6:知ってしまった真実 4
薄暗い控え室の中央をまっすぐ突っ切り、出入り口の垂れ幕を払うと、そこには平民は畏れおののいてまともに見ることもできない王の――太陽のための玉座があった。
「来い」
セフィーはどこへと問い返しそうになったが、何も言えぬままシャムシャのあとに続いた。
シャムシャは、玉座に座ると、自分の隣に用意されているよく似た椅子を指した。
「座れ」
それは、王妃セフィーディアのための椅子だ。
振り向いた。ライルが頷いていた。
逃げられない。それは自分を座らせるために用意された椅子だ。
座りつつ、正面を向いた。
そこに謁見の間が広がっていた。
壇の下には、大勢の白軍兵士たちが並んでいる。一番手前にはラシードが白将軍の正装を着て立っていた。
「どうだ?」
声がしたので振り向く。ライルが、王と王妃の座の間に膝立ちをし、シャムシャに耳打ちをする形で声を掛けている。
「兵の中に気に食わない者、危ない者がいるなら外させる。一応お前にとって馴染みのある者ばかりを集めるよう言ったんだが」
「大丈夫そうだ。多少老けてはいるがシャムシャ姫が声を掛けたことのある顔が多いように思う」
「念のために俺もすぐ下に控えているし、どうせ某家の間者もどこかから見ている。どうにかなると信じるか」
ライルが立ち上がって壇から降りた。それがセフィーにはどうも不安だ。
真正面、もっとも大きな扉を、白軍兵士の隊服を着た少年が開けた。
外から軍服の胸に徽章をつけている男たち――白軍の将校たちが数名入ってきた。
謁見の間の空気が引き締まった。
シャムシャが隣から「分かりやすいだろう」と話しかけてくる。
「今こっち側にいるのがシャムシアス派で入ってきたのがセターレス派だ、今の白軍はこうしてきっぱり分裂している」
緊張していて何も頭に入ってこない今のセフィーには何のことか分からない。
最後に見覚えのある男が入ってきた。長身に蒼い衣を纏い、宰相の証であるたすきをかけている――セターレスだ。
セターレスは、礼をすることもなく、まっすぐ玉座の方へ歩いてきた。伴ってきた将校たちが道を開けた。
顔を上げ、壇上を見た。
目が合った。
「ご機嫌麗しゅう」
セターレスが微笑んだ。
しばらく間を置いてから、シャムシャが「兄上、ご用件は」と冷たく訊ねた。
「そう怖い顔はなさるな。何もそこから下りろと申すわけではない。むしろ本日はお祝いの辞を改めて述べ、贈り物を奉りにお呼びした。これを機に兄との仲を取り戻してくださらないか、我が弟よ」
シャムシャは、ごく小さな声で「白々しい」と言ったあと、はっきりとした声で「ありがたく頂戴す。ただ私は病身ゆえあまりこの場に長居できぬ」と応じた。壇の下でラシードがなぜか溜息をついているのが見えた。
「よろしい」
背筋が震える。
「では、ご病弱であらせられ宮殿からお出になれない王と、フォルザーニー家にてかしずかれ深窓のご令嬢としてお育ちになられたお妃のために、世にも奇妙な珍獣をご覧に入れよう」
セターレスの右手が挙がった。セターレスの連れてきた白軍将校が二人扉の向こうに出ていき、わずかな間を置いてから戻ってきた。
初めは、何なのか、分からなかった。
将校のうちの一人が、手に縄のようなものを巻きつけ、そのもう一方の端につながれている何かを引っ張ってきていた。もう一人は、その引っ張られている何かを後ろから押して前へ動かそうとしていた。
次第に、心臓の動きが、速くなる。
おそらく生き物だろう。体長はシャムシャやセフィーと同じくらいある。全身金色だった。わずかに波打つ長く美しい金の毛並みをしている。
息が、苦しくなる。
床を這うようにして四本足で動いている。その四本の脚は細くて長い。特に後ろ足は余っているようだ、どうやら膝に当たる部分で歩いているらしい。
長い金の毛の間から虚ろな緑色の瞳が見える。
見たくないのに、目を、逸らせない。
壇よりわずかに向こう側辺りで、将校二人が立ち止まった。それも将校たちとともに動きを止めた。床にぺたりと尻をつけて座った。その様子はまるで人間だ。
肩の下、胴体の上の方に一対だけ、丸く膨らんだ乳房がついている。
まるっきり、人間のような座り方、人間のような体つきだ。
手が、震える。
