31 動き出した町 

 柚子の家の朝も目覚まし時計が鳴るように、段々と少女の意識を呼び起こした。それは朝食の準備をする音だった。うっすらと瞼を開けると、フライパンを使って料理をする柚子の姿があった。雪が起きたのにすぐに気が付いた柚子は、おはよう、と柔らかく言うと、コンロの火を切りベットのすぐそばの窓を覆うカーテンを開き、窓も開けた。一日の始まりを感じさせる太陽の匂いがした。

 そんな、雪のすぐそばにまで近づいた柚子の目元はリンゴのように赤くなっていたのが確認できた。

 朝食はトーストに目玉焼き、ソーセージに野菜が細かく刻まれたスープだった。そんないつもとは違う料理に少女はときめき、あっという間に平らげた。食事中に少女は柚子の目元のことを尋ねると、柚子は絶えず笑顔だった表情を、さらに崩して短く微笑んだ。


「そうだ、あのね、実はマウスの事なんだけど、雪ちゃんの言った通り、行っちゃったみたい」

「――――そっか」


 少女は何を見るでもなく、ただ、テーブルの中央にある花瓶を眺めるようにして、少しの間、まず何を訊いたらいいのだろうと言った具合の顔をした。そして、雪がその選んでいた質問をするより前に柚子は、思い出したといった風にハッとした顔をした。


「そうそう、実はマウスが手紙を残してたの」

「ほんと!?」


 柚子は頷くと、ポケットに入れていた手紙を取り出し雪に手渡した。だが、少女は字が読めない為、代わりに柚子がその手紙を読んでやった。


「えーっと……。お嬢ちゃんへ。突然いなくなってしまってごめんなさい。実は少し前に話した、『ずっと行きたかった場所』に旅立つことにしました。本当に突然だったのですが、そこに行くには前にも話したように、快晴の日の満月の夜だけで、僕にはお嬢ちゃんと話す時間がなかったんだ。本当はお別れの前にお嬢ちゃんに言っておきたいことがあったんだけれど、それをこの手紙でそれを伝えることを許してほしい。お嬢ちゃんの幸せな未来は、遠くから願っているよ。

 ――――――――雪ちゃんと出会えてよかった。――――マウスより」


 柚子はその手紙を読み終えると、少女の顔をうかがうようにした。少女は笑っていた。


「――――あのね。初めてマウスに名前……呼ばれたの」

「そうなのね」

「うん。――――雪も、頑張らなくちゃね!」


 昨日の雪の心持にした思いは変わっておらず、マウスがいなくなってしまったのは寂しく感じたが、それよりもマウスが幸せならそれでよかったのだった。

 しかし、一つだけ気がかりがあった。


「ユズ姉は、良かったの……?」


 柚子はその質問に、どうして? と首を傾げていった。


「だって……ユズ姉、マウスの事……好きだったでしょ?……」


 そんなことは聞くべきでないと思ったのだけれども、雪にとっては恋をすることはとても素敵なことだと思っている。だからこそ、それこそ、これに関して聞いておかないといけなかった。


「えぇ。それはもちろんよ」

「ちゃんと……その……想いは伝えたの?」

「想い? ――――あれ……? あ、そういえば、あの後続き、言ってなかったわね」


 柚子はそんな調子でニコッと笑って言った。


「マウスは私のよ。――――ほら、私、言ったでしょ。将来の夢。『家族みんなで集まって食事をしたい』って。家を出ていったっていう弟はマウスの事よ」


 少女は驚きのあまりにすぐには声が出なかった。


「――――え……だって、幼馴染だってマウスも言ってたのに。どうしてそんなをついたの?」

「――私も最初はなんでかなーって思ったのよ。けど、今考えればなんかわかるなー。雪ちゃんにそんなこと言ったら、マウス、帰りなさいって言われそうだしね」


 柚子は少しだけ吹き出しそうに笑いながら言った。


「まぁ、またあの人。一人でどこかに行っちゃったんだけどね……」

「うーん……けど、きっとまた会えるよ! なんとなく、そう思う!」

「――――そうね」


 柚子はとても寂しそうに笑ったようにも見えたが、どちらにしても、夢を諦めてはいけないのだと雪は思った。

 そして、今日は大吾郎ときちんと話をするのだと、はつらつとした口調で宣言した。店が丁度お休みであった柚子も念のためついて行くという話で決まり、早速家を出る準備をした。

 大吾郎の家に着いたのは、昼前だった。外から見た家はいつもと同じであったが、どこかシュンとしたのがただ何となく、人のように分かった。少女が一呼吸を置き、扉を開くとそこには予想もしなかった人物が、大吾郎の座る椅子の向いの椅子に腰かけていた。

 雪に気が付いたその人物はガタッと椅子から音を出して立ち上がった。


「雪ちゃん……」

「マキおばさん……」


 そして、後ろに立っていた柚子は、控えめに柚子の後ろから家に入った。そして、固まってしまっていた雪に、大丈夫? と聞くと雪は意識を戻して小さく頷いた。


「あの……今日は雪ちゃんが話を聞くために着ました。それで……心配だったので私もついてきました。私がいるとご迷惑なら……」

「いや、あなたもここにいてほしい。その方がきっと、雪も安心する」


 大吾郎が柚子の話を遮るように言った。そしてテーブルを囲むようにして二人も椅子に座った。


「あの……私、隣町のパン屋さんで働いているんです。よく、雪ちゃんが遊びに来てくれて、それで仲良くなったんです」

「えぇ、話は聞いたことがあるわ。昨日は預かってくれたみたいね。本当にありがとう」


 柚子はマキに自己紹介した後、早速、話し合いが始まった。けれど、話し合う前に、大吾郎とマキは本当に申し訳なく謝った。


「今まで、ずっと秘密にしていたことを本当に申し訳なく思っている。いつか言おうとは思ってはいたのだけれど、なかなかその勇気が出なかった。もしかすれば、雪が傷つくかもしれなかったから。本当にすまなかった」

