21撃目 キズナの帰還と新たな敵


 トリル山の開けた場所で、キズナは無属性を示す灰色な魔法陣に上下を挟まれていた。

 そんなキズナの周囲にはマリと妖魔たちが集まっている。

 カミラを倒してから2日後のことだ。すでにグロリアは陣を引き、トリル山の近くに人間の軍隊は存在しない。

 だから、キズナは1度元の世界に戻ることにしたのだ。いつまでも自分を行方不明のままにしておくわけにはいかない。


「キズナ、私の道着と下着を忘れないで」


 マリが言った。

 マリは一緒には帰らない。近くに敵がいないとはいえ、2人とも帰ってしまうのは無責任だ。そこで、片方が帰って片方が残ることにした。


「分かった。下着はロッカーに替えがあるんだったか?」


 キズナは正直、帰りたくなかった。2度目の行方不明なので、確実にまた怒られる。しかしマリとのジャンケンで負けてしまったから仕方ない。


「ど、どうしてキズナ先生がマリ先生の下着の在処を知ってるのよ!」


 キズナに両手を向け、召喚魔法の準備をしているリュリュが言った。

 なんだかムッとしているように見えた。


「夏の稽古は地獄だからな」

「そう。下着の予備がないとやってられない」


 久我くが刃心流じんしんりゅうの道場には、一応更衣室がある。キズナもマリも、そこのロッカーに色々と私物を置いている。


「だいたい、マリ先生もどうしてキズナ先生に下着を頼むのよ!?」


 リュリュはやはり怒っているように見えたが、なぜ怒っているのかキズナには理解できない。

 マリも理解できなかったようで、小さく首を傾げた。


「どうしても何も、俺しかいないだろ?」


 1度戻って、またやって来るのはキズナだけである。他の誰かが一緒に日本に行くわけではないし、逆に日本の誰かをこっちに連れてくるつもりもない。


「そうだけど……」


 リュリュはゴニョゴニョと何かを言ったが、キズナには聞こえない。


「ところでぇ」犬のような妖魔、モモが言う。「キズナ先生、お土産よろしく的な?」


「ん? ああ、そうだな」


 ドッグフードでいいか。好きそうだし、とキズナは思った。


「はーい、はーい、お土産欲しいでーす」

「オイラも!」


 ハーピーのジジや妖精、そしてその他の妖魔たちまで口々にお土産と言い始めた。


「黙れ貴様ら!」


 しかしフラヴィが一喝するとシンと静まった。

 フラヴィは今残っている妖魔たちの中では上位の存在。というか、フラヴィが口うるさくて頭が硬いので、みんな逆らわないだけのようにも思う。こう、反論したら更に怒られるから面倒臭い的な感じ。


「先生は遊びに戻るわけではない。家族に無事を伝えるために戻るんだ。そして姫の魔力が溜まったらまたすぐにこっちに来るんだ。お土産を用意している暇などない」


 リュリュの魔力もそんなすぐに溜まらないだろ、とキズナは思ったが言わなかった。正直、フラヴィの発言は助かる。キズナはバイトをしているわけでもないし、あまり金を持っていないのだ。


「そろそろ、いけるけど?」


 リュリュが言った。


「おう。じゃあ頼む。また2、3日後に」


 キズナは笑顔を浮かべ、小さく右手を振った。


       ◇


「アサシンリーグはリュリュの暗殺に失敗し、期待の千人将は役に立たず、その上、その上だオリバー」


 グリーンスレード王国の現国王、ジャック・ウイリアムが憤怒の表情で言う。


「我が王国の強さの象徴であるロイヤルスリーまでもが敗北した」


 ウイリアム王は38歳で独身。ヒステリックで恐れが強く、その上傲慢という救いようのない王である。

 少なくとも、ロイヤルスリーのセカンドであるオリバー・スミスはそう思っていた。


「そのようですね」


 王の私室に呼ばれ、いきなりそんなことを言われても困る。どれも王の命令であってオリバーの命令ではないし、オリバーが命令を遂行できなかったというわけでもない。

 オリバーは26歳の青年で、鮮やかな金髪に青い瞳。鍛え上げた筋肉質な肉体に、庶民が着るような普通の服を着ている。

 ロイヤルスリーなのに庶民的で、更に顔がよくて笑顔が爽やか。オリバーはウイリアム王よりも他のどんな有名人よりも国民に人気があった。


「そんな簡単に済ませるな!」


 椅子に座っていたウイリアム王は、勢い余って立ち上がる。


「しかしながら、報告を聞く限りではキズナとマリの強さは常軌を逸しているとのこと」

「それがどうしたというのだ!? ロイヤルスリーが敗北するなど前代未聞だ! あのカミラという女はお前が推薦したのだろうオリバー!」

「カミラは強いです。正直、オレとの差もそれほどない。カミラが絶対に勝てないような相手なら、オレでも勝てないと思いますが?」

「それでも勝つのがロイヤルスリーの仕事だろうが!」


 ムチャクチャ言いやがる――オリバーは心の中で毒を吐いた。

 ロイヤルスリーは神様ではないのだ。敗北することだって有り得る。今まで敗北しなかったのは運が良かったに過ぎない。


「そもそも、王はなぜそこまで妖魔にこだわるのです?」


 もはや妖魔に力などなかった。放っておけば良かったのだ。それを徹底的に追い詰めるような真似をするから、噛み付かれてしまった。

 キズナとマリという強烈な牙で。


「奴らは目障りなのだ。分かるだろう?」

「それはまぁ、そうですが」


 妖魔の王が統治していた4年前までは、確かに妖魔は危険な存在だった。しかし妖魔の王が倒されて以降は凄まじい速度で弱体化した。というか、弱体化させた、と言った方が正しい。


