第7章:ただそれだけの行為が難しい
7:ただそれだけの行為が難しい 1
夜明け前のまだ薄暗い廊下を、二人の青年が歩いている。いずれも彫刻のように整った顔立ちに琥珀色の瞳をした青年だ。片方は甘く柔らかそうな蜜色の髪を肩につかない程度でざんばらに切っている。もう片方は光り輝く白金の波打つ髪を肩まで伸ばしていた。
二人とも、彼らにしては珍しく、険しい表情をしている。
「くそっ」
白金の髪をした弟がそう言って壁を殴る。蜜色の髪をした兄が「やめなさい」とたしなめる。
「いったい何を考えている!? わざわざ我が家の紋章のついた馬車まで出して我が家を危機に晒すような真似をするとは」
「落ち着きなさい。そのような態度はお前らしくない」
「ですが兄上――」
「無論」
兄――グレーファス・ハーディ・フォルザーニーは冷めた声で言い放った。
「我らがフォルザーニー家の安泰を害すものがあれば家の外に漏れ出る前に消さなければならない。それに例外はない」
弟――グラーイス・ナジュム・フォルザーニーは、兄ハーディの言葉に頷いた。
叩くことも声を掛けることもなく二人は扉を開けた。
広い部屋に巨大な天蓋つきの寝台がしつらえられていた。そしてその上に、雄々しく隆起した体を惜しげもなく晒す中年の男と、この薄暗い中でもそうと分かるほど白く一見しただけでは少女にしか見えない少年が眠っていた。
フォルザーニー家を守るためにはいかなる犠牲も惜しんではならない。
「起きろ」
ナジュムは二人を包んでいた掛け布団代わりの薄布を剥ぎ取った。上半身裸のままの男が、一度うっすらと目を開けてもう一度閉ざしたあと、ぎょっとした様子で上体を跳ね起こした。
「グレーファス、グラーイス」
「いったいなぜここに」と、男――現フォルザーニー家当主が息子たちに問う。息子たちは冷たい目で父を見下ろしつつ、「なぜとは」「ふざけたことを」と答えた。
「間者がセフィーディア王妃失踪の報せをよこしたのを揉み消して喜び勇んで馬車を出し拉致しに行ったあなたが何を言うか」
「僕らの目をごまかせるとでもお思いか? アヌーシュは川に投げ捨てておきましたよ」
二対の琥珀の瞳が怒りに輝く。
「あなたは一番やってはならないことをした。王族の誘拐は斬首の上お家取り潰しだ」
男の隣で眠っている者はすでに王家の一員なのだ。
「当主でありながらフォルザーニー家を窮地に立たせましたね?」
長男が凍りつくような声で言う。
「知られる前にこの事実を抹消します。それが我が家を守る唯一の
「抹消とは」
動揺した声で父が問う。
「どうする気だ」
「決まっている」
次男が腰の剣を抜いた。
「もう我慢ならない。あなたには死んでもらう。あなたには突然腹上死でもしたことになってもらって命をもってその罪を贖わせてやる……!」
男はしばらくの間息子たちと同じ琥珀色の目で息子たちを交互に眺めた。それから、「本気なのか」と訊ねた。ナジュムが「当たり前だ」と怒鳴った。
「フォルザーニー家を乱す者は許さない!」
「……グラーイス……」
「グレーファスもか」と問われて、ハーディもまた「当然」と答えた。
「家のためになるならば何でもやれ――あなたが教えたことだ」
男は深く溜息をついた。「やれやれ」と言って大きな枕に背を預けた。
「そのとおりだ。いやあ、まいったね」
「うーん」と額を押さえる。
「息子たちにこんなに嫌われてしまうつもりではなかったんだがなぁ……」
ナジュムが「いまさらだ」と怒鳴った。それを聞き、父は「そうか」と頷いた。
「では、やりなさい」
ナジュムの肩が震えた。
「フォルザーニーの名の下にやっておしまいなさい。お前たちがお前たちの将来に害を成すと思うのならば私を始末するのだ。お前たちの栄光の行く手を阻むものはすべて自分の判断で排除しなさい――そう教えたのは他ならぬ私自身だ」
ナジュムが剣の柄を握り直した。その手が震え始めた。
「仕方がない。私はずいぶんやりたいようにやって楽しい人生を過ごした。暗殺者に殺されたり広場で首を刎ねられたりするよりは可愛い息子の手にかかった方が幸せというものだろうよ」
そう言うと、彼は目を細めて二人を眺め、微笑んだ。
「二人とも大きくなったね。お前たちは父の誇りだ」
柄をまた握り直した。剣を振り上げた。
「あ……」
父は、黙って、微笑んで待っていた。やがてそっとその目を閉じた。
手が、震える。
それでも、やらなければならない。
「……っ」
ナジュムが剣を振り下ろそうとした、その、瞬間だった。
後ろから、ハーディがナジュムの手首をつかんだ。
「グライ、もういいよ」
ナジュムが振り向くとハーディが苦笑していた。
「お前の覚悟はよく分かった。お前の行動は正しい。けれどだからと言って気持ちまで犠牲にする必要はない。もう剣をしまいなさい。残りは兄に任せなさい」
剣から手を離した。剣が床に転がった。
ハーディの手が頬に触れた。
頬に大粒の涙が零れた。
「……兄上、甘えたいです」
「いいよ、来なさい」
ナジュムが兄の胸に縋りついた。ハーディは弟の背を撫でつつ、父の方を向いた。父はまた「やれやれ」と言って息をついている。
「父上には全権を長男の僕に無条件で委譲すると宣誓した上で北部の別荘に移っていただきます。身の周りの世話人も最小限に留めて、何も持たずに出ていっていただきますからね」
「まあったく、グレフはグライと違って可愛げがないなぁ。冷たいよ」
「僕の家を動揺させた上に僕の可愛い弟を泣かせた重罪を加味すると拷問にかけて差し上げたいところなのですがね……死にたくなかったらとっとと隠居なさってください」
「分かったよ、あとはグレーファス・ハーディ・フォルザーニーにすべて任せる、私はおとなしく北部に引きこもろう」
戸の叩かれる音がした。ハーディは、弟を離すと、床に落ちていた薄布を拾い上げ、弟に向かって放った。ナジュムは床に座り込みながら頭から布をかぶり自らの泣き顔を隠した。
「どなたがいらっしゃいますか」
訊ねてきたのはまだ高い少年の声だ。兄弟にとっては馴染みの小間使いの声である。ハーディが「僕と父上とグラーイスだよ、入りなさい」と答えた。
扉がわずかに開いて、少年が顔を覗かせた。彼は室内の状況については訊ねず、今までは当主代理であったが今日からおそらく当主になる主に伝えた。
「ライル・エスファーニー様がお見えです。セフィーディア様の件でご相談が、とのこと」
「セフィーディア様はもうすでに我が家で保護している、すぐにお連れするので客間でお待ちなさい、と伝えなさい」
少年は「はい」と明るい返事をして出ていった。
ハーディは小さく笑って「お前の王子様が来てくれたよ、ご挨拶しないの」と訊ねてきた。ナジュムは赤い顔で「死んでも嫌だ!」と答えた。
「さぁ父上、お立ちなさい。眠り姫をお城からの迎えに引き渡さねばね」
元当主が寝台からおり、「はいはい」と言いながら両手を上げて降参の意を示した。入れ違いにしてハーディが柔らかい寝台に沈む眠り姫に近づいた。「おはようセフィー、大丈夫?」と訊ねかける。
返事がない。
「……セフィー?」
まったく反応を示さない。
ハーディとナジュムが顔を見合わせた。
「セフィー? セフィード。起きなさい」
ハーディがセフィーの肩をつかんで揺する。ナジュムも立ち上がり近づいて「セフィー」とその名を呼んだ。それでも反応は返ってこなかった。
「セフィー!?」
「何をした!?」と二人が父を怒鳴りつけた。父が「薬を嗅がせたり怪我をさせたりその他お前たちが思いつくような過激なことはしていないよ」と早口で答えた。
「セフィー、起きなさい!」
ナジュムがセフィーの腕をつかんだ。
その瞬間、セフィーはわずかに動いた。ほんの少しだけまぶたを持ち上げたのだ。
窓からかすかに朝日が入ってくる中、セフィーの紅い瞳がゆっくり動いた。そうしてナジュムと目と目を合わせた。
だが、次の時、セフィーは、ふたたびまぶたを下ろした。
「……セフィー……?」
彼はそれきり反応を示さなかった。
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