2 星の輝く町

 この芸術の町では独自のルールがある。


『町で認められた種類の道具を使う事』

『他人の所有物に対しては所有者に許可を得る事』

『マナーを守り、他人に迷惑をかけない事』


 他にも細かなルールがあったり、伝統的なルールは存在する。

 それらが今まで守られたことによって、この町の芸術は守られてきた。


「雪ちゃん、チョークは初めてなのに上手に描くわね」


 雪は今、家主であるマキおばさんとそのペットのコニーと共に、キャンパスという名の家の外壁にチョークを使って一つの芸術作品を作り上げている。

 褒められた雪はそんなことはない、という様に絵に集中しているが、透き通るほどの日に焼けない白い肌や耳までおも赤く染めるもので、マキには当然コニーでさえも雪の考えていることが見え見えなのだが、当の本人はそれに気が付いていない。


「マキおばさんもやっぱり上手ね」


 お世辞にはお世辞を返すことを覚えている少女であるが、お世辞というものは単なる人間の勝手な想像であるため、少女のお世辞ともいえる返しは、彼女の本当の言葉であり、マキは画を実に美しく描いている。

 といえど、マキの言葉も紛れもない彼女の想いである。

 雪は小さいころから絵を描いて、誰に教えられるでもなく自分自身で進んで画用紙に絵を描いた。

 その為か、少女が描く絵はいつしか大人が描く絵に匹敵する程であり、マキも一目置いている存在であるほどだ。


「誰かと一緒に作品を作るのって難しいね」


 雪はそういうと、マキは自由に描けばいいわ、とにっこり微笑んだ。

 一般的には芸術は一人で仕上げるものである。

 けれどこの町の落書きは誰かと仕上げるのは当たり前。さらにこの町の芸術家のあり方を言えばこの落書きは三つのパートに分かれている。


 基本である『下絵を得意とする人』。

 完成に近づけるための『色塗りを得意とする人』。

 そしてある意味、最も重要な『場所を提供する人』。


 単純だと言われればそうなのだが、これらはこの町がと呼ばれるうえでの重要なことであり、多くの住人が芸術が好きな理由にもなっている。

 芸術が好きだと言えど、絵を描くうえで人により得意不得意があるのは当然であり、この町の芸術を愛する住人達は役割を生かす。

 それはみんなで楽しむことを望んでいるからだ。

 基本的には誰しもがこの三つの基礎として成れる。マキの場合がそうであるように、彼女は三つ目にいる存在であるが彼女自身が芸術家としての技術があるため、彼女の場合は三つすべてに当てはまる。といってもこれらに当てはめるのは曖昧な判断だ。

 そんなマキはチョークを筆のように扱い下絵を完成させていく。二人は互いのことを見合って家の外壁に時間をかけ描いていく。

 だがお互いがお互いを描いているために観察が困難である。

 そしてマキの場合、昔からの雪と今のここにいる雪を思い出すかのように目を瞑り、チョークで下絵をかいていく。

 それは並大抵の事ではない。

 記憶を頼りに頭でそれを分析し、自分の頭でより明確なプランを練る。

 そして目を開け壁にチョークをあてがえてその皺の入った腕を動かす。

 それはそれは綺麗なものであり隣の雪はたまにチラチラと盗み見ては驚いた表情を浮かべ、遂には手を止めて食い入るように眺めた。


「マキおばさん、素敵だわ」


 白いチョークだけで彼女は絵を表現する。

 長い艶やかな髪で真っ白なワンピースを着こなした少女。少女の特徴の真っ赤なサンダルは表現は不可能だが、それ以上に出る魅力溢れる画。


「なんでそんなに上手く描けるの?」


 雪は真剣にそれを聴くが、マキはそれに対して技術ではないと言う。

 だから雪はマキのことを尚更魔女だと思うのだ。

 そんな雪は様々な色を巧みに操るようにマキをと飼い犬のコニーを描いていく。

 それはいつも雪が見ている風景で、裏庭のテラスに腰掛けるマキと芝の上でジャンプをするコニー。

 雪は描きながら楽しくなってくるタイプで周りの声も聞こえなくなるほどに集中してしまう。

 そんな雪をみて今度はマキが手を止めて食い入るように眺めた。


「うん、上出来」


 雪が仕上げた時には当たりは暗くなっていた。

 少女は勿論、マキも満足し、その顔でお互いがそれを感じあい、ほくそ笑んだ。

 そして昔からの伝統であるサインをしっかりと最後に付け足して完成させた。


「落書きは素敵だけれど、いつか消えてしまうって考えるとなんだかここがつーんとする」


 雪が胸のあたりに拳をぎゅっと押さえつけて言った。


「それが良いのよ」


 マキはそう答えるも、雪は立派な一人の芸術家であるが、そこは十歳の女の子。言われたことの意味を理解する能力は乏しい。

 そのマキの言葉に秘められる意味を深く理解するにはまだまだである。


「そっか」


 雪はそう答えながらも、その良さを知るために少しでも自分の描いた初めての落書きを覚えていようと太陽のオレンジの日が落ちきるまで延々と眺めた。

 この落書きはいつまでもつのだろう?

