4:あなたがやけに眩しくて 2

 ライルの太刀筋は野生の獣の狩りに似ている。荒々しく見えて実は計算し尽くされている。北方の厳しい自然環境にはぐくまれた強靭な膂力をもって一撃で獲物を仕留めようとしている。

 重い剣を持ったまま相手の間合いに踏み込む。片刃の剣の背を手で押すようにして下から上へ斬り上げる。血に濡れてもう切れ味も鈍っているであろう切っ先が相手の体に押し込まれる。腹から肩にかけてを確実にえぐっていく。

 目の前の男が地に倒れ伏すと、ライルはそのむくろを強く踏みつけた。

 そして次に控えていた男に斬りかかった。

 ひとりひとりを着実に狩っていく。その安定感こそ蛮勇を誇るチュルカの戦士の証だ。

 一方ナジュムは舞っているかのようだ。刃を重ね、弾く。次の男の肩を斬りつけ、後ろの男を蹴りつける。拍でもとっているかのごとく一定の調子を保つ。血の花を宙に咲かせながら優雅に踊っている。ライルより身が軽そうにも見えた。

 だが、ライルは知っている。

 一撃では仕留めきれないナジュムのやり方は一度に相手をしなければならない数を増やすことにもつながる。加えてナジュムはもともと文官系の貴族の息子で戦うということ自体の経験が少ない。一対一であれば確実に勝ちを得るだけの技術はある。けれどこんな乱戦の中でも持続する保証はなかった。

 しかも、今回の連中の狙いはナジュムだ。

 ライルは、視界の端で、赤い血しぶきが噴き上がるのを見た。

「ナジュム!!」

 兵士の振った剣がナジュムの左腕を裂いた。腕が切り離されるほどではないようだが、肉は大きく口を開けている。

 相手をしていた男を蹴り倒した。一足飛びで踏み込んでナジュムの腕を斬った男の首を後ろから刎ね飛ばした。

 しかし一度流れを乱されたナジュムが調子を立て直すことは困難だ。

 今まで対峙していた男の剣の切っ先がナジュムの頬を傷つけた。

 わずかな間を置いて血液がとろりと溢れ出した。

「くそッ!!」

 ナジュムはなりふり構わぬ様子で剣をその男の胸に突き立てた。押し込んだ。

 胸に剣を生やされた男はやがて動かなくなった。

 左腕に深い傷を負ったナジュムでは、もう、剣を引き抜くことも、引き抜けたところで振るうことも叶わないだろう。

 ライルはナジュムと背中を合わせるようにして並んだ。

 先ほど蹴り倒した男が起き上がって向かってきた。その胸に剣をまっすぐ突き立てた。

 貫く。

 すぐさま男の肩に足をかけてむりやり引き抜く。

 ナジュムがその場にしゃがみ込んだ。

「そのまま動くなよ」

 幸いにも残りはあと一人だ。

 ライルは、ナジュムに斬りかかろうとしている男を睨みつけると、剣の背に手を押し当てたまま男の首を裂こうとした。斬れなかったが、剣のもともとの重さとライル自身の腕力に負けて首の骨が折れ曲がった。ごきりという音がした。そしてそのまま男は沈黙した。

「ナジュムっ」

 ナジュムは蒼い顔をして壁に右肩を預けていた。左腕からの出血が激しい。

 急いで傍にしゃがみ込んだ。腕とともに切れた袖を服から完全に千切り取り、腕の付け根を縛った。

 ライルの肩に頭を預けつつ、ナジュムが「くらくらする」と呟いた。ライルは「これだけ出血すればな」と応じながらナジュムの頭を撫でた。

「い、嫌だ、こんなぼろぼろの状態で死にたくない! こんな無様な最期は僕にはふさわしくないよ! なにかもうちょっとこう、華々しい舞台を!」

「阿呆かお前は。いや、悪かった、聞くまでもなく阿呆だったなお前は」

 「医者に会うぞ」と言いながらナジュムの体を抱え起こす。

「連れていってくれるのかい?」

「当たり前だ」

「陛下は」

「お前をここに置いていくわけにはいかない」

 ナジュムは珍しく力ない笑顔で「ライルは優しいね」と言った。

「ルムアが無事にラシードのところに辿り着けていたら大丈夫だろう。なんだかんだ言ってラシードは将軍だからな」

「そうだね、たまにはラシードのことを信じよう。ルムアもきっとうまくやってくれるさ」

 「ところで」と顔をしかめる。

「どうやって僕を連れていってくれるんだい? 姫抱っこ? おんぶ?」

「バカ、歩け」

「ええぇえ!?」

「あー元気元気、それだけ騒げれば充分元気だ」

 ライルは有無を言わさずナジュムの右腕を引っ張って立たせた。自分の肩へとその右腕を回させた。ナジュムはライルの肩に甘えるようにすり寄ってから「あの野郎、僕の美しい顔になんてことを……」などと呟いた。

