23 秘密ある町
「雪ちゃんは将来は絵描きさんになるの?」
「うん! 雪もいつか町を出てたくさんの人に絵を見てもらうの」
いつものように少女はユズの働くパン屋のテーブルに座ってパンを食べながら会話を楽しんでいた。
そして今日は将来の話をした。
「ユズ姉は将来の夢は?」
雪は両方のほっぺを膨らませてそう尋ねると、柚子は右手で自分のあごをくいっとし、少しだけ悩むようにして低い声を出した。
「私の将来かー。私は家族みんなでもう一度だけ一緒にご飯を食べられればなって……」
「ユズ姉の家族はバラバラなの?」
「あー、雪ちゃん。人には聞いていいこととダメなことがあるのよ――」
ユズはそういうと悪戯な笑みを浮かべた。雪が素直に謝ると柚子は、頭をポンポンとした。
「まぁ、雪ちゃんはまだ子供だからそういうのはまだわからないか」
「そんなことないもん。雪にだってわかるもん!」
雪は今度はほっぺを空にして膨らませた。
そしてユズは、はいはい、と言いながら話し始めた。
「私には弟がいるんだけど、その弟は家を出てるし、私も家を出てるの。私、家族が集まって食事をするのが大好きだったの。けど、弟が家出したのがきっかけでずっと家族全員が集まって食事をすることがなくなったの。それで私、悲しくってね――」
柚子はそこまで言い終えると、コーヒーカップを持ち上げ一口飲んでまたコーヒーカップをテーブルに置いた。
「ユズ姉の弟はなんで家を出たの?」
「ほら、雪ちゃんまた訊いてる。今日はここまでよ。今度は雪ちゃんの話を訊かせてちょうだい?」
柚子はそういうと雪にも質問をした。二人は互いにたくさんの事を質問しあった。大体は楽しい話で、あとは少しの悩みだったり。女の子の悩みというのは尽きない。それは大人である柚子であっても。
会話している二人の姿は、傍からみれば本当の姉妹のようにも見えた。それほど彼女らはにこやかに話し合っていた。
三杯目の紅茶を飲み終えた時には店の入り口の電球は明かりが灯っていた。
「雪ちゃん、今日は遅くなっちゃったから送ってあげる」
「ほんとに⁉ なんだか嬉しい!」
雪はいつもなら一人で帰る道を今日は断ることはせず、素直に受け入れた。雪は基本的に甘えることはしない。いつも一人で過ごしてきたからだ。なんでもある程度のことは一人でこなした。それは雪の子供扱いされるのが嫌いな性格からでもある。
けれど、今日はユズの言葉に甘えた。雪自身、彼女のことを一瞬でも本当の姉のように思えたからだ。もしも自分に柚子のようなお姉ちゃんがいたらと頭の中で浮かんでいた。
二人が雪の暮らす自宅にたどり着くと、ちょうど、家の扉が開き、中から大吾郎が出てきた。
「おや、雪、おかえり。その人は?」
「ただいま! パン屋さんのお姉さん! ユズ姉っていうの」
雪が大吾郎に柚子のことを紹介すると、大吾郎は思い出したように柚子に近寄って挨拶をした。
「いつも雪がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ。それに、パン屋の親方さんも、雪ちゃんのこと歓迎してるんですよ。それで、これ、良かったら――」
柚子は手に持っていたパンの入った袋を渡した。
「わざわざ送っていただいたうえに、こんなものまで……」
「いいんです。親方さんがぜひ届けてほしいと――」
「ありがとうございます。今度はお店に寄らせてもらいます」
「えぇぜひ」
それから柚子は少女に手をふると、背を向けて暗闇に足を進めた。しばらくすると彼女の姿は小さくなって最後には見えなくなった。
*
次の日、雪はいつものように朝の仕事をした。今日は朝から柚子の働く店の食パンを食べられる。それはもちろん、昨日貰った食パンだった。
トースターに食パンをセットし、いつものように歯を磨いて顔を洗った。毎朝の欠かせない日課のため、その証拠に少女の歯は虫歯一つなく、顔の肌はすべすべと、水滴すら弾きそうなほどに若々しい。
