2:鳥籠の住人 6

 セフィーダと名乗ったその少女は、もともとは孤児だったのだそうだ。彼女の美しく物珍しい容姿に目をつけたフォルザーニー卿が買い取って監禁していたのを、実家に帰省していたナジュムが保護してきたらしい。

「あいつが自主的にそんな慈善活動をするとは思えないが」

「お母さまに始末を頼まれて処分に困ったのだそうです」

 シャムシャは「なるほどな」と頷いた。風流を好むナジュムのことだ、自分の手は汚したくなかったに違いない。かと言って野放しにするとフォルザーニー家の醜聞が外に漏れる可能性がある。フォルザーニー卿の美食家ぶりは前々から宮中の誰もが知るところではあったが、さすがに孤児を屋敷に監禁して楽しんでいたとなれば体面が悪いだろう。

「ここを追い出したところで、帰れる実家はない、ということか」

「はい」

「しかもへたに拒絶しようものならフォルザーニー家を敵に回すかもしれない、と」

「はいー……」

「フォルザーニー家は宮殿を何だと思っているんだ、フォルザーニー家専用廃棄物処理場か。現状すでにナジュムを預かっていて主である私が大変な思いをしているとは思わないのか」

「あのおうちはそういうおうちですぅ……」

 ルムアと二人並んで廊下を歩く。揃って溜息をつく。

 ナジュムの勝手は今に始まったことではない。けれど生き物を拾ってこられたのは初めてのことだ。さて、いったいどうしたものか。

「それにしても、」

 隣のルムアを見下ろす。平均的なアルヤ人女性より一回り小柄なルムアと、女性のわりにはやや背の高いシャムシャとだと、頭半分程度の身長差ができる。

「ライルの口ぶりからして、私は初め男だと思っていたのだが――」

 ルムアの細い肩が一度ぎくりと震えた。シャムシャはそれを見ていたが、つまずきでもしたのかと思い、あえて何も言わなかった。

「女だったんだな。お前が大変だったのか」

 手を伸ばして、ルムアの派手なマグナエを撫でる。

「ごめんな」

 ルムアが小声で、「シャムシャさまが本当のことをお知りになったら、ナジュムさまは今度こそぶっとばされますね」と呟いた。聞き取れなかったシャムシャは「え?」と聞き返したが、ルムアは「いえっ!」と微笑んだ。

「セフィーとどーやってお仕事分担しましょう」

「お前のやりやすいようにな」

「はぁいっ、シャムシャさま大好きーっ!」

 ラシードにはセフィーを王の控え室に通すよう言いつけてある。本来は王が仕事の合間に衣装替えをするためにある部屋だが、今はもっぱらルムアの物置きとして使われている部屋だ。

 目的の部屋の前に着くと、ルムアが先回りをしてシャムシャのために扉を開けた。シャムシャはそれを複雑に思った。ルムアは小柄な普通の少女だ。おおやけには認められていないがシャムシャの妹でもある。対して、自分は女のわりに大柄で腕力にも自信があった。ここは自分の方が彼女のために重い扉を開けてやってもいいのではないか。

 扉の向こう側は広々としていた。本来は大勢の召し使いが一斉に働けるよう造られている部屋だ。シャムシャの着替えの入ったひつを隅に積み上げてもなお真ん中が空いている。

 だが、セフィーは、部屋の隅、一番右にある窓の傍に一人ぽつんと立っていた。おそらく、窓の外を眺めていたのだろう。シャムシャとルムアが入ってきたのに反応してたった今振り向いた。

