6:知ってしまった真実 6

「よォ、セフィーダ」

 闇の中から声がする。

「いや、セフィーディア様、ってお呼びすべきか?」

 男の声が聞こえる。

「おめェよォ、今蒼宮殿がどうなってるか知ってるか?」

 どこかで聞いたことのある声だが、どこの誰の声なのかは分からない。

「まぁ、分からねェか。お前は白痴だからな」

 何と言われているのかも、分からない。

「こんなミイラと一緒にいてもしょうがねェだろ。立て」

 手首をつかまれて上に引かれた。

「お前のせいで我がフォルザーニー家も今ちょっとした騒ぎになってんだ。まぁ、何はともあれ見つかってよかったぜ。さ、来い、旦那様が待っている」

 何も、分からない。

 分かりたくない。


「やぁ、美しきマーイェセフィド・セフィーディア」

 誰かが触れる。

「やっと巡り巡って私のところに帰ってきたね。やれやれ」

 でも、何も、分からない。感じない。考えられない。

「さぁ、ここで飼ってあげよう、セフィーディア。もう、君が何も考えなくてもいいように」

 何もかもがどうでもいい。

 眠かった。ただもうひたすら、寝たかった。

 このまま溶けてしまいたかった。

 目を閉じた。

 闇だけが優しい。



「私の剣だ」

 ライルが差し出した血まみれの剣を見て、シャムシャが答えた。

「セフィーが殺したんだ……」

 ライルは、剣に布を巻きつつ、溜息をついた。言葉は出ないようだった。

 シャムシャも同じだ。蒼い顔をしてうつむいたままだ。

 二人の隣を白軍の兵士たちが通り過ぎていく。頭のない胴体を麻の布に包んで運び出そうとしている。

 ややして、部屋には、血と、血の臭いと、燃える油灯ランプの臭い、そして、シャムシャとライルだけが残った。

「ど……どうしたらいい?」

 シャムシャが震える声で言い、縋りつくようにライルの服の胸をつかんだ。ライルは黙って首を横に振った。

「何とか言えよ」

「俺だって何か言えるものなら言ってやりたいし、誰かに何とか言ってほしい」

 言いつつ、彼は、右手で剣の柄を持ったまま、左手で自分の髪を掻き毟った。

「畜生。どうしてお前も気づかなかったんだ……!」

 シャムシャは何かを言おうとして一度口を開いた。けれど結局何も言えなかった。そんなシャムシャに対して、ライルが「悪かった」と言う。

「いまさら言っても仕方がないことだな。一度やらかしたことはもう二度と元には戻せないということだ。俺がここでどうこう言ったって無駄だな」

 突然扉が開いた。目を向けると、ラシードが沈痛な面持ちで部屋の中に入ってきているところだった。

「ここにいらっしゃいましたか」

 ライルが「見つかったか」と問う。ラシードが深く首を垂れ、二人に向かって「申し訳ございません」と答える。

「門を出たところで消息はふつりと途絶えたまま」

 シャムシャが「何とかならないのか」と責め立てた。「白軍の全兵士を動員していますが」とまで言ってラシードも黙った。

「役立たずっ」

 今にも泣き出しそうな声と目でラシードを睨みつける。ライルは「やめろ」とたしなめたが、ラシードはなおも深く「申し訳ございません」と謝るばかりだ。

「何のための白軍だ」

「シャムシャ落ち着け」

「だってセフィーは今頃どうしていると思う!?」

「お前こそどうしてセフィーにこんなことをさせないようにできなかったんだ?」

 シャムシャが下唇を噛んでうつむく。ライルも「くそ」と言い自分の額を押さえた。

「ラシード、セフィーの行方に関する情報はまったくないのか?」

 訊ねてきたライルに、ラシードもまた首を横に振ってからうつむいた。

「もしも、西北の門から出ていって、そのまままっすぐ行ったとすると、途中で通りが大きく南に湾曲する。ところが、その南の方というのが――」

「いうのが? 何だ」

「貧民窟、で」

 「悔しいけれども」とラシードが頭を振る。

「白軍は、アルヤ王国軍の中でも宮殿内で王族の皆様や政治家たちに配慮して活動できるよう選ばれた、貴族の子弟ばかりの集団だから……その、貧民窟など行ったこともない者が多くて、勝手が分からなくて……」

