21 記憶の残る町
雪が全てを知ることになったのはそれからそう時は経たなかった。そのきっかけは偶然だった。
その日、雪は陸とともにマキの家に訪れていた。それは遊びにではなく、しっかりと絵を描きに来ていた。このところ(福が町を出てから)では当たり前のようにマキの家に集まって、二人してマキの指導を仰いだ。それぞれが一つの目標に向かっていた。それは絵が上手くなることだったり、福に追いつくためにだったり、すべてをひっくるめれば自分の為に。
「そろそろ、休憩にするかい?」
「うん!」
雪と陸は元気に返事をすると、キリがいいところまで描き終えマキの背中を追って作業部屋を後にした。福がいなくなってからというもの、二人の芸術に対する意識は少しずつだが変化していた。それはとても良いことで、今ではお互いが芸術に対する意見を話し合うことだってある。もちろん喧嘩になんかはならない。今ではお互いがお互いの良いところ悪いところをしっかりと理解していて、良い部分はしっかりと学んで、悪い部分は教えてあげるのだ。そうして、二人の腕は確実に上がった。それを一番感じているのは傍で見ていたマキかもしれない。
一階のリビングに降りると、マキはいつものようにキッチンに向かって作業を始めた。その間、二人の少年少女は庭にでてコニーの相手をした。コニーもあれから少し寂しそうにしていたが、今ではケロッとした顔をしていてみんな安心していた。そのコニーも実は寂しさを紛らわそうと必死に自分の役目を果たしているのかもしれない。
「コニー、ぺろぺろはよせって――」
陸はコニーに顔を舐められているが、陸はコニーのぺろぺろが苦手で、それを楽しんでいるかのように、コニーは陸にだけ何度も何度も悪戯に舐めた。
そして逃げるように走ると、コニーもそれを活発に追いかけた。
「雪ちゃん、陸君、ホットケーキができたわよ」
「はーい! リス君、早くしないとリス君のも食べちゃうよ!」
「待ってよ!」
「ワンっ」
しっかりと手を洗った後、テーブルに着くと目の前にはホットケーキの載ったプレートが置かれた。少しだけ小さめのホットケーキが三枚綺麗に積まれて、その上にはバターの塊が溶けてズレ落ちそうになっていた。
「美味しい!」
二人はほぼ同時にそういうと不器用にナイフとフォークを使って一口サイズに切り、追われるように口に運んだ。
口の中一杯にホットケーキを含むと、ちょうどいいタイミングでグラスに入ったミルクが置かれた。
「なんだか作った甲斐があるわ」
マキはそういいながら二人の姿を笑顔で見守った。そして、テーブルの下でクークーと鳴くコニーにも犬用のジャーキーを与えてやった。
「あのね、これから少し出かけなくちゃいけないんだけど、その間、お留守番できるかしら?」
「うん、もちろん雪は構わないわ」
「僕も大丈夫だよ!」
「よかった。少しの間だけど、任せちゃうわね。日が暮れるまでには戻れるから」
マキはそういうと、すたすたと出かける準備を始めた。
「食べ終わったお皿は流しに置いてたらいいわ」
そう言い残してマキはすぐに家を出た。
しばらくして食べ終わった雪と陸は、流しまで空いたお皿を置くと、少女がこう切り出した。
「二人で洗っちゃいましょ」
「もちろんいいよ!」
二人はさっきまで座っていた椅子を移動させると、それに立ち上がって二人で協力してお皿を洗った。雪に関しては洗い物は得意だ。家で沢山やってきたお手伝いの一つだから。雪がスポンジを使ってお皿を洗い、陸がその洗い終わったお皿を布巾で拭いた。そして最後にグラスを洗い終えて雪が陸に手渡した時だった。それは一瞬で手から手へ、手から地面に向かった。地面に落ちたと同時に透明なグラスは嫌な音を響かせた。
「「あっ……」」
二人は同時に発した。雪はまず蛇口を閉めた。
そして陸は一瞬は体を固めてしまったがすぐに正気に戻ったのも束の間、咄嗟にグラスの破片を拾った。
「いてっ」