「もういいの。けど……本当のこと、全部知りたい」

「――――あぁ。約束するよ、全部話す……さて、何から話そうか……」


 大吾郎はそういうと、ゆっくりと話し始めた。それはまるで物語を語るように。自分とマキの話。雪の両親の話。雪のお姉ちゃんの話。そして家族の別れ。雪はその真実をしっかりと聞いた。驚くべき話は沢山あったが、その中でも雪を涙ぐませたのは両親の事だった。その話をして、泣いてしまうのは当然だと思っていたが、雪が涙を流したのは、大吾郎もマキも予想していなかった理由だった。


「それじゃあ……雪のお父さんやお母さんは……?」


 涙を流すのを必死に我慢して顔の中央に力がぐっと入っていた。そして、その背中を優しく柚子が摩った。


「――――どこにいるのかはわからない。けど、きっとどこかにいるよ」


 大吾郎は間を空けていった。


「――――そうだったんだね。雪……お父さんやお母さんは死んじゃったのだと思ってたの……だから、本当に嬉しいの」


 大吾郎もマキも、驚きのあまり、しばらくの間、声が出せなかった。二人にとっては町を出て行った家族だったのだが、雪にとってはその家族、つまりは父親や母親の存在は物心つくころにはなくて、そばにいるのはいつも大吾郎だった。そのため、自分の両親がまだこの世界のどこかにいるのだと知れて、嬉しそうに泣いた。隣に座った柚子はその背中を、よかったね、といいながらまた優しく摩った。

 その後も、雪は様々な話を聞いた。例えば、コニーが雪が生まれるときにやってきたことだったり、お父さんやお母さんは絵が得意であったことだったり、雪の姉である雫は絵が苦手だったことだったり。

 けれど、一番驚いたのはウォール街のあの絵の事だった。


「え……じゃあ、あの絵はおじいちゃんやマキおばさんが描いたの!?」

「まぁ……そういう事だ」

「まさか、こんなに近くに、あの絵の作者がいただなんて……信じられないけど……何だか、嬉しいな」


 マキはその雪の言葉に素直に嬉しそうにしていたが、一方の大吾郎は照れるのを隠すように目を合わそうとはしなかった。


「あの絵は、雪のお父さんとお母さんがとっても気持ちを込めた絵だ」

「あの絵を見れば、何となくだけど、いつも何か温かいものを感じられてたの」

「あぁ。絵はそういうものだ。見えない何かを感じ取ることが最も大切だ」


 大吾郎のその威厳のある、力のこもった言葉に、その場にいた全員が気持ちよく頷いた。


「あのね……おじいちゃん。マキおばさん……」


 雪が切り出したのはそれからだった。二人がそれを聞き返すと、雪は意を決して話した。


「私も、町を出たいの」


 大吾郎は少しだけマキの顔を見た。まるで二人だけの間にある何かの伝達方法で相談しているようだった。

 そして、気を使ってかマキがその答えを口にした。


「雪ちゃん。私たちはもう、間違った判断はしたくないの。だから、行かせてあげたいの。だけどね……まだ雪ちゃんは子供なの。まだ一人で行かせるわけにはいかないの」


 大吾郎はその答えに満足するように、深いため息をついた。けれど、雪は腑に落ちないような態度で顔を落とした。


「あの……私が、雪ちゃんに付き添います。……責任もって、雪ちゃんをみます」

 

 そう言ったのは柚子だった。隣に座る雪はぱっと顔を起こすと、目を輝かせた。

 大吾郎とマキは一瞬驚いた顔をして、大吾郎が尋ねた。


「なぜ、そこまでしてくれるんだい?」

「弟に任されたんです。雪ちゃんの事をお願いって」

「マウス君の事かい?」

「えぇ。弟は……行ってしまったんです。遠い町へ」


 柚子は本当のことを言おうかと迷った。けれど、雪を前に、本当のことを言えなかった。

 そして、大吾郎とマキは、またあの不思議なやり取りで話し合いをし、大吾郎が代表するようにして告げた。


「雪のことをお願いします。その代わり、一つだけ雪にお願いしたい」


 大吾郎は大きく息を吐き、また大きく息を吸った。


「町を出る前に、あの、ウォール街の絵を完成させてほしい」


 大吾郎やマキにとって、あの絵は家族のつながりであった。だからこそ、雪にその未完成の絵を完成させてほしかったのだ。


「いいの? ……雪が描いても?」

「あぁ。描いてくれるかい?」


 雪は立ち上がっていった。


「もちろんよ!」


 町を出るまでの間、雪はマキの家で寝泊まりすることになった(そこには大吾郎も)。少しだけ、家族はあるべき姿に戻ったのだ。

 そして、マキの家に向かう為に雪が家の扉を開くと、そこには小さなフードを被った男の子が驚いた顔で立っていた。それは陸だった。


「雪ちゃん。町を出ちゃうの?……」

「聞いてたの?」

「うん……」

「そっか……。絵を完成させたら、ユズ姉と一緒に町を出るわ」


 すると、陸は下を向いてぶつぶつとしゃべると、雪が首を傾げた。そして、陸は言い直すように大きな声で言った。


「僕も、連れてって! 僕も、頑張るから!」


 雪はそれを笑顔で答えた。


「いいよ」

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