3 誇り高き町

「ねぇねぇおじいちゃん。なんでお掃除って大事なの?」


 雪の探究心は子供ながらに極めて自然なものであり、誰しもが抱いて当然のことなのだが、それはこの世の中で生きていくうちに当たり前のように忘れ去られる。

 だから大吾郎は少女に、物事を理解することは大切だと唱えるように言い聞かせている。

 大吾郎は白い髪の生えた頭をぽりぽり掻いて間を開けた。


「雪は今、おじいちゃんと暮らしてる。だからだ」


 そして大吾郎は棒の先に幾つも付いたピンク色のそれをパタパタと震わせた。

 雪はその答えに対してまだ深く理解するのは難しく、片足に体重をのせ、大きな「?」を体で表し、長い艶のある髪の毛と真っ白いワンピースの裾が揺れる。

 その少女を見て大吾郎はゴホンと咳払いをして説明に入る。


「誰かと生活を共にするなら共有の場所は一緒に掃除をするのが理に敵う」


 雪はまだ分からない。今度は怪訝そうな顔をした。

 大吾郎はやれやれとまた一言。


「一緒に掃除をすれば楽しいだろ?」


 少女は答えに納得した様子で、うん、と頷き、掃除は楽しむものだと考えるようにした。

 二人は部屋の中を掃除する。毎日とは言わないが、日毎の大吾郎しだいだ。

 けれど、大吾郎は仕事部屋に関しては掃除は滅多にしなかった。予て少女が尋ねたことがある。


「どうして仕事部屋は掃除をしないの?」


 少女にとっては掃除することが正しいと思っていたから、その疑問が浮かぶのは当然である。


「あの部屋は特別だ」


 少女はもちろん、そのという言葉に反応した。


「雪もその訳がいつかわかる時がくる。芸術を深く理解した延長線上だ」


 当然、その時の少女には理解し難い話であったが、日々の生活で芸術に触れていることでその意味が少しずつ分かってきている。それは言葉に出せるものではない。大吾郎の絵を見ることで感じられるのだ。

 絵の良さは人それぞれ。一般的には素晴らしい画題を素晴らしく描く。そしてそれが評価される。

 だが、大吾郎の絵は違う。画題はありふれた果物であったり、家具や将又それは孫の雪。

 そんな中でも彼の絵は同じ芸術家から少なからずの定評を得ている。

 最近、それを少しずつ感じ取っている雪は、大吾郎の「いつかわかる」という言葉を思い出しては得意顔になる。

 少女は大吾郎を慕っているし、芸術家としても尊敬している。

 そんな少女は木でできた小さな平屋小屋を雑巾でゴシゴシ磨き綺麗にする。小さな体をせっせと動かし体を熱くさせ、その白く透き通る肌の額に、きらきらと輝きを放つのを見れば、彼女が生きているのを感じさせる。雑巾を持つ方の腕で大きくその汗を拭い、少女は大吾郎とお話したり鼻歌を歌ったりした。


 この町の価値観だったりは少し変わっている。芸術を中心にすべてが回っているようにも見える。

 それは一見悪いように見えて、今の町の雰囲気を見ればその答えは感じられる。町のみな笑顔で、人思いな住人が多い。


「行ってきます!」


 雪は大吾郎の教えを守るようにしている。大吾郎は人と接するのが不器用ながらも、大切なことを知っていて、それを雪にも学ばせる。

 その雪はまた一つの教えである、をするために町を歩く。


「雪、よく観察をしなさい」


 大吾郎がいつか雪に言った。

 それに対して、理由が気になるのが雪だが、それは一概に雪だけではなくて、きっとその探究心はごく自然であるのだろう。

 大吾郎はそんないつもの知りたがりの雪を見て、間を切った。


「観察することでよく考えなさい。新しいことを発見できる」


 少女はその説明をすべて理解できる訳ではない。けれど、雪にとって、という言葉の響きは良くて、観察は発見なのだと解釈した。


「気を付けて行っておいで」


 大吾郎が少女の行動に制限を付けることはしない。それは、雪にとっての学びであるから。

 雪は長い髪や真っ白なワンピースをなびかせ軽快な足取りで街を目指した。

 少女が行きついた先はウォール街。勿論、それはどこかの盛んな街の名ではなく、勝手に誰かがそう呼び、自然とその名前が定着した。

 高い建物がなく派手に光る看板だってほとんどないこの町では、このコンクリートでできた壁が一番の見どころとされている。

 町を上から眺めて、丁度真ん中にその壁はそびえている。その壁の両側は様々な芸術家たちの絵で埋められていたり、毎日のように開いたスペースを存分に使い、自分の腕を高めるとともに街を盛り上げている。