拾った破片の掴みどころが悪かった。右手の人差し指からはサラサラとした血が流れた。
「やだ、大変」
雪は一瞬どうしていいのかわからずに、その場でロボットのように動かなくなってしまったが、冷静に、冷静に、と焦る気持ちを落ち着かせるために一度大きく息を吸った。気持ちを落ち着けた後、周りをきょろきょろと見渡した。そしてテーブルに置いてあったティッシュペーパーが目に入り勢いよく手に取った。手にしたティッシュボックスからしゅっしゅっしゅ、と何枚か取り出して両手を受け皿のようにして血を床にこぼさないようにしている血溜まりに染み込ませて、また数枚ティッシュペーパーを抜いて今度は傷口を軽く包むように巻いた。
一方のケガ人である陸は血の止まる目途もつかないでただただ湧き出るように流れる血を必死に床に垂れないようにするが、あまりの血の量にだんだんと焦りが顔に出る。
「そうだ、水で洗わないといけないよね。リス君大丈夫? 立てる?」
雪は必死に思いつく限りに処置をした。陸を支えるように立ち上がらせると、一緒に椅子に上り、蛇口をひねって傷口に水をかけた。傷口からはさらに血が水と混ざり合って排水溝に流れる水を赤く染めた。傷口から出る血は留まる事を知らないように出続けた。それを見ていた陸は段々と顔が青白くなった。このままでは
「大丈夫よ。傷口なんて大したことはないわ。血が出るのもリス君が元気すぎるからよ」
「……うん。雪ちゃんがいてくれるから大丈夫。ありがとう」
雪はしばらくの間、陸のタオルでぐるぐる巻きになった人差し指を両手でぎゅっと包んだ。この時、陸よりも雪の方が不安が大きかった。
血は彼らが思っていたよりもすぐに止まった。そして顔色が戻った陸を見た少女は心の底から安堵した。
「もう大丈夫みたいね」
「うん、平気だよ。雪ちゃんありがとう」
「別に大したことないわ」
雪はぷいっと立ち上がると、絆創膏を探してくる、といって陸を後にした。
一階は我が家のように知り尽くしている雪は二階に向かった。一階には恐らく救急箱はないと踏んでいるのだ。階段を登りきると広い廊下があり、そこから一番遠い部屋が作業部屋である。無論のことそこには探し物はない。
そしてその作業部屋に行くまでの廊下の壁には他に二つ扉があるがいつも閉まっている。遠い昔にその部屋について尋ねた時、マキは物置で汚いから入ってはいけないと言っていた。そのため、その二つの部屋は家の家主以外は誰も入ったことがない。渋みのある茶色の扉に向かい、雪は遠慮がちにアンティーク調の丸いドアノブに触れた。ひんやりとしていて普段人が入らない、紛れもなく物置であるという感じがした。もしかすると鍵がかかっているかもしれないと思ったが、その予想は運よく外れてくれドアノブは挨拶でもするかのようにきゅっ、という音を出して回り部屋の扉は奥に開いた。
開いた部屋は雪の想像とは違い、ただの部屋だった。そう、ただの部屋。恐らくは子供部屋。けれど無駄なものはなく、小さめのベットと窓際には低いタンス、部屋の端っこにはスタンドミラー。勉強机や本棚。ただ、何となく子供部屋なのだろうと分かった。
雪はそっと、人の心に入り込むようにゆっくりと足を進めた。部分の中心にはラグが敷かれ、その上に足を載せるとふかふかと柔らかさがあった。部屋を見渡すととても不思議な気持ちになった。もちろん、雪は一度もこの部屋に入ったことはないのだが、とても懐かしい気持ちと、懐かしいような落ち着く部屋の匂い。本棚には読んだことのないのに微かに見覚えのある絵本。ぺらぺらとページを捲るも、その文字を読めないことがそれを裏付けるような安心感を抱かせる。雪はそっと絵本を閉じて元の場所に戻し、ベットに座ってぼーっとした。心の中は上擦るような高揚感であったり恐れるような恐怖感、ぽっかりと何かが抜け落ちたような空虚感が入り混じった。
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