25 想い交差する町

 雪がマウスの隣に引っ付くように体を小さく三角座りにして隣に座ってから既に何時間と時は進んでいた。それを感じさせるように、太陽な西に傾き街は日暮れ時となりオレンジに包まれた。

 少女は相変わらず顔を自分の膝にうずめたままピクリともしない。けれど、少女は少しだけマウスに体を当てて、そこにある温もりを確かめるようにただじっとその場にいた。


「お嬢ちゃん。そろそろ家に帰った方がいいよ」


 マウスがそういうも、返事はしない。けれど、三角座りで顔を埋めた状態のまま、否定の念を飛ばすかのように体が揺れた。


「いくらなんでも理由がないことには、ここにはいちゃダメだよ」

「お願い、今日はマウスと一緒にいさせて……」


 少女はやっと喋ったものの、寝言でもいうように小さくこぼすように答えた。マウスはそれ以上はどうしていいかわからずに、仕方なしに持っていた本を開いて静かに読み始めた。

 そしてしばらくすると少女のお腹が、ぐぅー、と大きく響きマウスはぱたんと本を閉じた。


「そろそろ移動しよう」


 マウスはそういうと、スッと立ち上がった。体を引っ付けていた少女は危うく倒れてしまいそうになったが、何とかその姿勢を保つと少しだけ埋めていた顔を起こし、マウスに目を合わせた。


「お腹、減ったろ。ユズのところに行こう。今の時間なら余ったパンを貰えるはずだよ」


 マウスはそういうと、少女の手を引いた。その手はとても男の手だとは感じられないほどに細々としていた。けれど手のひらは大きくて、他の人と同じように温かみがあった。

 しばらく歩いて柚子の働くパン屋にたどり着くと、いつものように裏口に立った。そして前と同じように不思議な合図のノックをした。

 コン、コンコン――コン、コンコン――コン、コンコン――

 しばらくすると大慌てで柚子が姿を現した。


「どうしてこんな時間に来るの⁉――――あっ……雪ちゃん」

「ごめん、この子、なんかあったみたいで……」


 柚子はマウスの言葉に少し困ったような顔を浮かべたが、今では柚子にとっても雪は大切なお友達の一人だ。雪に近づくと、下を向いたままの少女の頭を優しく撫でた。


「雪ちゃん、どうしたの? 何か、嫌なことでもあったの?」


 少女は目線を下にしたまま、マウスの手を離さずにずっと黙ったままだった。


「だめだよ、僕にも話さないし。今は彼女の自由にさせてあげないと」

「そうは言っても……あ、じゃあ雪ちゃん、今日はここに泊まる?」


 少女は頭だけ左右に振って断り、マウスといる、と一言だけいうとそれ以上口を開かなかった。

 結局、柚子からパンをいくつかと小さな牛乳瓶を二人分貰うと、マウスがいつも寝泊まりするシャッター前に向かった。

 マウスがいつも寝ているシャッター前は、昼間はとても賑やかだが、夜は一気に荒廃とした空気が流れる。人もほとんど通らなければ、音もしない。一定の並びで設置されている街灯はとても古く、道を照らすというよりはその空間をほんわりと暖めているようだ。そして何本かの間隔で点滅する街灯もあった。


「どうして、マウスは公園で寝ないの?」


 雪は少しだけいつもの少女に戻っていて、気になることをマウスに尋ねた。

 そして大吾郎のような不思議な間で考えてから口を開いた。


「一つの場所に留まると、そこでしか生きられなくなりそうなんだ。だから夜から朝のシャッターが開くまではここにいて、昼は公園のベンチで本を読む。そしてまた夜になるときにここに来るんだ」


 マウスはそこまで言うと、さっき柚子から受け取った袋から牛乳瓶を取り出して雪に渡した。

 二人して黙ったままパンを食べた。その味は相変わらずに美味しくて、危うく悩み事など忘れてしまいそうだったが、この周りの雰囲気と、今の状況を見れば、すぐに心には闇が根をはった。

 

「マウスはいつもここで一人で寝ているの?」

「雨の日以外はね。とても静かで悪くないところだよ」

「そうかな。雪だったら寂しくなるな」

「お嬢ちゃんにはこんなところ似合わないよ」

「マウスがいるから大丈夫。雪、これからはマウスと一緒にいる」

「――――やれやれ」


 マウスは呆れながらにそういった。

 パンを食べ終えると、マウスはそのまま寝転がった。雪も真似して寝転がると、マウスはむくっと起き上がり、シャッター側にスペースを作ると、お嬢ちゃんはここに寝な、といった。

 地面はコンクリートで少しだけひんやりとした。けれど寒くはなかった。町は年中わりと暖かい気候なのだ。そのままでもなんとか寝ることはできた。それに、雪はいつも寝袋で寝ているため、硬い床で寝なれている。けれど、隣にマウスがいるとわかっていても、どうしても孤独にむしばまれそうで怖かった。少女は隣のマウスの腕をぎゅっとした。


「――お嬢ちゃん、寒いかい?」

「なんだか怖いの」


 マウスは少しだけ考えてから、少女の頭を包むようにして持ち上げてその下に左腕を潜らせた。そして少女の小さな肩を優しく抱いた。


「これで、少しは……どうかな?」


 少女は体を横にするくらいにマウスに体を寄せて、ありがとう、といった。

 その後、少女はゆっくりと、今日あった出来事を話した。マウスは少女から語られる一言一言を黙って聞いてくれた。


「どうして、マキおばさんは雪に黙ってたんだろ……」

「それはとても難しいことなんだよ」

「どうして難しいの?」

「僕にもわからないよ。けど、二人は雪ちゃんのことを傷つけるつもりなんてないよ」

「けど……雪はとても傷ついたわ」

「そうだね――――雪ちゃんは二人にどうしてほしかったの?」


 雪は頭を悩ませた。どうすることが自分にとってよかったのか。どうしていればこんな思いにならなくても済んだのかと。


「教えてほしかったの。全部を――――」

「真実を知るのはとても恐ろしいことなんだ。今ですら、お嬢ちゃんはこんなに傷ついたんだ。これ以上全部聞いたら、今はもっと傷つくこともある」

「それでもいいの。怖いけど、ちゃんと全部知りたい……」

「そうだね。お嬢ちゃんには知る権利があるよ。けど、これだけは覚えていてほしい。お嬢ちゃんのおじいちゃんも、マキおばさんも、今までお嬢ちゃんのことを傷つけたかい?」


 雪は体を横に振った。


「二人はお嬢ちゃんのことを大切に思っている。だからね、許してあげてほしい」

「うん――――」

「お嬢ちゃんは賢いよ。もう立派な大人だ」


 雪はそういわれると、えへへ、と声に出して笑った。それは久しぶりの正しい笑みだった。

 夜空には月が今にも満月になりそうなほどに、まん丸としていた。その足りない部分を必死になって補うほどに光輝いていた。

 明日はよく晴れそうだった。

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