マーイェセフィド

日崎アユム/丹羽夏子

第1章 陽の当たらない場所

1:陽の当たらない場所 1

 シャムシアス四世はラクシュミー皇女との縁談を蹴ったらしい。

 セフィーは思わず「えーっ」と声を上げてしまった。

「シャムシアス王はいったい何をお考えなのかしらねぇ」

 双子のヤミーナが首を右に傾げた。

「この国の利益になるご結婚なのにねぇ」

 双子のヤサーラが首を左に傾げた。

 双子の言うとおりだ。この二人の結婚はどちらの国にとっても良い話であり、拒む理由はない、とセフィーは思う。

「細かい理由は書いてねぇな。なお、シャムシアス王はご病気でせっていらっしゃるためこの件について特別に会見を開くことはない、とのこと」

 新聞をたたみつつ小人のアッディーンが言う。

「このシャムシアスってぇのはどうも好かんなぁ。何かってぇと体調が悪いからと言って寝込みやがる。俺はまだこいつの顔を見たことがない。初めは俺たちのような化け物はご覧になりたくないのかと思ったんだが、どうもそうじゃなさそうだな」

 それから、「よぉセフィー」と話を振ってきた。

「お前はアルヤ人だが、このシャムシアスとかいう小僧の顔を見たことはあるかい?」

 セフィーは首を横に振った。そして、「一度も」と付け足した。

「ぼくが、おおやけの場、たとえば宮殿の前とか広場とかに行けないせいもあるんだろう、けど……。でも、アディーの言うとおり、陛下はあんまり人前にお出にならないよ」

 「そんなのはだめよ」と、アッディーンと同じ国の出身であるヤミーナが言う。同様にヤサーラも「統治者たるもの民のご機嫌は窺わなきゃ」と主張した。

「今回も、国民の誰もが喜んだ結婚を取りやめて何の弁明もなし、か。臭う、臭うぜぇこいつは」

 セフィーはただ、苦笑した。アッディーンや双子がそう言えるのは彼らが外国出身だからだ。生まれた時からこのアルヤ王国に住むセフィーには、王国の首都、ここエスファーナの蒼い石片タイルの敷き詰められた宮殿で玉座についた者を悪くは言えない。

 正直に言えばセフィーも怪しいと思ってはいる。だがそれは大陸を渡り歩いて見聞を広げてきたアッディーンや双子から影響を受けたせいだ。アルヤ人の大半は王がそうと決めたらそうなのである。

「だいたいよ」

 ヤサーラが口を尖らせる。

「『蒼き太陽』伝説、だったかしら? アルヤ王国初代国王の髪が蒼くて、今でも蒼い髪の王子が生まれると国が栄える、ってやつ」

 「そうだったわよね」と、ヤサーラはセフィーの方を向いた。

「伝説でしょ? どこの国でもよくある建国神話だわ。それを今のこのご時世まで引きずるのはおかしいわよ」

 セフィーは急に心細くなった。

 セフィーにはこの国を庇うことができない。むしろ最近はちょっと怖いところだとすら思うようになっていた。国民の貧富の差は激しい。密貿易者は後を断たない。地理的に考えるといつ諸外国に攻め込まれてもおかしくない。挙句の果てには王は太陽神を自称している。アッディーンや双子と知り合うまでは何でもなかったことだが最近は少し気になる。

 それでも、自分が育ったこの国を、そして、この国の中心であり太陽である王の恩恵を、否定したりされたりしたくなかった。

 セフィーにはそれをうまく言うことができない。ただ、苦笑するしかない。

 ヤサーラが「ねぇヤミーナ」と右側にいる自分の姉妹に同意を求めた。だが、ヤミーナではなくアッディーンが「そうだそうだ」とはやし立てた。

「シャムシアス王が伝説の蒼い髪の王子様で――『蒼き太陽』で? だから、何をしてもいい! 頭の色が何色だろうが中身は十六歳の男の子でしょ。それを真に受けるひとたちが国をまわすだなんて」

 ヤミーナはそこで「ヤサーラ」と片割れをたしなめた。「ヤミーナ?」とヤサーラが顔をしかめる。

「あたしもどうもいけ好かないとは思っているけどね。見て、セフィーが緊張してる」

 セフィーは胸を撫で下ろした。

「それでも、セフィーにとったら『蒼き太陽』は本物の神様なのよ。そこは、異民族のあたしたちがとやかく言うことじゃないわ」

 姉妹とセフィーの顔を交互に見比べたあと、ヤサーラは「そうね、やめましょ」と肩をすくめた。

「でもね、セフィー」

 ヤミーナがセフィーを見つめる。

「もしもシャムシアス陛下の髪が本当に蒼いのなら、あたしはとても悲しいわ。蒼い髪だなんて、人間では、いいえ、生き物ではありえない色でしょう? なのに太陽だなんて呼ばれてる。同じように変わった色合いのセフィーは化け物扱いなのにね」

 セフィーは自分の髪の裾をつまんだ。腰に届くほど長く伸ばしたまっすぐの髪は老人のように白い。眉や睫毛も髪と同じく真っ白だ。肌の色も周囲の誰より明るい。アルヤ人では――双子やアッディーンが言うには、大陸じゅうのどこを探しても――ありえない色だった。

