6:知ってしまった真実 3
「セフィー!?」
体を揺すぶられた。大きな声で名前を呼ばれた。
セフィーははっとしてまぶたを持ち上げた。
すぐそこにルムアの顔があった。その表情はけして明るくない。
「ど……どうか、した?」
訊ねると、ルムアが「こっちの台詞ですよ」と言いながら額に触れてきた。
「お熱はないようですけど……調子が良くないですか?」
「そんなことはないけど……なんで?」
「自覚はないんですね」と、ルムアが顔をしかめる。
「ここのところ、セフィーは一日のほとんどを寝ているようですけど」
意識していなかった。だが指摘されたとおりだ。
急いで上半身を起こした。
「ご……っ、ごめんなさいっ、ぼく」
「いえ、それが良いとか悪いとかと言いたいわけではないです」
手首をつかまれた。それが、心地良かった。それだけで、落ち着ける。
「もし、重い病気でしたら、と思うと心配です。何でもないのならよいのですが、調子が悪くて起きられないのでしたら、お医者さまをお呼びしないと」
自分がここにいることを実感する。
「大丈、夫」
話すことを苦手に思い、言葉を途切れさせてしまうセフィーを、ルムアはいつも根気強く待ってくれた。今もそうだ。彼女はそこで一つ相槌を打ったが、その後に続くセフィーの言葉を待ってくれた。
「なんだか、眠くて……。他に、何にも、すること、ないし。ぼくは今までどおりでいいよってシャムシャに言ったんだ。けど、シャムシャが、王妃さまはじっとしていろ、って。それで――ずっと、お昼寝してた……」
ルムアが「そうですか」と頷いた。セフィーはうまく話せたことに安堵した。
「そうですねぇ、確かに、そもそもセフィーが来るまではルムア一人で足りてましたし、ご結婚なさったからと言ってセターレス閣下がシャムシャさまに仕事を回してくださるわけではありませんし、何より、ふだんは一番騒がしいナジュムさまをフォルザーニーのご長男が連れて帰られましたから、暇と言えば暇なんですよね。でも――」
彼女はそこで、溜息をついた。
「シャムシャさまには困ったです……」
「え? シャムシャの何に?」
「もう少しセフィーのことを考えてくださったらいいのにな、と思うですよ」
「疲れてしまったのかもしれませんね」とルムアが言う。
「いろいろなことがございましたもの。ゆっくりお休みなさいな」
セフィーは首を横に振り、「疲れてないよ、何にもしていないもの」と答えた。ルムアは優しく微笑んでセフィーの頭を撫でた。
「焦らないでください。ルムアは絶対に怒ったりしませんから安心してくださいね。眠いなら寝ていてもいいです。ただ、本当に調子が悪くなったり、逆に何か別のことをしたくなった時には、ルムアには絶対教えてくださいね」
今度は素直に「はい」と答えた。ルムアも「よろしいです」と笑った。
だが次の時、彼女は急に表情を改めた。
「どうかした?」
「ごめんなさい、寝ていてもいいですとか言ってしまって……実はルムア、今はセフィーのお着替えのお手伝いに来たですよ」
自ら寝台を下りた。
「着替え?」
「はい。王妃さまの恰好をしてもらいたいのです」
「王妃様に何かあるの?」
「民衆の前に出るわけではないので、そこまで緊張しなくてもいいとは思いますけど」
ルムアの表情がわずかに歪んだのを、セフィーは敏感に感じ取った。
「セターレス閣下が謁見の間にお呼びなのだそうです。セフィーディアさまとシャムシャさまとを、ご一緒に、とのこと」
セターレスの名を聞いた途端、もう塞がったはずの背中の傷が一瞬しくりと痛んだ。傷を負って実家に帰らざるをえなくなったナジュムのことも思い出す。何となく、怖い。
「何のご用かは分かりかねますが、ライルさまとラシード将軍も念のにお傍に控えなさるそうですから、何かあってもすぐに対応できると思います」
嫌な予感がする。
「セフィーのことは皆さんがお守りしますから、ね?」
頭の中で声が聞こえた気がした。双子のヤサーラとヤミーナの声だ。双子が口々に言っている。来てはだめ、来てはだめ、と叫んでいる。
戸を叩く音がした。セフィーの代わりにルムアが「はぁい、どうぞー」と答えた。
「ルムアもいるのか? よかった、捜す手間が省けた」
そう言って入ってきたのは国王付侍従官の正装を着ているライルだ。
「シャムシャさまのお支度はもう済んでいますよ」
