8 ネズミのいる町
「さっきのお姉さんは?」
「あぁ幼馴染さ」
幼馴染という言葉は、とても素敵な響きだと少女は感じた。自分にとって誰が幼馴染かを考えた時、リス君とフクロウ君が真っ先に頭に浮かんで、明日あったら出会えた運命に感謝しようと思った。
「彼女は僕のことを哀れに思ってんだ」
「どうして?」
「だからこうやって廃棄の食パンの耳をくれるんだ」
「あら、けど美味しいわよ」
「そうなんだよ。やっぱりお嬢ちゃんは賢いね」
「賢くなんかないわ。私は学校にも行ってないもの」
「なにも、学校に行っている子が賢いわけじゃないよ。しっかりと物事を考えられる人が賢いって言うんだ」
なんだか褒められているようで少女は真っ白い頬をピンクに染めた。
二人は町にある比較的大きな公園のベンチに腰かけた。公園の周りには沢山の木々が植えられていて空気がきれいに感じる。
マウスはさっきもらった瓶に入ったミルクとメロンパンを渡してくれた。雪はお腹が空いていたからすぐにメロンパンに噛り付いた。さっき食パンの耳が美味しいと言っていたマウスの顔は少女の食らいつく、輝かしく光る砂糖が降りかかったパン。恐らくは無意識であったのだろう。それに気が付いた雪はそのパンを半分にちぎって男に渡した。
「いらないよ」
「ウソ。すごく見てたもの」
口を噤むマウスに半ば強引にパンを渡した。
「誰かと食べる方が美味しいのよ」
マウスはその言葉に渋々パンを口に運んだ。彼は、甘い。といって笑顔になった。そして、ありがとうと、一言に思いを詰め込んだ。とても年の離れた関係であるのに、まるで陸や福と同じように綺麗な心で、心地よかった。
マウスと話すのはとても楽しかった。子供のように純粋な心を持っていて、それを大切に思っている。そしてマウスは大人が嫌いだとか。だから、時々、大人のようなことを言ってしまったときは、少女が教えてあげる。そうするとマウスは、しまった、といって頭を掻く。
「マウスの将来の夢は何?」
少女は大吾郎から教えられた一つが夢についてだ。人は生きるうえで夢を持つことで道に迷わないようにすると。そこで、初対面で話すときは将来の夢を聴くことを進めた。雪が実際に聞いた時、子供はみんなそれぞれ夢を持っていた。けれど、たまに夢の意味をはき違えて、憧れをいう子もいる。そんなときは親切に教えてあげる。親切だと思って教えてあげても、それが本当に夢の時は、必死に伝えようとしてくれる。そんな時、客観的に、この子の夢が叶いますようにとお願いしている。
けれど、大人たちに将来の夢を聴くと、なかなかいい答えが返ってこない。お金持ちだったり、大きな家に住むだったり。
「僕の夢はないよ」
マウスは残念な人だと少女は思った。雪はあしらうかのように相槌した。
「昔からないんだ。夢を持ったことが」
前言撤回だ。マウスは可哀そうな人のようだ。重い口を開くようにして話始めた。周りでは自分よりも小さな子供たちが遊具で遊んでいる。子供たちの親たちは忙しく子供から目を離さないように注視している。
「僕は恵まれた子だったんだ。家はお金持ちで、立派な家で黒光りする車に飼い犬までもが賢くて。欲しいものは何でも与えてくれたし、わがままも通る。
けど、親のいう事は絶対だった。だから学校にも行かせられたし、それなりのことを学んだよ。きっとその頃の僕は目の前にある中でとにかく一番高い山を選んだ」
そこまで聞くと雪は、少しため息が出た。けど、それは今の雪の反対であり、羨ましくも思った。
「だから君が羨ましいんだ」
驚きの発言に声が出なかった。その代わり表情で返事をした。
「君のご両親は大切なことを君に教えていると僕は思う。一番魅力ある山に登らせてくれる」
「そうかしら。きっと当たり前の事よ」
「当たり前ってとっても難しいんだ」