 今度はライルが「阿呆か」と溜息をついた。

「他の部隊から人を借りられないのか」

「セターレス殿下に差し止められているし、事を大きくすると王家と国軍の威信が――」

「白軍の威信が、の間違いだろう」

 奥歯を噛み締めたラシードに対して、「今はそんなことを言っている場合ではないんだけどな」とライルが頬を引きつらせる。

「もう一度殿下に話をしてみて、それでもだめなら僕の独断ということで他の将軍に事情を説明する」

 ラシードが蒼い顔で言いながら拳を握り締める。それは、下手をすれば、白将軍の謀反、メフラザーディー家のお家取り潰しにつながることだ。シャムシャは「本気か」と言ってラシードの方を見た。シャムシャとラシードの目が合った。

「王妃様は、必ずお連れ致しますから」

 「だから」と、縋るような目で、縋るような声で、シャムシャに向かって懇願した。

「そのようなお顔はなさらないでください」

 シャムシャの表情がいっそう引きつり、歪んだ。ラシードはそれを見ないようにして踵を返した。部屋を出ていく。

 ライルがまたもや「くそっ」と言い、右手に持っていた剣を寝台の上に叩きつけた。

「私も捜しに行く」

 シャムシャがそう言って一歩を踏み出した。けれどライルはそれを「馬鹿」と言って止めた。

「お前何回この宮殿から出たことがある? 白軍兵士以上に迷うぞ」

 シャムシャの目に涙が浮かんだ。

 ライルは溜息をつきながら彼女を抱き寄せた。

「俺もできることなら自分で捜しに行っている。だが俺もこことエスファーニーの家とフォルザーニーの家しか――」

 ライルの言葉が途中で止まった。シャムシャは、ライルの背に手を回しつつ、「何だよ言えよ」となじった。

「そうだ……フォルザーニー家だ。俺は今からフォルザーニーの家に行ってくる」

 ライルはそう言ってシャムシャを離した。シャムシャは、先ほどの涙をそのままに、「なぜ」と訊ねた。ライルが「考えてみろ」と返す。

「ナジュムはエスファーナ生まれエスファーナ育ちエスファーナ大学卒でエスファーナじゅうを遊び歩いている。フォルザーニー家自体もエスファーナじゅうに間者を潜ませて巨大な情報網を広げている。情報収集なら下手に軍を動かすより早いし、説明しなければならない事情などフォルザーニー家が捏造したようなものだ」

 シャムシャは涙を拭って「私も行く」と言った。だが、ライルが「宮殿にいろ」と言い切った。

「どうして――」

「お前が動き回ったら目立つだろう、自重しろ」

「でも、」

「セフィーがもし自分で帰ってきたらその時は誰が出迎えてやるんだ? ルムアか? お前だろう」

 シャムシャは大きく頷いた。ライルは、シャムシャの頭を一度撫でると、部屋を走って出ていった。


「だめだ」

 セターレスが冷たい声で切り捨てた。ラシードは、床に両手をついたまま、奥歯を噛み締めた。

「……なぜ」

「なぜも何もない。王妃が人殺しをして宮殿から逃げ出しましたなど、誰が誰に言える?」

「自分が他の将軍に――」

「阿呆が。他の部隊にまで王妃が男であることを言いふらしてどうする、どこから情報が漏れるか分からんのだぞ」

「ですがそのようなことを言っている場合では――」

「今はそのようなことを言わなければならない場合だ」

 床に手をついたままのラシードに、セターレスは背を向けた。

「それさえも覚悟の上で結婚したのだろう? 平民の腹から出た、あんな容姿の男を王妃にするということは、そういうことだろう」

 我慢の限界だった。

 ラシードは立ち上がった。右の拳を握り締めた。左手でセターレスの肩をつかんだ。

 セターレスが振り向く。ラシードの怒りで赤く染まった顔を見て「何だ」と眉をひそめる。

「いい加減になさってください殿下。貴方様は今ご自分が何をなさっているのかお分かりか?」

「どういう意味だ」

「貴方様が彼女をあんな風に引きずってきてセフィーに見せたからこんなことになったんじゃないか! いや、それだけじゃない、貴方様が陛下にあんな態度を取るから、こんな仕打ちをなさるから――シャムシャ姫には何の非もなかったというのに、どうかしているんじゃないのか」