 その問を知るのはそう遠くもない未来であり、消えてしまった時、自分自身のこの気持ちはどう変化するのだろうと考えた。

 それを悟ったように笑顔を崩さないマキは言った。


「雪ちゃんにもわかる時がすぐくるよ」


 雪はやっぱり魔女だと思ったが口には出さなかった。魔女であれば消されてしまうとでも言うふうに両手で口を押さえた少女にマキは頭を撫でるとお別れをした。


 雪は家路を辿りながら様々な家のアートである外壁を眺める。やっぱり素敵だ、と口に出してまばたきも忘れてしまっていた。なにしろ落書きのジャンルは様々であるため一概に絵といえど、文字を芸術として壁に描く人だっているのだ。

 雪は一つ一つの落書きを見ては理解を深めていく。

 それはまるで読書のようで、本のように文章を理解したり、表現であったりバランス、将又その空間だったり。

 雪はそんなふうに、あまり読んだことのない本を想像した。

 きっと本を読めたなら、たくさんの本を読み漁っていただろう。

 この町の教育は任意であるため雪は学力に関して極端に劣っている。だが雪が学校に行かない理由としては間違いで、学校に行かないのはそのお金がないからである。けれど雪はそれを恥じてもいなければ、悲しんだりもしない。それは町としても働くうえで、専門技術や知識を必要とする業種を除けは、学力は必要とされないからだ。そのため、雪のように学校に行かない子供は決して少なくはなかった。

 といえど、運がいいのか、彼女は文学よりも芸術が好きであった。

 辺りは真っ暗になり、既に太陽と共に月も沈んでいる。

 雪はこの日が好きである。月も好きなのだが、それよりも大吾郎から星は太陽の仲間なのだと教わって以来、毎日のように夜空を観察する。その中でも特に雪は太陽の影響を受けない新月の夜を心待ちにしているのだ。


「おじいちゃん! みてみて!」


 晩御飯を済ませた後、大吾郎はいつものロッキングチェアに座り、居眠りをしていた。雪に起こされるが嫌な顔一つせず、どれどれと外に出た。


「あぁ今日は新月か」

「そうなの!」


 雪ははしゃいで答え、「お星さまはなんで動かないの?」と大吾郎に質問した。大吾郎は無表情に真っ白いひげを親指と人差し指でつまむように摩り、いつものように間を空ける。


「星も動いているよ」


 その答えに雪はすかさず反論する。


「そんなことないわ。だっていつ見ても止まっているもの」


 その詰問に対して大吾郎は口籠るが、また何ともいえない間を空ける。恐らく彼を知らない人が、この間を体験すると、きっと先に口を開いて大吾郎の答えを聴くことはできないだろう。その点、雪は大吾郎が物事を深く考えることが出来ると知っていて、この間を待つことぐらい朝飯前だ。

 そして大吾郎は長かった間を切った。


「コニーは今動いているかい?」


 それは何とも正解の見えないぶしつけな質問であり、雪も困った顔を見せる。


「そんなことわからないけど、きっとこの時間はご飯を食べているわ」


 その答えに大吾郎は、そうだね、と優しさの籠った声で少女に呼びかけ渋みのある声で説明した。


「星は遠くてよく見えないけれど、動いているんだよ。コニーと一緒」

「ふ~ん」


 雪は動かない星と、見えないコニーを重ね合わせ何となくわかった気がした。

 今日のように少女は大吾郎に宇宙の質問を一つする。本当はもっと気になることがたくさんあるのだけれど、気になったことを何度も何度も質問しても覚えられなくて、いつしか大吾郎は一つだけにしなさいと言った。

 それからというもの、雪は大吾郎と夜空を見上げるときは必ず一つ、気になることを質問したり、新しいことを教えてもらうのだ。

 少女は大吾郎のように星に詳しくはないが、夜空に浮かぶ星が大好きだ。

 そして、雪は必ず一等星を意識するようにしている。大吾郎の教えだ。

 夜空を見上げた時の一番光り輝く星。少女はその星をいつも神秘的に感じた。

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