 自分の頬、右目の下辺りに触れた。そのすぐ上、長い睫毛に守られた大きな瞳は、血と同じ紅い色をしている。

「あなたはとっても綺麗よ。あなたより美しい子なんて見たことがない。世界じゅうのどんなお姫様よりもよ。透けるように真っ白で、天使みたいだと思う」

 それでもここにいる時は安心だ。

 小人のアッディーンの身長はセフィーの腿の途中までしかない。頭が大きくて手足の短い、赤ん坊のような体をしている。だが彼は太く凛々しい眉に濃いあごひげをもった立派な成人男性だ。

 双子のヤミーナとヤサーラは臍から下を共有している。一人分の下半身から二人分の上半身が生えているのである。おかげで彼女たちはどこに行くのでも何をするのでも一緒にいなければならない。

 アッディーンや双子だけではない。この集団にはちょっと奇妙な容姿の者ばかり数名が集まっている。そして行く先々で芸を披露して収入を得ている。一座の名は、『旅する見世物小屋』だ。

 ヤミーナの細くてたおやかな手が、セフィーの頭を撫でた。セフィーがこうして頭を――真っ白な髪を出していられるのは、母以外ではこの一座の面々の前だけだ。

「何度でも言うわよ」

 ヤミーナが姉らしい優しい声音で語りかけてくる。

「あたしはね、こうして、あたしたちがアルヤ王国にいる時しかあなたに会えない、というのが、ものすごく嫌なの。分かってもらえるかしら。心配で不安なのよ。また苦しい思いをしているんじゃないかしら。またつらいことをさせられているんじゃないかしら。また傷つけられているんじゃ――もしかしたら、殺されてしまっているんじゃないかしら。そんなことを考えるのは、もう、嫌なの」

 ヤサーラが声高々に「そうよそうよ」と賛同する。

「一緒に行きましょうよセフィー。この国で埋もれないで。きっと世界じゅうを魅了する歌い手に――」

「無理だよ恥ずかしい」

 抱えていた布で頭を覆った。顔を隠すようにうつむいた。

 実はこっそり一座の舞台を見に行ったことがある。みんな堂々としていた。特にヤミーナとヤサーラの歌は美しかった。それぞれにウードを抱え異国の歌を紡ぎ上げる彼女らの声は透き通っており、女神か天使が歌っているように聞こえた。セフィーは何度も感動させられた。

 セフィーは大勢の人の前で堂々とはしていられないだろう。きっと恐怖で足が震えて何もできない。

「ぼくには、そんなこと、できないよ。ただみんなとこうしていたいだけ。みんなといられれば、それだけで、楽しいし、ほっとするの」

 「だったらいいじゃねぇか」とアッディーンが口を挟んできた。

「そりゃあな、どうせ一緒に来るんだったら金を稼いでくれた方がありがたい。セフィーほど小ぎれいな顔をしてりゃあ大勢が寄ってくるだろうしな。セフィーはお月さんみたいに白くてきらきらしている。ラクータ帝国じゃあ白けりゃ白いほど美人なんだと言うぜ」

 アッディーンが「それに双子と違って体の形は奇怪でない」と一人頷いた。双子が「ひどい!」「こんな美女たちを捕まえてなんてことを!」と抗議の声を上げた。

「だが、怖がる子をむりやり人前に引きずって出すほど俺たちもひどかねぇ。よぉセフィー、お前は料理ができる。洗濯も掃除もよくするだろうよ。何より一座の連中でお前が好きじゃないやつはいないんだ。陰ながら手助けしてくれるっていうのでも、俺たちはお前だったら歓迎する」

 セフィーは泣きたくなった。双子やアッディーンの言葉が暖かく、優しくて、嬉しかったのだ。胸に熱いものが込み上げてくる。ぜひともと言って飛びつきたくなる。

 けれど、

「……お母さんを……、捨てては、行けない、よ」

 彼女は今も古びた硬い布団の上で自分を待っていることだろう。自分のことを心配しながら――そして外出させるだけでも心配しなければならない容姿に産んでしまったことを後悔しながら、だ。

「お母さんが待ってるから……お母さんのところに帰らないといけない」

 下唇を噛んで涙をこらえるセフィーに、双子もアッディーンも黙った。

 ややしてから、ヤミーナの右腕とヤサーラの左腕が伸びてきた。セフィーの痩せ細った体を彼女らの方へ抱き寄せてくれた。彼女らが上半身も寄せ合ってくれたため、セフィーはヤミーナの左胸とヤサーラの右胸の柔らかさを味わうことができた。

「可哀想なセフィー」

「お母さんがいるのはうらやましいけど」

「こんなに不自由だと困っちゃうわねぇ」

 天幕の外から双子を呼ぶ声が聞こえてきた。双子が「はぁい」と声を上げると、天幕の出入り口から犬女のナターシャが毛むくじゃらの顔を見せた。

「あらセフィー、来てたのね」

「ごめんなさい、こんなに通って」

 セフィーが鼻をすすると、ナターシャは「嫌だ、勘違いしないでちょうだい」と笑った。

「今度から来た時は一座のみんなに言うのよ。双子やアッディーンばかりひいきしないで」

 またもや涙が溢れてきて前が見えなくなってしまった。双子が「やだぁ」「あたしたちも泣いちゃうぅ」と言ってセフィーを抱き締め直した。

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