唯一、少女の難点を挙げるとならば、体の細さ。それは痩せているのではなく、痩せすぎているといった点。けれど最近の少女は前よりは随分と栄養をとれている。マキの家に通ったり、ユズのいるパン屋に行くたびに食べ物を貰うので、そのおかげか少しだけ健康的になってきていた。
少女は大吾郎と共に食事を済ませると、しっかりと皿を洗い、もう一度歯を磨き、寝巻の長くて大きめの服を白のワンピースに着替えると、大吾郎に一声かけてマキの家に向かった。
雪がマキの家に着くと、まずはコニーが挨拶をした。コニーは少女に飛びつくように前足を少女に向けた。そうすると、さすがの少女も態勢を崩しそうになりながら、コニーの体重を一所懸命に支えて、ぺろぺろと無防備に顔を舐められた。
「こら、もう十分でしょっ。わかったから――」
すると、ちょうどよく、雪の後に続くように陸が現れた。さっきまで雪の顔を舐めていたコニーは今度は陸に向かって走り、同じように飛びついた。陸は雪のようにはいかず、飛びつかれた衝撃でしりもちをつくと、顔をまんべんなく舐められた。
「おい、コニー、もうよせって、わかったから――」
三人の(雪、福、陸)中では一番、好かれてなかった陸だったが、いつの間にか、今では一番コニーのお気に入りなのかもしれない。
それから二人はマキと一緒に三人で作業部屋に向かってそれぞれ絵を描いた。
いつものように描きながら、ときにマキに相談し、アドバイスをもらい、ときにマキの淹れてくれたココアを飲んで一息ついたり。その間、コニーはじっと窓から入る太陽の温もりに浸り大人しくした。
「そろそろ、お昼ごはんの時間ね、雪ちゃん、陸君、なにか食べたいものはある?」
雪と陸はそれぞれお昼のメニューを頭に浮かべた。
「僕はパスタがいい!」
「だめよ。この前、食べたんだもん」
「えー、雪ちゃんずるいよ――」
「雪はオムライスがいい!」
少しだけ悔しそうにした陸だったが、「オムライス」と聞いて、しかたないなぁ、といった。
「それじゃあ、決まりね。私はお買い物に行ってくるから、少しだけ待っててね」
「うん!」
二人は元気よくそう答えると、マキは部屋をあとにした。マキは買い物がてらにコニーを散歩に連れて行ったため、家の中は急に物静かになった。それでも、まだこの家には二人の元気な少年少女がいる。二人はマキとコニーがいなくなったあと、仲良く会話をした。
「ねぇ、リス君は知ってる? この家の二階にある他の部屋のこと?」
「他の部屋? あそこは物置で汚いから入るなって言われたけど――――」
「実はね、あの部屋、物置なんかじゃないの」
「ほんとに⁉」
「うん、雪たまたま見ちゃったの。これ、マキおばさんには秘密よ?」
「うん!」
子供というのは秘密の話が大好きだ。なんだかワクワクするのだ。
そして、陸は少女に尋ねた。
「あの部屋は、どんな部屋だったの?」
「たぶんあれは子供部屋だわ。ベットが小さかったし、それに絵本もあったの」
「へぇー」
恐らくは陸も、雪が初めてあの部屋を見た時に思ったことと同じことを思っているのだろう。けれど、それ以上はそのことには触れず、また気になったことを尋ねた。
「もう一つの部屋は見なかったの?」
「うん。だって、その部屋だって仕方なく入ったんだもの」
そして二人はまた、同じことを考えた。考えざるを得なかった。それが子供の探究心であるからだ。一度気になると、どうしても我慢できなくなる。それが子供だ。
「ねぇ、その部屋を今から見てみない?」
「けど……そんなのダメよ」
いつにもなく、雪の方がそれを拒んだ。もちろん、雪もそのもう一つの部屋はどんな部屋なのかが気になったのだが、マキの言ったことを破るようなことは多少なりとも気が引けたのだ。
「えー。じゃあ、その子供部屋だけ僕もみたいよ。そこならもう雪ちゃんだって見たんだから、見ても問題ないでしょ?」
少女は迷った挙句、仕方なしだという様にため息交じりに立ち上がった。この時の少女は今日という日がどうなるかなど知る由はもちろんなかった。
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