 シャムシャは息を吐いた。

 美しい。

 セフィーの白い頬に同じく白い睫毛が影を落としている。その睫毛に守られている瞳は紅い。

 色合いだけではない。少し痩せ過ぎているようだが、もう少し太らせたら、たとえこの子に普通のアルヤ人の色が着いていたとしても振り向かない者はなくなる気がした。

 魔性の者であるとしか思えなかった。好色なフォルザーニー卿でなくても興味を惹かれるだろう。いったいこの王国のどこにここまで白くて美しいものが隠れていたのか。

「陛下」

 しかし、セフィーは喉を震わせて声を発した。シャムシャの前にひざまずき、両手を床についた。慌てている様子だ。

 普通のアルヤ人であれば誰でもすることだった。

 普通の平民、普通の人間だ。

 シャムシャは苦笑しながら「面を上げろ」と言った。

 セフィーが顔を上げた。セフィーの紅い瞳がシャムシャを捉えた。

「立て。――それで、そうだな。椅子にでも座るか」

 シャムシャは部屋の左手に置かれている長椅子を指した。セフィーは素直に「はい」と頷いた。立ち上がり、歩き出す。

 ルムアが「ルムアはいかが致しましょう」と訊ねてきた。シャムシャは「んー」と一人腕を組んだ。

「少し二人で話をしたい。仕事があるならそちらに戻って構わない。余裕ができたらあとで茶でも用意してくれないか?」

 「了解しましたっ!」と明るい声で言ってから、ルムアは扉を押した。

「もーっ、シャムシャさまは女の子には甘いんですからーっ」

「当たり前だろう、可愛いおなごは世の宝、王国の宝だ」

「またそんなナジュムさまみたいなことをおっしゃって!」

 ルムアのからからとした明るい声が部屋の外に出ていく。

 ルムアがいなくなると、部屋には静寂が訪れた。

 セフィーはなおも革張りの長椅子の傍に突っ立っていた。そのたたずまいは人形のようだ。表情も変化に乏しい。まるで凍りついているかのように見えた。

 シャムシャはゆっくり近づいた。不用意なことをして、白い、強い力を込めたら粉々に砕け散ってしまいそうなほど繊細に白い彼女の世界を、波立たせたくなかった。

 セフィーの頭を覆う白いマグナエの裾から、白いまっすぐの髪の毛先がはみ出している。ぜひとも全体を見せてほしいものだ。だが気軽にそう頼める雰囲気ではない。

「どうした? 座れ」

 言いつつ、シャムシャは長椅子に腰掛けた。セフィーが座れるよう左側に一人分の空間を空けて、だ。

 セフィーはなかなか座ろうとしなかった。紅い瞳でシャムシャを眺めていた。

 待つのに焦れたシャムシャは、決意して手を伸ばした。

 セフィーの右手首をつかんだ。

 触れるだけで溶けて消えてしまいそうな気がしていたが、そんなことはなかった。セフィーはシャムシャに引かれるがまま一歩分長椅子の方へ寄った。

 ふと見下ろして、シャムシャはセフィーの手が案外骨っぽいことに気づいた。

 そう言えば、セフィーは自分と同じかやや高いくらいの背をしている。女性のわりにはかなり大きいことになる。たおやかな印象なのに意外だ。

 セフィーがようやく座った。けれどその動作がとてもぎこちなく見えた。

「何か、恐ろしいことでも?」

 ついそんなことを問い掛けたシャムシャに、セフィーが首を横に振る。そしてうつむく。

「本当に蒼いとは、思ってもみなくて」

 シャムシャは自分の肩を見た。そこに蒼く輝く髪があった。腰まであるものを一本の太い三つ編みにして垂らしているのだ。

 この髪を見た平民は例外なく恐れおののいて平伏す。

 誰も何も言わないが――ただのお飾りだが、『蒼き太陽』なのだ。

 セフィーが人形のような無表情なのは緊張のせいだろうか。

 本当は、『蒼き太陽』が恐ろしいのだ。

「驚いたか?」

 だがもしセフィーが恐れているのが『蒼き太陽』ならシャムシャまで硬くなる必要はない。自分の人格に直接かかわることではないと思っているからだ。

「私の周りにはライルとナジュムとルムアの三人しかいないが、三人ともこれっぽっちもすごいとは思っていないぞ。お前も身構えなくていい」

 セフィーは何とも答えなかった。

「本当に蒼いだけだ、何か特別なことができるわけじゃない」

 しかし、こんな人間と直で話すのは初めてだ。ライルもナジュムもルムアもずけずけとものを言う人間で、直接の上司であるラシードや主君であるはずのシャムシャどころか、国の中核を担うエスファーニー卿やフォルザーニー卿、ほぼ国王と同格の存在であるセターレスにでさえ物怖じしない。そんな連中としか会話をしないシャムシャに、この手の人間の扱いは分からなかった。

「何も、不安がることはない、と思うんだが……。そう、私は自分でもまずいと思えるほど短気だが、女には乱暴なことはしない――たぶん。ろくな権限がないから、無茶なことは言わない――つもりだ」

 「私にある最大の権限は厨房に特注の菓子を用意させることができる権だ」と言い、シャムシャは一人で笑った。セフィーは笑ってくれなかった。舌打ちをするはめになった。

 しばらくしてから、セフィーがようやく口を開いた。

「ナジュム様、が……」

 すかさず「ナジュムが?」と訊ね返した。セフィーは小さく頷いた。

「ナジュム様が、宮殿に、お勤め、で……その手伝いを、と、おっしゃられて……でもまさか国王陛下にお仕えだとは……」

「特別なことは何もない」

 苦笑するしか、できない。

「政治はすべて親兄弟がやっていて私はこの塔から出ることも許されていない」

 「女だからな」と言ったら、セフィーが弾かれたように顔を上げた。紅い瞳が丸くなっていた。

「この国の法では、女は王になれないことになっている。宮殿に勤めている者の半分は知っていることではあるが、命が惜しかったらお前も口にはしないことだ」

 セフィーはまた、うつむいた。しかし口は利いてくれた。

「だから……、ラクータ帝国の、お姫様と、結婚、できなかったんですか……?」

「そういうことだ」

 なぜかセフィーの方が「ごめんなさい」と言った。シャムシャは腕を伸ばしてセフィーの頭を撫でた。まず勇気を出して問い掛けてきてくれたことが嬉しかったのだ。「お前が謝るようなことは何もないぞ」と囁く。

「他に、何か、今のうちに聞いておきたいことは?」

 セフィーはすぐにはないとは答えなかった。ちらりとシャムシャの顔を見た。それを見て、シャムシャは少し嬉しくなった。セフィーが自発的に何かを言おうとしている。それを、シャムシャは、良いことだと思ったのだ。

 だが、次の時、

「いつも……、三つ編みに、なさっておいでですか?」

「え?」

「とても、綺麗、なのに……。まとめたら、もったいない、です」

「この髪か?」

 シャムシャは一度、喉を詰まらせた。

「この髪は、私には、呪われているのだとしか、思えない」

 そうとしか、答えられなかった。

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