第3章 劣等感に劣等感を重ねる
3:劣等感に劣等感を重ねる 1
自分はどこか広いところにいる。四方を砂色の四角い建物に囲まれた広場だ。その真ん中に立たされている。
周りにたくさんのこどもたちが立っている。彼ら彼女らは自分を眺めている。
――ほら、見て。
ある子は笑いながら。
――あれ、へんだよ。
ある子は顔をしかめながら。
――ほんとだ。へんだね。
ある子は指を差しつつ。
――まっしろだよ。
息が止まる。
――おかしいね。
――ぼくらとはちがうね。
――人間じゃない。
――化け物だ。
こめかみに何か硬いものが当たった。
小石だった。
小さな石であった。しかもこどもの力で投げられたものだ。特に怪我はなかった。
でも、痛かった。
とても、痛かった。
――化け物は出ていけ。
――化け物は出ていけ。
――化け物は出ていけ。
やめてと言えない。そんなことは言わないでと言えない。喉が凍りついていて声が出ない。
足がすくんで動かない。
どうやって逃げよう。
小石がもう一つ飛んできた。反対のこめかみに当たった。
どうしよう。頭がくらくらする。どうしよう。足が動かない。どうしよう。みんなの声がまとわりつく。どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよ――
「セフィー?」
優しい少女の声が聞こえてきた。
「セフィー、大丈夫ですか?」
目を開けたら、大きな蒼い瞳が自分の顔を覗き込んでいた。
ぞっとした。見ないでと叫びそうになった。
しかし、
「一回起きましょうか」
辺りを見回して気づいた。ここはあの広場ではなかった。貧民窟にある自宅より一回り広い程度の、がらんとした正方形の部屋だ。そこで、自分は柔らかい寝台に沈むようにして横たわっていた。
ここはどこだろう。フォルザーニー家でナジュムに押し込められた部屋に似ているが、どうも違う気がする。
セフィーは我に返って目を丸くした。
蒼宮殿の中だ。宮殿の中の、女官用の個室だ。
自分の顔を覗き込んでいるのは、昨日仕事仲間として紹介されたルムアだ。
なぜ彼女がここにいるのだろう。ここは自分専用の部屋ではなかったのか。
大きくとられた窓から、明るい朝の光が差し入っていた。
起こしに来たのだ。
自分は寝坊したのだ。
「ごめんなさいっ」
慌てて上半身を起こそうとした。
それを、ルムアの柔らかそうな両手がセフィーのそれぞれの二の腕をつかむことで止めた。
「そんなに慌てなくてだいじょーぶですよっ! ゆっくり休んだらいいと思うですっ」
「えっ」
「きっと疲れてるんでしょう。んもーっ、ナジュムさまがばたばたさせるからぁーっ」
セフィーが戸惑っていると、セフィーの左腕をつかんでいたルムアの右手がセフィーの頬に伸びた。
セフィーはようやく気づいた。
自分は、寝ながら泣いていたのだ。
「その……、つらいこととかあったら、すぐにルムアに言ってくださいねっ!」
ルムアの手が、頬を伝う涙を拭っている。
あまりの恥ずかしさに、顔から火が出るかと思った。
とんでもないことだ。ルムアの白い――と言ってもセフィーの色のない肌とは異なる、日に焼けていないだけの、うっすら色づいた手が、自分の流した体液を拭っている。
「ご……ごめんなさい」
どうしたらいいのか分からず、とりあえずそう謝った。ルムアはすぐさま「謝らなくていいです」と答えた。
「昨日の夜次の日の朝の仕事の内容とか集合場所とかを伝え忘れたなぁと思ってちょっぴり様子を見に来たです! で、寝てたら書き置きでも残しておきましょうかって考えてたんですけど、いざ来てみたらなんだかうなされてましたから、起こして差し上げた方がよいでしょう、と」
手を振りながら「初日の今日から、朝から晩まで働かせようなんて思ってませんよぅ」と言う。
セフィーは首を横に振った。自分のような者が何もせず衣食住を保証されていていいはずがない。
「遠慮しなくてもいいですよぅ! ここ、ちょー緩い職場ですから! ルムアなんか一ヶ月に一回女の子休暇を認めさせたですっ。ナジュムさまに至っては働いている方が珍しいほど!」
遠慮ではない。
恐怖だ。
ルムアやナジュムと、セフィーとでは、決定的に、どうしようもなく、違う生き物なのだ。
「は……働き、ます」
言いながら下を向いた。ルムアと目を合わせるのが怖かった。
ルムアは蒼い瞳をしている。
彼女の出生や生い立ちの秘密はラシードからあらかた聞いていた。彼女自身初めて出会った時からざっくばらんに何でも話してくれている。恐ろしいひとではない。彼女の立ち振る舞いはヤミーナとヤサーラを連想してしまうほど気さくだ。
体のくっついた、自分と同じ化け物であるヤミーナとヤサーラと、神聖な太陽の血を引くルムアを、一緒にしてはいけない。
ルムアはしばらく黙ってセフィーを眺めていた。だが、ややして、溜息をついた。
分かってくれたのかと思った、その、次の時だった。
突然、抱き締められた。
抱き寄せられたのだ。
少女の柔らかな胸の温かさを感じた。
一瞬、泣きたくなるほど安心した。安堵した。心地良いと、ずっとこうしていてほしいと思った。
一度瞬いたあと、背筋が震えるのを感じた。
自分が性的に奉仕するのとは別に人と触れ合っていることが恐ろしいと思った。気持ちが悪いと思った。自分が、だ。花のような乙女であるルムアに、自分のような化け物が寄り添っているところを見られたら、周りはさぞかしおぞましく感じることだろう。
しかしだからと言って振り払うわけにもいかない。
彼女は優しい。彼女は今、純粋な好意からこうしてくれている。いくら彼女のためであっても、それを力任せに振り払うことはできない。
セフィーは、知っていた。
転んだこどもを抱き起こした時、通行人の落とし物を拾って手渡した時、セフィーはよく泣かれたり逃げられたりする。ただ喜んでほしかっただけなのに振り払われてしまう。
それは、とても、悲しいことなのだ。
しばらくして、ルムアが自分から身を離した。セフィーはほっとして息を吐いた。
「ではでは、朝ご飯を食べてから仕事場をご案内致しましょう!」
「それなら着替えてくださいねっ」と言い、ルムアが扉の方へ向かって歩き出した。セフィーは「はい」と頷いて立ち上がった。
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