4 友達のいる町
雪は絵を見るたびに目を輝かせたが、どうやら少年は好みがあるらしく、それは顔や言動を見ればすぐにわかった。そんな雪は少年のことを子供のように見ている。
「この絵、何を描いているのかさっぱりだ」
少年は誰に言うでもなく話すが、それは明らかに雪に聞こえるように呟く。
「何をいってるの? 全くリス君は芸術の良さを分かってないわね」
サラリとしたか細い腕を後ろでクロスさせる様に手を繋ぎ合わせ肩を揺らす。
「この絵のどこがいいの?」
「それは人それぞれよ」
「雪ちゃんはどこがいいの?」
雪は大吾郎のように何ともいえない間を空ける。それはちょっぴり憧れていて、意識してやっている。
しばらく絵を眺めてから話した。
「この色使いよ」
正直、その絵の良さは分からなかったのだが、自分ではあまり使わない色で絵を表現していて、なんとなくでそういった。
「まぁ、確かに、紫ってなんだか不思議だよね」
少年はその答えにあいまいに納得したようで、絵をまた吟味するように眺める。
そんな姿に、少しの満足感を雪は得ていた。
二人は一日を使って壁沿いを歩いた。壁はそれほど長くはないが、絵をじっくり見ながら歩くとなれば一日はかかる。
そして二人は壁の端っこで知り合いに会った。
「こんにちは、フクロウ君」
「やぁこんにちは、雪ちゃんにリス君」
「俺のことをリスって呼ぶな」
フクロウ君と呼ぶのも雪が勝手に付けた名前。何を考えているのかわからないし、丁度名前が似ているからそう呼ぶのだ。
そして何故かリス君こと陸とフクロウこと福は仲が悪い、と言うより陸が一方的に嫌っていると言える。
雪が陸に、まぁまぁ、と落ち着かせ、福に話しかけた。
「フクロウ君、調子はどう?」
「別に、特別どうってことはないよ。いつも同じ」
福はいつものように雪を冷たく遇う。だが、福は特別、雪に対してではなくて、人に対してはこうやって表情変えずに話すのが彼の特徴と言える。
「絵、素敵ね」
雪は福のまだ書いている途中の作品を褒めるが、福は全く顔を変えず、寧ろ少し嫌な顔をみせ口を開く。
「完成してない絵に対して感想を言うのはやめてくれないかい」
「なんだよフクロウ。そんな偉そうに」
何故か雪の会話を奪うように、陸は言葉を投げた。
けれど、そんな言葉にも屈することなく、福は絵に向かう。
「もぉ、リス君、喧嘩腰になるのはやめて」
「……わかってるよ」
陸はそう言われると、フードをさらに深く被り顔を隠した。
「フクロウ君、今度、絵を教えて欲しいの」
雪はお願いするように頼むのだが、福は一瞬、怪訝な表情を浮かべていつものように答える。
「嫌だ」
「意地悪ね」
「絵の表現は自由だ」
「そうだけど、やっぱりフクロウ君の絵は、芸術家に必要なものがあるわ」
少女のいう通り、彼の絵には基礎という基礎である絵の技術が備わっていた。本物を忠実に再現された絵。そこには絵ながらも完璧なほど。彼は町では有名な子供であった。
「じゃあ、言わせてもらうけど、見たままを描けばいいんだ」
それは、なんとも素っ気ない答えであるが、確かにそうである。
「そんな当たり前の答えじゃわからないだろ」
「もぉ、リス君」
「だってそうじゃん」
陸の気持ちもわからなくはないのだが、やっぱり、雪は喧嘩腰になってほしくはなくて、陸をとめた。
そしてそんな会話をしている時、福は口を開いた。
「見て学ぶか、描いて練習すればいいだろ」
確かにそれはもっともな答えであり、雪は福の手元が見える場所に座り、観察した。そこには陸も隣に座り、じっと、絵を見たり、雪を見たりを繰り返すように大人しくしていた。
福は二人に見られながらの作業だが、臆することなく、チョークを壁に向け、慎重な様子で絵を描く。彼が描いているのはちょうど反対側の絵。つまりは雪が一番気に入っている絵と同じ画題で絵を描いている。同じといっても、反対側の町の皆から称される絵とはやはり違い、彼の個性が存分に出ている。彼の描く絵はとてもはっきりとしていて無駄がなく、町をそのまま描いていく。
「私も、少し手伝わせて?」
