄だが、それに近いのが『死を強く望む者』だ。詳しい仕組みは私にもわからないが、つまり、滝神さまの生贄候補を引き寄せる為に、自ら命を絶つ人間が多く居る異世界の場所が、この滝と一方的に通じている」

「じゃあ自殺の名所で死にそうになっていた俺らが世界を渡って来たのはそういうことか。で、もしかして、本気で望んでいなかったから、最高の生贄じゃなかったから、生きたままに連れて来られた……ってことか?」


 久也がそう訊ねると、サリエラートゥは考えるように目線を逸らした。


「私は滝神さまの代行者ではあるが、意志が総てわかる訳ではない。多分、そういうことだと…………思う」

「えー、わー……むー?」


 途方も無い話なので、拓真はただ理解しようと必死だった。知恵熱を起こしそうになり、意味不明な唸り声ばかり出る。


「WHO(世界保健機関)によると、地球での自殺率は一年に約百万人だと聞いたことがある。そりゃあそこらの近隣の集落と通じるより、地球と繋がった方がよっぽど収穫がありそうなもんだな」


 久也が悲しい現実を無感動に指摘する。


「百万? そんな大それた人数、想像も付かないが……そんなにたくさんは現れない、せいぜい一月に二・三体くらいだ。そもそもこの集落の人口が、五百人にも満たない」


 サリエラートゥは洞窟の天井をしばらく見つめ、そしてまた異世界からの来訪者たちを見つめた。


「済まないが、さっきも言ったように繋がりは一方的だ。お前たちを帰す方法はわからないし、方法があるとも思えない。だが急がなくても、お前たちの力が必要になる日はすぐには訪れないはずだ。新鮮な死体なら先週届いたばかりだしな」

「今後も他の死体が現れればおれらはお呼びじゃないかもね」

「そうだ。時間が許す限り、帰る方法を好きに探せ。それにお前たちの力が必要になっても、腎臓一つでしばらくはもつぞ。片方残っていれば人は生きていけると言うからな。その際は、どっちが先に捧げたいかは自分たちで決めてくれ。お前たちが心底望まないのなら、生贄の儀式も無力だからな」

「はいはーい! じゃあそうなったら腎臓はおれが神さまに捧げる」


 拓真は即座に挙手した。

 驚愕にサリエラートゥの黒い双眸が見開かれる。


「やけに即断するんだな。もう少し話し合ってもいいぞ? 重要なことではないか」

「ううん、決定事項だよ。だって久也は、腎臓一個しかないから」


 ね、と隣の久也に同意を求める。

 親友は困ったように苦笑した。

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