 少女の目的はこのたくさんのスペースにある作品を見たり、今その作品に手を加える作業を観察するのだ。

 

「やぁ雪ちゃん」

「こんにちは、リスくん」


 少女に話をかけたのはこの町の少年だ。

 彼は少女と同じように基本的に同じ服を着まわしている。黒のパーカーに膝まで丸出しの短パン。これが基本スタイルで、いつもフードを被っている。聞くところによると、人と目を合わせないようにするためだそうだ。


「その名前、実は気に入ってる」

「そうでしょ」


 少年の名前は勿論のこと「リス」ではない。そこには深い意味はなくて、ただ雪が、少年のことをリスみたいだと思ったからだ。

 少年はそれを顔がリスに似ていて可愛いと捉えているが、雪が彼のことを「リスくん」と呼ぶのはそれだけではなくて、本当にリスのような言動をとるからそう呼ぶのを少年は知らない。少女の中だけの真実である。


「リスくんも絵を見に来たの?」


 少年はそうではないといった。


「絵を描きに来たのさ」

「そう、頑張ってね!」


 雪はそういうとさっそく壁の絵を眺め出した。少年はそれに少し残念に思うのだが、それはいつもの事。

 少女はいつも壁の一番端っこの絵を最初に見る。彼女のお気に入りなのだ。

 少年は絵を描きに来たと言っておきながら、少女に話かける。


「この絵は完成してないのに、たくさんの人に認められているね」

「えぇ、だって素敵だもの」


 その絵は少年のいう通り、完全ではない。けれど、町の住人達から認められた数少ない作品の一つ。


「いったい誰が描いたんだろうね」

「そうね。けど、誰だって構わないわ」


 その絵を描いた画家は、完成させる前にいなくなった、という情報しか二人は知らないし、町のみんなも知らないというなんとも不思議な未完成の絵。

 その絵は、この壁に落書きする人々を描いた絵。芸術を愛する町をそのまま壁に描いている。


「私もいつか消えない絵を描きたいわ」


 少女の純粋な想いは誰しもが憧れること。けれど、この町のルールの一つ『町で認められた種類の道具を使う事』の中には、原則、消えるペン(チョークや絵の具)で描くとされている。

 が、ある手順を踏めば消えないペンで描くことが出来る。実に簡単である。


『お金を出して許可を得る』


 そう、芸術をみな愛するからこそ、なかなか落とすことのできないペンで描くのはタダでできることではない。しかしそれだけではなく、そこにもまたルールは存在する。

 それが、「期間」だ。町は、お金を支払えば許可をだす。このお金は実は途方もなく高い訳ではない。だからこそ期間を定めるのだ。その期間は凡そ一カ月。正確な期限は決まっていない。これは、「評価」に影響するからだ。「消えないペン」で絵を描いた場合、そのことは町中に知れ渡る。そして、その絵の評価次第で壁に維持される期間が変わるのだ。

 そして彼女の好きな絵は、その期間を大きく超え、「残す価値のある作品」とされているのだ。しかもこの絵に限っては、既に期間に縛られない。つまりは絵の劣化により消えるまでは、永久的に壁に残されるのだ。


「雪ちゃんは絵はここの壁に絵を描かないの?」


 そんな風に少年は問うと少女は、当たり前のように答えた。


「まだ、人様に見せるほどの腕じゃないの」


 少女は答えると笑顔と共に風が髪を靡かせた。


「そっか。僕もやっぱりもう少し練習してからにしようかな」


 少年はそういうと、恥ずかしいような、引け目を感じるような笑顔を浮かべた。

 この町は芸術に関してのある程度は自由にされるが、住人たちの芸術に対する誇りは、町の考えた通りになり、こうして誠実さと思いやりのある人間を育てた。

 自由でありながら、好転できる町であるのだった。

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