セターレスが笑顔で言った。
「エスファーナ市内で捕らえた、世にも珍しい犬女だ」
汗が噴き出す。
シャムシャの方を見た。
「シャムシャ」
助けてほしくてそう呼んだ。
シャムシャは眉間に皺を寄せ、口元に手を当てていた。
すぐにセフィーの声に気づいて振り向いてくれた。
太陽が助けてくれる。
そう思ったのに、
「大丈夫か? 顔色が良くない」
「シャムシャ、あの」
「あの野郎、何のつもりだ? 気持ちが悪い。こんなもの、わざわざ宮殿に運んでくるだなんて」
お終いだ。
自分たちは気持ちが悪いものなのだ。
もう、お終いだ。
自分たちはここにいるべきではない気持ちが悪いものなのだ。
「ナターシャっ!!」
彼女の名を叫んだ。立ち上がって壇から跳び下りた。
シャムシャも立ち上がり、ライルとラシードも動き出し、白軍兵士たちもざわめいたが、セフィーは止まらなかった。
「ナターシャ、ナターシャ」
一歩前に出た将校を突き飛ばした。何も考えていなかった。ただもう誰にも構ってほしくなかった。
ナターシャの目の前に膝で立ち、頭にかぶっていた大きな白いマグナエを外してナターシャの体に巻きつける。このような場で大勢の男たちの眼前に裸体を晒されたら気が狂ってしまうと思ったのだ。ナターシャは貞淑な貴婦人なのである。セフィーは自分の白い髪を晒すことを恥ずかしく思っていたが、ナターシャのためなら仕方ないと思えた。とにかく隠してあげなければならないと思った。
「ナターシャ、ねぇナターシャ、どうしてこんなことに?」
だが、ナターシャは返事をしなかった。緑色の目は遠くを見ていた。
近づいて、気がついた。
ナターシャは小さな声で鳴いていた。セフィーの耳にはそれが「アン」とか「ワン」とかと聞こえた。彼女はただひたすらそれを繰り返していた。まるで犬のようだった。
「ナターシャ?」
「――……ァン……ン……」
「ナターシャ……? どうしちゃったの? ぼくだよ」
「――ン……ァン……――」
「ナターシャ……、セフィーだよ、分かるでしょう? ねぇ、こっちを向いてよナターシャ。どうしちゃったの? みんなはどうしたの?」
「……ァン……」
おかしくなってしまったのだ。
自分がこんなに辱められても分からないほど、ナターシャの心は壊れてしまったのだ。
「どう、して……」
だが、セフィーは知っている。
自分たちは化け物だ。人間のように泣いたり怒ったり恥ずかしがったりすることの方が間違っているのだ。
それでも悲しくてナターシャを抱き締めた。ナターシャの長い毛、ナターシャの体温、それらすべてがとても懐かしく思えた。怪我をして戻った夜、ナターシャに抱き締められて眠った時のことが頭に浮かぶ。自分を優しく撫でてくれたナターシャの毛のない手の平の心地良さを思い出す。
ところが、抱き締めて――ナターシャの口に耳が近づいたことで分かった。
彼女は鳴いているのではなかった。
「イヴァン……イヴァン、どこなの……? イヴァン……」
セフィーは、自分がナターシャに撫でられていると必ず間に入ってきた、甘えん坊の小さな男の子のことを思い出した。
ナターシャを離して、立ち上がった。
すぐそこに、ナターシャを連れてきた将校たちとセターレスが立っていた。
「イヴァンはどこ?」
将校のうちの一人が答えた。
「子犬は邪魔だったので処分致しました」
世界が、揺れる。
「グレゴリは……? アッディーンは? 双子は?」
「蛇男の皮の標本や、一つの下半身に二つの上半身が生えているミイラや、巨人と小人の骨格標本なども押収したが、そのようなものは王妃様には恐ろしかろう」
世界は、化け物には、こんなにも、冷たい。
「みんな……、殺した、の?」
化け物は、許されない。
「セフィーディア様はこれらに同情なさっているのか?」
自分の手を見た。
真っ白だった。
真っ白だったのだ。
化け物だ。
安息の地なんてどこにもない。
人間になれる夢など見てはいけなかったのだ。
化け物は、化け物だ。
それが、真実だ。
目の前が真っ暗になった。けれど、大丈夫だ。化け物は真っ暗な闇の中にいるべきなのだから。
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