「万死に値するよね……」

「いや、もう俺が殺したんだけどな……」


 次の時、扉がふたたび勢いよく開けられた。

 「何をしている」という怒鳴り声が響いた。

 今まさに王を斬らんとしていた若い士官が蒼ざめた表情で振り向いた。

「将軍ッ!!」

 入ってきたのは彼の上司に当たるラシードとその一歩後ろで血の臭いに顔をしかめているルムアだ。

「馬鹿者っ、王を守る白軍の務めと誇りを忘れたか!」

 その言葉を聞いてすべての白軍兵士たちが一度動きを止めた。

 一歩遅れて、数人の白軍兵士たちが入ってきた。彼らに対し、ラシードが「全員反逆罪で逮捕する、ひっ捕らえよ!」と号令した。入ってきた兵士たちがためらうことなく部屋の中にいた他の兵士たちを捕縛する。

「投降しろ、このようなことは許されることではない」

 ラシードに言われて、若い士官が一歩さがった。

 そして手にしていた剣を持ち上げた。

 ラシードが「何を」と言いかけた瞬間だ。

「ハヴァース三世陛下に栄光あれッ!!」

 若い士官の剣の刃が彼自身の首筋を斬りつけた。

 赤い液体が噴き出した。

 ややしてその体が床へ崩れた。

 ラシードが駆け寄ってその体を抱き上げる。赤く染まった手が、ラシードの白い軍服の前をつかむ。

「将軍……」

「なんてことを、田舎のご家族がどう思うと思っているんだ」

 しかし流れ出る血が止まることはない。

「どうしてこんなことを……っ」

 彼はかすれた小さな声で「申し訳ありません」と呟いた。

「父上と母上におかれましては……どうか……」

 そこで、彼は目を閉じた。

 他の白軍兵士たちが黙々と作業をする中、ラシードだけはその骸を強く抱き締めていた。

「シャムシャさまっ」

 ルムアが叫んで駆け寄る。

「セフィーっ」

 シャムシャは床に膝をついた。床に身を横たえているセフィーの上半身を抱いてその名を呼んだ。

「セフィー、しっかりしろ」

 セフィーの顔が蒼白いのはいつものことだが、今はその白い女官服の背中が真っ赤に染まっている。

「セフィー!?」

 セフィーの紅い瞳がちらりとルムアを見た。それから、にこりと微笑んだ。ルムアが両手で自分の口元を押さえた。

「ああ、よかった……。これで、陛下の身の安全、が」

 セフィーを抱く腕に力を込める。「ばかっ」と言ったシャムシャの声は悲鳴に変わった。

 セフィーが、血に染まった赤い指先で、シャムシャの腕に触れる。

「陛下……、いけません、血で、汚れちゃう」

「そんなことを言っている場合か!」

「陛下、」

「いや、いい、もう喋るな、すぐに医者を――」

「そんな、心配なさらないでください」

 そう言って微笑むセフィーの笑顔は優しくて綺麗だ。

「そんなことなど――」

「大丈夫です。こう見えて、セフィーは頑丈なんですよ」

 優しくて、眩しくて、見て、いられない。

「これっくらい、陛下をお守りするためなら、どうってこと、ないです」

 シャムシャは泣きたくなった。セフィーが「そんなお顔はなさらないで」と苦笑するのでとりあえず我慢したが本当は泣き叫びたかった。何が伝説の『蒼き太陽』だ。自分には何もできない。こうして少女一人守ることさえできない。

「ごめんなさい」

 セフィーが腕の中でぽつりとそう言った。シャムシャには意味が分からなかった。「何がだ」と急かすように訊ねた。

「陛下に、そんなお顔、させるつもりじゃ、なかったのに……」

 セフィーのまぶたがおり始めた。

 心臓が少しずつ締め上げられている気がした。

「シャムシャ!」

 名を呼ばれたので顔を上げた。

 ライルだった。

 ライルの頬にべっとりと赤黒い液体がついている。服も濡れている。生地が黒いので一見しただけでは分かりにくいがシャムシャにはいったい何で濡れているのかすぐに分かった。だが、ライルは片づけてきたのだろう。彼は強い。シャムシャとは違って、だ。

「ライル、どうしよう」

 シャムシャは訴えるように問い掛けた。

「すぐに医者に連れていく、今ナジュムを診にいつもの医者が来ているから」

 言いつつ、彼はセフィーを軽々と抱き上げた。シャムシャはそれをうらやましく思った。男の腕があれば自分にもそうできたはずだ。

 自分にはセフィーを守れない。

 セフィーがライルの腕の中で小さく「大丈夫です」と呟いた。ライルもそんなセフィーを「バカ」と怒鳴った。

「行くぞ」

 ライルが走り出した。シャムシャとルムアもそれに続いた。

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