24 時の進んだ町

 扉を開くと、以前と変わらずに部屋の時間は止まっていた。部屋に入ると窓際には低いタンス。その端にはそびえ立つように置かれた長いスタンドミラー。部屋の左には子供用の小さなベットにその隣には勉強机に本棚がひっそりと構えていた。部屋の中心まで入ると少女らを歓迎するかのように柔らかいラグが足裏を包んんだ。


「わぁ、誰が使っているんだろうね?」

「誰も使ってないわよ。いつ来てもマキおばさんとコニーしかいないもの」


 少女はわりに冷静に言うと、タンスの上を撫でた。誰も使ってないといってもその部屋はとても清潔に保たれて、埃や塵などは目につかない。けれどそんな清潔に保たれた部屋もなぜか虚しさある空気が流れていた。少女は勉強机に備えられた椅子を窓際に運び、横すべり出し窓のレバーを握り窓を奥へと滑らせ潮風を部屋にいれた。そうすることで、胸の中を締め付けるようなマキに対する申し訳なさだったり、この部屋の寂しさだったりを埋められるような気がした。


「見て、この部屋の子も絵を描くんだね」


 陸はそういいながら机の上に縦に並べられた一つのノートを開きながら雪に言った。


「何だか、不思議な絵ね」

「なんだか雪ちゃんの絵と似てるね、ほら、なんていうか色使いとか」


 雪も言葉には出さなかったものの、少年と同じことを思った。それは雪の好む色使いはもちろん、その描く画題だったりは雪によく似た風景画だった。

 その後も少年は控えめながらも淡々と気になるものを手にしては元の場所に戻すを繰り返し、本棚に置いてあった絵本を見ながらそのままベットに座って集中して読んでいた。

 少女も最初は陸と同じように部屋の中を物色し、次第にその手を止めて気が付けば二階のもう一つの扉の前にいた。隣にはもちろん陸の姿はなくて、まだ子供部屋で絵本に夢中になっていた。少女はその時、なんにも考えることはなく、ただぼんやりとそのドアノブに手をかけていて、気が付くとその手を回して少しだけ扉を開いた。

 扉を開いた拍子にドアは鈍く軋んだ音をたてて、雪は我に返ったようにその手を止めた。少女から見て部屋の中はまだ見えてなかった。今ならまだ見ないで済んだ。その部屋はマキの言う通り、物置だったのかもしれない。少女の心では葛藤があったが、全ては目の前に迫っており、彼女には選択の余地は残ってはなく、再度、ドアノブに力を込めて、重く暗い深海の中で光を求めるようにして両手で扉を押した。

 その部屋は物置ではなかった。けれど、マキが隠すほどになにか問題のあるような部屋ではなく、とても清潔に保たれているように感じられた。無駄なものは一切置かれていなく、ただ、そこには大き目のベットが置かれていて、壁には様々な絵が掛けられているだけだった。そして、子供部屋同様に時間は止まっていた。

 少女が部屋に足を踏み入れ、壁に掛けられた様々な絵を一つづつ目にいれた。それは雪好みの絵であり、どこか懐かしいような見覚えのあるような雰囲気に包まれていて、雪は少しだけ怖くなるような錯覚に囚われた。それは世界のすべてを知ってしまうような恐ろしさであったり、知るべきでないことを知ってしまうような恐ろしさだった。

 そして、雪はベットのサイドテーブルに置かれた写真立てが目に入り、その写真を手に取った。写真はすぐに家族写真であることがわかった。がただの家族写真ではなかった。そこにはマキは勿論の事、大吾郎もそこに写っていたのだ。

 その写真を少女が見た時にはすぐには理解できなかった。ただ、最初は何かの記念写真であったりするのだろうかと思った。写真にはその二人のほかに、夫婦であろう若い男女と、雪と同じくらいの歳の少女。そして、その夫婦の女性の腕の中には赤ん坊がすやすやと眠っていた。