「であろう?」


 オリバーの返事に満足したのか、ウイリアム王は椅子に腰かけた。


「しかしながら、今の妖魔は……」

「黙れ。奴らは生かしておけばまた我が王国の敵となる。特に、異常な魔力を持って生まれた妖魔の姫など、危険以外の何でもない。故に、殲滅するのが正しいのだ」


 王は自分の発言をまったく疑っていない。心の底からそうであると信じていた。


「……そうですか」


 妖魔の姫リュリュが大きな魔力を持っているという噂は知っている。その噂はキズナとマリをリュリュが単独で召喚したかもしれない、というオルトンの報告で確信に変わった。

 しかし、リュリュは魔法が苦手だという話も同時に聞いていた。

 確かに今後、リュリュが攻撃魔法を覚えたら厄介ではある。しかし4年前に和平を成立させ、友好関係を築いていれば問題なかったはずだ。


「ところで、オレを呼んだ理由をそろそろ教えていただけますか?」


 まさか愚痴を零すため、ということもあるまい。

 オリバーは相談役ではない。グリーンスレード王国の剣、ロイヤルスリーの一員なのだ。


「うむ。余が自ら討って出ることにするから準備いたせ」

「……は?」

「5000の兵を率い、妖魔どもを完全に叩き潰してくれる」

「お待ちください。5000と言いましたか?」

「うむ。オリバーの聞き間違いではない。余は5000の兵を率い、妖魔討伐に向かう」


 それではグリーンスレード軍の半分を連れて行くことになる。手薄になった隙に東のジェイン帝国や死霊の国に攻められたらどうするのだろうか。

 いや、そんなことよりも、


「5000の兵を無駄死にさせるおつもりか?」

「何?」


 オリバーの言葉に、王が目を細める。


「カミラは条件によっては1000人を1度に殺すだけの能力を持っています。そのカミラが、手も足も出なかったと報告しているのです」

「キズナとマリがそれぞれ一騎当千以上の能力である、と?」

「ええ」


 オレでも勝てないと言った時に察して欲しかったな、とオリバーは思った。


「ではどうすると言うのだオリバー。このまま妖魔を放置しろとでも?」

「いえ。そうは言っていません」


 できるならそうしたい。しかしウイリアム王の強い恐れは妖魔の絶滅以外では拭えない。


「ではどう言っているのだオリバー」

「コレット・バーニーの帰還を待つのです」

「ほう。コレット・バーニーか」


 グリーンスレード王国の頂点、ロイヤルスリーのファースト。全世界を見回しても、コレットに敵う者はない、と言われているほどの強者。


「して? コレットは今どこに?」

「……休暇です」

「……そういえば、余が許可した覚えがある。確か、いつもと同じように婿探しの旅に出たいと申しておったか」


 グリーンスレード王国最強、天下無双のコレット・バーニー。彼女は32歳独身。婚期を逃したと泣き喚き、年下のイケメンを見ればプロポーズし、そしてフラれる哀れな32歳だ。

 若い男のために派手な格好をしているが、それがやりすぎて奇抜となり、姿からして痛々しく哀れな32歳独身女性、それがコレット・バーニーだ。


「あと30日ほどで帰還するかと」

「30日か。一体何日の休暇を申請して来たのだったか……」


 50日であるが、ウイリアム王は覚えていないようだ。当時はキズナとマリもおらず、妖魔退治など余裕だと信じていたから特に何も考えず休暇を許可したのだろう、とオリバーは推測した。


「まぁ良いか。呼び戻せオリバー」

「ご冗談を。普通の休暇ならまだしも、コレットの婿探しを邪魔するなどオレはお断りです」

「ほう。貴様、余の命令が聞けんというのか?」

「コレットが怒って暴れたら誰が止めるのです?」


 オリバーは真っ直ぐにウイリアム王を見た。

 ウイリアム王は数秒の沈黙を挟んでから、ゴクリと唾を飲んだ。


「今の命令は取り消す」

「素晴らしいご英断かと」


 コレットはウイリアム王に忠実だが、全てを捧げているわけではない。


「ところでウイリアム王」

「なんだ?」

「グロリア・ミルバーンからの報告ですが、キズナとマリは王が約束を果たさなかったことに怒りを覚えているとのことです」

「それがどうしたというのだ?」

「……いえ。一応、報告したまでです」


 お前のせいで元英雄であるあの2人が妖魔の側に付いたんだよ、とオリバーは強く思った。


「それよりもオリバー、コレットなら確実にあの2人を倒せるのか?」

「大丈夫でしょう。コレットより強い者が存在しているなど、オレは信じられませんね」


 ジェイン帝国にも、死霊の国にも、竜族の国にも、コレットより強い奴がいるという噂は聞かない。

 コレットは特別な存在なのだ。オリバーやカミラとは違う。存在の次元が違う。強さの次元が違う。どんなに強かろうと、ただの人間がコレットに勝つ場面など想像もつかない。


「ではコレットが戻り次第、余が総大将となって妖魔討伐に向かう」

「分かりました。その旨、将軍にも伝えておきましよう」


 結局、お前も来るのかよ。

 オリバーはやれやれと心の中で首を振って両手を広げ、溜息を吐いた。

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