「知っている、着替えてまずあいつの部屋に行ったからな。あの馬鹿、セフィーを着飾らせられると喜んでいる」
「まぁまぁ、少しは余裕をご覧に入れるのもいいんですよ、たぶん」
「すぐ済ませますからね」と言い、ルムアが白い衣装を広げた。セフィーは彼女の負担を少しでも軽くしようと自主的に服を脱ぎ始めた。だが、その手は重く、なかなか裸になれなかった。
双子の声が聞こえる。もうアルヤ王国にはいないはずの、次の国に旅立っているはずの双子の声が響いている。
「今日はいったい何だと言っているんだ?」
首飾りや腕輪などの装飾品を省いて王の衣装を着ているだけのシャムシャが、隣のライルに訊ねた。その間早歩きの速度を緩めたりはしない。ライルも同様だ。ライルも急ぎ足のまま、「俺はヤツから直接ではなくラシードを介して聞いたから詳細は分からん」と答えた。
「どうやらお前ではなくセフィーに用事があるらしい」
突然自分の名前が出たので、セフィーは驚いて顔を上げた。それまで白い衣装の裾を踏まないようずっと下を向いて歩いていたのだ。
「ぼく……ですか?」
ライルが「ああ」と頷く。
「王妃様にご結婚のお祝いの品を、とぬかしたらしい」
「気色悪い」とシャムシャが吐き捨てる。
「いったい何を企んでいるんだ、セフィーをヤツの前に出したくない!」
「しかしだからと言って拒むわけにもいくまい」
「分かっている、だがヤツのことだからきっと結婚のことを後付けであれやこれや言ってくるに違いないぞ」
ライルが「俺だってヤツがすんなり結婚を許した時点で何かおかしいとは思った」と言った。それにはセフィーも頷いた。結婚の報告をしに行った際のセターレスはなぜか妙に淡泊だった。セフィーとシャムシャを眺めたあと、「おめでとう」と言って微笑んだのだ。あの態度には今でも違和感を拭えない。
「ナジュムにもこの前の式典の時にきっと何かあるはずだから尻尾をつかんでおけと言われた」
「あいつは阿呆か、そういうことこそ不器用を絵に描いたようなライルではなくナジュムとフォルザーニー一門の仕事だろうが」
「阿呆だ、本当に阿呆だ、ものすごく阿呆だ。畜生、兄上殿と手をつないで帰りやがって、どうしようもない一族だ」
シャムシャが突然声の調子を落とした。
「戻ってこないのだろうか」
ライルも少し間を置いた後に「言うな」と答えた。
「戻ってくる。あいつはお調子者だが無責任ではない」
「そう……だな。まぁ、元気そうだったし、そのうち暇だと言って帰ってくる、よ、な」
セフィーは、そんな二人の後ろ姿を見て、この二人はよく似ている、と思った。これが、兄妹のようだ、というところだろう。シャムシャの実の兄であるセターレスのことを思い出す。顔立ちはシャムシャと少し似ていた。他はどうだったか。
シャムシャとライルが立ち止まった。
顔を上げると、そこに、背の高い、細長い扉があった。
見覚えのある扉だ。確かセターレスや大臣たちに結婚の報告をした時もここから大講堂の玉座の裏、控え室に入った気がする。
「いいか、セフィー」
ライルが振り向いて言った。
「できるだけ喋らないでいてくれるか?」
それは特技だと、セフィーは頷いた。「もちろんシャムシャもだ」とライルが付け足す。
「俺はすぐ傍にいる。ラシードも控えている。ラシードは念のために信用できる兵士だけを選んで配置するとも言っていた。何があっても落ち着いて、いいか、くれぐれも落ち着いていてくれ」
シャムシャは「言われずとも」と答えた。セフィーももう一度頷いた。
「むしろお前だろお前。お前こそ何があってもキレるなよ、お前の後始末係は今実家なのだからな」
「うるさい黙れ、俺をナジュムなしでは何もできない男だと思うなよ。――入るぞ」
ライルが扉を開けた。ということは、もう中に入らなければならないということだ。
セフィーはついてきてくれなかったルムアのことを思い出した。ライルがいるのも安心と言えば安心だが、セフィーにとっての一番はやはりルムアだ。だが彼女は徹底して表舞台には出ない。彼女を守るためにもここで甘えてはいけない。
甘える、ということで思い出した。
双子の声はいつの間にか聞こえなくなっていた。あれはいったい何だったのだろう。
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