5:笑ってください 4
月の美しい夜だった。
丸い、円い満月が、雲のない夜空に浮かんでいる。青白い光は大地を優しく平等に照らしている。
月を見ていると気持ちが落ち着く。
シャムシャは太陽より月の方が好きだ。太陽は強すぎる。アルヤ人は太陽を神として崇めているが、太陽と呼ばれているシャムシャは太陽より月の方がずっと人々をまとめるのにふさわしい存在だと思っている。
白く優しく輝いて夜の闇を照らす月はセフィーに似ていた。
「セフィー」
明かりの消されたセフィーの部屋は暗い。けれど、大きな窓から薄い窓掛け越しに月光が入ってきている。部屋の中身はぼんやりながらも見ることができた。
セフィーは部屋の右手奥にある簡素な寝台に横たわっていたようだ。突然の来訪者に驚いた様子で、跳ね起きるように上半身を起こしてこちらを向いた。
「どうかなさいました?」
「見て分かれ」
月明かりで青く輝く薄い最高級の絹の肌着は柔らかい帯で緩くまとめられている。襟元からは、うなじから首筋、鎖骨や胸元にかけての肌があらわになっていた。長く蒼い髪も軽く束ねられおくれ毛がうなじにかかっている。
白い肌を月明かりが照らし出す。
セフィーは寝台の上に座り込んだまま動こうとしなかった。
セフィーの隣に膝をつき、セフィーの肩に手を置いた。
寝台が、ぎし、と鳴った。
香がほんのり漂う。
「夜這いをかけに来た」
「……は?」
「なぁ、どうだ? 綺麗にしてきただろう? なんかこう、したくならないか?」
「え、ちょ、待っ」
唇に唇を押しつけた。言葉が止まった。
セフィーの胸に自分の胸を押し付けるようにしてセフィーを寝台に押し倒した。
「なぁ、セフィー」
伝わってほしいような、伝わってほしくないような――実は今心臓が破裂しそうだ。
「ずっと、傍にいてくれないか」
「それは、もちろん――でも、」
「私の、すべてを。お前に、やるから」
「どういう――」
「本気で私と結婚してほしい」
セフィーの紅い瞳が大きく丸くなった。月光を弾いて輝いている。紅玉のようで綺麗だ。
「お前をこの国の王妃にしたい」
セフィーの白い頬を撫でる。「やはり私よりお前の方が美しいな」と囁く。
「お前なら花嫁衣裳を着ても民を欺ける。男であることを知られずに男であるはずの私と結婚できる。アルヤ王国王妃になれる」
「王妃……」
「聞いてくれセフィー」
セフィーの体の上に腹這いになる。
「このままでは私は兄上たちに都合の良い女と結婚させられるだろう。その上で都合の良い男の子供を産まねばならなくなる」
力強い声で「私は嫌だ」と言った。
「誰かの都合で、女として扱われたり、男として扱われたり――そんな生活はもうごめんだ。私は、私が女に戻りたくなった時に女として扱ってくれるお前と……、『蒼き太陽』を『蒼き太陽』と思わない、ただのお姫様であったことを思い出させてくれるお前といたい」
「都合の良いことを言っているのは私だな」と苦笑する。
「お前のためなら何でもする、王として何ができるのかもっとよく考える、あいつらにも抗う、こんなところでひとりでくさるのはもうやめにする。だから――私の人生で一番のわがままをゆるしてくれないか」
セフィーはしばらくの間黙っていた。
即決できる話ではないことも分かっていた。政治の表舞台に引きずり出される。アルヤ王家の諍いに巻き込むことにもつながる。並大抵の覚悟で受け入れられることではないだろう。
だが、だからこその夜這いなのだ。
既成事実を作ってやる。
そう思ってシャムシャが体を起こした時、セフィーが言った。
「それは、命令ですか」
シャムシャは衝撃を受けた。
「そうだな」
自分は王であり太陽だ。一言命を下せばいくらでも女を囲って華やかな後宮を作れる立場にあるのだ。
「王妃になれと命令すればよかったんだな。いろいろ悩んで余計なことを考えてしまった……」
「命令じゃなかったんですか」
急に頬が熱くなった。
「こう、いろんな駆け引きをして、何とかして、結婚したいと言わせるものだ、と思っていた」
どんな理由でもいいから、セフィーの自主的な意思で、結婚しようと、結婚しなければならないと言わせたくて、
「は……恥ずかしい……! 今までのことは全部忘れてくれ! やっぱり日が昇ってから改めて命じに来るから! もっと逆らえない状態にしてからはいと言わせることにする! そうしたらセフィーも王に言われたら仕方がなかったと言い逃れできるだろう?」
「言い逃れなんてしないですよ」
次の時、セフィーも上半身を起こした。
シャムシャが驚いて瞬いている間に、顔が近づいた。
唇同士が触れ合った。
「あなたが、そう、望むのなら」
柔らかかった。
「お傍にいることの他には、何にも、できないですけど。ぼくがお傍にいることで、あなたが、悲しい顔をしなくても、済むのなら。そうしてください」
胸の奥から熱いものが込み上げてきた。胸がいっぱいになってしまった。目の前がかすんだ。
セフィーの手が伸びてきて、シャムシャの頬を撫でた。
「泣かないでくださいよう」
「だ……、だって、」
「セフィーはシャムシャが悲しい顔をするのが一番いやです。セフィーがシャムシャといることでシャムシャにとって悲しいことが減るならそれでいいです」
思わずセフィーを抱き締めた。セフィーが笑った。
「それにね、セフィーもね、ちょっと、結婚してみたかったんですよ。セフィーのことを人間だと思ってくれる女の子と」
「一生大事にする。一生涯、全身全霊をかけて、私がセフィーを守るから」
「はい……!」
自ら帯に手をかけた。もともと解きやすいよう緩く結われていた帯はすぐに落ちた。
一度体を離して、セフィーの手をつかんで引き寄せる。その手の平を自分の胸に押しつける。
着替えや入浴以外で素肌に直接触れられるのは初めてのことだ。そう思い、シャムシャはいまさらながら一瞬身を震わせた。だが、後悔する気はしなかった。ここまで自分の足で来たのだ。自分で決意して自分で選択してここに辿り着いたのだ。
せめてこの気持ちだけはあなたの笑顔で守って。
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