雪とマウスは特別、会話を続けることなく、パン屋の店員さんにもらった食パンの耳と、牛乳を食べた。そうしていると、どこからともなく子猫が現れた。毛は真っ白でいてところどころ汚れているが、しっかりとした毛並み。目元には目ヤニがたまっている。子猫は何度か短く鳴く。それは助けを求めるように。何かを訴えるように。それはまるで雪そっくりであった。
雪は袋に入ったパン耳を近寄ってきた子猫にやった。するとマウスは少女に言った。
「野良猫の餌付けはこの世の中と同じだよ」
「どういうこと?」
「間違っているのに正しいと思ってるところ」
「だって、きっとお腹を空かせてるわ」
「いいかい。お嬢ちゃんはその猫の今後に責任を持てるのかい? 猫は人間が思うよりもそう軟じゃない。確かにこの環境に耐えられなくて死んでいく猫もいるけれど、それは誰も悪くない。人間だって同じだ」
少女は説得されてしまった。けれど、どうしても納得しきれなくて、大人げなくそっぽを向いてしまった。マウスはポケットからティッシュを取り出して、優しくそのやけに多い目ヤニを取り除くとそのままポケットにしまった。
「お嬢ちゃんは優しい。だから、もし、この猫が死んでしまったら、君は耐えられなくなる。時には厳しさも必要なんだ」
今度はとてつもなく虚しさが心を突き刺した。もしこの子が死んでしまったら。きっと心のダムは崩壊してしまう。起きてもいないことを想像するだけでも心が痛い。
「大丈夫。神様が作った世界だ。僕たちは試されている」
なんだか不思議な言葉に感じた。けれど、それほど都合のいい言葉はないと思ったし、理屈としても間違ってない気がした。
「神様っているの?」
「どうだろう。僕はあったことはないけれど、会ったことがあるなんていう人も言うよね。僕は信じてないけど。だけど、神様と人間は持ちつ持たれつの関係だよ」
「まだ私には難しいわ」
「いると思えばいるし、いないと困る」
マウスは少し宗教的な人なのかとも思ったが、それを聴くと答えは違った。彼曰く、宗教は目的があるのだとか。彼が神様にこだわるのはもっと他にあるのだろう。
少女がマウスとお別れして後は、家に帰っていつものように大吾郎の作る質素な晩御飯を食べた。
大吾郎は食事の時に会話をしない。特別、決まりでもなく、雪が話せばそれに相槌をするようなそんな感じ。
「それでね、それでね」
雪はお話がとても大好きだ。そのお話を聴く大吾郎も口では言わないが、心では想ってる。
「マウスはね、とてもいい人なの」
一通り相槌して聴いていた大吾郎はいつもの調子で間を空けて口を開いた。
「雪。本当に、その人は信用できる大人なんだね」
「当たり前じゃない。私だってもう子供じゃないの」
「雪、確かに、大人も子供も関係ないが……」
大吾郎は必ずといっていいほど、雪のために言葉を選ぶようにしているが、今日という今日は、いつもの間を使ってもなかなか言葉が見つからない。雪に何と言っていいのかわからなかった。
普段から雪には、自分自身で考えることを教えている。人付き合いであってもそうだ。本人の好きなように。大吾郎は信じていた。だが、今日の話を聴けば、そうも易々といえない。
「雪。今度、おじいちゃんにもそのマウスという人を紹介してくれないかい?」
大吾郎の間で出てきた答えはこれが精いっぱいであった。大吾郎が少女の答えを待つ間はまるで自分を真似ているようでヒヤリとした。
そして少女は考える素振りを見せ、箸を置きコップに入った水を飲み干した。両手で持たれたそのグラスに入った水は少女の体に吸い込まれるように流れ落ちた。空になったグラスをテーブルに置くと少女は口を開いた。
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