 少女は少しの間、その写真を見て出来る限りの可能性を写真に当てはめていた。けれど、最も考えられる答えは、これが家族であるという事だった。

 すると、少女の中ではまたややこしい事が頭に浮かんだ。それは、その写真と自分との関係性だ。もしもこの写真が大吾郎の家族の写真であるとするならば、ここに写る若い夫婦は自分の父親と母親なのだ。そして、必然的にマキは自分のお婆ちゃんなのである。となると、ここに写る女の子は……。その女の子は真っ白なワンピースで、一見、自分を見ているようだったが、顔を見れば自分でないことは分かった。


「私はこの赤ちゃん……。この人はお父さんとお母さん……。マキおばさんは私のおばあちゃん…………」


 その時、部屋の外からコニーの吠える声が聴こえたが、少女は不味いとも思わず、ゆっくりと写真立てを元の場所に置いた。すると、隣の部屋から陸が大慌てで現れて、雪を急がせた。


「雪ちゃん、マキおばさんが帰ってきたから、早く!」

「――――うん」


 少年はそういうと、大急ぎで一階に降りた。少女は無気力に返事をすると、部屋を後にした。けれど、少女は部屋のドアを開けっぱなしのまま階段をゆっくりと降りた。一階に降りると、マキは笑顔で、ただいま、といった。


「マキおばさんは、雪のおばあちゃんなの?」


 少女は今にも涙を溢れさせるようにそういった。一方のマキは状況を掴めずに口を開けたまま、買い物袋から出した卵を手に持ったまま止まってしまい、陸はそのことを理解できないようで、けれど、雪の顔をみて心配な顔を浮かべた。


「なんで、教えてくれなかったの? どうしてなの? 雪、ぜんぜん意味が分かんないよ……」

「――――雪ちゃん、どうして急にそんなことを訊くの?」

「急なんかじゃない……ずっとずっとマキおばさんは秘密にしてたんでしょ……ひどいよ……どうして……おじいちゃんだって……」

「雪ちゃん……秘密なんかじゃないわ。いつか話さなくちゃって思っていたの。おじいちゃんともそう話していたのよ」

「マキおばさんは雪のおばあちゃんなの?」


 雪は真剣な眼差しでまた訊いた。マキは、えぇ、と小さく呟くように言うと下を向いた。


「どうして、マキおばさんとおじいちゃんは一緒に住んでいないの? そしたら雪、寂しくなんてなかったのに、どうして雪とおじいちゃんは一緒に住んでいるのに、マキおばさんは一人でここに住んでるの? どうしてなの?」


 雪には訊かなくてはならないことがたくさんありすぎて、ほとんど混乱したように訊いた。それに対して、マキも何から話せばいいのかが分からなくて困った様子で力が抜けたように椅子に座った。そして一言、ごめんなさい、といった。

 ついには少女は目に涙を溢れさせた。けれど、声には出さず、我慢するように泣いた。それは怒りに満ちたような、傷ついて悲しみに満ちたような、悔しいような、様々な感情を入り交えて、仕方なく、歯を食いしばった。


「雪ちゃん⁉ どこに行くの!」


 少女は勢いよく家を飛び出していた。これ以上その場にはいられなくて、こうするしかなかったかのようにただひたすらに走った。何も考えることはできなくて、腕に涙を染み込ませながら走った。走りながら、行き先を決めた。家に帰ることはできなくて、自然と行き先は決まっていた。


 *


「お嬢ちゃん?」


 少女はちょうど、パン耳を食べているところのマウスに構わず飛びつくと、ただ泣いた。ずっと張っていた糸が緩むように、声に出してワンワン泣いた。マウスは状況を掴めないながらも、優しく頭に手を載せて、背中をそっと摩った。ただ、黙ったままそうすることしかできなかったが、それでも少女にとってはそれがどれだけ安心できてそうすることが必要であったかは言うまでもない。

 少女は泣き止んだ後もしばらくの間、マウスの体から顔を離さなかった。

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