 セターレスは一度目を丸くした。肩で息をしているラシードをまじまじと眺めた。

 次の時、笑った。

 引きつった顔で、「は」と、壊れたように笑った。

「では、どうすればよかったんだ」

 今度はラシードが「は?」と顔をしかめた。

「俺は、どうするべきなんだ。俺は何をすればいいんだ?」

「殿下?」

「教えてくれ。父上を殺して兄貴に復させればよかったのか? シャムシャを王として立てて兄貴を処刑すればよかったのか?」

 セターレスがラシードの手を振り払った。その瞬間、ラシードは彼に言ったすべてのことを後悔した。

「ハヴァース三世の治世だけを夢見て二十二年間生きてきた、行きたくもない大華にまで行って必死に勉強した俺が去年どんな気持ちでシャムシアス四世の即位式に臨んだのかお前に分かるか!? 父上やエスファーニーのクソ親父どもに良い顔をして自分のメフラザーディー家や白将軍としての地位を守ったお前に俺の何が分かると言うんだ」

「殿下」

「周辺国はみんなアルヤ王国以上に男尊女卑をする国だ、アルヤ王国の頂点にいるのが女王だと思ったら何をしてくると思う? 国内でさえ、王を守る近衛隊の白軍でさえ分裂しているこのアルヤ王国が独立を守れると思うか!? 外国だけではない、アルヤ国内でだって国民を騙して女を王に据えたと思われたら内乱になりかねん! シャムシアス四世が女だと知れたら国も王家も終わりだ」

 その叫びが、まるで血を吐いているかのように聞こえる。

「王家が百万の民を危機に晒しているのにそれでもシャムシアス四世にこだわるお前らは何だ!? そんなにこの国をどこぞの属国にしたいのか!? 髪が蒼いだけでは国は守れないんだぞ!?」

 「俺だってなぁっ」とセターレスが叫び続ける。そのあまりの痛々しさに、ラシードはきつくまぶたを閉ざした。

「俺だってシャムシャが可愛かった! 母親には放置され父親には顔を見るたびにどうして男でないんだと罵られるシャムシャが不憫で不憫でならなかった、代わりに俺らが大事にしてやらなければと思っていたし実際そうしてきたつもりだ! それが何だ!? あいつはおとなたちに踊らされてあれほどまでに可愛がられ恩もあるであろう兄貴を廃しいまだに詫びの一つも入れない!」

「殿下……っ」

「こんな裏切りがあるか!? あんなに愛してやったのに、こんな仕打ちを受けてと言いたいのは俺たちの方だ! だいたいあいつは自分がアルヤ王国を危機に陥れているとも思わず王位に居続けて何のつもりだ、小さい頃はこの国のために自分も兄貴と働くと言っていたのは嘘だったのか」

「殿下、申し訳ございませ――」

「いいだろう俺を悪者にしたければするがいい。俺は自分が議会から疎まれていることも知っている、母上も父上に殺されたし恋人も作っている暇などなかった、大切にしていた妹にも裏切られ実の弟だと思って可愛がってきたライルまで俺から離れていった今俺にはもう兄貴の他に失うものはない。痛くも痒くもない!」

 自分は、いったい、何を守ってきたのだろう。

「シャムシャがやめるまでやめないからな」

 セターレスは荒くなった息を整えようと肩で息をしていた。

 ラシードは顔を背けた。もうこの場にいたくなかった。

「……夜分にたいへん失礼致しました。ゆっくりお休みください」

 それだけ告げると、ラシードは部屋を出た。セターレスはもう何も言わなかった。

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