8:夢の続きを 2
手を伸ばした。
すぐ傍にラシードがいた。王に忠実なラシードは王を守るため腰に銀白の神剣をさげていた。
シャムシャは誰に言われずとも知っていた。蒼い髪の王は将軍の神剣を抜くことを神に許されている。
シャムシャは神剣の柄をつかんで抜いた。
もう片方の手でナジュムの腕をつかんで引いた。
ナジュムの首筋に神剣の刃を沿わせた。
あと指一本ほどでナジュムの首が切れる、というところで手を止めた。
「グラーイス!!」
ハーディが立ち上がって怒鳴った。シャムシャはそんな彼に対して「動くな!」と怒鳴った。
「言ったなフォルザーニー家は私のために全力を尽くすと! 持っているものはすべて出せ! だが私が欲しいのは金銀財宝ではない、お前ら兄弟だ!」
睨み合ったまま動かない兄と王を見比べつつ、ナジュムが「陛下」と声を出す。
「落ち着いてください。僕はいったい何をすればいいんです?」
ナジュムが珍しく困った表情をしている。
シャムシャは笑うのをこらえながら答えた。
「宰相兼摂政だ。私は王としてお前にセターレスの行なっていたすべての業務を引き継ぐよう命じる」
ナジュムは目を丸くした。その場にいた他の三人も同じ顔をした。
「私が王の絶対的な権限で勝手に任命する最後の宰相をお前にする。お前が私とともにアルヤ王国最後の絶対王政時代を担え」
だが、シャムシャは知っていた。ナジュムは何も自分への忠誠や愛着があって宮殿にいたわけではない。彼はいつも最高の舞台を求めていた。自分自身が羽ばたける世界を探していた。王族を利用してでも、だ。
利害は一致している。
最高の舞台を提供してやろうではないか。
ナジュムがいつもの自信に満ちた笑みを取り戻した。
「仰せのままに」
ハーディが「グラーイスっ」とふたたび怒鳴った。だがナジュム当人が首を横に振らなかった。
「確かに承りました陛下。喜んでお受け致します」
それを聞いても、シャムシャはまだ剣を下ろそうとしなかった。「最初の仕事だ、お前のあの兄を説得しろ」と告げ、むしろ剣を構え直した。ナジュムが半目で「あーにーうーえー」と訴える。
ハーディは顔を怒りで赤く染めていた。「断りなさい」と叫んだ。
「なぜ自ら危険に飛び込む真似をする。そのようなことは絶対に許さない!」
上品で穏やかな物腰の彼がシャムシャの前でこんな顔を見せるのは初めてだ。小気味が良い。
セターレスがなぜナジュムの出入りを許したのかがようやく分かった。ナジュムはもとをただせばフォルザーニー家から来た人質だったのだ。
「殺されたくなかったら私の言うことを聞け!」
シャムシャの握っていた剣が動いた。ナジュムの首の脇から金の髪が一房はらはらと床に落ちた。ナジュムが蒼ざめて「兄上っ! 兄上この人本気で斬る!」と悲鳴に似た声を上げた。
「もしもお前の身がこれ以上危険に晒されるようならば僕はエスファーナを火の海にする」
声こそ震えているもののハーディの言葉に迷いはない。ラシードが「何を馬鹿なことを」と怒鳴ったのにも彼は「うるさい黙れ!」と怒鳴り返した。
「兄上……」
しかし肝心の本人が承知しない。
「兄上に僕の人生まで決める権限はないでしょう。僕は今年で二十歳です、僕を愛しているのならば放っておいてくださいませんか」
ハーディの表情が泣きそうに引きつる。
「宰相の位は人臣として最高位だ。最高位である宰相の方こそこの僕にふさわしいとは思いませんか? 僕はずっと僕を最大限活かせる場所を探していたんです」
「そうだね……、お前ほど優秀な子にはそれくらいの箔がついてもいいのかもしれない」
「でしょう?」
「だが僕はお前が苛酷な歴史の波にさらわれるのが嫌だ」
「歴史家を買収してうまいことを書かせるという手もありますよ」
「それは、いいかもしれない」
「議会で矢面に立たされそうになったら兄上が僕を守ってくれればいい」
「フォルザーニー家から宰相が出る」とナジュムが言った。
「僕は王のために宰相をするのではありません。僕自身と、それから、フォルザーニー家の栄光のために」
ハーディが、頷いた。
「そう……、すべてが、フォルザーニー家とお前の栄光のためになるならば」
シャムシャはエスファーニー卿とラシードに向かって「聞いたな」と問うた。二人が慌てた様子で頷いた。
剣を下ろす。ラシードの腰の脇に寂しくさがっていた鞘に剣を押し込む。ラシードが「何という無茶を」と溜息をついた。
「よろしい。いかなる名目であろうとお前たちが私の下で働くのには相違ない」
ナジュムがシャムシャの傍を離れた。今にも泣き出しそうな顔でうつむいている兄を抱き締めた。彼も弟を抱き返した。
「では、グラーイス・ナジュム・フォルザーニー宰相閣下? まず手始めに貴族ないし知識人を宰相の補佐役として宮殿に召喚しろ。二十歳の若造が一人で宰相をやると言ったらお前が集中攻撃されるぞ」