雪は福が描いているのを見ていると、自分でも描きたくなってしまい、そう口に出していた。
それを言われた福は、無表情に、別にいいけど、と言い捨てた。
雪は真っ白いワンピースのポケットに入っていた五色入りのチョークを取り出すと、太陽と空を描いた。その間、陸はその二人を羨ましそうにじっと眺める。
絵は程なくして完成した。
雪は満足な想いだったが、彼は違うようだった。
「ひどいもんだ」
「え?」
「全く合ってない」
福は無表情に言った。辺りは町のしゃべる声だったりが広がっているはずだが、その声も聞こえないくらいにシーンとしてしまい、雪は言葉の意味を探した。
けれど、福の言葉の意味はそのままであると答えが出てしまった。
「どうして?」
雪はそう言われたからには理由が聞きたかった。
「雪ちゃんの絵と僕の絵は合わない」
その答えに何も言えなかった。
さっきまで睨みを利かせていた陸はとうとう口を開けた。
「そんなに自分の描いた絵の魅力がないのを人のせいにするのかよ」
それを言われた福は、やっぱり無表情のままなにも答えない。そんな陸は苛立ちを隠せずに立ち上がり、福に近づいた。
「リス君。やめて」
小さな声が長く時を止めた。
陸は雪の言葉に背くことが出来ずに、不満な顔で雪に聞く。
「だって、雪ちゃんが描いた絵は悪くないよ」
雪はその言葉にはないも言わずに、福にごめんね、と言いその場を離れた。
雪はマキの家にいた。何かあればいつもこうしてマキの家に行き、話を聴いてもらったり、コニーに顔を舐めてもらう。
「そう、福君がね……」
話を聴いたマキは、ソファーに座る隣の雪の頭を撫でてやった。
雪は一通り、今日あった悲しかったことをマキに伝えた。渋みのある緑色の三人掛けのソファーの上で三角座りになって顔を膝に当てて、ずっと我慢していたそれを肩を震わせてワンピースに染み込ませた。
コニーはそれを見て、少女の気持ちを感じるがどうしようもなくて、ソファーの下で行ったり来たりを繰り返す。
「福君はいい子だよ」
雪は分かっている、という合図を、頷きだけで表現する。
「けどね、福くんは少し不器用なだけ」
雪は、そんなことないわ、と目元が赤くなった顔を上げていった。
「フクロウ君は、とても絵が上手よ」
「もちろん、絵は上手だわ。不器用だから、上手なの。きっと彼は努力したのよ。絵が好きだから。だけど、コミュニケーションはまだ練習不足みたいね」
雪はうるうるとした瞳で隣のマキを見上げるように話を聴いた。
「彼の描く絵と雪ちゃんの描く絵が違うってのは分かるわ。けれど、それを伝えるのがきっと下手なだけで、別に、雪ちゃんの絵を責めたわけじゃないよ」
「そうなのかな……」
「えぇ。きっとね」
マキの話を聴くと何だか安心したし、この家の振り子時計の音、コニーの息遣い、海の匂い。何だか落ち着く要素がそこにはあって、やっぱり来てよかったと思った。
雪が少しずつ元気を取り戻したら、コニーはソファーに飛び乗り、雪の顔を舐めてきた。コニーもきっと、少女の笑顔を望んでいたのだろう。家の中には笑顔が溢れ出ていた。
雪が元気を取り戻した後は、コニーの散歩がてらに砂浜で走り回った。太陽を飲み込む海をこうして眺めるのはマキとコニーの習慣で、ときどき雪もそれを眺める。
「おじいちゃんは元気かい?」
「えぇいつも通り、元気だわ」
マキはこうやって大吾郎のことを聴く。それは少女にとってはいつもの事なのだが、それを聴くたび、マキは、それはよかった、といつものセリフを言う。お決まりの会話である。
雪は赤いサンダルを脱ぐと、コニーと一緒に砂浜を駆けずり回った。少女が走るのを追いかけるようにコニーは短い脚を必死に動かし、彼女の後を追う。
その光景をみていたマキは満面の笑みであった。
「コニー!」
少女が黄色いゴムボールを投げると、コニーはすかさずボールを追った。
「コニー! コニー! こっちこっち!」
ボールを
コニーはきっと笑顔の雪を取り戻す任務を全うするかのように走り回るのだった。
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