「できれば頭が堅い者や気の長い者が良い、お前が軟派で落ち着きがないからな」と付け足したら、ナジュムは兄を離しつつ「ハイハイ分かりましたよ」と応じた。
「エスファーニー一族は別の仕事があるからだめだ。軍人は除け」
「ではとりあえずデヘカーン家当主をやっている伯父と大学の政治学の先生に声を掛けてみましょう」
「その辺が妥当だな」
「陛下」
突然低い声が割って入ってきた。シャムシャもナジュムも、声の主であるエスファーニー卿の方へ振り向いた。
「何だ」
卿が渋い表情で答える。
「仰せのとおりだ、フォルザーニーの名もデヘカーンの名も強い。そして他にこれまでの地位もあり人生経験も積んだ補佐団を設置するのならば――何より陛下ご自身が長らくお手元に置かれてこの者に気をお許しになっているのであれば、宰相とすることに異存はない。だが、」
「私の子は」と彼は言った。
「我が子ライル・アルヴァス・エスファーニーには何のお恵みも賜らぬと仰せか。同じように、否それ以上に陛下に尽くし申し上げたというのに」
シャムシャは一度、ナジュムを見た。ナジュムは苦笑して「いかがなさいます」と問うた。
「陛下がお決めになったらよろしい。ライルはきっとどうなろうと文句を言うだけですよ」
「そうだろうな」と苦笑を返した。
「私はライルは私の下に置いたままにするつもりだ」
「陛下」と強く迫ったエスファーニー卿に対して「だめだ」と断言する。それから笑う。
「ライルは、いつか、チュルカ平原に帰るのだから」
かつて夢を見たことがあった。チュルカ伝統の鎖
自分はもう、アルヤ王国から動けない。けれど、ライルには夢の続きを見てほしい。
「ライルは、草原の覇者になるのだから。アルヤ王国で重いものを背負ってはいけない。いつでもアルヤ王国を出られるよう余計な仕事を任せてはいけない」
その時が来たら振り向かずに出ていってほしい。
だが、戦の最中で傷つき疲れた時には、アルヤ王国に休みに戻ればいい。そのために、自分はアルヤ王国を彼にとってもオアシスであるような国にしなければなるまい。
長い旅の中で疲れた者たちが、太陽の恵みを得て活力を取り戻す楽園、アルヤ王国――それは、ハヴァースとセターレスの夢でもあった。
エスファーニー卿がうつむき、黙った。それから、ぽつりと、「そうだな」と呟いた。シャムシャは少し申し訳なく思った。彼にとっての今のライルは可愛い末息子なのだろう。だが、ライルはもともとは草原のチュルカ人なのだ。
「今日のところはこれまでだ。次にナジュムから連絡がいくまで、おのおの各自の仕事をいつもどおり続けるように。以上、さがれ」
エスファーニー卿は背を丸め、気落ちした足取りで扉の方へ向かった。
ハーディは「グライ」と弟の愛称を呼んだが、シャムシャは彼を「さがれったらさがれ」と言って睨みつけた。今度はナジュムの方が兄とともに帰ろうとしたのを見て、ナジュムの手首をつかんで止め、「お前は残れ」と命じた。
ラシードが、扉の方まで走っていき、扉を開けた。
エスファーニー卿とハーディが名残惜しそうに出ていくのを、シャムシャはナジュムの手首を握ったまま見送った。
「ラシード、悪いが少しの間ナジュムと二人きりで話をさせてくれないか? 廊下で待っていてくれ、すぐにまた呼ぶから」
「はッ」と短く返事をし、ナジュムに「失礼なことは申し上げるな」と釘を刺してから、ラシードも素直に出ていく。
扉が閉まった瞬間、体から力が抜けた。ナジュムにしな垂れかかった。
「ナジュムぅ、疲れたぁー」
ナジュムは笑いながら抱き止めてくれた。
「急にこんなことをなさったら疲れるに決まっているでしょうが」
彼はいつもどおりだった。まるで何事もなかったかのようだ。
でも、もう、戻れない。
「お前、本当にいいのか? 将来は私と一緒に暗殺されるかもしれない」
「大丈夫です、僕は今の僕がとってもかっこよかったので後悔しません。それに、いざとなったら西大陸に亡命でも――陛下?」
シャムシャがいつまで経っても離れようとしないので、ナジュムが「そんなに僕が好きでした?」と訊ねてきた。いつもだったら馬鹿と言って蹴り倒しているところだが、シャムシャは今ばかりはそうせず、そのままの体勢で続けた。
「お前にもう一つ頼みたいことがある」
「何です?」
「これは、宰相よりももっと、お前の人生をめちゃくちゃにしてしまう頼みだ。お前の人生を台無しにするだろう。私はお前を本当にアルヤ王国の犠牲にしてしまう」
ナジュムはふだんと何ら変わらぬ声で応じた。
「お受けするかどうかはお聞きしてから判断します。最後に決めるのは僕です。まずはおっしゃってください」
「……あのな――」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます